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美浜原発事故糾弾                        かけはし2004.08.23号

すべての原発をとめろ

「安全強化」を名目とした被曝の拡大を許すな!

すべての原発を止めて総点検を! 
老朽原発の早急な廃止を!

人命を無視した点検計画

 八月九日午後三時二十分すぎ、福井県美浜町の関西電力美浜原発三号機(加圧水型軽水炉、出力八二万六千キロワット、一九七六年運転開始)の運転中、タービン建屋二階の二次系配管が炸裂、十四日から予定されていた定期点検準備作業中の関電の孫請け会社・木内計測の労働者十一人が噴き出した蒸気と熱水によりやけどを負い、うち四人が全身やけどで死亡した。
 日本の原子力史上最大級の惨事である。その責任は老朽原発の延命政策とコスト追求による定期点検期間の短縮にある。関西電力は今回炸裂した配管部分を運転開始以来一度も点検をしてこなかった。また、施工した三菱重工はじめ、その品質保証に責任のあった関電の子会社が点検の必要性を知りながら、関電とともに隠ぺいし、検査を先延ばししていた。国の関電からの報告を鵜呑みにしてきた責任は同列である。
 死亡した四人はじめ百余人の下請け孫請けの労働者たちは、定検短縮のためフル稼働するタービン建屋に送りこまれた。死亡した四人は、二十八年間にわたり点検を先延ばしさせてきた配管をはじめて点検するための準備作業中に被災した。

メルトダウンの可能性があった

 配管内の炸裂した辺りでは、十気圧に圧縮された摂氏百四十度の二次冷却水が毎時千七百トン、秒速約二メートルで流れており、事故による冷却水の漏出は約八百トンと発表された。関電などは「漏出したのは二次冷却水、敷地内外の放射線モニターも通常値であるので放射能は放出されなかった」といち早く発表した。
 タービン建屋は鉄筋コンクリート三階建で原子炉や蒸気発生器のある原子炉建屋に隣接する。事故のあった二階部分は縦四十メートル、横百三メートル、天井の高さは七メートル。炸裂した配管は床から四・五メートルの高さにある。美浜原発には過去三年間で約十万人の見学者が訪れ、三号機のタービン建屋は見学コースのひとつだった。
 九日午後三時すぎ、タービン建屋には、計百四人(当初関電は二百二十一人と発表)の作業員が定期検査の準備に当たっていた。そのうち木内計測の作業員十一人は、二階でタービン周りの熱交換器の取り換えに備え部品や工具を建屋内に配置していた。木内計測は関西電力元請けに当たる関電興業の下請け、関電から数えると孫請け企業となる。
 午後三時二十二分、一〜三階までの炸裂した配管に近い部分計七ヶ所で同時に火災報知機が作動。その後、同二十三分、一〜三階の計十六カ所で鳴り出した。「蒸気の充満は一瞬で、目の前が真っ白になった」「気づいた時には床が熱湯で満たされていた」「配管や天井が崩れ落ちるかと思い、逃げるしかなかった。詳しい状況はよく覚えていない」――亡くなった四人と数メートルしか離れた場所で作業していた労働者らはこのように語る。
 亡くなった四人は、折りたたみ椅子に座って作業をしていたともいい、一瞬の対応が生死を分けた。事故後現場には入った消防労働者や調査団の話では、炸裂場所から半径二十五メートルの範囲の柵はなぎ倒され、配管を覆っていた保温材が飛び散り、天井の蛍光灯が吹き飛び、多数の血痕もあり、死傷した労働者らに激突したとみられる。
 関電の対応は遅れた。火災報知機作動から五分後にはじめて被災者を確認、一一九番通報と避難放送は三時三十分になっていた。約八百トンともいう冷却水の漏出により、いくつかの機器が緊急停止信号を発信するのがやはり三時二十八分になってから。関電はその後「タービン動補助給水ポンプ停止後、同ポンプを待機状態にするため、タービン動補助給水ポンプ出口流量調整弁を約六〇%まで開放しようとしたところ、三台ある弁のうち二台が開放できなかった」と発表しており、二次系トラブルから一次系に波及したスリーマイル事故と類似した経過をたどりメルトダウンする可能性があった。
 炸裂した配管は直径約五十六センチ、肉厚約十ミリの炭素鋼製。燃料棒の破損や中性子照射により放射性物質の混じる一次系冷却水の配管は腐食しにくいステンレス材を用いるが、二次系はコストがステンレスの半額の炭素鋼を使用してきた。二次冷却水は循環中に蒸気となりタービンを回すために高温を保つ必要があり、配管には保温材がまかれ、目視での点検やトラブルの予兆発見がしにくい設計であった。

偽装した点検計画と報告

 炸裂した配管部分は幅で最大約五十七センチ、その端から約五十センチ上流には「オリフィス」とよばれるリング状の器具が流量を計測するために装着され、通常五十六センチの直径が約三十四センチに狭められていた。このため乱水流が発生し、腐食と摩耗が繰り返された。通常では約十ミリの肉厚が、当初の関電の発表では最大で約一・四ミリにまで減肉、十三日の保安院の立ち入り調査では〇・六ミリにまで減肉している部分があったという。このような部分的な減肉により水流はいっそう乱れ、短期間で加速度的に腐食と摩耗が進むとも考えられる。
 関電は九〇年五月「原子力設備二次系配管肉厚の管理指針」を策定、炸裂した付近を含め五千七百ヶ所がリストアップされていた。この指針にもとづく検査台帳作製を受注した三菱重工業は炸裂した付近を登録から漏らし、当時関電も図面などとの照合を怠った。関電は九六年まで三菱に配管の検査を委託していたが、検査は九七年より関電の子会社の日本アームに移された。
 日本アームは九九年四月と〇〇年八月の計二回、三菱の担当者から「美浜原発三号機と構造が似ている発電所で配管が薄くなる減肉現象が確認された。美浜原発三号機の配管は定期検査の対象には含まれていないので、自主点検した方がよい」との内容の連絡を文書などで受けた。しかし、日本アームは「建設年数がほぼ同じ別の原発の配管について点検したが特に問題はなかった」と判断し、関電に伝えなかったという。
 事故後の関電の記者会見によれば、日本アームは昨年四月になり三菱の作製した台帳に破裂部位が検査項目に記載されていないことに気づき、十一月になってはじめて関電に伝えたという。関電の管理指針では「未点検の配管個所は計算式に基づき肉厚の寿命を推計し、残り寿命が二年以下になるまでに検査し、交換する」と定めている。しかし関電は、炸裂した配管個所が未点検であることを昨年十一月の日本アームからの報告によって知りながら、肉厚の残り寿命を推計しなかった。指針の計算式を当てはめると、配管の厚さは十三年前の九一年に必要な四・七ミリを下回って寿命切れとなり、関電はその二年前の八九年に点検、交換する必要があった。
 十一日に事故現場を視察した社民党の福島瑞穂合同調査団長は「明らかに人災。事故の予見可能性もあり、業務上過失致死に相当する」と指摘する。福井労働局は国内の原発事故では初となる「重大災害対策本部」を設置し、実態調査に着手している。

18年前にも類似事故が発生

 美浜原発と同じ日本の加圧水型炉は合計二十三基。うち二十一基が「オリフィス」の装着で二次冷却水の流量を計測する設計となっている。美浜三号機を除く二十基はこれまでに「オリフィス」付近の配管肉厚を検査したとされており、減肉が自主基準以上に進んだ配管が交換された加圧水型炉はこれまで関電の二基を含め、七基を数えている。比較的新しい関電の大飯原発三・四号機では、減肉を少しでも回避するために「オリフィス」の装着以外の方法で流量を計測する設計となっている。
 一九八六年十二月に米バージニア州のサリー原発で二次系配管がギロチン破断をし、八名の労働者がやけど、うち四名が死亡する事故が起きている。サリー原発ではまず、蒸気発生器の主蒸気隔離弁が閉止し、原子炉がトリップ(緊急停止)し、タービン建屋内の減肉していた二次系配管がトリップによる圧力変動に耐えられずに破断に至った。
 この事故を受け当時の資源エネルギー庁は、減肉の発生しやすい局部を主体に、二次系配管も一次系に順じた頻度で電気事業者が自主的に肉厚測定と水質管理の徹底をするよう措置を求めた。沸騰水型炉をもつ電力会社を含め各社はこの求めに応じ、自主点検項目の台帳作製、肉厚点検を行っていたはずであった。いずれにせよ、国・関電・三菱重工は今回の美浜三号機の炸裂部位は腐食・摩耗が進行しやすい部位であることを十五年前、あるいは十八年前に十分に認識していたはずであり、四名の命を奪った責任は極めて重い。

犠牲にされる地域社会の叫び

 「わしらの気持ちが分かるんか」「お父さんを返して」「今すぐ息子を返して」「二十年間調査していなかったというのは本当ですか。なんでこんなことが起こるんですか」「人災ですか」「わしらと一緒な悲惨な目に遭う人を、もうつくらんでくれや」。八月十日に弔問に来た関電の藤洋作社長にあびせられた遺族の声だ。
 死傷した十一人をはじめ、木内計測の下請け労働者二百十一人が五日後にはじまる定期点検の準備作業のためにいずれも通常の作業服姿でタービン建屋に入っていた。死傷した労働者の過半が地元福井県の嶺南地方出身。原発関係の事業所であれば孫請けやひ孫請けでも安定した職場として就職し、目減りする固定資産税や原発交付金以上に地域が原発と共存しているしるしとされ、雇用機会を広げる産業として原子力施設が受け入れられてきた。
 原発は会計上十六年を償却期間としてきた。立地自治体への税収減に対し、原発交付金制度の改編で目減りを穴埋めしてきたが追いつかず、新燃料や使用済み核燃料、あるいは廃棄物にまで税金をかけなければ出納のバランスがとれなくなってきた。
 美浜町では、これでは間に合わないとばかりに、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の誘致をすすめてきた。近隣の小浜市では、中間貯蔵施設誘致を公約とする新顔に対し、誘致拒否を公約とした現職が勝った市長選があったばかりだ。美浜町に隣接する敦賀市では、敦賀原発三・四号炉の受け入れを福井県が了承したことから、その造成工事が開始している。敦賀原発の増設の地元要望は、やがて廃炉になることを前提に、雇用確保のためと原発の減少を補う目的で行われた。
 日本でも新増設が見込めない状況となり、従来三十年とされてきた原発の寿命を四十年に延ばす延命政策がとられてきた。現在は六十年にする誘導政策が行われている。
 「六月にまとめられた政府の長期エネルギー需給見通し改定案『二〇三〇年のエネルギー需給展望』では、廃炉は運転開始から六十年を超える敦賀一号の一基のみという極めて非現実的な設定とされた。二〇三〇年には、現在運転中の五十二基のうち、従来いわれてきた寿命三十年を超える原発が女川三号を除いて五十一基、四十年を超える原発でも三十八基を数える。二〇三〇年に現在より十基増やすという計画は、老朽原発を酷使して運転することで、破局的な事故の可能性を増すばかりでなく、強度の被曝労働を強いることになる」(本紙前号から)。
 これまで、強度の被曝がなく「安全」と宣伝されてきたタービン建屋で重大な事故が起きた。いま、全国の原発で、運転中のタービン建屋では働きたくないとの声が下請け労働者から発せられている。

再び行き詰まったプルサーマル


 関電の藤洋作社長は、電気事業連合会の会長や六ヶ所核燃サイクルを運営する日本原燃の会長を兼務する。現在、火力発電所での約三千六百件を数えるデータ改ざん・虚偽報告などに続き、今回の事故責任により関電社長としての進退を問われている。すでに中川経産相は「事故は人災」として経営責任にも言及している。
 西川福井県知事は十一日、地元紙の取材に対し、高速増殖炉「もんじゅ」の改造工事入りの是非判断はずれ込むとの見通しを示唆し、高浜原発で〇七年の実施が計画されるプルサーマルについても、県民の理解が得られるような状況にあるのかを関電自らが問い直すべきとの認識を示した。「もんじゅ」の改造工事については、高裁での設置許可の取り消し判決が出たものの、現在国は最高裁に上告申請を行い、並行して改造工事申請への許可を出しており、残る条件は地元同意のみとなっていた。また、プルサーマル計画は、九七年の燃料データ改ざんにより頓挫していたが、その再開の第一号と見られていた。
 藤洋作も委員に加えて行われている原子力委員会の新長計策定会議では、核燃料サイクル政策の是非が議論されている。藤洋作が欠席して開催された十日の第五回策定会議では、@従来どおりの全量再処理A再処理せず地中に埋める全量直接処分B一部再処理し残りは直接処分する部分再処理C一定期間貯蔵してから処理法を決めるために当面貯蔵する、という四つのシナリオが今後審議されることが決まった。国としてははじめて、使用済み核燃料を全量再処理しないシナリオを審議することになった。これまで藤洋作は最高責任者として、六ヶ所再処理工場の計画どおりの稼動を主張してきた。福井では、プルトニウムを消費する側の開始が遅れることは必至の状況となり、プルトニウムを供給する側の六ヶ所再処理工場のウラン試験と操業の是非があらためて問われる情勢となった。

点検名目の被曝拡大を許すな


 経済産業省は八月十一日、すべての原発と出力千キロワット以上のタービンを用いる火力発電所の配管減肉に関連する点検状況について、十八日までに報告するよう求める通知を発した。対象設備はいずれもタービンに近接する配管で炭素鋼に限られ、減肉が見こまれる曲管部などで台帳登録から漏れるなどで肉厚管理がされていない部位があった場合に国に報告するというもの。
 この報告によって、原発労働者の安心や住民の信頼が回復するわけはない。書類上「検査の結果、十分な肉厚の余裕あり」との報告ばかりだとしても、複合的な条件下では減肉が加速度的に進むことが考えられる。
 原発労働者の被曝量が世界的に低減する中、日本の被曝量が原発を持つ主要な国の中でも最も多い状態が続いているとの指摘が今年四月にウィーンで開催された「原子力の安全に関する条約会議」で指摘されている。経済産業省原子力安全・保安院は次回の同会議までに改善点をまとめることになっているが、一昨年の東電不正や六ヶ所再処理工場の使用済み核燃料プールの不正施工などに関係した点検により、被曝量の増加が危惧されている。
 私たちはすべての原発を直ちに停止し、該当する配管と減肉が推定される部位すべてを超音波探傷などにより、詳細に総点検することを要求する。運転中の点検は、今回の美浜事故のように、二次災害を招く危険性がある。かつ、私たちは被曝量が増える点検は一切行わないよう要求する。
 老朽原発の早急な廃止を要求する。二〇〇三年度に一度も稼動しなかった原発は九機を数える。記録的な猛暑の今夏、八月十三日時点で十四機が停止中だ。さらに都心では、観測史上最高の三九・五度を記録した際の東京電力の最大電力は六千百五十万キロワットで過去七番目を記録したが、過去最大の六千四百三十万キロワットを大きく下まわっている。「原発がなくても停電にはならない。原発のない社会はいますぐ可能だ!(本紙03年4月28日号 高島義一論文)」(8月15日 斉藤浩二)


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