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東京都による枝川朝鮮学校つぶしを許さない          かけはし2004.08.9号

とりあげないで私の学校

枝川朝鮮学校支援都民集会 in 江東

 朝鮮の歴史・文化・言葉を守り日本人と共生するために

 【東京東部】七月二十四日、東京・江東総合区民センターで「〈とりあげないでわたしの学校〉 枝川朝鮮学校支援 都民集会in江東」が実行委員会(朝鮮問題を学ぶ江東区民の会/江東・在日朝鮮人の歴史を記録する会/在日外国人の人権を考える江東区民の会/ふれあい江東ユニオン/江東区に夜間中学をつくる会/東京朝鮮第二初級学校父母の会/外国人学校・民族学校の問題を考える弁護士有志の会/民族学校出身者の一橋大学への受験資格を求める連絡協議会/民族学校出身者の東京大学への受験資格を求める連絡協議会/民族学校の処遇改善を求める全国連絡協議会/すべての外国人学校の大学入学資格を求める実行委員会)の呼びかけで行われ、立ち見が出るほどで在日朝鮮人や日本人三百五十人が参加し大盛況だった。
 集会は坂東希さん(反差別国際運動日本委員会)、福島有伸さん(江東区に夜間中学をつくる会)の司会によって進められた。
 最初に、東京都が都立朝鮮人学校の打ち切りを突然通告した一九五四年当時の、学校を守る闘いを描いた(主に枝川の当時の様子が映されている)ビデオ上映「朝鮮の子」が行われた。その後、田中宏さん(龍谷大学教員)「戦後日本の中の民族学校」、中沢康夫さん(江東・在日朝鮮人の歴史を記録する会)「枝川の歴史」、金敬蘭さん(キム・キョンラン/第二初級学校父母の会相談役)「朝鮮学校の歴史」によるリレートークが行われた。
 金敬蘭さんは学校に対する思いを次のように語った。

同胞が助け合い民族教育を守ってきた

 「私は朝鮮学校へ行きたくても、あのころは朝鮮学校がなくて行けなかった。子どもたちは私たちの希望であり、ウリハッキョ(わたしたちの学校)は体の一部で、民族教育というものは私たちの命なのです。校舎の建て直しに建築費が足りないので、自分たちの力で壊した。雨が降ればぬかるむ運動場を、特別の土や砂を運んで整地した。給料も出ない先生たちに、同胞たちは交代で毎日のように自分の家に呼んで食事を出した。こうして助けあって民族学校を守ってきた。東京都の土地明け渡しの要求はとんでもない話です。許せません」
 「私は学校の土地問題が私たちの要望通り、解決されるまで東京都に行きますよ。団結の力で勝ち取るまで闘いますよ」。

枝川の裁判を歴史的な結節点に

 最近の枝川朝鮮学校を映し出したビデオ上映「ぼくらの学校なくなるの?」が上映された。続いて、宋賢進さん(ソン・ヒョンジン/第二初級学校校長)「いま学校では」、宋智枝さん(第二初級学校オモニ会会長)「親たちの願い」、鄭景心さん(チョン・キョンシム/東京朝鮮第二初級学校卒業生)、羅俊明さん(ラ・ジュンミョン/東京朝鮮第二初級学校卒業生)、枝川裁判弁護団長・新美隆さん「枝川裁判で問われていること」によるリレートークが行われた。
 宋校長は「四月に新しい八人が入学し全校六十四人の生徒がいる。五十八年間で二千人の生徒が卒業していった。今回の問題では同化政策、差別を行ってきた日本政府と東京都が再度問われている」と都の姿勢を批判した。オモニ会会長の宋さんは「子どもたちを学校に通わせるには、経済的負担が重くのしかかっている。子どもたちが無事に毎日帰ること願っている。朝鮮の歴史・文化・言葉を誇りをもって守っていきたい。日本人との共存・共生のために多様な交流をやっていきたい」と語った。さらに、枝川朝鮮学校の卒業生の鄭さんは「民族教育のよさは、朝鮮人として誇りをもって生きていけることだ。同胞社会のコミュニティーがあったから、差別を知らないで育ってきた。学校がなくなったら、同胞社会がなくなってしまう。日本人といっしょに学校の問題を考えることはなかったから、今日は感激している。日本社会の問題でもあり、よりよい日本社会をつくっていこう」と訴えた。
 枝川裁判弁護団長・新美隆さんは「枝川の朝鮮学校に新一年生が入ってきたことをビデオが映し出した。六年後に学校があるかどうか問われている。私たちの役割は重い。枝川の裁判が歴史的結節点になるだろう。都の提訴は『現代の朝鮮学校閉鎖令』だ。五十年前、孤立した中で闘った朝鮮人たちの苦しみを繰り返させてはならない」と話した。
 さらに、新美さんは「政府や都の禁止・放任に対して、一九六八年美濃部都知事は反対を押しきって朝鮮大学を各種学校として認可した。枝川の朝鮮学校の土地を一九七〇年から二十年間、無償で使うことができる契約をした。都はこの契約を逆手にとって、明け渡しの根拠に使い、三十年間の支援の歴史を逆転しようとしている。教育は一時の猶予もありえない。弁護士の活動が不充分だったから朝鮮学校がなくなったとは絶対にしないようにがんばっていきたい」と決意を語った。
 集会は、最後に以下のような集会アピールを採択して、今後の闘いの勝利に向けた出発点を築いた。(M)

集会アピール

 私たちの「共同の意思」として以下のことを表明します。
 一、私たちは東京都に対して、訴訟をただちに取り下げることを求めます。
 二、私たちは東京地裁に対して、日本の歴史責任の観点から、その歴史的過程と真実が究明されると共に、国際社会において確立されたマイノリティの民族教育権の観点から、民族学校の必要性と、日本社会にとっての重要性を明示して、東京都の不当な訴えをしりぞけるよう求めます。
 三、私たちは政府および東京都に対して、朝鮮学校をはじめすべての民族学校・外国人学校の免税措置や助成金における差別をなくすこと、すなわち学校教育法第一条に定める「学校」と同等の処遇を保障することを求めます。

解説

東京都が朝鮮学校つぶしの土地取り上げを提訴

 二〇〇三年十二月、東京都は都有地上に建てられている東京朝鮮第二初級学校(東京都江東区枝川一丁目)に対し、「契約が切れたままタダで使っている」として、校舎の一部を取り壊して立退くこと、四億円もの地代相当金を支払うよう求めて裁判を起こした。
 一九四〇年に開催が決まった東京オリンピック(戦争のため中止された)のため、会場予定地周辺のバラックにいた朝鮮人労働者ら約千人を、埋め立てたばかりの荒れ地の枝川地区に強制移住させた。都は住宅管理や家賃徴収を放棄し、地元の朝鮮人団体に管理をまかせた。一九四五年十二月、朝鮮人たちは朝鮮学校を自力で建て運営してきた。その後、都・文部省は反対を押しきって民族学校を都に移管させたり、またそれを放棄したりとする民族教育圧殺を行ってきた。朝鮮人たちはそれと闘いながら、民族学校を守ってきた。
 美濃部都政時代の一九七二年に一九九〇年まで校庭部分を無償貸与する契約が結ばれた。校舎の部分は朝鮮学校が所有している。
 一九九五年、住宅地について都と朝鮮人側の交渉がスタート。〇〇年、歴史的経緯に配慮して時価の七%で売却する合意が成立し、二百戸余りに対し住宅地が払い下げられた。
 その後、二〇〇一年二月に都港湾局と学校側とが払い下げをめぐり、意見交換を重ねてきた。ところが〇三年八月、江東区の住民らが「都は土地の適正管理を怠っている」として監査請求。十月「都は是正措置などを講ずること」とする監査結果を受けて、都は方針を転換し許し難い強硬策に転じた。
 朝鮮学校・オモニ会などは民族学校を守るために地域署名などを行い、裁判の勝利のために闘っている。



映画紹介
川崎桜本1丁目―在日のおばあちゃんたちの「今」
ドキュメンタリー映画 金聖雄監督作品
『花はんめ』
「ただ、歌って、踊って、笑って…今が夢のようだ…」


 七月三十一日、東京・YMCAで『花はんめ』上映会があったので出かけた。
 映画は、川崎桜本一丁目に生活する在日のはんめ(おばあちゃん)たちの日常生活を四年間にわたり、映し出したものだ。トタンの塀があり、狭い路地がある。そんな中の八畳あまりの清水の姉さんと呼ばれるはんめ(孫分玉さん)の所に近所のはんめたち五〜六人が毎日集まる。話は体の具合の心配やキムチの出来具合であったり、死んだ夫のことであったりする。そのうち、みんなで御飯を食べ、歌も出てくる。
 ある時、八十歳前後のはんめたちが水着を何十年ぶりかで買い、プールへ行って楽しむ。ふざけあう姿は、こどものようにおちゃめでかわいい。高齢者のための毎週一回の集い・トラジ会に、みんな着飾ってでかけ歌い踊る。監督が、はんめひとりひとりに「夢はなんですか」と聞く。「夢なんかないよ。ただ歌って、踊って、笑って…。いまが夢のようだよ…」と答えが返ってきた。

 上映後、金聖雄(キム・ソンウン)監督、梁澄子さん(ヤン・チンジャ)、朱秀子(チュウ・スジャ)さん(上映実行委員会)によるトークライブがあった。金監督は「以前、『在日』という映画を作った。日帝三十六年の植民地支配を語らないと在日を語ることができなかったが、今回は違う撮影の仕方をとった。はんめたちのシンプルな、食べて歌う姿を見てもらうことで、彼女たちの生き様を想像してもらえると思う」と、撮影の意図を語った。
 それに対して梁さんは、「自分の母は済州島で海女をやっていた。朝鮮の女はどこどこの嫁とか言われ、名前で呼ばれることがなかった。この映画でも本名で呼ばれることがなかった。夢を語るシーンにジーンときた。彼女たちのたどってきた道についての説明が余り語られていない。その手法について、少し不満がある」と問題提起した。
 朱さんは「軍隊慰安婦の宋神道さんの支援を十年間行ってきた。この映画のはんめたちは宋さんと同じたくましさ、優しさを感じた。介護の仕事にかかわっているので、日本の高齢者とも共通する問題も感じた。二度見ると良さがわかる」と語った。
 この映画の評価をめぐって、会場からは「もっと日本の侵略の歴史を厳しく描くべきだ」という発言と、逆に「この映画のように、おばあさんたちの現在の姿をありのままに描くことによって、過去の歴史を知るキッカケになるだろう。とても良い映画であった」と両方の意見があった。
 最後に、川崎桜本のトラジ会のはんめたち五人が民族衣装を身につけ、アリランやトラジを歌い踊ってくれた。あるはんめは「こうして、歌ったり踊ったりできることで、気持ちが満点だ」とうれしさを語った。はんめたちが外に出て歌えるようになったのは五年程前からで、地域ではんめたちを支えようとする運動があって初めて実現しているという報告もあった。私が知っている東京枝川のハルモニたちの姿とも重なり、苦労しながら生きてきたハルモニたちの優しさを伝えてくれた映画であった。(M)

今後の上映予定
b8月14日(土)シネマアートン下北沢
b9月4日(土)武蔵野公会堂
b9月25日(土)勝楽寺(東京町田市)
b9月30日(木)横須賀芸術劇場
b10月2日(土)中原市民会館
b11月12日(金)厚木市文化会館
配給・宣伝:『花はんめ』上映委員会、ヒポ コミュニケーションズ TEL 03-3355-8702 ホームページ:http://www.hanahanme.com/



投書
納得できない「辻元支持」
川崎市、会社員男性(50)


 JRCLと労働者の力全国協議会は参院選大阪選挙区で辻元清美氏(あえて親しみのこもる「さん」ではなく、突き放して「氏」とする)を支持していた。この態度には疑問を感じたので、遅ればせながら私見を述べたい。
 辻元氏は詐欺罪で執行猶予中の身だ。もし、彼女が考えを同じくする別の候補者の支援のために運動したいというならまだしも、自ら立候補するという厚顔無恥ぶりにはあきれるばかりだった。東京の自衛隊派遣反対のビラ配りで不当に逮捕された人たちのように、不当に逮捕された人が立候補するのとはわけが違う(そんな人たちを支持するのなら理解できるのだ)。
 国民の財産をかすめ取る政治家はあちこちにいる。こんな連中も許せないが、彼女はそれどころか、だまし取っていたのである。国民の財産は、労働者階級の財産でもあるのではないだろうか。それは、結局、「誰のために、どう分配されるのか。誰のために、どう蓄積されるのか。誰のために、どう使われるのか」という問題ではないのだろうか。
 辻元氏は国民の税金をだまし取った破廉恥罪で捕まったのだ。彼女が詐欺と知りつつ、何を考え秘書給与をだまし取ったかは知らない。しかし、判決は下ったばかりだ。そしてそれを受け入れたのだ。百歩譲って彼女が出馬するのは勝手だが、労働者階級の、それも革命派を標榜する党派が安直に「支持」と言っていいのか。どう説明するのか。
 「田中真紀子だって同じようなことをやっていたのに、スケープゴートにされた」というのだろうか。辻元逮捕に政治的な意図があったとしても繰り返すが、彼女は起訴事実を認めて有罪という判決が下ったのである。
 「個人的に費消していない」から、国民の財産をだまし取ったことにはならないのか。反省しているからいいのか。
 ブルジョア法は犯しても労働者階級にとって罪とならないという論理であろうか。そういえば、すべての犯罪は革命的である、といった言葉が随分昔にあったが…。疑問ばかりの「支持声明」だった。

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