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ムンバイ世界社会フォーラムがかちとった成果と課題(下) |
「多様性のるつぼ」、前面に出た反戦運動
広大な会場は、まさしく民衆運動の多様性のるつぼとなった。十二万人の参加者のうちインド各地からの参加者が八割以上を占め、ネパールの人びとやインド在住の亡命チベット人、亡命ブータン人なども大挙参加した。深刻な軍事的対立関係にあるパキスタンからも、参加予定者の多くがビザ発給を拒否されたにもかかわらず、パキスタン社会フォーラムの下に数百人が結集した。
ムンバイの世界社会フォーラムはインドの現実の中での「北」と「南」の社会運動、民衆運動の対話と交流と合流の場となり、相互の矛盾を抱えながら地球規模の問題を提示し、抵抗を結びつけ、オルタナティブを模索していく機会を提供したのである。
一月十七日から二十日までの四日間で大小のコンファレンス、セミナー、ワークショップなどが千二百以上開催され、イラク・アフガン・パレスチナ、戦争と軍事化、食糧主権と天然資源、メディア、女性への暴力と抑圧や家父長制環境、貧困、労働、債務、マイノリテイーへの差別と抑圧、性の売買、レイシズムとカースト制など、今日の新自由主義的グローバリゼーションとグローバル戦争の中で、全世界の労働者・民衆が直面する諸問題に向き合った経験は、世界社会フォーラムのプロセスがこの間の蓄積を総括し、次に踏み出すための新しいスタートといってもよい成果を生み出した、といって過言ではない。
第四回世界社会フォーラムの大きな特徴は、新自由主義的グローバリゼーションが内包する諸問題が、ブッシュのアフガン・イラク侵略戦争に示される「グローバル戦争」「テロリズムとの闘い」と内的な関連において前面に押し出されたことである。
「世界的な戦争と軍事化」が、「もう一つの世界」をめざす社会運動・民衆運動にとって基軸的な討論課題になった。そのことは、イラク侵略戦争に反対する空前の世界的運動の高揚を通じて、より深化された形で強調されたのである。
三万人を集めた開会総会では、インド独立運動の老女性活動家ラクシュミ・セーガル、インドの女性作家アルンダティ・ロイ、イラク民主化国民潮流(INDC)のアブドルアミール・アル・リカービ、イギリス労働党議員で反戦活動家のジェレミー・コービン、パキスタンの人権活動家アスマ・ジェハンジル、イランのノーベル平和賞受賞者シリン・エバディなどが登壇し、アメリカのイラク侵略戦争を口々に糾弾し、イラク民衆の反占領闘争との国際的連帯を強調した。
一月十九日のグローバル反戦運動総会の戦略会議では、全一日の会議にヨーロッパ、アメリカ、ラテンアメリカ、中東、アフリカ、アジアの活動家二百人が参加し、イラク占領を止めさせるための行動に焦点を絞った論議が繰り広げられた。一月十九日、二十日には国際反基地会議が行われ、世界百三十カ国に展開する米軍基地に対する闘いの報告と、各国の反米軍基地運動を連携させていく具体的な方針が討議された。そのために世界的な反基地行動デーが設定することも討論のテーマになった。
米軍の突然の配備を通じた人権弾圧に直面している中央アジアのキルギスタンからの報告、米軍基地建設にともなって強制的に退去させられてモーリシャスに移送されたインド洋のディエゴガルシア住民の訴え、沖縄の高里鈴代さんの米軍犯罪など基地被害についての発言は、大きな注目を集めた。APA(アジア平和連合)は「アジアにおける9・11後の米軍再編成と女性」をテーマにしたワークショップを行った。
しかも戦争と軍事化に関する幾つものコンファレンス、セミナー、ワークショップで突き出されたことは、「戦争と暴力」の問題が日常的な家父長制支配の下での女性への暴力、差別と分断に基づく「コミュナリズム」(排他的共同体主義)をどう打ち破っていくかという問題とセットであることだった。APAの結成総会(二〇〇二年八月、マニラ)でも強調されたジェンダー差別と社会の暴力性と「戦争」の関係が、ここでもはっきりと確認されることになった。
「ワールドピースナウ」運動を担った若手の活動家が、今回の世界社会フォーラムに参加し、積極的に発言したことも、日本の新しい反戦運動が国際的なつながりの中で展望を作りだしていくための貴重な出発点となった。その成果は早くも、四月のイラクでの「日本人人質」事件で現実化された。
五人のNGO活動家、フリージャーナリストを「解放」する主要な力の一つとなったのがWSFのネットワークだったことは、強調しても強調しすぎることはない。WSFの開会総会のメインスピーカーの一人だったアル・リカービをスポークスパースンとするイラク民主化国民潮流(INDC)とATTACジャパンをはじめとする活動家が、WSFを通じてコンタクトを取っており、日本の民衆運動・市民運動と独裁・占領に反対するイラク内部の民主主義的抵抗運動が、反グローバリゼーション・反戦の運動を媒介にして、ともにつながるべき「友」として信頼感を獲得していたことが、「人質」解放に寄与したのである。日本政府がこの人質解放のための闘いをどれほど攪乱・妨害し、マスメディアが無視しようとも、この事実は広範な人びとの間に伝わっていくだろうし、われわれはその事実を強調し続けなければならない。
日本からの多様な参加のために
日本からの第四回世界社会フォーラムへの参加者は、国鉄の分割・民営化という公共サービス解体攻撃に積極的に加担したことに口をぬぐって欺瞞的に「反グローバリズム」を唱えているJR総連からの百五十人をふくめると、五百人近くに上った。二〇〇一年第一回世界社会フォーラムへの参加者がわずか二人、ATTACジャパンとして初参加した第二回が全体で十人程度だったのに比べれば、今回の日本からの参加者はその数においても広がりにおいても画期的なものがあった。
JR総連を除く日本からの参加者は、ATTACジャパン、ピースボート、APAジャパンからレイバーネット、平和委員会、原水協、AALA、日本ジャーナリスト会議などをふくめてWSF連絡会を作り、情報や企画の交換、シンポジウムをふくめた事前の連絡・調整活動も積み重ねていた。WSF連絡会はムンバイの会場内に独自のブース(出店)を出し、日本の運動の紹介などに一定の役割を果たすことになった。日本共産党の「しんぶん赤旗」も、WSF期間中の紙面を割いて詳細に報道した。
ATTACジャパンのワークショップ(「民営化は不可避か?」)やAPWSL日本のワークショップ(「アジア太平洋地域における女性労働者の組織化」)についてはすでに本紙で報道されており、また三月七日に行われたピープルズプラン研究所のラウンドテーブルでも、幾つかの企画についての報告が行われている(『季刊ピープルズプラン』26号参照)。
ムンバイWSFと日本からの参加者の経験は、今後さらに運動の中で意識的に発展させられなければならない。新自由主義的グローバリゼーションに対応した規制緩和、民営化を基軸にした「構造改革」への社会的抵抗が、先進資本主義諸国の中でも異例なほどに陥没している日本の労働運動、社会運動の現状を突破していく手がかりを、この経験の中から集団的かつ多元的に獲得していくための努力が、いっそう求められている。
それは、アメリカ帝国主義が主導するグローバル戦争と日本の戦争国家化に対抗する反戦・平和運動を、新たな内容で作り替えていくための闘いにおいても重要な意義を持っている。われわれは、日本の反戦運動の弱点や「護憲・革新」運動の危機を克服するための戦略的課題が、新自由主義に対する社会的・集団的抵抗と有機的に結合した運動基盤の掘り起こしにあることを繰り返し主張してきた。
世界社会フォーラムのプロセスの中で、とりわけ今回のムンバイでの経験を媒介に豊富化された国際的ネットワークが、イラクの反占領・反独裁・民主化の抵抗運動と結合し、五人の「人質」の解放に寄与したことはすでに述べた。しかしそれだけではない。日本の運動の現実の紹介=「日本からの発信」は言うまでもなくそれ自体としてきわめて重要である。しかし「発信」を超えて、今日のグローバル帝国主義支配の構造に対する国際的ネットワークの中での共同した取り組みに、日本の労働運動、市民運動、社会運動が果たすべき責任をわれわれは自覚しなければならない。
APAが関与してきた反米軍基地の国際ネットワークの広がり、そしてATTACジャパンや「異議あり!日韓自由貿易協定」キャンペーンなどが韓国のKoPA(WTOとFTAに反対する韓国国民行動)と共同して一月十八日にムンバイWSF会場で日韓共催のイラク派兵反対デモを展開し、六月にソウルで開催される世界経済フォーラム(ダボス会議)アジア地域会議に対抗する日韓共同アクションやアジア社会運動会議の開催につなげたことは、ムンバイWSFのきわめて重要な成果であった。
同時に、世界社会フォーラム自体においても「戦略的討論」が新たなレベルで開始している。グローバル資本主義の新自由主義的攻勢に対する底辺からの抵抗運動の結びつきは、さらにいっそうその社会的な根を地域や各階層に下ろすための努力(各地域フォーラム)とともに、「もう一つの世界」をめざすオルタナティブのための政治的方針に関する論議を要求している。
WSFが新自由主義、資本主義・帝国主義に対決する「連帯のグローバル化」のためのプロセスであって、なんらかの政治的・代表的機構ではないことには変わりはない。しかしこの「プロセス」自身が政治的戦略のための討論の深化を必要としていることはいっそう明らかになっている。
反戦運動と反グローバリゼーション運動の有機的結合の定着化が、その討論を緊急のものとしている。討論は、WSFを「進歩的アカデミシャン」たちの見解開陳の場から、底辺の活動家による具体的・実践的な戦略・方針討論のスペースへといかに作りだしていくのかをめぐって進められている。
反グローバリゼーション運動は「ワシントン・コンセンサス」という単一の帝国主義的モデルを危機に陥らせ、サッチャー元英首相が勝ち誇って宣言した「TINA=There
Is No Alternative (新自由主義的グローバル化に替わるオルタナティブなど存在しない)」というキャッチフレーズを吹き飛ばす「希望のグローバル化」を手繰り寄せた。しかし、反グローバリゼーション運動は資本主義の枠内での「市場の民主主義的規制」からよりラディカルな反資本主義・社会主義的オルタナティブを指向する流れまでの「幅」を内包している。
われわれは、この世界社会フォーラムのプロセスの中から反資本主義と社会主義のグローバルなオルタナティブを獲得していくための目的意識的な政治的関与に全力を上げるだろう。四十八の政治組織が参加してムンバイWSFの期間に開催された「ラディカル反資本主義政党会議」(本紙3月1日号参照)も、そうした取り組みに向けた端著的な試みであった。
アルンダティ・ロイはムンバイWSFの開会総会のスピーチで述べている。
「企業グローバリゼーションのプロジェクトに、自国だけで対抗できる国は存在しない。新自由主義のプロジェクトのことになると、私たちが信じていた英雄たちも、突然後退してしまう姿を、何度もくりかえし見せられてきた。不思議なことな反体制の巨人であったカリスマを持った男たちが、政権を握り、国家の首長となった途端、グローバルな舞台で骨抜きにされる」。
ブラジルのルラ大統領と南アフリカのマンデラ前大統領の新自由主義への屈服についてこのように指摘したロイは、「胸を叩いて裏切られたと嘆いても、あまり意味はない」と訴える。
「指導者のカリスマと華々しい闘争歴が企業連合を挫くだろうと、考えるようでは、資本の働き方、権力の働き方をまったく分かっていないことになる。根本的な変革を、政府によって成し遂げることはできない。それは民衆の力によってのみ可能なのだ」と(ロイ「新たなるアメリカの世紀」、『世界』04年5月号掲載)。
二〇〇五年一月に再びポルトアレグルで開催される第五回世界社会フォーラムに向けて、アジアそして日本の社会運動の共同を広げるとともに、自らの運動の戦略的方向性のための討論、「根本的な変革」のための「民衆の力」をいかに掘り起こし、政治化していくかの討論を開始していこう。(5月4日 平井純一)
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