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韓国はいま                      かけはし2004.08.30号

国家主導の階級的妥協体制・社会的合意主義を打ち破ろう


 民主労総イ・スホ執行部によって露骨に進められている社会的合意主義攻勢によって、労働陣営内で社会的合意主義をめぐる論争が激しさを増している。社会的合意主義は現時点において労使政委員会として具体化されており、この5年間の民主労組運動の抵抗によって無力化された労使政の合意機構が、今再び模索されているのだ。


 社会的合意主義の本質は、国家の介入による階級協調体制だ。これは外形上、労使政間の協議機構と社会的協約の形態として現れる。だが、その協議機構の形態や社会的協約の方式は時代や国によって相異した偏差を持つ。そして合意のレベルもまた国家の強制力による強制的方式から労資両者の自発的意志による方式に至るまで、多様だ。
 だが労働者たちの闘争が下から爆発する時期、資本の構造的危機が増幅される時期には間違いなく社会的合意主義が社会的議題として提起され、闘争する労働者たちの足首をつかみ、彼らを社会的に排除する政治的手段となった。また同時に労働運動の体制内への包摂によって労働組合運動内で官僚主義を完成させる道具として作用した。

社会的合意主義の簡略な歴史

初期モデル―労働運動の発展と戦争

 社会的合意主義は歴史的に20世紀の産物だ。19世紀末に本格的に登場した労働運動の戦闘力と1917年のロシア革命およびそれに続いた革命の拡散、20〜30年代の資本主義の経済危機を経過するとともに形成された初期的形態の階級妥協体制に、そのルーツを持っている。特に北欧・スウェーデンでの社民党の急成長(「いわゆる社会主義の脅威」)や労資合意体制の樹立を、その初期的形態だと言えるだろう(1938年、スウェーデンで締結された経総〔SAF〕と労総〔LO〕間の「基本協約」)。
 一方、より強圧的形態の合意主義はイタリアのファシズムにルーツを持っている。一部の右派的コーポラティズム理論はコーポラティズムのルーツとイタリアのファシズム体制と連結したりもする。これはファシズムとナチズム体制が労働者階級運動の戦闘化に対する反作用だという点において、一定の意味を持っているのは事実だ。
 また別の側面において、社会的合意体制を強圧的に創出した契機は戦争だった。第1次大戦を契機として社会主義運動が分裂した歴史的前例とは多少異なるが、第2次大戦が左派によって反ファシズム民主主義戦争と規定されたことによって、少なからぬ左派労組や左派運動が資本との協力路線を追求した。その結果、代表的には労働と資本間の「無ストライキ協定」が1940年代初めに英国と米国で締結された。これは戦争がもたらした非人間的労働条件に対する労働者たちの自発的ストライキや闘争を阻む障害となった。
 特に英国の場合、1926年のゼネスト直後の27〜28年の代表的労資合意であるモンド・ターナー会談を推進した労働党左派アニスト・ベバンは1940年の戦時内閣の労働大臣として「国家合同諮問委員会(NLAC)」を通じて英国労総(TUC)と経総(BCE)の協力体制を構築した。

冷戦時代―社会的合意主義の一般化

 より本格的な形態の社会的合意主義体制は第2次大戦後の冷戦の時期、特に50〜60年代の資本主義の復興期に西欧や北欧の社民主義的妥協モデルを通じた強力な社会政治的制度として定着する。これが、大部分のコーポラティズムの研究が、この時期の西欧国家をモデルとしている理由だ。
 この時期の社会的合意主義は何よりも冷戦的対立の秩序、国際的次元だけではなく一国的レベルでも反映された階級対立の秩序の中で、共産党系左派を政治社会的に最大限排除した枠組みの中でなされていく。特に社民党、社会党、労働党など社民主義の政党やそれらの影響下にあった改良主義の労働組合(運動)が社会的合意主義を戦略的に選択した。
 このようなイデオロギー的包摂装置は第2次大戦による資本主義経済の破壊、資本のファシズムとのゆ着などによって政治経済的に危機に直面した独占資本の不可避な物質的譲歩と結合するとともに、労働者階級内の多数の大衆を掌握できるものであって、それの外化した表現が社会的合意主義体制だったのだ。

新自由主義と社会的合意主義

 だが60年代後半に始まった資本主義の構造的危機は新自由主義への旋回を生みつつ、60〜70年代に戦闘性を発揮していた労働運動に対する物質的譲歩戦略を撤回させる。そうしつつも労働運動を懐柔するための道具としての社会的合意主義は名目上、維持された。このような状況にあって社会的合意は事実上、物的譲歩を排除した制度的妥協の様相を際立たせ、これを主導する労働組合の上層指導部は一般組合員大衆の抵抗に直面することとなる。
 ところで新自由主義下での労使政合意主義の核心的特徴は、この制度的枠組みの中で資本側が労働側に譲歩を強制するという点だ。すなわち賃金交渉、労働法改革、労働柔軟化の導入など資本の競争力を高めるという至上命題の下で、それまで労働者たちに与えられた成果を放棄するようにする苦痛分担の論理が「社会的パートナー」の名の下で強要されるのだ。
 したがってこの時期の左派各労組は、このような欺まん的なパートナー関係に対して抵抗した。もちろん、社民主義の影響力の強い国の場合、社会的協約に対する労組上層部と一般組合員の対応は相異せざるをえなかったし、その結果、労働組合指導部は社会的合意主義に抵抗する基層組合員を説得する能力によって試験台に上ることとなる。

社会的合意主義のパターン

コーポラティズムのふたつのパターン

 社会的合意主義の理論的モデルであるコーポラティズム理論によれば、いわゆる労使政主体の自発的意志に基づいた社会的コーポラティズムのパターンと、国家のより主導的(?)役割と強制力による国家的コーポラティズムのパターンとに大別される。前者が労組の代表性によって社会的協約のモデルを追求する反面、後者の場合は労組の脆弱な構造によって国家の統合的役割が相対的に強調されるモデルだと言えるだろう。

西欧―北欧―南欧の合意主義の違い

 20世紀後半のヨーロッパの場合、大部分の社会的コーポラティズムのモデルとして分類され、ラテン・アメリカの場合は国家的コーポラティズムのモデルとして設定される。だがヨーロッパの場合もドイツ、オランダ、オーストリアなどの西欧と、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーなどの北欧、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリアなどの南欧など、地域的差異によって一定の違いが現れる。

南欧型―失敗した社会的合意主義

 特にラテン・ヨーロッパとして知られる南欧の場合にはドイツの統合労組のパターとは異なる政派労組のパターンであって(すなわち労組が政治路線にしたがって分裂していて)労組の統合的代表性自体が疑念を持たれるがゆえに、社会的合意主義は大体、失敗する傾向が高いものと分類される。
 これらの国の場合は相対的に共産党系労組が多数派労組である関係で、これらを排除した全社会的合意の導出は事実上、政治的欺まんだった。大部分の社会的協約は外形上、労使政合意の枠組みを持つけれども、たいがいは左派労組を排除した社会党系とキリスト教系労組を制度内に包摂する形態を取った。

南米型モデル―欺まん的合意主義

 ラテン・アメリカの場合は一貫した経済発展の歴史的失敗(輸入代替産業化・開発モデルの失敗)と悪習にも似た政治の不安定によって、自発的な合意体制というよりはカリスマ的ポピュリズムの指導者が誘導する欺まん的形態の合意主義が支配的だった。この場合、外形上は国家が資本に対して労働への一定の譲歩を強制する形式を際立たせつつ、それへの対価として労働組合は国家に対する強力な支持部隊として残るようにする。このモデルにおいて物質的譲歩は、おおむね時期とは関係なしに形式的なものであったし、一部の制度的側面における保障もまた、その外形的進歩性にもかかわらず有名無実な場合が多かった。
 そのうえ社会的激変や革命的民衆運動の高揚は、すぐさま政治的反動や軍部クーデターを生むことによって、欺まん的水準の社会的合意体制さえ紙くず同然となる歴史が絶えず繰り返された。

社会的合意主義の経過と特性

 韓国において社会的合意主義体制は軍部独裁下で完全に欺まん的形態を取ったけれども、80〜90年の民主労組運動の発展によって、それは土台から崩壊した。したがって歴代ブルジョア政府が推進していた賃金凍結の協約や宣言は労働者たちにとって怒りの標的だった。だが97〜98年の経済危機を経過するとともにキム・デジュン政府による労使政合意体制が再び導入され、労働運動内部の熱い争点となった。そして最近、労働運動の指導部がまたもや社会的合意主義を受けいれる雰囲気が形成されるとともに、労働運動の危機意識が増幅されている。
 だが国際的脈絡や歴史的脈絡から見るとき、南韓は社会的合意主義のための物的条件が全的に欠除(欠如?)しており、国家や資本の態度もまた西欧ないし北欧モデルの社会的合意主義とは、およそ程遠い。むしろほとんどすべての側面において南米型の欺まん的合意体制と類似する。
 このような意味において、南韓における社会的合意主義の失敗は、すでに予定された経路と言えよう。ただただ労働運動の自殺という戦略的選択だけが、予見された失敗の経路をやみくもに追求できるにすぎない。これは労働運動の制度内への包摂を超え、この30余年間の民主労働運動自体を根こそぎ抹殺することによって、南韓の労働者たちの状態を資本主義的バーバリズムへ回帰させようとする没歴史的、没階級的背信行為にほかならない。

社会的合意主義―階級協調体制

 社会的合意主義というのは基本的に国家主導の階級妥協体制と、そのイデオロギーにほかならない。民主労組の露骨な労使協調主義に比べて相対的に社会的次元を強調する外形を備えてはいるものの、その本質においては洗練された階級妥協主義だ。
 歴史的に社会的合意主義の路線は共産党などの左派を排除した社民主義系列の労組によって一見左派的または進歩的外形や穏健合理主義を表明しつつ、強調された。特に労働法など制度的側面や賃金および労働条件の物質的側面において実質的譲歩を通じて多数の組合員を包摂していく制度・イデオロギーとして作用した。
 だが新自由主義の攻勢下で資本の実質的譲歩が全無の中でも下からの大衆的抵抗がなかったり脆弱な場合、依然として労働組合大衆を統制する欺まん的機構やイデオロギーとして作用している。
 このような意味において社会的合意主義というのは社会的パートナー意識に基づいた社会的対話を通じて社会的協約を導き出すという諸般の政治組織的装置やイデオロギーであって、その政治的本質は階級妥協体制の制度的構築を通じて、下からの自主的労働運動の発展を阻み、労組官僚主義体制を構造化するのだ。

コーポラティズムの分類と類似

 コーポラティズムの分類も学者ごとに極めて多様であり、その分類の基準によっても極めて相異した諸概念が使われている。そのような中でも大概は、近代社会のコーポラティズムを2つの大戦の間に現れたコーポラティズムと、第2次大戦後に西欧で現れたコーポラティズムに区分することで意見の一致を見せている。1、2次大戦間のナチズムやファシズムなど独裁政治の社会統制のメカニズムを意味する前者を主として国家コーポラティズムだとするなら、議会民主主義体系で現れる後者は俗にネオ・コーポラティズムだとか社会コーポラティズム、あるいは民主的コーポラティズムと呼ばれる。
 国家コーポラティズムが、ブルジョアが弱体化したり分裂して自由民主主義の支配秩序では非特権階層の合法的要求に対応できなくなるために国家が抑圧的方式によって支配階級にとって代わるものだとすれば、社会コーポラティズムは安定した議会民主主義的ブルジョア支配体制にあって被抑圧階級を体制に統合させる方式で社会の葛藤を平和的方法によって解消することを意味する。(「労働者の力」第59号、04年7月23日付、ウォン・ヨンス編集委員長)


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