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破綻した米帝国主義のイラク占領支配          かけはし2004.07.5号

みじめな「主権移譲」劇

「暫定政府」は解散し国連多国籍軍は即時撤退せよ!


わずか六人の「主権移譲」劇

 六月二十八日、予定より二日早く米英の暫定占領当局(CPA)からイラク暫定政府への「主権移譲」が行われたと発表された。出席者はアメリカ側がブレマー行政官ら二人、イラク側がアラウィ首相とヤワル大統領ら四人のわずか六人。もちろん事前の予告もなく、非公開で、小さな部屋に集まった六人の映像が事後に流されただけだった。
 時間はわずか五分間、ブレマーがアラウィに書類を手渡しただけで儀式らしいものもなく「主権移譲」なるものは終わり、ブレマーはその直後に飛行機でイラクを離れ、アメリカに逃げ去るように帰国した。それはまさに、アメリカ帝国主義のイラク侵略戦争と占領支配が破綻したことを象徴する、みじめな後景だった。
 「主権移譲」の期限とされる六月三十日に向けて、米英占領軍は武装勢力への攻撃を強めていた。たとえばイスラム教シーア派指導者サドル師とその民兵組織マフディ軍団が立てこもるナジャフでは、米軍は五月だけで三百五十人以上のイラク人を殺害した。しかし、全土で占領軍とその協力者への武力攻撃は、日に日に激しさを増す一方という状態になっていた。連日のように武装勢力による米英占領軍への攻撃、警察署への攻撃、自動車爆弾の爆発、暫定政府高官の暗殺、外国人人質事件などが続発していた。
 米英軍や占領当局関係者だけでなく、多数のイラク市民が巻き添えで死亡していたが、七百人以上の市民が米軍に殺害されたファルージャでの無差別大量虐殺や、アブグレイブ刑務所での残虐な拷問の発覚で燃え広がる反米感情は、あらゆるところで高まる一方だった。
 占領当局関係者の車列への攻撃で死亡した外国人の死体を集まった群衆が引きずり出して小躍りするというような光景が、各地で繰り返されていた。六月十六日に起きた米軍車列への爆弾攻撃で米海兵隊が拘束したのは、暫定政府の下で武装抵抗勢力を取り締まるはずのイラク保安部隊(ICDC)隊員六人であった。
 六月二十四日にはイラク中部ラマディとバクバ、中部ファルージャ、ラマディなど五都市で、米軍の検問所や警察署、行政施設などへの一斉攻撃が行われた。ファルージャでは米軍の攻撃ヘリが撃墜され、バクバでは市庁舎など四カ所が占拠された。六月三十日にはさらに大規模な攻撃が予想されていた。
 もはや、華やかに「主権移譲」を演出する余裕は完全に失われ、攻撃がこれ以上広がらないうちに、どんな形でもいいから「移譲」を終わらせてしまうしかないところまで、ブッシュ政権は追いつめられたのである。

占領支配の合法化と戦争の継続

 突然の「主権移譲」二日前の六月二十四日、すでに国防省、内務省、財務省、司法省などイラク暫定政府の二十六の省庁すべてに「権限移譲」が終わったと発表されていた。暫定政府首相のアラウィは六月二十四日、「私の内閣は今日、完全な行政権限を手に入れた。独立した主権国家に向けて進もう」と宣言した。
 しかしそんなことを信じている者はだれもいない。アラウィは、CIAとの深いつながりを自ら認めて恥じない破廉恥漢である。六月十九日、米軍がファルージャの民家をミサイルで爆撃し、女性や子どもなど少なくとも二十二人を殺害した事件について、アラウィは「テロリストに対する攻撃である」という米軍の発表に全面的に同調し、「イラクのどこであろうと、テロリストに対する攻撃を歓迎する」と語った。
 このミサイル攻撃後、現場検証を行ったイラク警察は、そこに「テロリスト」がいた証拠はなく、犠牲になったのは子どもや女性など市民であると発表した。ところが、CIAと一体のアラウィに比べてアメリカと一定の距離を置く「民族派」とされる暫定政府ヤワル大統領も、「罪のない民間人が犠牲になっていることを恐れるが、悪いものがいることも確かだ」として、「テロリストへの攻撃だ」という米軍の主張に同調した。これが「主権移譲」された「イラク暫定政府」の「首相」と「大統領」なのである。
 「主権」とは、何者にも侵されることのない権力を意味する。アラウィ政権はそんな権限を全く持ってはいない。「権限移譲」された各省庁には、アメリカのリサーチ企業が選抜したイラク人官僚が配置された。イラク国防省のスタッフは、ブレマー自身が選抜した。さらに各省庁には、CPAを引き継ぐ要員二千人という世界最大の米大使館の「イラク復興管理室」からアメリカ人の顧問団が配置される。
 占領軍が看板をつけ替えただけの多国籍軍の指揮権は相変わらず米軍が握り、国連安保理が六月八日に採択した決議1546では多国籍軍は「治安維持と安定に必要なあらゆる手段を行使する権限を持つ」とされている。しかも決議には、多国籍軍の軍事行動に対する暫定政府の拒否権は明記されなかった。
 そしてイラク多国籍軍司令官としてペンタゴンから指名されたケーシー米陸軍副参謀総長(大将)は、六月二十四日の上院軍事委員会の公聴会で、合計六十人もの住民を殺害した六月十九日と二十五日のファルージャでの民家への残忍なミサイル攻撃を平然と例にあげ、「今後も反政府派への攻撃的姿勢を維持し、武力行使を行う」と述べた。
 ロドマン米国防次官補は、六月十九日の下院軍事委員会公聴会で、多国籍軍及びすべての外国要員や請負企業の社員がイラクの裁判権を適用されないという、昨年六月にCPAが発令した指令17号が「主権移譲」後も効力を持つと述べた。占領者の「治外法権」は「主権移譲」後も継続するというのである。
 安保理決議1546は、「石油収入を運用するイラク開発基金の用途は、イラク政府だけが決められる」とした。しかしこの決議は同時に、イラク開発基金を監督する国際諮問監視理事会(IAMB)が活動を継続することも定めている。イラクの石油収入に対する米国政府の影響力は、相変わらず行使される。
 アブグレイブ刑務所などでの残虐極まりない拷問が暴露され、赤十字国際委員会(ICRC)は二月の報告で米英占領軍に拘束されているイラク人の「七〇%から九〇%が誤って拘束された人々である」という米兵の証言を紹介し、「占領終結と同時に、すべての戦時捕虜と拘束者は、イラクの司法手続きにゆだねるか釈放しなければならない」と警告した。しかしイラク駐留米軍は、七月以降も四千人余りのイラク人を拘束し続ける方針を明らかにした。
 すなわち、「主権移譲」とは名ばかりで、「暫定政府」はどのような「主権」も持たず、イラクにおける実際の権力は暫定占領当局(CPA)を引き継ぎ旧大統領宮殿を占拠する世界最大のアメリカ大使館と米軍司令部が持ち、侵略戦争と占領支配が続くということなのである。

占領支配は崩壊し始めている

 しかし、武装抵抗勢力の反撃にあわてふためいた「主権移譲」の前倒しそのものが、占領支配計画の破綻を何よりもはっきりと物語っている。ファルージャの攻防では、米軍は七百人以上の市民を無差別に虐殺したにもかかわらず抵抗闘争を鎮圧できず、自ら「テロ組織」と規定する市民側抵抗勢力に「停戦」を申し込まざるを得ない状態に陥った。
 その上、フセイン政権のイラクと並ぶ「悪の枢軸」と名指ししてきたイランに調停を依頼せざるを得ない状態に追い込まれた。しかも旧フセイン軍の将軍が率いる旧イラク兵を中心にした部隊にファルージャの治安維持を任せることになって、海兵隊は撤退した。きわめて深刻な政治的敗北である。
 イラク暫定占領当局(CPA)自身が今年五月に実施した世論調査では、イラク人の九二%が米英などの連合軍を「占領軍」と考えており、「解放軍」と考えている人はわずか二%、「平和維持軍」と考える人も三%でしかなかった。そして五五%の人が「連合軍」が即時撤退した方がイラクは安全になると考えており、「連合軍が必要と考える限り駐留すべき」と考える人は六%しかいなかった。
 「主権移譲」されたばかりの「暫定政権」の基盤も、内部から吹き上げる反米意識によってすでに揺らいでいる。
 石油省の警備は、四月末に米軍からイラク警察に交代した。その直後からホールや扉には、「聖戦に立ち上がった殉教者、ファルージャの人々の勝利をたたえよ」と書かれたポスターや、米軍の暴虐な占領が終わりイスラムの時代が始まるイメージのポスターが張り出されている。職員は「内容は正当だ。はがす必要はない」と語っている(朝日新聞6月21日)。米軍による占領と戦争の継続に対する抵抗が静まる可能性はない。
 戦争の口実だった「大量破壊兵器の危険性」や「フセインとアルカイダの連携」が真っ赤なウソだったことが露呈し、新たに「イラク民主化」が持ちだされたが、アブグレイブの残虐な拷問が発覚してそれも吹き飛んだ。戦争にどんな「大義」もなかったことがはっきりした。
 すでに米兵の戦死者は八百人を超えた。ワシントンポスト紙とABCテレビが六月二十一日に発表した共同世論調査では、侵略戦争開始以来初めて「イラク戦争をする価値はなかった」という回答が過半数を超え、五二%になった。また米兵の犠牲者の数について「受け入れ難い」とするものが過去最高の七一%に増加し、これ以上の犠牲を避けるためにイラクから「撤退すべきだ」という回答も過去最高の四二%となった。
 米軍内部からも敗北を認める声が上がり始めている。「戦術的に勝っていても、戦略的に負けつつある」(第82空挺師団チャールズ・スワナック司令官)、「すべての戦闘は勝っても戦争は負けていると考えざるを得ない。米軍は何のためにイラクにいるのか、われわれには分かっていないからだ」(イラク戦争の戦略計画を担当したポール・ヒューズ大佐)(朝日新聞5月20日)。
 ブッシュの「有志連合」に亀裂が深まっている。二月にはニカラグア、四月にはシンガポール、五月にはホンジュラス、スペイン、ドミニカ共和国が派遣部隊を撤退させた。六月末にはノルウェー軍が撤退し、ニュージーランドとタイ、カザフスタンも撤退を決定した。さらにフィリピン、ポルトガル、ウクライナ、ポーランドが撤退を検討している。イラクに派兵しているどの国でも、撤退要求がますます強まっている。侵略戦争と占領支配体制は全面的に瓦解し始めているのである。

「第二のベトナム」への道

 そもそも六月末という「主権移譲」の日程は、十一月のアメリカ大統領選の日程との関係で、「イラク政策の成功」を打ち出したいブッシュ政権の都合で決められたものである。今後の日程は、七月に「国民会議」の開催、〇五年一月末に「暫定国民議会選挙」の実施と「移行政府」の発足、八月までに「新憲法」の起草、十月に新憲法の「国民投票」、十二月十五日までに新憲法にもとづく「国民議会選挙」、十二月末までに正式な政府の発足、ということになっている。
 これが予定通り進むという見通しはほとんどない。なによりも武装抵抗勢力と米英「多国籍軍」との戦争が続いている限り、選挙などできるはずもない。早くもアラウィは選挙の先送りを口走り、あわてて訂正した。
 アメリカの操り人形であるカルザイ政権が作られてから二年半が経過したアフガニスタンでは、この九月に大統領選と議会選挙が予定されている。しかし投票の前提となる有権者登録は一千万人という当初の目標を大きく下回り、現在二百七十万人。全国四千六百カ所設置する予定だった登録窓口もまだ二割程度しか作られていない。三つの州では、州都も含め一カ所も開設できないでいる。
 「欧州諸国から選挙延期論も出るなかで、あえて九月に選挙を強行することについて、カブールでは『イラクが泥沼化したため、アフガンを対テロ戦の成功例としたい米政権の意向が働いた』(外交筋)との見方が一般的だ。イスラム教国のアフガンでは十月には断食月(ラマダン)が始まる。この間、選挙の実施は不可能だ。十一月の米大統領選を考えれば、米政権にとって九月は最終期限となる」(朝日新聞5月28日)。
 六月に入って各地で戦闘が激化し、選挙準備にあたる国連スタッフなど三人や道路工事の中国人作業員十一人、米海兵隊三人が殺害されるなどの事件が続発している。十六日には、中部ゴール州の州都チャグチャランを軍閥の部隊が襲撃し、カルザイ政権が任命した知事が州外に逃げ出した。
 アナン国連事務総長は九月選挙の可能性について、「現状のままではきわめて疑問」との見方を示している。六月十五日、ホワイトハウスでブッシュと会談したカルザイは、会談後の記者会見で問題が山積するアフガニスタンには帰りたくないと発言し、ブッシュにたしなめられるというありさまだった。
 まやかしの「主権移譲」によってイラクの治安が回復する見通しはない。そして何よりも、まともに選挙を行えば、反米勢力が多数を占める可能性が高い。ブッシュ政権によって作られた全く正統性を持たないアラウィ政権の下で、イラク情勢がアフガニスタン以上の混乱に陥る可能性は極めて高いと言うことができる。そうなればイラクは、アメリカにとってまさに「第二のベトナム」と化すことになる。

「一九二〇年のように戦おう」

 アラウィ首相もヤワル大統領も、暫定政府が「非常事態宣言」を出すことを検討していることを公言している。「非常事態宣言」とは、一切の民主的権利が停止され、米軍による無差別拘束と拷問がいま以上に横行することを意味している。しかし、何の正当性もない流血の弾圧で事態を掌握し続けることはできない。
 今年一月、シーア派の最高指導者シスターニ師は「一九二〇年を思い起こして戦おう」と呼びかけた。第一次大戦後の一九二〇年、イギリスの信託統治領とされたイラクの独立をかちとるため、武装した民衆が決起した。その火蓋が切られたのが、スンニ派が決起したファルージャだった。この時、ナジャフではシーア派が決起し、たちまち宗派や部族を超えた団結が作られてイギリスを追いつめ、信託統治の断念に追い込んだ。BBC放送は、「一九二〇年にわが国が犯した誤りから、アメリカは学んでいない」と論評したという。
 米軍によるファルージャでの大虐殺をめぐって、一九二〇年と同様に宗派や部族を超えて連帯しイラク全土を結ぶ闘いが作られた。五月八日にはバグダッドで、米軍に任命されたイラク統治評議会に参加する政党を除く民主的政治グループ、スンニ派とシーア派の宗教者、クルド人組織が結集して、「イラク国民会議創立準備委員会」が結成された。この会議では、シーア派とスンニ派の宗教者による「統一イラク聖職者協会」の設立も発表された。
 「米軍が撤退すれば内戦になる」と盛んに言われてきた。しかし、昨年八月にナジャフのモスクで起きたシーア派最高指導者ハキム師ら九十五人を爆殺した事件をはじめ、宗派間や民族間の対立をあおるための、何者によるか全く不明の残虐なテロが繰り返されているが、いまのところ旧ユーゴ紛争のような民族間・宗派間の流血の内戦状態は回避されている。イラク人民の怒りは、むしろ混乱を作り出したアメリカに向けられている。
 反フセインの二十二のイラク政党と政治団体が結集して作られたイラク民主的国民潮流(CONDI)は、昨年十一月のヨーロッパ社会フォーラムに参加して記者会見し、イラクのあらゆる政治潮流をまとめた「憲法制定国民会議」の結成を呼びかけた。この呼びかけには、サドル師のグループも合流を表明している。
 イラク民主的国民潮流のリカービ代表は、イラクにはさまざまなイスラム政治グループがあるが、他者を排除するビンラディン型の「原理主義者」は存在しないと述べている(『日本政府よ!嘘をつくな!』作品社)。反米民主連帯の「イラク人によるイラク人のためのイラク復興」の政治的基盤はすでに存在している。米英占領軍とカイライ暫定政府こそ、それを妨げているのである。

多国籍軍の即時無条件撤退を!

 今日の悲惨な混乱と流血を回避しイラク人自身がイラク復興をかちとる唯一の道は、即時無条件に米英占領軍が撤退することからしか始まらない。無前提に「国連中心の復興」を訴えることはできない。国連は九一年の湾岸戦争以降、イラクに過酷な経済制裁を発動し、子どもたちを中心に百万人以上の命を奪った責任がある。
 国連は、第二次大戦で勝利した五大国が、安保理常任理事国として「拒否権」という自分たちだけに許された特権を行使しつつ、対立する利害を調整する戦勝国連合として出発した。この間、国際的NGO活動や多様な社会運動の急速な拡大の圧力で、それらの運動の意向もかつてよりは反映されるようになってきてはいるが、その基本的性格は維持されている。
 国連は、国連憲章を踏みにじったNATO軍によるユーゴ侵略戦争も、アフガン侵略戦争も、イラク侵略戦争も止めることができなかった。そして侵略戦争の結果を追認し、侵略した諸大国の利害にもとづいて戦争の後始末をする役割を果たしている。米英占領軍がその権限をすべて保持したまま「国連多国籍軍」に移行することを承認した安保理決議1546そのものが、国連のそのような性格を露骨に表現している。
 国連がイラク人民に「復興を支援する中立的国歳機関」として受け入れられるためにはまず最初に、国連総会でイラク戦争が国連憲章を踏みにじる無法な侵略戦争であったことをはっきりと確認し、糾弾する決議をあげなければならない。
 続いて、民間人一万数千人の殺害や劣化ウラン弾被害をはじめ、侵略戦争による深刻な物理的・社会的・経済的・文化的・生態学的被害を調査し、侵略者の責任で被害を保障させることを決議しなければならない。そして何よりも、米英占領軍の即時無条件の撤退を要求し、ブッシュやブレアをはじめとする戦争犯罪人を裁きにかけ処罰することを決議しなければならない。それが、国際社会によるイラク復興支援の政治的前提である。
 「主権移譲」のまやかしを暴け! 非常事態宣言を出させるな! カイライ暫定政府はただちに解散せよ! 「国連多国籍軍」は即時無条件に撤退せよ! 米英は戦争被害者に謝罪し賠償せよ! 戦争犯罪人ブッシュ、ブレア、ラムズフェルド、ブレマーらを裁け! 自衛隊はただちにイラクから撤退せよ! 小泉政権による侵略戦争加担を許すな! イラク人自身によるイラク人の政府を!
(6月29日 高島義一)  


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