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映評 「シルミド」                  かけはし2004.06.7号

南北分断と2つの独裁の狭間で

闇に消された韓国特殊部隊24人の自爆死


 一九七一年八月二十三日、韓国・ソウルでは第一級非常警戒令が発令される中、韓国空軍2325戦隊209派遣隊所属訓練兵(中央遊撃司令部684特攻隊)二十四人が乗っ取ったバスとこれを包囲する警察・軍部隊との間で銃撃戦となり同二十四人は自爆して果てた。
 時の韓国政府はこの事件を「空軍管理下の特殊犯罪人たちが長期間の収容生活に不満を抱いて反乱を起こした」とだけ説明し、軍事独裁政権下で真相は闇に葬り去られてきた。それから二十二年後の九三年に、韓国メディアが当時の関係者の告白手記「実美島(シルミド)―対北浸透部隊の最後」を発表することによって、この事件の全体像発掘が可能となった。
 韓国による朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する「北派工作活動」は、李承晩政権発足直後(一九四八年)から陸海空軍各傘下に特殊工作諜報部隊が創設されることによって始まった。
 物色(軍の雇用担当官が工作員を勧誘する活動)担当者が「ならず者や肉体労働者、北に縁故を持つ者」を探し出しては高額報酬や除隊後の保障をちらつかせて勧誘。入隊後は過酷な潜入・破壊工作訓練などを経て陸海空の各経路から北朝鮮に侵入し破壊・拉致・攪乱の反復活動に従事した。
 韓国軍資料によれば、五一年から九四年までに延べ一万三千人を養成し、うち六割の七千八百人が死亡又は行方不明となっている。彼らは公式的には存在を認められない隊員であり続けてきた。金大中政権下の南北首脳会談実現以降に、ようやくその実態が国会でも論議されて今年七月には「補償」「支援」立法の施行が予定されている。
 この映画で描かれた「684(ユクパルサ)特攻隊」はこうした北派工作活動の最たるもの、「金日成の首を取る」ためにのみ結成された特殊部隊だ。六八年一月の北朝鮮特殊部隊による青瓦台(韓国大統領府)襲撃事件に対抗して結成され、軍に物色された隊員三十一人は徹底した機密保持の必要からソウル郊外の仁川沖にある二平方キロの小島、実美島(シルミド)に隔離されて「殺人マシーン」となるための激しい訓練に明け暮れる。非正規の存在ゆえに上官(正規軍)の命令は絶対であり、反抗すれば銃撃威嚇と鉄拳制裁で「半殺し」の目にあう。
 こうした三カ月間の訓練の後、出撃命令が下達され三隻の連結されたゴムボートに分乗して激しいスコールの中を海路から北朝鮮をめざす(実際には空路からの降下作戦が企図されていたという)。隊員のだれもが「オレこそが金日成の首を屠ってやる!」と闘争意志をみなぎらせて……。
 だが作戦遂行の真っ最中に今度は中止命令が伝えられ、隊員たちは激しく抗命するも失意・挫折感のうちに復命するしかなかった。映画の中では南北赤十字会談実現という「平和的統一」局面到来に逆行する無謀きわまる軍事行動として政権中枢からストップがかかったとされているが、実際には韓国での有事作戦指揮権を持つ駐韓米軍が断じて容認しなかったとされている。この時期に米軍はプエブロ号事件で北朝鮮に拿捕・抑留された米軍人人質救出のため北朝鮮と水面下で交渉している真っ最中でもあった。
 シルミドでの激しい特訓はそれ以降も継続されるが、目的を見失った教官たちも三十一人の荒くれ隊員たちも次第に自暴自棄の精神状態に陥っていく。
 こうして二年が経過する中で韓国中央情報部は684部隊の「処分」(抹殺)を現場の部隊育成責任者(空軍)に密かに命令した。しかし、過酷な訓練をともにしてきた隊員と教官や警備兵の間には任務遂行のための一体感・連帯感が芽生えており、教官は何とか抹殺命令を撤回させようとするが万策尽きる。やがて684部隊隊員たちもこの抹殺命令を知るところとなり、反乱決起して激しい銃撃戦の末にシルミドを制圧し、自分たちの存在を知らしめるべく韓国本土に渡航してバスを乗っ取り一路ソウルをめざすことになる。
 この経過は実際に起きた事態とは部分的に異なる点がいくつも指摘されているが、当時の軍関係者は「三〜四割ぐらいは本当の話」と証言している。
 映画の中では原作実録小説とは異なった脚色がカン・ウソク監督によって施されているが、以下の二点は同監督のこの映画に込めたメッセージを読み解くヒントとなっている。684部隊隊員の一人カン・インチャンは父の北朝鮮スパイ容疑のために辛酸をなめてきた。
 「母は父がいなくなってから横になって眠りません。部屋に暖房も入れません。私が中学生の頃からですからもう十年以上ずっとです。虫のように身体を縮めて。親として罪なことをしたから合わせる顔がないとそうしているんです」「親父の頭をぶち抜いてアカの血は俺たちの血とどう違うのかこの目で確かめてやる」「親父が忠誠を誓った偉大な首領の首を取って親父に差し出すためになんとしてもピョンヤンに行くんだ」。
 北の金日成の首を取る前にアカ(パルガンイ)の問題は南(韓国)の問題でもあること、朝鮮戦争とその後の南北分断によって「身内にアカの問題を抱えた」南の多くの人たちの存在が暗示される。そして原作では、684隊員たちが愛国歌や隊内で教え込まれた金日成将軍を讃える歌を口ずさむ場面が何度も登場するのだが、この映画ではその歌が「赤旗の歌」に変えられており、684隊員たちが歌うシーンが三度も描かれている。極限下での過酷な訓練に身をそやす自分たちの運命を思いながら、そして最後に果てるバスの中で、「民衆の旗 赤旗は戦士の屍を包む 屍固く冷えぬ間に……」「高く立て赤旗を その陰に死を誓う……」。
 なぜ「アカ(パルガンイ)」問題なのか?なぜ「赤旗の歌」なのか? それは北の問題であり北の歌ではなかったのか? 金日成暗殺部隊の志気を削ぐ話題であり歌であるはずなのに。
 カン・ウソク監督は「シルミド」を通して「北派工作員」「南派工作員」の双方に目配せし、そして串刺しにしてどちらの側であれ「工作員」たちのたどった人生とその末路までを見通して描いたのではないだろうか。
 684部隊同様に、否それ以上に過酷な訓練を経て韓国に潜入してきた「南派ゲリラ」隊員たちの大半は作戦失敗によって目的地に到達することもなく機銃掃射を浴びて果てた。その悲惨な映像は世界中のメディアに配信されている。六〇年代に貧困による不遇ゆえに684部隊の中に自己の未来を託した韓国の若者たち、出生時から「革命首脳部を銃と爆弾で決死擁護」することを洗脳教育された挙げ句に、南の地で身体を蜂の巣のように射抜かれた北朝鮮の若者たち。そうした工作員への挽歌でもあるこの映画のこだまは南北を貫いている。
 「赤旗の歌」の何番目かの歌詞には「富者に媚びて神聖の旗を汚すは誰ぞ 金と地位とに惑いたる卑怯下劣の奴ぞ」とある。私はこの歌詞を、韓国現代史の闇の中に生息してきた親日(反共)派の残党金鍾泌と北朝鮮二千万民衆に対する虐政の上に君臨する金正日にこそくれてやりたいと思う。
 この映画をこれから観ようとするなら、六月二十六日から一般公開される朝鮮戦争を題材にとった韓国映画「ブラザーフッド」(原題名「太極旗を翻して」)と併せて観賞されることを薦める。韓国では「シルミド」は千二百万人、「ブラザーフッド」は千三百万人の観客動員となる記録づくめの映画となっている。 (荒沢 峻)

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