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「憲法九条、いまこそ旬(しゅん)」           かけはし2004.08.2号

憲法改悪阻止へあらゆる力を結集しよう

「九条の会」が発足記念講演会


 大江健三郎さんらの講演に千人余が聞き入る

 七月二十四日、東京で「憲法九条、いまこそ旬(しゅん)」というスローガンを掲げて「九条の会発足記念講演会」が開かれた。「九条の会」は憲法改悪を許さない闘いを広げるために、日本を代表する知識人・文化人九人が呼びかけ人となって六月十日に発足した(本紙6月21号既報)。
 呼びかけ人は作家の大江健三郎さん、評論家の加藤周一さん、哲学者の梅原猛さん、憲法学者の奥平康弘さん、作家の小田実さん、評論家の鶴見俊輔さん、作家の井上ひさしさん、作家の澤地久枝さん、平和運動家の三木睦子さんの九人。
 ホテルオークラで開かれた発足記念講演会は、事務局の小森陽一さん(東大教員)と渡辺治さん(一橋大教員)の司会で進められ、呼びかけ人のうち井上さん、大江さん、奥平さん、小田さん、加藤さん、澤地さん、鶴見さんが次々に登壇して講演した。会場には、千人余の参加者が詰めかけ、「九条を守り、戦争への道を阻止しよう」という呼びかけに聞き入った。

「最後の何人になっても9条を守ろう」

 最初に発言した井上ひさしさんは、「憲法は政府に国民が命令するものであり、法律は政府が国民に命令するものであり、常に憲法が法律に優越する。そしてこの憲法がさまざまな法律に優越しているかどうかを見ているのが最高裁だということを、母校の仙台第一高等学校の先輩である吉野作造に教えられた」と述べた。
 さらに井上さんは訴えた。「国民の政府に対する命令である憲法の中心が九条だ。それはかつて日本が国際連盟の常任理事国であった当時、幣原喜重郎らが制定に尽力したパリ不戦条約が引き継がれたものであり、押しつけでも何でもない。それは人類の英知が結晶したものだ。最後の何人になろうとも九条を守り抜く決意だ」。
 続いて登壇した三木睦子さんは、「軍隊を出したい、戦争をしたいという人がいる以上、それに抗う必要がある。『戦争はしない』『武力は行使しない』というなら、武器をかついでイラクに行く必要はない」と訴えた。

「若い人たちが再び『希求する』ため」

 大江健三郎さんは今日の危機的状況について、あらためて注意を促した。
 「憲法九条、いまこそ旬と私たちは言うが、連日新聞をにぎわせているのは全く逆だ。日本経団連は武器輸出三原則と宇宙軍事利用禁止決議を見直せと主張した。自民党の中川国対委員長がアーミテージの『九条は日米同盟の妨げだ』という主張を承ってきた。次の国会はアメリカと財界の要求をどのように受け入れるかということが焦点になるだろう。彼らは『九条廃止、いまこそ旬』と言うだろう」。
 そして大江さんは、憲法九条の「国際平和を誠実に希求し」という文体について触れ、続けて述べた。
 「あらゆるテクストには文体がある。文体は、書き手がどういう時にどういう気持ちでどういう読み手に向けて書いているかと言うことを表現する。九条がどういう時に書かれたかはだれもが知っている。東京・大阪の大空襲、沖縄戦、広島・長崎の惨禍を経て、何とか社会を復興させようという意志を失わず、民主主義をめざして、同じ気持ちを共有する日本人に向けて訴えようとする気持ちが『希求する』という表現になった。そこには自然な倫理観がにじみ出ている」。
 そして大江さんは最後に、「新しい社会、未来に生きる若い人たちがもう一度『希求する』ととらえることができるようにすることは、われわれの肩にかかっている」と強く訴えた。
 奥平康弘さんは、憲法九条が歴史上初めて平和主義を国際的レベルで取り上げ、精神的プログラムにとどまらず制度化したことの大きな意味を強調し、「憲法を『平和を守る道具』にとどめることなく、もっと積極的に国際的な平和の環境を作るための『攻める道具』としてアピールしよう」と訴えた。

「ここからは一ミリも引きませんよ」

 小田実さんは、自ら体験した大阪大空襲を米軍が上空から撮った写真をかざしながら語りかけた。
 「かつて『戦争を知らない子どもたち』という歌がはやったが、いま政治をやっているのは『戦争を知らない大人たち』だ。当時のアメリカ人がこの空襲の写真を見て何も感じなかったのと同様に、私たちも重慶大空襲の写真を見て何も感じなかった。中国人やアジアの人々を殺し、焼き、奪った。それが自分たちが殺され、焼かれ、奪われるというところに戻ってきた。憲法にアメリカ人の手が入っていることは事実だが、五千万人も一億人も殺し、殺しあった戦争をもう繰り返したくないという強い気持ちがこもっている。国連には世界人権宣言があるが、憲法は世界平和宣言だ。がたがたになった日本を憲法九条を柱に立て直そう」。
 加藤周一さんは、解釈改憲の行き着く果てとしてとうとう明文改憲の段階に入ったとして、戦争への道を阻止するためにはいまなお多数派である九条護憲の意志を選挙に結びつけることが必要だと訴えた。
 澤地久枝さんは、ミッドウェー海戦でともに五千メートルの海底に沈み、生まれてくる子どもの顔を見ることなく死んだある日米の兵士とその家族のその後について触れ、九条を守る闘いの意味について訴えた。
 「子どもの顔を見ることなく死んだその米兵の息子は、二十四年後にベトナム戦争で死んだ。父と同様に死体は帰ってこなかった。アメリカは第二次大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など、常にどこかで戦争を続け、数え切れないほどの戦死者を出してきたが、日本は公式にはまだ一人も戦死者を出していないし、戦争で一人も殺してはいない。なぜか。シロアリに食われたようになっても、まだ九条が生きているからだ。先日、友人の赤ちゃんを抱いて、未来の子どもに地球を引き継ぐために自分は生きていると思った。ここからは一ミリも引きませんよと言いながら頑張って行きたい。まだ絶望する時ではない」。
 鶴見俊輔さんは、なぜ「九条の会」に参加したかということについて、アメリカに留学中、収容所に抑留され、日本の敗戦を確信しながらも交換船で帰国し、軍属となってジャカルタで同僚が捕虜の毒殺を命じられたという体験に触れながら、静かに語りかけた。

事務局から当面する3つの行動提起

 最後に事務局から小森さんが今後、京都、大阪、福岡、仙台、札幌、沖縄で開催を予定している講演会について、会場の確保をはじめとする物心両面の協力を訴えた。渡辺さんは、b全国各地で九条の会のアピールに賛同する会を作ってほしいbこの講演会のビデオ、ポスター、ブックレットなどで「九条の会」のメッセージを全国津々浦々に広げてほしいb大小さまざまな集会や学習会を開催してほしい――という行動提起を行った。
 呼びかけに応え、「戦争国家体制」の完成をめざす逆流に抗して闘い抜こう。(I) 


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