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鉄建公団訴訟は次回から個別立証へ           かけはし2004.07.26号

首切り自由は許さない!

鉄建公団訴訟と郵政4・28が合流し郵政公社前闘争を闘う

 七月十五日の鉄建公団訴訟第十六回口頭弁論と一日行動は、炎天下の東京地歳前宣伝行動から始まった。この日は郵政4・28勝利原告団による郵政公社就労闘争、抗議行動を中心とした首切り自由は許さない実行委員会の統一行動の日でもあり、にぎやかに宣伝行動が行われた。
 開廷前のミニ集会で共闘会議の二瓶さんは「十月から個別立証が始まり裁判は最終局面だ。この裁判に勝たなければ勝利の展望はない。三十六闘争団をまとめきって闘い抜く」と決意を表明した。
 高裁で勝利した郵政4・28原告の名古屋さんは満面に笑みを浮かべ「4・28は二十五年かけて大勝利した。最高裁から出向して国鉄改革法を作った張本人の江見裁判長が出したのだから驚きだった。国鉄闘争が江見を追及し続けてきたことが効果的だったのではないか」と述べ、当日の深夜勤廃止の裁判と公社前就労闘争への参加を訴えた。
 その後、不当解雇と戦う光輪モータース、NTT関連合同分会、昭和シェルなどから発言があった。電通労組からは東京に不当配転された九人の仲間で不当配転の裁判を起こしながら、夏季手当てで不当な最低査定に抗議して四波のストで戦ったことが報告された。締めくくりに立った酒井原告団長は「二〇〇一年一月以降口頭弁論は十六回で十七人の陳述を終え、ひとつの節目を迎えた。十月から十二月の四回の証人尋問の中で清算事業団の中でどんな扱いをされたかはっきりさせて勝利につなげていく」と決意を語った。

「雇用対策室は養鶏場のようだ」

 十時半から開かれた口頭弁論では最初に北見闘争団で女性の高野さんが陳述した。
 鉄道電話の交換手として一九六六年臨時雇用員として採用され一九六九年本採用となって国労に加入、けいわんの労災認定などを取り組んできたことなどを手短かに述べた。情報区に移り人活配属、八七年採用されると国労を脱退した人もいたが四人で清算事業団にいれられた。九一年婦人部三人で二度目の解雇を受けたことを怒りを抑えて語った。そして最後に「数多くの自殺者を出し、数多くの仲間を路頭に迷わせた。その責任の一切は清算事業団にある。裁判所は公正な判断をしてほしい」と締めくくった。
 次に陳述に立ったのは名寄闘争団の遺族原告の加藤さんだ。加藤さんは夫が一九六九年入社と同時に国労に加入したこと。結婚したときは廻り中から「国鉄の人と結婚できてよかったね」うらやましがられたことを率直に述べた。一九七六年標津で出札担当となり。一九八六年ダイ改とともに余剰人員対象となり不採用で清算事業団に入れられた経過を述べた。
 雇用対策室のことを「養鶏場のようだ」と表現していたことを述べた。血圧も高く入院もした。「元気になったらもう一度駅で仕事がしたい」といいながら亡くなった。「仕事を取り上げたことが夫の亡くなった大きな原因だと思う」と悔しさをあらわに発言した。名寄闘争団の仲間は毎年供養の取り組みをしてくれるが、その仲間から夫はいつも「世の中には許せることと許せないことがある」と言っていたと聞かされた。「まじめに働いていたものの首を切った理由を明らかにしないのは許せない」と裁判長を見すえて陳述を終えた。

中曽根元首相の証人申請は却下


 その後、原告代理人の弁護士が中曽根元首相の証人採用申請の主旨を述べた。「一人も路頭に迷わせない」と言いながら一〇四七人の失職者を出し、これを機にリストラ解雇をまん延させた最高責任者は中曽根であること、「行革でお座敷をきれいにして新憲法を安置する」との発言、「国労をつぶせば総評は潰れると思ってやった」などの発言の真意を問いたいと主張した。
 しかし鉄建公団代理人はただ「不必要」と繰り返すのみで裁判官は三分間の休憩で合議、立山学氏とともに中曽根元首相の証人申請も不採用とした。傍聴からは抗議の声があがった。しかし宮坂要元国労本部書記長以下二十一人の証人採用はかちとられた。
 閉廷後はいつものミニ報告集会は控えて郵政の深夜勤廃止の裁判に合流、傍聴行動がとられた。

郵政4・28とともに郵政公社へ


 そして正午前には全体が東京地裁近くの郵政公社前に集まった。郵政公社は固く門を閉ざしたままだ。公社は上告すれば会う必要はないと思っているらしい。
 高裁で勝利した郵政4・28の原告や郵政ユニオン、郵政4・28ネット、鉄建公団訴訟原告、支援の仲間が勢ぞろいした。門前集会が始まる。まず始めに当日で第二回となった深夜勤廃止の口頭弁論の報告だ。二月の強行実施依頼、今まで週一、二回程度の深夜勤が三回、四回と入りしかも殺人的勤務となっているが、公社は法的に問題ないと居直っていることを報告、参加者の怒りを買う。
 連帯のあいさつでは鉄建公団訴訟原告団長の酒井さんが、「共闘会議のGOニュースの表紙を飾った名古屋さんの喜び満面の笑みを、発送折込みのため二、三日見続けた」エピソードを紹介「私たちも4・28の勝利に続きたい」と発言した。太平洋汽船、NU東京、全国一般医学書院、国労に人権と民主主義を取り戻す会、4・28ネット代表の小野寺さん、首切り自由を許さない実行委員会などから、勝利のお祝いと、公社の上告を糾弾しともに闘い続ける激励の発言が行われた。
 そして支援の女性の仲間から花束贈呈のセレモニーが大きな拍手の中で行われた。
 花束を持ったまま原告の池田さんは「二十五年ぶりで夢みたいだがあっという間という気もする。今日のような炎天下で郵便を配達していたのを思い出す。職場に戻って配達するまで闘う」とその決意を語った。もう一人の原告の神谷さんは勝利後、局へのビラ入れで「良かったな、待ってるぞ」と声がかかったことを報告、拍手が起きた。しかしその様子を局が監視チェックしていることもあり、局の変わらない体質を非難した。
 原告の名古屋さんはこぼれるような満面の笑みで「お祝いがいくつもあった。最高裁でも勝ってもっともっとお祝いしてもらいたい」と参加者の笑いを誘い「この勝利は争議団に勇気を与える」と締めくくった。そして最後に申し入れ書を読み上げ、参加者全員で郵政公社に向かってシュプレヒコールを挙げた。
 「二十五年間の不法、不当な扱いを謝罪しろ!」「処分を撤回しろ!」「原職復帰させろ!」「未払い賃金を支給しろ!」など、公社の上告など吹っ飛ばす灼熱の路上で見せた熱気あふれる就労闘争は、最高裁でも勝利してこの門をこじ開けるだけのパワーを示していた。

関西航業闘争の勝利解決を祝う


 その後、鉄建公団訴訟原告と支援の仲間は初めて要請行動を拒否した国交省への抗議行動、厚労省への要請行動を経て鉄建公団、清算事業団への要請行動を展開した。
 そして一日行動の最後に十二日に争議和解に至った「関西航業の勝利解決を祝い不当労働行為容認判決を許さない報告、交流大集会」(大井町キュリアン)に合流、猛暑の中の一日行動を終了した。(7月17日 蒲田 宏)


ILO第六次勧告は政府情報を鵜呑みにして作られている

 六月十八日、ILOは結社の自由委員会の六度目の勧告を採択した。そして国労本部、ILO連絡会、中央共闘は「この勧告を真摯に受け止め、関係当事者間の話し合いを直ちに開始し、早期解決を求める」という声明を発表し各級機関、全力で取り組むよう求めた。
 それは勧告にある「日本政府に対しこの問題解決のために一度は大勢になった政治的、人道的見地の精神に立った話し合いを、すべての関係当事者との間で推進するよう求める」との文言に依拠している。しかし、これはすでに与党三党によって破棄された「JRに法的責任なし」を含む「四党合意」に立ち戻ることを求める要請にしか過ぎない。それは泥の中にぼろ雑巾のように捨てられた旗をもう一度、御旗のように掲げるということにほかならず、大衆運動には決してならない恥ずべき間違いである。
 今回の勧告は、政府のロビー活動や、うその情報提供、国労本部の政府情報批判の追加情報撤回、四党合意の大会での強行決定などによって第一次勧告より大きくねじ曲げられたひどい代物である。たとえば「組合差別に対する法的保護機構が全体として不十分であると結論づけることはできない」と地労委、中労委の救済命令をくつがえした最高裁の不当判決を暗に支持している。
 また「本件の問題はレイオフ、解雇、再雇用が大幅な人員削減を伴う鉄道産業の再編過程で発生した」とし、中曽根の「総評解体のため国労解体をめざした」などの発言などを無視し、国家的不当労働行為であった分割民営化を正当化している。そして「労働組合組織との多くの協議が行われ、解決を探る真剣な努力が行われた」と目を覆うような文言が詰まっている。
 たった一つ使えるとしたらそれは「国鉄が採用候補者の名簿作成にあたり不当労働行為を行った場合……清算事業団はその使用者責任は免れない」と最高裁判決を引用している点である。
 ここに、鉄建公団訴訟は国労全体が全力で闘わなければならない先進的闘いであることをILOも認めざるを得ないことが示されている。

何の方針も提起しない国労本部


 しかし国労本部は最高裁判決直後「国に対し何らかの訴訟を考える」と言ったにもかかわらず、八カ月たっても何の方針も裁判闘争も示していない。国労本部と四党合意推進派は、すでに崩壊し破産した「四党合意」復活を含む話し合い路線での解決を願望しつつ、ゆっくりと国鉄闘争と国労の衰弱と解体を促進させようとしているのだ。
 全国大会の代議員選挙が始まっているというのに、大会日程を傍聴の集まりにくい平日の八月二六、二七日と決定しながら、いまだに会場は秘密のままで公表していない。この前代未聞の大会運営は、組合員や支援の仲間がとても耐えられないような無内容な大会にするだけにとどまらず、何らかの反動的決定を下す臭気さえ感じさせる。
 鉄建公団訴訟勝利。生活援助金凍結撤回。二十二人の闘争団員への統制処分撤回。四・一三東京大集会成功の地平に立った国鉄闘争を闘い抜こう。
 裁判予定は十月七日、十月十八日、十一月四日、十二月二日、いずれも十時から十七時まで。東京地裁一〇三号法廷(7月17日 蒲田 宏)


狭山差別裁判糾弾!
特別抗告審闘争の勝利めざして東京江東地区集会開く

 【東京東部】七月十五日、亀戸カメリアで「狭山差別裁判糾弾!事実調べ・全証拠開示要求!特別抗告審闘争勝利!―狭山江東地区集会」が部落解放江東共闘会議の主催で開かれ、百人以上の労働者・市民が参加した。
 東交労組出身の安田共闘会議代表幹事の主催者あいさつの後、集会基調を部落解放同盟江東支部飯塚書記長が行った。
 続いて、狭山事件の元被告で、冤罪によって有罪とされた石川一雄さんとその妻・早智子さんが発言した。
 石川さんは「脅迫状についての鑑定を行った齋藤鑑定補遺(石川さんの自白では脅迫状をボールペンで書いたとしているが、この鑑定によって、脅迫状は万年筆で書かれたことを明らかにした)を最高裁に提出した。これはアリバイに匹敵するような重要な証拠で、最高裁は棄却できないのではないか。いままで、何回も期待を裏切られてきたが、今回は良い結果がでるのではないかと思っている」と語った。
 さらに石川さんは「鎌田慧さんが書いた『狭山事件―石川一雄、四十一年目の真実』が出版され、多くの新聞や雑誌で取り上げられている。マスコミは私が逮捕された時、真犯人のようにひどい報道をしたが、今回は逆に無実を訴える姿を載せてくれている。最高裁が差し戻しをしても、審理には二年間はかかるだろう。毎日、駆け足をして体を鍛えている。いまでも石川青年だと思っている。無実をかちとるために全力で闘っていく」と決意表明した。
 次に、早智子さんは「九州の高校生が狭山事件のビラを受け取り、石川さんの冤罪事件を知り、怒りを覚えたとメールをくれた。大阪では一枚のチラシから石川一雄をとりあげた映画ができた。いままた、鎌田さんが本を書いてくれた。すでに一万部出たと聞いている。一九七〇年代に狭山闘争にかかわったことがあるという秋田の人から、この本を読み改めて狭山闘争を取り組まなければならないと思ったという手紙もいただいた。こうした盛り上がってるいまが無実をかちとるチャンスです」と運動の強化を訴える強いアピールをした。
 続いて、部落解放同盟中央本部狭山担当書記の安田さんが齋藤鑑定の詳しい説明をして、最高裁、最高検への要請ハガキ、署名運動への協力を訴えた。
 江東共闘会議は毎月23日を狭山デーとして、JR総武線亀戸駅での情宣活動を長年続けているが、さらにこの活動を継続していくことを確認し、狭山闘争のいっそうの強化を確認して集会を終えた。   (M)

【訂正とおわび】前号5面ポルノ問題の森田成也さんの講演要旨の中に、一部きわめて不正確な部分がありました。本文2段目1行目「最近でも」から3段目3行目「まったく動こうとはしなかった」までの14行をすべて削除し、森田さんおよび関係者の皆さんに御迷惑をおかけしたことをおわびします。


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