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読書案内『トロツキー研究』NO42.43特集 左翼反対派の闘争(3)合同反対派                  かけはし2004.06.14号

左翼反対派の最後の闘いと敗北の過程を描き出す



 本号は、合同反対派がスターリン派に対して激烈な分派闘争(一九二六年から二七年)を展開しぬいた「党内闘争の最後の時期」(トロツキーの「わが生涯」第四二章の部分だ)を取り扱っている。
 トロツキーは、合同反対派の敗北後に執筆した総括的論文「新段階」で@二六年四月から十月までを反対派の活動の上昇時期B十月十六日から二十七年八月八日までを多かれ少なかれ巻き戻しの時期と臨界点への到達時期A八月以降から十二月の第十五回党大会時の分派活動を否定する声明で終わった時期、というふうに分派闘争の周期性の波を分析している。
 本誌では、この三波を第一期「幕間の終り」、第二期「決定的抗争の開始」、第三期「休戦声明と『合法』闘争」、第四期「闘争の最終局面」(前半)、第五期「闘争の最終局面」(後半)、第六期「第十五回大会と合同反対派の解体」と区分けし、ハードル間の疾走においてポイントとなる諸論文、声明など二十九本を収録した。
 分派闘争の第一期は、いかに合同反対派が構築されていったかという観点からトロツキーの「ジノヴィエフ派とのブロック」、「スローガンの分析と意見の相違」、「レニングラード反対派について」の論文が収録されている。この時期、すでに共産党内主流派は、次のような権力関係に変質していた。
 一九二四年末のトロツキーへの集中砲火を浴びせ続けた「文献論争」(本誌第四一号参照)後、一国社会主義論と富農への譲歩を主張するスターリンとブハーリン派、国際革命論と富農への警戒を主張するジノヴィエフとカーメネフ派の間で、ヘゲモニー争いによる対立が深まり、極度の緊張が深まっていた。ジノヴィエフ派とカーメネフ派に、クルプスカヤ、ソコーリニコフが加わり、新反対派を結成し、第十四回党大会(一九二五年一二月)に挑むが、スターリン派の官僚的保身と手法に圧倒され、敗北する。トロツキーは、ジノヴィエフ派の文献論争時の攻撃に対する不信、国家資本主義と社会主義をめぐる対立などによって一定の距離を保ち続けていたが、スターリン派官僚主義勢力の拡大と党機構さん奪という事態に抗するためにジノヴィエフ派と合同反対派を結成していった。
 合同反対派の公然たる分派闘争は、二六年七月の中央委員会と中央統制委員会の合同総会に向けてトロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ、クルプスカヤ他の署名の「十三人の声明」で開始した。声明は、「分派主義の源泉としての官僚主義」、「官僚主義の成長の段階」、「賃金、工業化、農村政策」、「労働者国家、党機構の官僚主義的歪曲」、「コミンテルン」などのテーマに関して全面的な批判を展開した。
 スターリン派は、トロツキー派との分断を作り出すためにジノヴィエフ派をターゲットに処分を連発し、誹謗中傷のたぐいの批判キャンペーンを組織し攻撃していった。
 スターリン派の作戦は成功し、ジノヴィエフ派に動揺が深まっていった。合同反対派は、やむをえず分派活動の停止を明記した「十月十六日の声明」を明らかにする。だが、この声明発表は、下部反対派党員、国外の左翼反対派メンバーに大きな打撃を与えることになった。
 今号には合同反対派の闘いの節目となる声明が以下のように収録されている。一九二七年五月二十五日の中国・イギリス・コミンテルン問題を取り扱った「八十四人の声明」、スターリン派との「妥協と息つぎ」をねらった「八月八日の声明」、三度目の妥協をめざした「三十人の声明」(十一月十四日)、分派活動の中止と解散することを宣言した「一二一人の声明」(十二月二日)、全面屈服のジノヴィエフ派の声明(十二月十日)、分派活動の停止と解散をするが規約の枠内で自己の見解を明らかにしていく権利などを強調したトロツキー派の声明(十二月十日)。
 いずれも本邦初訳の貴重なものだ。これらの声明の流れを追うだけでも、トロツキーを先頭とする左翼反対派がスターリン派ゲバルト部隊の日常的なテロに対して体を張ってはねかえしながら、最後の最後まで労働者人民にスターリン派との闘いを訴え続けた苦闘のプロセスと解体のラストシーンまで掌握することができるだろう。
 西島栄は特集解題において、一連の左翼反対派から合同反対派の闘いの経過を、次のように厳しく批判している。左翼反対派の闘いは、第一にソヴィエト国家と一党独裁の体制を前提にしていた。第二に、一党内部における分派禁止措置によって、「トロツキーが展望したような『激動や破局なしに』有機的に支配的政策と支配的体制を変更することを根本的に不可能にした」のである。
 そして西島は、「結局、トロツキーをはじめとする合同反対派は、最後の最後まで、資本主義に包囲された農民国におけるプロレタリア独裁という政治的条件を理由にして、一党独裁と分派禁止を正当化し続けた。すでにレーニン時代に形成され絶対化されるに至っていたこの制度的条件こそが、スターリン派に確実に勝利を保障したのである」と結論づけている。
 この西島提起と合わせて、エルネスト・マンデルの『一九一七年十月』(5、ボルシェヴィキの路線 批判的分析)、『プロレタリア組織論』(8、前衛組織と官僚化)、『官僚論・疎外論』(2、官僚の問題 その科学的分析の諸段階。3、労働者国家における官僚)を学習すべきだろう(いずれも柘植書房新社)。左翼反対派の闘いに対する評価を定め、教訓化し、現代的に応用していくための重要なメッセージを受け止め、ともに「社会主義へ、新しい挑戦」を押し進めていこう。(遠山)

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