もどる

07年行政長官選と08年立法会選の直接選挙を      かけはし2004.07.12号

香港返還7周年デモにあたって--一党独裁を排し政治を民衆の手に

先駆社(香港)



 七月一日、主権がイギリスから中国に返還されて七周年を迎えた香港で、〇七年の行政長官選挙と〇八年の立法会選挙を全面的な直接選挙として実施することを先送りした中国政府に抗議して、五十三万人もの参加するデモが行われた。以下は、この七・一行動に向けて、香港で闘い続ける革命的マルクス主義組織である先駆社が発表したアピールである。




 昨年の七月一日に行われた五十万人を超える巨大なデモ行進は、香港の内部問題に対する香港史上始まって以来の最大規模の大衆的デモンストレーションとなった。今年七月一日には、二〇〇七年の行政長官選挙と二〇〇八年の立法会選挙の全面的直接選挙をかちとるデモが予定されており、それは昨年の行動の継続として、また香港民主化運動の一層の発展のためにとりくまれる。
 昨年、二十三条の立法化に反対した行動は既得の自由を防衛するためのものであり、結果として一時的な勝利を収めた(本紙二〇〇三年八月四日号「香港で国家安全条例反対闘争の高揚」参照)。今回の直接選挙要求では、これまで享受してこなかった民主的権利を要求し、しかも中国政府の新たな政策に直接反対するものであるため、その目的を達成することは困難を伴う。そのため、より巨大で持続的な努力が求められており、相当な長期間にわたる、そして曲折した闘いが必要になるかもしれない。
 中央政府による二〇〇七年の香港行政長官の直接選挙と二〇〇八年の立法会議員の全面的直接選挙の禁止は、明らかにごく少数の特権を守り、大多数の香港人の基本的な政治的権利を剥奪するという政策である。この政策を弁護する一切の言説は、人民を軽視し、「主権在民」という基本的原則に反対するでたらめなものである。
 比較的婉曲な(実際には狡猾な)主張は次の通りである。「最重要課題は経済を回復させることであるにもかかわらず、なぜそのように政治問題ばかりをとりあげるのか。しかも民主主義は万能ではない。直接選挙になればファシストを登場させる可能性もある」と。
 このような主張に対してわれわれは次のように答えるだろう。「もちろん経済は重要である。しかし民主主義不在の経済発展は民衆の生活を真に改善することはできないし、生活の悪化を阻止することもできないだろう」。それゆえプロレタリア民衆にとっては、民主主義は万能ではないが、それさえも実現できないことは断じて許されない。世界各地の労働者民衆の経験はこの道理を証明するものである。
 香港返還の前には、長期的な経済成長を経験し、資本家と政府は莫大な富を急速に集積したが、プロレタリア大衆の生活改善の度合いは大きくはなかった。数年前に不況が始まったときには、プロレタリア大衆に対する政府の関心は、商売人のそれにも及ばないものであった。
 最近、経済回復がはっきりしてきたが、労働者にとっては失業状況が若干緩和してきたこと以外には何ら好転した状況にはない。依然として強大な財政基盤を持つ香港政府はブルジョアジーの政府であり、まったくプロレタリア大衆に責任を負っていない。社会的富の分配の不公平を若干なりとも是正する措置をとらないだけでなく、逆に民営化、外部委託、医療における利用者負担などの政策をとり、労働者への負担を増大させ、貧富の格差を拡大し続けている。
 中国国内の労働者人民の苦痛な経験は、非常に重要な教訓的意義をもっている。五十数年前、中国の労働者人民は経済的搾取から抜け出すために、中国共産党の指導の下、地主階級と資本家階級を除去し、新中国における経済建設でも多くの成果を達成した。これらの事業においても多くの発展途上国の人民と政府からの尊敬を集め、その手本となった。
 ただ、中国の労働者民衆が民主主義を獲得できず、当時の政府による独裁がかつての時代に比べてもひどいものであったことから、中国の労働者人民は本当の解放をかち得ることができず、豊かで平等で自由で幸福な生活を享受できず、本当の社会主義制度が何たるかを知ることができなかった。
 そして二十年前に中国共産党が中国を市場経済(資本主義)へと導いたが、依然として民主主義を抑圧した。その結果、中国の経済成長は毎年世界のトップレベルとなったが、労働者や農民は厳しい状況での生活を強いられた。
 世界の覇者であるアメリカはどうか。経済も発達しており、また民主主義もある。しかしそれはブルジョア民主主義であり労働者民衆の民主主義ではない。アメリカ労働者階級の政治的発展は立ち後れており、労働者階級は他の一切の資本主義国家と同じく搾取され、支配される地位におかれている。そして大衆的基盤を持った労働者政党さえもない。
 そのため、アメリカの労働者が享受する社会福祉は一貫して、古いヨーロッパの労働者に比べてわずかなものであり、アメリカ社会の総収入に占める労働者の比率は長年にわたって下降し続けている。また近年、アメリカの労働者は生活の保障がますますなくなってきていると感じている。
 ある人は次のようにも言う。「中国政府は香港の民主的な直接選挙を許さないのではなく、香港人の現実的な利益のために、順序に沿って漸進することを決めたのだ。いまは香港は直接選挙を実施する条件を持っていない。そもそも政治家が少なすぎ、直接選挙で良い結果が出るとは限らない。順序に沿った漸進の過程でも多くの民主主義を発揮する空間がある」と。
 このような主張に対してわれわれは次のような疑問を禁じ得ない。政治家になるにはどのような資格がいるのか。それはだれが決めるのか。政治家をどのように育成するのか、と。現行の基本法の枠組みのもとでは政治的競争の自由もなく、そもそも政治家を育成する状況にはない。資本家と官僚が経済的な実力と政治的特権を享受している。そしてプロレタリア民衆の利益を代表する人々は一貫してプレッシャーにさらされている。プロレタリア大衆にとって、このような民主的空間は、鳥かごの中の鳥が享受する空間と何の違いがあるというのだろうか。
 香港には政治家が少ないということを口実に、中国政府が香港のブルジョアジーや官僚や親中派政党の中から香港を統治する香港人を選出するという方法の成果は、昨年の七月一日の返還記念日において政治の現状に対して不満を持つ市民の抗議デモによって明らかになったのではないのか。
 この偉大な独裁党は、五十数年たっても自分自身の官僚たちを統制することができず、腐敗と汚職はますます頻発している。有毒原料を使っていた食品工場でさえもかばおうとしたこの党が、自分たちに代わって政治家を育成してくれると香港人が期待することができるというのだろうか。

 道理が通用しなくなると、凶暴な正体をさらけ出す人間も出てくる。「中央政府は法にしたがって決定を下したんだ。当面理解できなくても従わなくてはならない。それとも君たちは革命騒ぎでも起こそうというのかね」。
 香港人は従順であるといわれるが、それでも革命が時には弾圧しきれないことは歴史の知識の中から理解することができる。革命的情勢は少数の革命家が作り出せるものではない。むしろ最も革命を憎む支配者自身の反動的な政策と搾取階級の飽くことなき悪行がそれを促す。
 革命的情勢の特徴の一つは、平時においては穏健で従順な民衆が勇敢なミリタントとなることにある。その時にはだれもが革命の渦から逃れることはできない。今日、香港民衆が平和的手段を通じて自由と民主主義をかちとろうとしている理由は、まさに革命による重い代償を回避しようとしているからにほかならない。もしいつの日にか彼らが中国革命の渦に巻き込まれたとしても、それは彼らの罪ではない。
 独裁から民主主義への過渡期の道は、通常は平坦で広々としたものではない。中国本土の独裁支配がいまだ変革されていない現在、香港で民主主義を実現しようとすることはきわめて困難であると言える。しかしそれは成功の可能性がまったくないということではないし、すべてを中国共産党の良心に依拠するということでもない。
 香港人の断固とした闘いこそが、当初はその力が相対的に弱いものであっても、最終的には中国共産党の態度を変える可能性につながる。特に、もし中国本土での民主化運動の支持を得ることができれば、その可能性は一層高まるだろう。そのため、民主主義をかちとろうとする香港人は本来の目標を堅持しなければならない。
 たとえ、実際に〇七年と〇八年に直接選挙が実現できなかったとしても、それは民衆の実力が一時的に不足していたために合理的な要求が実現できなかったということに過ぎないのであり、要求自体が非合理的であるということではないのだ。そのため、もし要求が実現できなかったとしても「順序に沿った漸進」の謬論が合理的であると認めて自らの闘志を萎縮させる必要はまったくないのだ。
 全面的な直接選挙は現代における最低限の民主的な政治的要求である。もし要求をこれ以下に引き下げるのであれば、独裁的支配者による民衆に対するペテンに協力することに等しい。
 少なくない人が、直接選挙の実現こそが基本法で保障された一国二制度を実現する要求であると考えている。これは深刻な誤った理解である。基本法は、香港が最終的に直接選挙を実施するということを認めてはいない。基本法が最終的に認めている行政長官の選出方法は、指名委員会による候補者指名による立候補に対する直接選挙であり、選挙結果は最終的に中国政府の確認を経なければならないのだ。
 基本法は永遠に香港人の自由な立候補を認めず、永遠に自由な競争による選挙を認めない。このような「直接選挙」は明らかに「鳥かご民主制度」であり、民主的選挙に対する悪質な嘲笑であり、中国国内で流行している「信任投票」制度となんら変わらない。
 基本法が保障するのは、民主主義制度ではなく、すべての香港人の民主的権利でもなく、ブルジョアジーの支配的特権であり、民衆に対する大資本家と官僚の永遠の独裁支配なのである。もちろんそれは、中国政府による香港内部の政治に対する無限の干渉権も保障する。それゆえ香港人は基本法の擁護あるいは基本法の防衛というスローガンの下で民主主義をかちとることはできない。基本法は乗り越えられなければならない。基本法を乗り越えなければ、民主主義をかちとることはできないし、プロレタリア大衆の生活を改善することはできない。
 中国政府は香港民主派に対して恣意的な攻撃を一通り終えた後、最近は意思疎通をしてもよいという態度に転換したかのような振る舞いをしている。多くの民主派の代表的人物が政府の呼びかけを受け入れている。政府の目的は明らかに投降を呼びかけるものであり、比較的柔軟な手段を通じて民主派が全人代(中国の国会)が〇七年と〇八年の直接選挙を禁止した決定を受け入れることを期待したものである。
 中国政府のこのようなやり方がどの程度の収穫を得たのかについては現在、はかり知ることは難しい。しかし、短期的な収穫はそう大きくはないということは言えるだろう。すくなくとも九月の立法会選挙まではそう言えるだろう。今回の選挙は民主派と親中派の力比べであり、民主派のなかで路線転換をもくろんでいる人間の多数も選挙前にはそうすることはないだろう。
 このような新たな状況に対して、路線転換を望まない民主派は、特にその立場を堅持しなければならない。投降を拒否するだけでなく、一切のあいまいな、投降を促進するような言動を慎まなければならない。民主派を支持する有権者は真に信頼できる民主派の候補を慎重に選択して投票によってかれらを支持し、九月の選挙において親中派を圧倒するという目標を達成しようとするだろう。同時に、民主派は、選挙が抵抗のための一つの戦場に過ぎず、またそれが最も重要な戦場ではないということを理解し、一時の選挙の結果によって長期的闘争の決心に影響を及ぼすことを回避しなければならない。
 支配者による硬軟織り交ぜたさまざまな弾圧のもとでは、今後民主派のなかで、一部の人間が路線転換することは避けられないだろう。われわれはこのような経過を注意深く見守り、変節者をすぐに告発し、変節者による影響を最小限に抑えようとするだろう。民主化運動が最終的に成功するか否かは、この運動を断固とした民主派がリードする広範な大衆的運動に発展させることができるかどうかにかかっている。断固とした民主派は、プロレタリア民衆の利益を何よりも最初にすえて、民主主義をかちとり民衆の生活を守らなければならない。
 いかなる時にも、民主化闘争の主要な力は、民衆による民主化運動全体に対する正しい認識と、このような認識を基礎とした断固たる確信にかかっている。このような認識と確信を高めるために、われわれはきわめて現実的な意義を持った解説を行った。そして同時に以下のスローガンを提起する。
b二〇〇七年と二〇〇八年の直接選挙を断固要求する!
b基本法を乗り越えて民主主義をかちとり生活を守ろう!
b民主主義は万能ではないが、それさえも実現できなければ何もできない!
b民主主義なくして生活は守れない!
b一党独裁を除去し、政治を民衆の手に!
 二〇〇四年六月二十日


もどる

Back