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被害が浮き彫りにしたもの―それは「自然災害」ではない |
人口密集地域での
核爆発に匹敵する
南アジアで二〇〇四年十二月二十六日に起こった津波惨害は、貧しく、すべてを奪われた人びとにおもに影響を与える多くの自然災害の、新たな一例である。今回は、何千人もの西側の旅行者が命を失った。それ自体は悲劇である。しかし家族を失った何千もの欧米(とりわけスカンジナビア諸国)の人びとが受けた被害は、アチェ州、スリランカ、タミールナドゥ(インド南東部の州)、インド統治下のアンダマン、ニコバル諸島の人びとがこうむった被害をはるかに下回っているのである。
この惨害の短期的・中期的影響は、人口密集地域に核爆弾が爆発したことに匹敵する。
アチェの人びとにとってこの惨劇は二重のものである。少なくとも八万人が死亡し、州都バンダルアチェは廃墟となった。この地域は武装独立運動の中心であり、軍によって占領された州である。災害が起こって最初の数日間、インドネシア国軍は救援チームが入ることを認めなかった。
きわめて残忍なインドネシア国軍が、独立運動の支持者を殺し、全般的混乱の中で「消されて」しまうのではないかという恐怖が存在している。それがこじつけに聞こえる人は、東ティモールでインドネシア軍が行った行為、インドネシアで政治的異論派に対してなされた行為、アチェの反乱に対して使われた手段を注視してきた民衆ではないだろう。
津波情報は住民に
伝えられなかった
この惨劇は、富と権力(そして保健や肉体的安全といったその派生物)が世界の中で配分されているあり方について、ただちに多くの事実をわれわれに示している。
まず第一に、恐るべき大量の死者数は過小評価されがちである。通信状態が悪く、緊急サービスが弱体な貧困な諸国では、真の死者数は決して分からない。いずれにせよ、政府官僚が、人命が安価に扱われる諸国の死者数の正確な勘定に心を悩ますなどということがどうしてあろうか。
第二に、なぜインド洋で津波警報システムが設置されなかったのか。インド洋では以前に津波の経験がなかったというのは事実ではない。一九九四年には四百人が死亡した津波があった。いずれにせよインド洋は、過去三十年にバングラデシュやその他で数十万人の命を奪ったモンスーン地帯である。
この課題は一九九七年の国際海洋地理学会の会議で討論され、インドネシアの科学者が早期警戒システムの導入を主張したことが明らかになっている。なぜそれが取り上げられなかったのだろうか。
それはおそらく、貧しい国でも富んだ国でも資本主義政府なら予測できるような、資金の不足と官僚的怠慢の混合の結果だろう。しかし際立って最も明白な事実は、こうしたシステムが太平洋地域には存在するということである。それは先進資本主義国、とりわけ太平洋の真ん中にあるハワイ州を擁したアメリカ合衆国の境界内に限られている。この乖離は決して偶然ではない。
いずれにせよ、この惨害に関して貧困がもたらした第二の影響は、情報を伝えるために地震と津波を追跡していたアメリカその他の科学者の無力さであった。貧しい諸国に緊急通信のための構造が存在しない時、彼らは誰に通報すべきだったのか。通信手段がかくも乏しく、貧困化した村落では、携帯電話はもとより、電話を持っている人が実際上だれもいないような時、タミール・ナドゥの貧しい漁村のような所に住む人びとに、どのように情報を伝えることができたのだろうか。
市民は救援運動
の先頭に立った
今回の惨劇の最も著しい側面は、先進資本主義諸国における政府の反応と、一般の民衆の緊急で、度量の広い対応との間での巨大なギャップである。アメリカ政府の反応は信じがたいものであった。この破局的事態から三日後に、米政府はわずか三千五百万ドルの提供を申し出た。それは、イラクで使っている金額の一日分にも及ばない。コリン・パウエルはテレビでワニの涙を流さざるをえなかったが、彼のうんざりさせるような、異様な話しぶりを隠すことはほとんどできなかった。彼はこの件に関して「イスラム諸国に手を差し伸べる」用意があると述べたのである。あたかも被害をうけた国のすべてが、おもにイスラム諸国であるかのように。
イギリス政府もそのみじめさ加減に負けじと、惨劇から二日後に救出活動のために千五百万ポンド(二千八百万ドル)を用意すると発表した。しかしこの破局的惨害は、トニー・ブレアをエジプトでの休暇の日光浴から連れ戻すには十分ではなかった。だがその次の日までに、五十万人の英国人は政府の努力を上回って緊急アピールに応え、二千五百万ポンドを支援金として集めた。他の国と同様にイギリスでは、一般の人からの献金額は毎日のように百万ポンド単位で増加している。最終的に英政府は援助額を五千万ポンド(九千万ドル)に上げた。この額を全体像の中で捉えるならば、五千万ポンドは英政府が数百機注文している、技術的に遅れた戦闘機であるユーロファイターの約一機分に相当する。
米政府はついに恥じ入って援助額を三億五千万ドルに引き上げたが、それでも嘆かわしいほどの小額である。恥知らずのコリン・パウエルは、それをアメリカの「寛大さ」の指標だとしている。
西側諸国の個人からの支援金の流れは、市民組織や労働者運動が集めた義援金に反映されている。一例を上げれば、スウェーデンの金属労組は百万クローネ(十万ユーロ)のカンパを約束した。
際立つ連帯と侮蔑
のコントラスト
これまで西側諸国の政府が申し出た金額は、緊急に必要な食糧、飲料水、医療品、最も被害を受けた人びとへのシェルターの費用に比べれば小額である。再建に必要な額と対比すれば、まったく取るに足りない。
ほとんどの西側政府は、現場での緊急の必要性についての感覚がほとんどない。他方、人びとは、きわめてすぐに援助が到着しなければさらに多くの民衆が、病気や怪我や飢餓のために死ぬだろうことを知っている。それとは逆に西側政府は、小手先の政治を演ずることにより一層の関心を払っている。ジョージ・ブッシュは国連を後景に退かせようとしており、シルビオ・ベルルスコーニ(イタリア首相)は、対応を調整するG8会合のために自らのプランを提案しようとしている。
こうした惨害に直面した中で、米(および英)政府がイラクで費消している金額と、災害救済のために準備している金額とのコントラストは明瞭である。アメリカ合衆国やその他の先進諸国は、緊急の動員を行い、食糧、医薬品、衣類を満載した数百の航空機を送る能力を持っていないのだろうか。いますぐにできないのか。インフラを再建するために数千人の専門家と建設労働者を送ることができないのだろうか。もちろん彼らにはできる。そしてもちろん、彼らはやらないだろう。それは彼らが非情なためではなく、彼らの優先的な経済的・政治的目標にそぐわないからである。
そして、「下から」の巨大な暖かい反応に比べて、マイクロソフト社やコカコーラやフォードやGMからの巨額の寄附金はどこにいったのか。
スリランカ、タイなど各国にいる旅行者は、地域の人びとが旅行者に示した親切な行為を報じている。こうした地域の人びとの多くは、自分の家や家族を失った。しかし彼らはそれでも、自国へのお客さまである旅行者の世話をするための時間を見つけているのである。
この新自由主義の時代に、人びとのほとんど普遍的とも言える動機は自らの利益であり、利己的競争であることが、一般的には当然のこととされている。もちろん世界資本主義はこうした価値観をたきつけており、それがあらゆる場所で行われているのを見ることができる。しかしこうした災害で何十万人もの人びとが無用に死んでいくのは「当たり前」のことではない。踏みにじられた諸国や先進資本主義世界で示されている出来事は、一般の人びとが習慣的に示す社会的・人間的連帯と、資本主義企業や政府が習慣的に示す貧しい人びとへの侮蔑とのコントラストなのだ。(電子版「インターナショナルビューポイント」05年1月号)
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