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石原と都教委の暴走を許さない!            かけはし2004.06.21号

「学校に自由の風を!」

「日の丸・君が代」強制と大量不当処分をはね返そう


 六月十二日、石原都政と都教委による教育現場への「日の丸・君が代」強制と教職員に対する大量不当処分に抗議して、「学校に自由の風を!」と題する集会が開かれ、会場の中野ゼロ大ホールには二階席まで埋める千三百人の教職員や父母などが集まった。

教職員三百人余に不当大量処分

 教職員と生徒に「日の丸・君が代」を強制しようとする石原都政と都教委の暴挙はとどまるところを知らず、さらに激しさを増している。五月二十五日には、今年の入学式で「君が代」斉唱時の不起立、ピアノ伴奏拒否などに対して三十七人に戒告処分、三人に減給(十分の一、一カ月)の不当処分を発令、さらに卒業式での戒告二人の処分を追加発令した。卒業式、入学式、周年行事で処分された教職員は二百四十八人に達した。
 これに加えて都教委は、「君が代」の際に生徒の不起立が多かったクラスは教員の「不適切な指導」によるものだと決めつけて六十七人の教員を「厳重注意・注意・指導」などの処分にした。
 教職員に「生徒に『日の丸・君が代』を強制せよ」と脅迫するだけでなく、生徒の自主性と「内心の自由」を踏みにじり、「お前たちが起立して『君が代』を歌わなければ教師を処分するぞ」と脅迫しているのだ。教職員と生徒に「日の丸・君が代」と権力への忠誠を誓わせようとする、恐るべき国家主義教育である。
 この集会は、処分の脅迫によって「日の丸・君が代」を強制しようとする石原と都教委の「10・23通達・実施指針」の再検討を求める署名運動を続けてきた「都教委通達の再検討を求める都民署名の会」、弾圧をはね返すために都教委と都を相手取って「国歌斉唱義務不存在確認訴訟」を提訴した教職員による「『日の丸・君が代』強制反対予防訴訟を進める会」(〇四年五月末現在、原告計三百四十五人)など、教育基本法と憲法を破壊する石原と都教委の暴挙に反対して闘ってきた百二十四の団体が賛同する実行委員会によって開かれた。五百二十人が集まった四月二十九日の集会に続くもので、この間の運動の広がりを示す結集となった。

「日の丸戒厳令」にSTOPを!」

 集会では最初に、呼びかけ人を代表して小森陽一さん(東大教員)があいさつに立った。小森さんは、雑誌『世界』四月号が東京の教育の今を「日の丸戒厳令」と表現したことに触れて訴えた。「法を守らない権力に自由が押しつぶされている。しかし今年の卒業式、入学式では、先生一人一人が教育者としての誇りと人権をかけて闘いに立ち上がった。その闘いを支え、学校の有事化を許さず、憲法と教育基本法の改悪に反対する闘いを広げよう」。
 リレートークの最初は、七生養護学校の保護者からの「子どもの学ぶ権利を奪うな」という訴えが行われた。石原と都教委は、「こころとからだの教育」として保護者と話し合いながら性教育を進めていた七生養護学校をはじめ、都立の盲・ろう・養護学校の性教育を弾圧し、七生の元校長を一般教員に降格させるなど二十八校の校長、教頭、教諭など百十六人に降格・減給・戒告・厳重注意の不当処分を行っている。石原は、ジェンダーフリー教育とともに性教育を解体しようとしているのだ。
 都立の大学を考える都民の会からは、それまで二年間にわたって教職員と学生など当事者が協議してきた改革案を石原が一方的に破棄し、問答無用で「四大学統合」を押しつける強権的やり方への抗議と、「いまなら止められる。力を貸してほしい」という発言。
 定時制を守る生徒の会からは、石原と都教委による定時制高校の一方的統廃合に対して今年一月、八人でジュネーブの国連子どもの権利委員会に直接訴えた行動の報告が行われた。この訴えを受けて国連子どもの権利委員会は、子どもにチャンスを与えるために統廃合を考え直すべきという勧告を行っている。

「37年の教育理念をかけ屈しない」

 「日の丸・君が代」不当処分の撤回を求める被処分者の会の教員は、「定年まであと一年だったが、違法な『10・23通達』は現代の踏み絵だ。三十七年の私の教育理念にかけて許せなかった。絶対に屈しない」と怒りを込めて決意を表明した。
 イラク侵略戦争に反対する意見書を小泉首相に送ったために解任された前駐レバノン大使の天木直人さんは、自らの信念をかけて決起した「被処分者の会」の発言を自分の行動と重ね合わせながら、権力の不正に屈せず、日本を変えるために闘い続ける決意を静かに語った。
 都教委通達の再検討を求める都民署名の会の丸浜江里子さんは、九千筆に達した署名について報告、「再検討」ではなく通達と不当処分の「撤回」を求める署名運動を新たに開始することを呼びかけ、都教委の暴走を止めるためのネットワークの強化を訴えた。
 文学座の神保共子さんのピースリーディングに続いて、第二部のリレートークの最初は在日コリアンの女性の力強いエール。「いま進んでいる真綿で首を絞めるような動きは、これまで在日がされてきたこと。『ここで生きていきたければ黙って言うことを聞け』というものだ。まだあきらめるのは早い。開き直って闘おう」。

生徒、保護者、教職員一体の闘い

 「日の丸・君が代」強制反対予防訴訟を進める会の高校教員に続いて発言した板橋高校卒業生は、大半の生徒が「君が代」の時に起立しなかった卒業式について報告した。
 「校長や来賓は『立て』と叫んだが、ほとんどの生徒は着席していた。生徒のなかから『座ろう』という声が上がった。前日に校長から説明があった時、すでに生徒のなかから『着席しようよ』という声が出ていた。『君が代』そのものに反対というより『強制に反対』だった。私たちは先生に言われて座ったのではない。先生を処分するのはおかしい。まるで私たちが何も考えていないような処分は許せない」。
 ジャーナリストの斉藤貴男さんは、今日の「教育改革」が、新自由主義的労働強化や生活破壊にも戦争への動員にも文句を言わず従順に従う大多数のノンエリートと、それに命令して国家を動かす一握りのエリートを作り出すためのものであることを浮き彫りにした。集会の最後に、卒業する子どもたちを送る定塚才恵子さんの歌声が、静かに流れていった。  (I)


「皇太子発言」をめぐる対話
早くなくそう! 存亡の危機に陥った象徴天皇制

「自己責任じゃないのか」

A 雅子さんの、例の「病気」問題が、皇太子の五月十日の記者会見での「雅子の人格否定の動きがあった」という「爆弾発言」で、皇太子夫婦VS宮内庁という構図の対立になっちゃって、メディアは週刊誌から新聞、テレビまでふくめて大騒ぎだ。「雅子さん、おかわいそう」といった同情論や、皇太子の発言について「感動した!」といった論調が盛んなようなんだけど、俺なんか、どっちかといえば、それこそ流行りの言葉を使えば「自己責任じゃないか」と言いたくなるんだ。「自業自得」とまでは言わないけどさ。
 六年も七年も皇太子との結婚話を断りつづけて、最後は皇太子のストーカー行為をはじめとした天皇一家や政府筋からの総がかり的圧力で、結局、自分の意思を殺して結婚に追い込まれた雅子のことを考えれば、確かに少しは同情の気持ちも働くんだけど、そんなところで同情しちゃったら「開かれた皇室」とか「もっと自由に皇室外交を」という操作に乗っかってしまうことになっちゃうからな。

「皇室外交」のイメージ


B 確かに皇太子が、外交官としての活動のキャリアを積むことに生き甲斐を感じていた雅子を口説き落とす時に言った言葉は「外交官としての外交も、皇族としての外交も、国を思う気持ちに違いはない。私はどちらも同じ大事な仕事だと思っています」だった。
 雅子も一九九三年の婚約会見で「これまで六年近く勤めておりました外務省を去ることにさびしさを感じないと申したらうそになると思います。……いろいろ考えた結果、私の果たす役割は殿下の申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てることではないか、と考え、決心したので、今は悔いはありません」と言っている。ここで「自分を役立てる」ことの中身は、雅子にとってはやっぱり「皇室外交」をイメージしていたんだろう。
 あの頃のメディアの論調も「国際化時代の新しい皇室」への期待だったし、僕らも「皇室外交」を通じた「国際化時代の国民統合に向けた象徴天皇制の再編」に焦点を当てて批判したように思う。
 しかし、宮内庁などにとってはそう簡単に「国際化」コースを推進するということにはならなかった。皇太子と雅子の結婚式直後から、美智子皇后をターゲットにした「女帝」バッシングが始まり、美智子が言葉を失うという事件が起こったよね。それに対して美智子は宮内庁記者会の質問への回答という形で「逆襲」を開始し、美智子批判をやっていた「週刊文春」の文芸春秋社が右翼の銃撃を受けてしまった。
 ここで、宮内庁の美智子批判派は、皇后への正面戦を避ける一方で、雅子の「外交志向」を封じて「子産み」に専念させることになっていったと思うんだけど。
A 右派本流の『文芸春秋』7月号に載っている「異例の皇太子発言 私はこう考える」という十九人の「識者」発言では「皇室外交促進」の宮内庁守旧派批判と、伝統的右派の「雅子批判」が半々ぐらいでバランスを取っているね。桜井よしこなどは「雅子さまは、皇室に入られたことの意味をもっと認識しなければならない」と批判し、「皇室の存在意義は、この国の成り立ちを私たちに示してくれること」であるはずなのに「雅子さまにそのような精神性を感ずることができない」とまで言っている。

「お世継ぎプレッシャー」

B 雅子の病気の悪化に追い討ちをかけたのは、やはり「男子を生め」という「お世継ぎプレッシャー」であることは間違いないだろうね。去年の十二月十一日の湯浅宮内庁長官の定例記者会見で「秋篠宮さまのお考えはあるとは思うが、皇室の繁栄を考えると三人目を強く希望したい」と言った。これなんかあからさまに、絶対に「男子の皇位継承者が必要だが、雅子はもう期待できないから、なんとか秋篠さん頑張ってよ」という露骨な願望でしょ。ただでさえ病気の雅子が、どれほどのダメージをくらうかを計算した上で言っているとしか思えない。
 とにかく皇族の最大の「公務」とは、外国に行くことなんかじゃなくて「お世継ぎ」を産むことなんだ、というのが天皇制の本質なんだよね。皇族に嫁いだ女は、人間として取り扱われるんじゃなくて、あくまで「皇統」を維持するための道具なんだよね。徹底して非人間的なんだ。それがどれだけ差別的な制度なのかということを改めて見ないといけない。一方、このままだと「世継ぎ」が遅かれ早かれなくなるといけない、ということで今回の騒動をきっかけに「女帝容認」論がもう一度勢いづくかもしれないけど、「女帝」を認めたって「子産み」が最大の「公務」だという天皇制の本質にはなんの変更もあるわけじゃない。

皇室の政治的発言を許すな


A もちろんそうだ。同時に皇太子と雅子を応援して、もっと「自由な皇室外交を」という論議も活発になってくるんじゃないかな。だけど「皇室外交」なんてのはこのグローバル帝国主義時代の、天皇による公然たる政治活動の強化でしょ。ただでさえ、皇太子が二月十九日の記者会見で「イラク復興支援に当たられる自衛隊の皆さんに厳しい状況の中でくれぐれも体に気を付けてイラクの国民のためになるお仕事をしていただきたい」と語ったり、天皇が四月十二日にアメリカのチェイニー副大統領と会った時、「日本の自衛隊もイラクの人道復興支援のためにイラクで活動しています」と話しているよね。
 戦争国家体制と憲法改悪への動きの中で、皇室の政治的発言がますます強まっていることを考えれば、雅子のやりたがっている「皇室外交」なんてものは、海外派兵と侵略戦争への参加をふくむ日本のグローバルな「国益」に外国からの承認を取り付ける役割を果たすことが明らかじゃないか。
B だから「皇室のゆく末」を心配するなんて論議に乗っかっちゃダメなんだよね。支配階級は、本当に天皇制がこのままでは消滅しちゃうんじゃないか、という危機感を持っていると思う。だから皇太子発言や雅子の病気を、深刻にとらえているんだろ。もちろん雅子本人を「人間的」に気づかってのことなんかじゃない。雅子がああなっちゃったのを見たら、皇族と結婚しようなんていうやつは金輪際出てこないのはハッキリしている。

こんなものは早くなくそう


A イギリスの「タイムズ」紙が「雅子妃は皇后が早く死ぬことを願っている」などと書いて、宮内庁が抗議したらしい。アメリカの「ピーブル」誌も「プリンセスかブリズナー(囚人)か」という見出しで「雅子特集」を組んだ。
 だけど日本のメディアときたら絶対敬語連発の翼賛報道で「皇室像をめぐる国民的論議」をなんて言い方だけだ。

B テリー伊藤が毎日新聞6月5日夕刊で「この一連の問題の報道は、いつまでもあやふやなままにしないで、だれかが返り血を浴びる覚悟で取材し、どこかでちゃんと国民的な議論ができるような材料を提示するべきなのかもしれない」なんてオズオズと書いているけど、「返り血を浴びる覚悟」なんかマスメディアに期待できないし、「国民的な議論」の枠組みでは本質的な論議などできっこないよね。
 天野恵一は十年以上前に出た『雅子の真実』(社会評論社)の中で「私たちの批判は、『本来あるべき皇室』などという観念の土俵自体を、ミソクソにタタキつぶすものでなければならないはずである」と書いたけど、いまそのことが問われるんだと思う。象徴天皇制自体の存亡の危機という認識は、支配者の側の方がおそらく強いだろう。とにかくこんなものは早くなくせ、という言論を大上段から構えないといけない。
(平井純一)      


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