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ドイツ                        かけはし2004.08.23号

シュレーダー政権の新自由主義政策への抵抗

アンゲラ・クライン


 四月三日にシュレーダー政権による社会保障切り捨て(失業保険・年金の改悪、公共サービス民営化)に反対するデモが行われた(BBCの報道によると、ベルリンで二十万人、ケルンで十万人、シュトゥットガルトで十万人が参加)。これは社会問題をテーマとしたデモとしては連邦共和国の建国以来最大であり、一九八〇年代の反核・平和デモに匹敵する規模である。このような大衆動員は必然的に、さまざまな影響をもたらすだろう。以下のレポートは、この急激な発展の中でATTACをはじめとする社会運動が果たしている役割と、新しい政治的発展の展望について分析している。筆者は「SoZ」紙(月刊)の編集委員で、ユーロマーチ(失業に反対するヨーロッパ行進)のドイツにおけるネットワークの活動家である。



 わずか一年前には、どんな大規模な抵抗も不可能だと思われていた。昨年三月十四日にシュレーダー首相は国民に対する演説の中で「血と汗と涙」を予告していた。彼は、失業給付が大幅かつ継続的に削減され、医療制度や労働権は戦後最大の試練に立たされるだろうと述べたのである。
 労働組合はこの演説を批判したが、口先だけの抗議に自己を限定した。シュレーダーがわずか半年前に選挙のために示した公約を破棄したにもかかわらずである。二〇〇二年夏、選挙キャンペーンの真っ只中に、二大労組であるIGメタルとヴェル・ディ(注1)のリーダーは、失業給付を削減しないことを明示的な条件として、ハーツ委員会(注2)に参加することに同意し、同委員会にお墨付きを与えていた。
 シュレーダー演説を合図に、連邦と州、市町村のすべてのレベルで、一連の予算削減措置が開始された。社会的支出や教育、文化、すべての公共機関への予算が削減された。人びとは失業に対する保護の引き下げ、雇用不安定の増大、公共サービスの民営化という三重の攻撃にさらされることとなった。
 シュレーダー演説は、一つの制度の終焉を意味した。当初、多くの人々はそれについて想像もできなかった。労働組合は、いつものように、非公式の話し合いを通じて社会民主党に翻意を促そうとあらゆる努力を行った。(昨年)五月一日にヴェル・ディが呼びかけた医療制度「改革」反対のデモと、その一週間後にDGB(労働総同盟)が組織した地域デモは、全面的な衝突を避けるための試みだった。こうした行動が大きな支持を得られなかったことは驚くことではなかった。六月一日、社会民主党臨時大会(シュレーダーがすでに決定していた政策を裏書きするために招集された)の前日、ベルリンで行われたデモは、ベルリンのいくつかの組合の支持があったが、参加者はわずか千人だった。
 この大会でシュレーダーがDGBのリーダーであるミヒャエル・ゾンマーを意図的に無視したことによって、組合のリーダーや中堅活動家はようやく彼らが政治的パートナーを失ったことに気づいた。しかし、その後数カ月にわたって組合運動は無方針状態に陥り、十一月一日のデモの牽引力になったのは組合ではなく、失業者や、ハーツ委員会に反対する活動家グループ、ラディカル左翼だった。
 (昨年)九月に地方や地区のレベルで抗議の波が始まり、警察官や年金生活者、社会運動グループを巻き込んだ。九月二十四日にデュッセルドルフで三万人がデモに参加、十一月一八日にはヴィースバーデンで、平日にもかかわらず五万人がデモに参加した。九月から十月にかけて、三十の大規模デモが行われた。
 十一月一日、ベルリンで全国集会が開催され約十万人が参加した。その大部分はベルリンの人たちで、自然発生的にデモに加わった人も多かった。
 新しい可能性が見えてきた。そのいくつかの特徴を整理してみよう。
 人々の間での社会民主党政府に対する「自分たちの政府」という感情は消え、それとともに忍耐も消えた。四月三日のデモの後に行われた世論調査によると、国民の三分の二が連邦政府に満足していない。抵抗の波はデモに示されているだけでなく、組合の中でも再編の動きが深く進行しており、社会民主党のいくつかの地方組織の大会では暴力的な衝突さえ起こっている。
 抗議行動は連邦政府の政策に反対しているだけではない。ハンブルグ、ブレーメン、ベルリンでは病院民営化の計画に反対する住民投票の運動が始まった。ベルリンではまた、社会民主党と民主的社会主義党が多数を占める上院で承認された予算の撤回を求める住民投票のための署名運動が行われている。地域では予算削減措置の影響が、より直接的に感じられる。
 この一年間に社会民主党は党員数が十万人減り、一連の選挙で敗北した。今後一年間に十数回の選挙が予定されているが、社会民主党にとって状況が一層悪化することは予言者でなくても予想できる。
 大衆的な運動を前にしても、政府は頑なな態度を取り続けており、政府の広報官は、他に方法がない、キリスト教民主党が政権を取ったらもっと悪くなると繰り返すばかりである。しかし、この殺し文句は通用しなくなっている。人々は、現在国会に代表を送っている政党の枠外でオルタナティブを見つける必要性を理解しはじめている。
 一方、政府も次の連邦選挙までは攻撃を継続することはできないことを理解しはじめている。しかし、彼らはすでに開始してしまったことを完了したいと考えている。政府は新しい失業補助金制度の実施上の困難に直面している。従来の失業手当に代わる失業補助金を地方自治体が負担するのか連邦政府が負担するのかをめぐって論争が続いている。
 社会民主党がすでにルビコン河を渡ってしまい、もはや過去に戻ることはないことが、ますます明らかになっている。このことはすでに、二つのイニシアチブとして表現されている。
 第一に、「選挙オルタナティブ二〇〇六」が、二〇〇六年の選挙に社会民主党に代わる候補を立てることを提案している。これはヴェル・ディの一部の地方リーダーや、月刊の「ソシアリスムス」誌を発行しているグループ、「メモランダム」グループのケインズ派経済学者たちから支持されている。
 第二に、IGメタルのバイエルンの組織は、「雇用と社会的公正のためのイニシアチブ」を結成した。このグループのメンバーであるクラウス・エルンストは昨年十月のIGメタルの役員選挙で副委員長に立候補し、右派の候補に僅差で負けた。
 六月六日に、この二つのイニシアチブと、それに関心を持っている人たちがベルリンに集まって、二〇〇六年の選挙に向けた方針を論議した。
 これまで、論議のテーマは「古き良き時代の社会民主党に戻す」ことだった。しかし、それは幻想である。歴史は後戻りしない。新自由主義の枠組の外に立とうとする選挙のイニシアチブは、新しい条件を考慮に入れなければ成らない。つまり、生活条件がますます不安定になっていること、労働組合の路線転換が必要であること、グローバリゼーションへの批判とそれをめぐる運動が高まっていること、長期にわたる大量失業、EUの東への拡大とその社会的影響等の条件である。それはまた、古いが今でも有効な設問、すなわち、「政治的効果を何によって測るのか」――既存の制度の中での活動によってか、それとも社会的主体の確立によってか――という問題に答えなければならない。
 さしあたっては、労働組合の専従で、社会民主党員であり、社会民主党からの離反を決断した人たちは、その最終的な行く先がわからない道に踏み出そうとしている。彼ら・彼女らに対して党からの除名の手続きが始まっている。それは彼ら・彼女らにとってはどうでもいい問題であり、社会民主党のリーダーたちの信用を失墜させるだけである。
 左翼や極左派の活動家は、これらのイニシアチブに関心を持ち、影響力を行使したいと考えている。
 これらのイニシアチブは、あらゆる弱さにも関わらず、社会問題に基礎を置き、労働運動の中心部から生まれてきた、左翼の政治勢力の形成を目指す、連邦共和国建国以来初めての試みであるということを強調しておくべきだろう。古い党を再生することが問題なのではなく、新しい党を形成することが問題である。これは社会運動にも影響を及ぼすだろう。
 社会運動の発展も、政治勢力の発展と同様、あるいはそれ以上に注目される。「雇用のための契約」(注3)が再び頓挫し、組合が「政治的パートナーを失った」と公然と語るようになった時から、今後どのように要求を組み立てていくかという問題が、当然にも、議論に上るようになっている。
 この問題に対する一つの回答が、大衆を動員し、議会外の圧力を行使できる広範な社会的戦線の形成である。そのような統一的な枠組みは、多くの町で形成されている。それは地域的な社会的連合や、社会フォーラム、あるいは労働組合による地域への働きかけという形を取っている。とくにヴェル・ディは、地域によって差はあるが、積極的な役割を担っている。
 「アジェンダ二〇一〇」(注4)に反対する闘争のほか、市町村レベルでの民営化に対する反対、失業者に対する最小限の所得の保証という要求、賃金闘争や労働条件を守るための闘争が起こっている。州憲法における公務員の団体交渉権の規定に対する攻撃は、社会運動が次に直面する挑発である。地方の労働担当の官僚たちは、週労働時間を四一時間、あるいは四二時間に延長することを望んでいる(現在は週三八・五時間)。
 昨年十一月一日の動員は、基本的にはラディカルな左翼勢力だった。それに対して、四月三日のデモは、DGBの機関と、ラディカル左翼、労働組合内左派、失業者組織、ATTACの共同の努力によるものだった。四月三日の後、この行動の枠組を、組合のリーダーたちが(社会民主党から)独立的に行動できる構造として維持したいという希望が表明されている。同時に、二〇〇五年六月に第一回ドイツ社会フォーラムを開催するための準備が始まっている。これは一万人以上の人々を結集するだろうし、抵抗のためのオルタナティブな運動主体を結晶化させるための絶好の機会となるだろう。
 同時に、社会運動の方向性について論議するための活動家会議が組織されている。五月中旬には、ヴェル・ディのイニシアチブによって、失業者運動やATTACが組織してきた協議会を総結集した総会が呼びかけられた。これは最近における労働組合と社会運動の間の協力関係の発展の特徴的な例の一つである。討論は、動員の組織的な問題だけでなく、最低限の所得や雇用の保証などの問題についての共通の対応をめぐっても継続されている。社会フォーラム運動、とくにヨーロッパ社会フォーラムは、このような力学の重要な源泉だった。多くの「壁」が取り払われた、これがおそらくは新しい運動の最も重要な成果である。
 このように、四月三日の動員は、運動に新しい活力を与え、一年前には考えられなかったような新しい展望を開いた。これはいつまでも続くわけではない。四月三日の行動は、社民・緑政権の崩壊の可能性をもたらしており、それが二〇〇四年六月の選挙よりも前に起こる可能性もある。

 (注1)ドイツでは大手組合の合併・再編の動きがあり、IGメタル(金属労組)が木材および繊維関連の労組を吸収、化学労組と鉱山労組が合併したほか、公共サービス労組とメディア労組が合併してドイツ最大の労組、ヴェル・ディ(統一サービス労組)となった。
 (注2)ハーツ委員会は雇用政策の見直しのために設けられた委員会で、委員長のハーツはフォルクスワーゲン社の人事部長)
 (注3)「雇用のための契約」は社会民主党が九八年の選挙キャンペーンで約束した社会契約のタイトル。
 (注4)シュレーダーが提唱している労働市場と福祉社会の構造改革案

(「インターナショナルビューポイント」04年5・6月号)



アメリカ民主党内大統領候補予備選について

米・カリフォルニア州サンノゼ J・Z


 七月二十九日、ジョン・ケリーはボストンの民主党全国代表大会(DNC)で指名受諾演説を行い、大統領候補選びに幕を引いた。民主党全国代議員四千二百五十五名のうち三十七名だけは最後まで抵抗し続け、クシニッチに投票した。クシニッチはケリーの勝利確定後も選挙を降りず、全国代表大会までがんばった。しかし最後の政策討議ではほとんど何の成果も得ず、ケリー陣営に完敗した。
 クシニッチは、ケリー支持を表明したことで「進歩陣営を裏切ったか」の質問に対して、「自分には代議員がいない。民主党に残るつもりだ。仕方がない」と告白した。
 「変色龍」ケリーの演説は、民主党候補の慣例(すなわち予備選において左に偏り、本選挙で「中道」に偏る)に沿ったものだが、問題は歴史上最も極右に立つ現職大統領に対する「中道」は右翼にすぎない、ということだ。実際、好戦的なケリー演説は、アメリカ大統領選挙をブッシュ基調で展開させることになった。それは反戦運動・進歩陣営にとっての生の教訓であった。
 クシニッチを支持する人は、ほとんど民主党の外部にいる進歩陣営で、クシニッチに投票するため、自分の所属する緑の党や労働党などを一時的に離れ、民主党員として予備選で登録した。それに対してディーンの支持者はクシニッチへの理解を持ってはいるが、彼には勝ち目がないと思っていた。残念なことに、この二人は当人同士たがいにライバル意識が強く、仲が悪かった。ディーンから見れば、クシニッチは邪魔だが、彼が邪魔をしても自分はまだ勝てると考えていた。クシニッチから見れば、自分が国会や街頭で反戦運動をリードしてきたが、マスコミはディーンを唯一の反戦候補と持ち上げて、不公平きわまる。
 予備選は州ごとに展開するが、州ごとにいくつかの選挙区に分けられている。一人の候補者は一つの選挙区で一五%の投票が得られなければ死票になる。
 クシニッチは初めのアイオワ州集会でエドワーズと協力合意を結んだ。死票を票数の多い者に入れる。多分、彼の計算では、ディーンへの投票は自分より多く、エドワーズへの投票は自分より少ない。それは彼の支持者を大きく困惑させた。どうしてディーンではなくエドワーズ支持にまわるのか。その結果は周知の通り。クシニッチは獲得代議員数ゼロ、エドワーズは第二位、ディーンは第三位に終わった。しかしクシニッチは満足してディーンを嘲笑した。多分ディーンの大失態で、反戦票は自分のところに来ると判断したのだろう。
 たしかに予備選を通じて、クシニッチはアメリカ政治においてリーダーシップを確立したと言える。しかしケリーの勝利に表れたように、民主党内の反戦運動・進歩陣営は完敗した。それは反戦運動内部の分裂を完成させた。ブッシュの再選を絶対に阻止したいが、ケリーを当選させたくもない。たとえば「ミリオン・ワーカーズ・マーチ」(百万人労働者行進)を組織する団体は、大統領選挙自体を無意味として、投票前にワシントンでのデモを呼びかけている。一方民主党に連携する労組などの団体は、ケリーを支持するため投票日後にデモをするよう要求している。
 繰り返しにすぎないが、今回の民主党内予備選および本選挙で示されたように、二大政党にコントロールされたアメリカ政治では、選出された大統領候補よりも政策面に影響を与える戦略が正しく、しかも有効である。今回の場合、もしクシニッチが独立候補者として出馬すれば、間違いなく民主党の少数派と緑の党、労働党などの支持を得られる。その場合、選挙で勝てなくても、選挙過程で正しく政策議論を展開でき、いまアメリカ社会で最も重要な政治問題(全国民医療保険、雇用、教育、平和と戦争など)を全国民に注目させることができる。
 一度、私は労働党の理想的すぎる政策の効果に疑問を提起したことがある。全国組織者のマーク・ダジッチは次のように答えた。
 「私たちはすべての政策で妥協する用意があるが、妥協する立場にはない。ケリー陣営に対して、二〜三%のブッシュ支持者を獲得するために政策を犠牲にするよりも、労働者側には二〇〜三〇%の票があるよ、と示す必要がある」と。
 全くその通りである。(二〇〇四年八月六日)


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