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中国 張汝泉、張正耀への実刑判決に抗議声明       かけはし2005.2.7号

言論の自由の行使は当然の権利・ただちに釈放を

先駆社


資本主義復活に対
し人民の抗議増大

 中国における資本主義復活の後、人民の苦しみが深まるにつれて、底辺からの抗議は日増しに増加している(左翼的立場から資本主義復活を批判する政治的主張も含まれる)。これらの抗議の声は一貫して政権党局のさまざまな迫害をけてきた。最近では鄭州で発生した張汝泉と張正耀の事件がその最新の事例である。
 中国国内の報道によると、二〇〇四年九月上旬、張汝泉は張正耀の要請を受けて「毛沢東――われわれの永遠の指導者」(以下、「永遠の指導者」とする)いう文章を書き、大量に複製した。九月九日午前十時、毛沢東逝去二十八周年を記念するため、張正耀は河南省鄭州市紫荊山広場にある毛沢東像の前を清掃し、その際「永遠の指導者」のコピーを配布して、まもなく警察に連行された。翌日の早朝、鄭州市公安局は張正耀の自宅を捜査し、コンピューターといくつかの資料を持っていくと同時に、張正耀に対して刑事拘留を宣言した。数日後、警察はコピーに関与した王占清に対しても同様の措置をとった。十月十五日、鄭州市人民検察院は「国家政権転覆罪」の容疑で張正耀と王占清を正式に逮捕し、張汝泉と葛黎英(張正耀の妻)を住居監視とした。
 十二月二十一日、鄭州市金水区人民法院(裁判所)で「永遠の指導者」事件についての審理が行われ、鄭州市人民検察院はこの文章に対し「虚構の事実を故意に捏造し散布して他人の人格を損ねて名誉を毀損し、社会秩序と国家利益に重大な危害を加え、事態はきわめて深刻である」ことを理由に提訴し、この文章が中国共産党中央軍事委員会主席の前任者である小平(故人)と江沢民(引退)を誹謗中傷したと指摘した。二〇〇四年十二月二十四日、河南省鄭州市金水区人民法院は「誹謗罪」で張汝泉に三年の有罪判決、張正耀にも三年の有罪判決をくだした。

国家はブルジョア
に支配されている

 われわれは「永遠の指導者」文書のなかで毛沢東および資本主義復活以前の中国労働者人民の政治的地位に関する評価(「毛沢東がいたときは、中国人民は国家の主人公であった。すなわち神聖な民主的権利を享受し、愉快で順調で向上し、なんら後顧の憂いもない幸福な生活を送っていた」)には同意しないが、張汝泉などは言論の自由を行使する当然の権利を有するし、執政者の政治活動を評論し批判する当然の権利を有することは疑いないと考える。
 「永遠の指導者」文書は資本主義復活に対して極めて先鋭で直接的な暴露を行っており、「金銭を神聖なものとみなす『中国の特色ある社会主義』という社会では、人々の社会的地位は金銭の保有額によって決まり、金のあるものは権力も有する」「国家全体がブルジョアジーに支配され所有されているので、この『国有』は実際にはブルジョアジーが共有しているのであり、労働者はもう自分のためではなく、ブルジョアジー全体の剰余価値の創造のために労働することになった」。これらの評価について、われわれは基本的に同意するものである。
 河南省鄭州市金水区人民検察院の起訴状(鄭金検公刑訴[二〇〇四]一一一六号)は「両者が相談した文章の主要な内容は『資本主義復活に反対し、鄭州市の労働者階級の悲惨な状況を反映している』」と認める一方で、判決の重点をいわゆる「誹謗」という側面に置き、文中のあちこちをつなぎ合わせて、「永遠の指導者」文書が「『江沢民は国家権力を簒奪し、毛沢東およびその事業に対して骨髄に徹する恨みをぶちまけた』。『毛沢東を強烈に攻撃し中傷し貶め、かつての蒋介石がやったようなことを行う』『江の輩は』『帝国主義、ブルジョアジーの腐朽勢力の利益を代表する』『かすのような人物』などの内容と措辞」を捏造していると一言で断言している。
 われわれは、このような指摘は、論点をすり替え、「永遠の指導者」文書が暴露する資本主義復活と資本主義の搾取と抑圧を隠そうとするものであると考える。
 先駆社は、中国司法当局がすぐに鄭州現地部門の判決を改善し、関係者を無条件に釈放することを要求する。
 われわれは、鄭州市司法当局が張汝泉(70歳を超える)などの健康を保障することを要求する。
 われわれは、中国当局が言論の自由という権利を行使することで弾圧を受けている無辜の受刑者すべてを釈放することを要求する。二〇〇五年一月五日


第31次寿越冬闘争
「外国人野宿者の入管収容攻撃を許さない」

 【神奈川】寿越冬闘争は第三十一次を終了した。十二月二十六日の越冬突入集会では基調、集会宣言が越冬実行委員会の仲間から読み上げられ、連帯アピールとして全横浜屠場労組からは、「越冬を通して共に変わっていきたい」と、全国一般からは「集団的抵抗が認められない風潮が強まる中でがんばろう」、カラバオの会からは「中村川から野宿場所を追われる仲間の中に外国人野宿者がいるが、入管収容攻撃を許さない」という発言がそれぞれあった。
 年越しにはそば、元旦には餅つきを行い、さすらい姉妹の芝居も熱のこもった舞台であった。
 今年からは横浜市がプレハブを建てなかったため、寿公園の中にテントを立てて本部、医療班の機能を置いた。司法書士会の協力なども得て医療相談のほかにも机だしで生活相談、昼パトに取り組んだ。炊き出し、カンパ集めも含め、従来にも増して精力的な越冬実の面々、支援者の活動によって支えられた越冬だったことが、多くの人によって確認された。
 プレハブ自治管理の負担が少なくなったため、越冬闘争における新しい活動の可能性が感じられた。しかし、簡易宿泊所と新しい巨大「自立支援」施設を併用した宿泊枠をもって、予算の縮小と効率的な当事者の管理のみを念頭に置いている。排除の受け皿としてのみ機能する新しい中村川寮の存在は、現行の宿泊所に対する神奈川県・横浜市の野宿者施策のあらわれだ。
 三位一体改革の先頭を突っ走る中田市政の新自由主義路線を許してはいけない。ワールドカップの時の排除を思い出せ。中村川の排除は福祉スペースとして生き続ける寿町の存在を根本から脅かしているのだ。今年もたたかおう。(海)



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映画「父と暮せば」を見て

核兵器の非人間性を告発

S・M

死者から託されたメッセージ

「原爆は、人間として許せない」

「自分は幸福にな
ってはいけない」

 10月に、岩波ホール(神保町)で「父と暮せば」(井上ひさし原作/黒木和雄監督作品)を見た。
 ストーリーを紹介したい。舞台は、1948年の夏の広島だ。アメリカ合衆国による原爆投下(無差別テロ)から3年が経っている。福吉美津江(宮沢りえ)は図書館に勤める、23歳の女性だ。
 木下正(浅野忠信)は、ある日、美津江の勤める図書館に、原爆関係の資料を探しにくる。木下は、大学の先生(助手)で、26歳の青年だ。美津江は、木下に好意を持つが、一方で自分は恋をしてはいけない、幸せになってはいけないのだ、とも考えている。
 美津江の心は、二つに引き裂かれている。父親の福吉竹造(原田芳雄)は、美津江の恋を応援する。美津江は、何で「自分は幸せになってはいけないのだ」などと考えるようになったのか。だんだん、それが明らかになっていく。そして、美津江の前に現れる竹造は幻覚であり、竹造は既に死んでいることも明らかになっていく……。

ぼくなら最高賞にこ
の映画を推薦したい

 この映画は、とても良い映画だった。映画が上映されている間、鼻を啜る音があちこちから聞こえてきた。この映画は、原子爆弾(核兵器)というものの非人間性を告発している。この映画は、原爆投下が人間に何をしたのか、ということを観客にリアルに想像させる。核兵器の廃絶及び被爆者の幸福というものを願わずにはいられない。この映画は、観客をそういう気持にさせるはずだ。
 もし、国際平和映画祭というものが存在し、なおかつぼくがその審査委員だったならば、最高賞にこの映画を推薦するかもしれない。キャストは四人位しかいなかったと思うが、この映画はキャストが四人位でも良い映画を製作することが可能であることを証明している。
 この映画には、戦後アメリカ合衆国(占領軍)が反核運動というか反核運動につながりそうなことを弾圧したことも描かれている。
 ただ、ぼくの誤解でなければ、この映画には原爆を広島に落としたアメリカ合衆国そのものの犯罪性が全く、あるいはほとんど描かれていない。その点が残念だ。ぼくは、そう思った。また、フェミニストがこの映画を見たら少し不満を感じるかもしれない、とも思った。
 この映画は、何故日本がアジアの人びとから憎まれていたのか、今も憎まれているのか、という問題は明らかにしていない。ぼくが監督だったら、「ヒロインが在日朝鮮人という物語」にしていたかもしれない。
 世界の進歩派は、国際反核党や国際反軍党というような統一戦線的で民主的な国際組織を作って、「核兵器のない世界」や「軍隊のない世界」を作るために闘うべきではないか。そんなことも、ぼくは考えた。

台詞は一万人の証
言をピックアップ

 黒木和雄監督は、次のようなことを語っている。「井上ひさしさんは2年間の取材と、一万人の手記を読んだ上で『父と暮せば』を書かれたんです。オリジナルな台詞がひとこともないんですよ。全部彼が一万人の証言からとったものなんですね。2年間かけてピックアップした……」(『キネマ旬報』2004年8月上旬特別号、115ページ、キネマ旬報社)。
 井上ひさしさん(作家)は、原作には反映されていないような気もするが、次のようなことを語っている。「世界で唯一日本人が原爆を体験した民族だというけれどもそれも違うんだよ。朝鮮の人も大勢被爆したし、捕虜になっていたアメリカ人も被爆して逃げてきて日本人に殺された」(『シネ・フロント』第327号、41ページ、シン・フロント社)。
 栗原淑江(よしえ)さん(交流紙『自分史つうしん ヒバクシャ』を発行。一九八〇〜九一年、日本被団協事務局員)は、次のようなことを述べている。「宮沢の演技は、ある被爆者をして、『被爆者でない人がここまで被爆者の気持ちを演じることができると感動した』と言わしめた」(『世界』2004年9月号、189ページ、岩波書店)。また、次のようなことも述べている。「死者たちから託されたメッセージを被爆者から受け継ぎ、さらに次代へと引き継ぐこと。それは、ヒロシマ・ナガサキを体験し、平和憲法をもつこの国に生きる私たちの、世界と未来の人々に対する責任なのだ……」(同193ページ、岩波書店)。
 井上ひさしさんは、次のようなことも述べている。「原爆は許せない。人間として許せないことなんだよ」(『シネ・フロント』第327号、41ページ、シネ・フロント社)。
 「父と暮せば」/2004年/日本映画/原作 井上ひさし『父と暮せば』(新潮社)/特別協力 こまつ座/英題 THE FACE OF JIZO
 なお、『父と暮せば』には新潮社文庫版や新潮CD(原作 井上ひさし/出演 すまいけい/斉藤とも子)も存在する。(2004年11月21日)
 追記:この映画は岩波ホールでは終了したが、再上映館かビデオ化されるかした時、興味ある人は見てほしい。


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