選挙前日に陳水扁総統が銃撃される事件まで起きた台湾総統選は、わずか〇・二二八%という僅差で陳水扁が勝利し再選を果たすという結果になった。以下は、『連結』誌を基盤に革命的労働者党の建設をめざして結成された工人民主協会による、選挙結果の分析と評価である。
民進党の性格とは何なのか
三月二十日に投票が行われた台湾総統選挙では、民主進歩党(以下、民進党)が〇・二二八%の僅差で国民党と親民党の連合候補を破り、陳水扁が総統に再選したが、このような結果は多くの人々にとって予想外のことであった。
しかしわずかな得票差や物議を醸しかねない民進党の選挙活動、そしていまだ解決していない銃撃事件などは、政治生命が厳しいテストにかけられている連戦(総統候補、国民党)と宋楚瑜(副総統候補、親民党)をして選挙結果を受け入れることを拒否させ、汎藍陣営(国民党と親民党の勢力を指す。党旗の色に由来する)を支持する民衆が総統府の前で抗議を行い、史上最大規模の三・二七民衆デモを引き起こした。台湾の総統選挙は幕を下ろすことができず、一定期間政局に動揺をもたらすことになった。
野党連盟(国民党と親民党)は大衆的動員で陳水扁政権に圧力をかけ、それは衝突事件にまで発展し、「暴動」「クーデター」などとささやかれた。しかし、台湾の政局に深く影響を及ぼすアメリカは汎藍陣営による三・二七行動に先立って、【台協会】(台湾での政府出先機関)とホワイトハウスのスポークスパースンを通じて陳水扁に対する祝電を送った。
口調は控えめであったが、アメリカの支持を取りつけようしていた連戦と宋楚瑜にとっては大きな打撃になったことは確かである。陳政権に友好的な新聞は一面トップでニューヨークタイムス紙の「陳水扁はすでに政局を安定させた」という報道を伝えた。票の再チェックにおいて大幅な変化がない限り、陳水扁は今後も総統の王座に座り続けるだろう。
民進党の勝利に対して、それは「台湾本土意識」の成長であり、台湾社会が引き裂かれているとも指摘されている。そのことについては、われわれはここでは繰り返さない。われわれがもっと関心を寄せるのは次のような問題である。民進党の性格とは結局いかなるものなのか、それは依然として「改革」勢力なのか、ということである。
二〇〇〇年の総統選挙では、民進党は「改革」「進歩」という民衆の期待を受けて政権に就いた。四年間の政権運営で、多くの支持者が当初の情熱を失った。その原因は結局のところ、単に「上手にやったかどうか」という問題ではなく、民進党の路線が国民党李登輝政権と何ら変わるところがなかったということである。
中国との関係においては基本的に非開放的政策をとり、国内政治経済路線においては財界に肩入れする新自由主義(自由化、私有化等)政策をとった。民進党は、国際経済の不況や野党の妨害や官僚体制の抵抗などがあったと責任逃れをしたが、社会の貧富の格差の拡大や旧態依然とした金権政治などの問題においては責任逃れをすることはできない。なぜなら民進党は財界の権力を制限し、財界のためにあった各種の産業政策を転換するいかなる措置もとらなかったからである。抑圧され搾取される労働者の地位の根本的な変革については言うに及ばずである。
民進党が勝利した戦術とは
今回の総統選挙では、民進党はもとより改革色を強調したかったのだが、この四年間の政治実績はすでにその改革色を大いに色あせさせていた。ではいかにして再選を確保するのか。民進党は使い古された魔法の杖を取り出すしかなかった。それは「愛台湾」「反中共」などという台湾民族主義的で、はては中国敵視ともいえる政治スローガンを用い、民衆を動員して、支持者やシンパが持っていたこの四年間における失望や疑問を忘れさせようとした。
「台湾は私たちの母」という呼びかけに感情が高ぶった支持者は民進党陣営に投票しただろう。選挙に通じている民進党陣営は、「改革を堅持し、台湾を信じよう」を選挙のメインスローガンにして、選挙戦の過程で「住民投票」と「憲法制定」という二大テーマを放り出した。とにかく「民族」と「民主」の二重の含意を持つこのようなスローガンで有権者をひきつけた。
金権政治の氾濫と一層の不公平さを強める社会となった台湾に必要なのは労働者人民が真に権力を持ち、真に生活を改善することのできる改革を行うことである。しかしこのような改革は当然にも財界の利益に挑戦することを意味するが、これは民進党が望まない、そして実行できないことである。
だからかれらは巧妙に改革を「住民投票」と「憲法改正」だけに限定をして、台湾政治の脈絡のなかではあいまいな「台湾独立」という要求の意味を含むこの二つのテーマを利用し、(このテーマに反対する)対立候補の「反改革」「台湾を愛していない」、さらには「中国共産党の同調者」というイメージを突出させようとした(中国共産党は反台湾独立、反民主主義的性格から当然にも住民投票と憲法制定に反対している)。
このような世論操作のもと、民進党は旧来の支持者の情熱を呼び覚ますことに成功し、また巧妙に対立候補の「反改革」「反台湾」というイメージを作り上げ、民衆にとって本当に必要とされる「改革」とは何か(それは金権政治の一掃、失業の一掃、貧富の格差の縮小などであるが)という問題を回避することに成功し、改革を空虚で民族主義的な「愛台湾」と同じように見せかけ、「民族の大義」をもって民進党の改革の結果に対して失望した民衆(たとえば社会運動など)の反発を精力的に解消した。
「住民投票」と「憲法」の意味
まさにこのような世論操作の中身からして、民進党というこのブルジョア階級政党が推進してきた「住民投票」と「憲法改正」はわずかの進歩的意義をも見出すことはできない。本来「住民投票」は、民衆による直接民主主義でなければならないが、それは有力な有権者の動員による支持を集めるための道具と化した。
しかし住民投票によって明確に第四原発反対の意思を示した貢寮(原発建設予定地)住民は、「住民投票はブームである」という政治的宣伝が吹き荒れる中において第四原発が建設されていく事態を目の当たりにしている。民進党は陳水扁式の住民投票に反対するものは売国奴であり、反民主主義であると公言してはばからないが、これこそが反民主主義的な言論である。民進党のいわゆる「憲法制定」については、それが社会の根本的な改造をもたらさないだけでなく、民進党の計画では現行憲法における進歩的条文(たとえば私的資本を制限するなど)を廃止する予定であるとしている。
民進党の戦術は間違いなく成功した。有権者アンケートでは両陣営の差が縮まり、銃撃事件の「支援」のもと、民進党が上乗せすることに成功した得票数は百五十万票、得票率では一一%と言われている。(支持基盤である)中南部の大部分の地域を席巻しただけでなく、汎藍陣営の票田地方でもその格差を縮小させた。
しかし民進党の勝利は決して人民の勝利ではない。民進党は民族主義的で、新自由主義的な政党であることになんら疑いの余地はない。外部の敵を内部の矛盾に転化し、「愛台湾」という偏狭なエスニシティやルーツアイデンティティを粉飾することを常とする政党が、新しい四年間で中台関係を安定して発展させるとは考え難いし、台湾内部の亀裂を埋めることを期待するのはなおさら不可能である。
選挙後、首相の游錫〔土皆〕はすぐに財界団体の大物を集め、「投資環境の改善」「自由貿易港」などのテーマについて話し合った。陳水扁政府も財界に有利な税制改革と私有化政策の推進を加速することを宣言した。社会的不公正と財界による支配を転換させる改革は、そもそも民進党が引き受けるこのできない任務である。陳水扁政権は過半数の有権者の支持を盾に、さらに積極的に経済政策を推し進め、財界の利潤を拡大するための必死の努力を惜しまないだろう。
与野党で新自由主義を競う
問題は、野党の国民党―親民党連盟もそもそも期待に値する改革勢力ではないというところにある。多くの人々が国親両党が監視機能を発揮することを期待しているが、問題は、権力の配分において若干異なり、対中国政策において差異はあるものの、実際のところ与野党の政治経済路線はほぼ同じ傾向であることから、国親両党が「真の反対政党」にはなり得ない、ということである。
選挙での敗北に直面した連戦、宋楚瑜の両者は「真相を求める」「公平を求める」「民主主義を求める」と語ったが、主要な焦点は自らの権力ポストに注がれている。もちろん選挙に明らかに不正があり、銃撃事件が自作自演であるなら人民はそれを徹底的に追及しなければならない。総統府前で何日も抗議していた民衆のすべてが連と宋の権力ポストのためだけに闘っていたのではなく、多くの民衆は確実に「藍でも緑でもなく、白黒をはっきりさせたい」という考えのもとで集まり抗議していたのである。
民衆の強烈な怒りも「負けを認められない」という簡単な一言ですませられない。長年にわたるさまざまな理由(政治家個人のパーソナリティ、台湾独立の煽動、経済の悪化、財界への肩入れ、貧富の格差の拡大など)が、陳水扁政権に対して不満を蓄積させた。その不満に選挙戦の中での選挙活動のやり方や疑問点が加わったことが、民衆の結集を継続させた動機である。
しかし民衆の意識が主要には単に反陳水扁にとどまっており、その主導権は国親両党の政治的人物に握られたままで、明確な改革の綱領を掲げることができないことから、今回の動員の運命は国親両党の政治的計算によって決められ、体制改革のための進歩的勢力を結集させることはできないだろう。
民進党の政治路線は、一つには、アメリカと日本に従属し、偏狭な台湾民族主義(いわゆる台湾化)を掲げ、外交は中国に対抗し、内政は政敵に対処することで政治権力を固めるものであり、一つには、大資本のもうけのための親自由主義政策を貫徹し、労働者(台湾人、「外国人労働者」、そして「中国人労働者」)に対する搾取の拡大を通じて、非開放的な対中国経済政策によって生じる大資本の「損失」を補おうとするものである。
対米日、対中国の政策において、国親両党には若干の相違があるが、陳水扁政権による「愛台湾」という価値観の主流化の成功によって反対できなくなったことは確かである。アメリカの鼻息を同じようにうかがっている国親連盟は、「穏健な台湾化」「独自の台湾派」(あいまいな対中路線)を主張し、一方ではアメリカに従順な奴隷を演じ、一方で民進党陣営に対して過激すぎると批判して政治的空間を確保しようとしている。
新自由主義的政策にいたっては、ともにブルジョア政党である国民党と親民党では本当の反対などできず、せいぜい陳水扁を批判するための材料として、または労働者の支持を取りつけるためだけに、個別の法案に対して反対の姿勢を示す政治的ポーズの域を出ないだろう。逆に自らの「景気対策」をアピールするために、民進党陣営よりもさらに積極的に財界の意向にそった立場をとることさえある。こうしたことからも、国親両党を「本当の反対派」と考えるのはナンセンス極まりないことである。
進歩的左翼勢力の結集を!
このような二大保守政党連盟が対峙する局面に対して、世論でもいわゆる「第三勢力」結成の主張がいくらか登場している。問題は、社会運動の力がいまだ後退のなかにあり、また汎藍と汎緑、統一と独立などで分裂している状況においては、社会的に登場し、民衆の耳目を引き付ける第三勢力は、既存政治の枠内かメディアのスターなどの組み合わせでしかないだろう。
かれらはあるいは公平と正義のスローガンを掲げるかもしれないが、その本質は藍緑両陣営とそう変わることはないだろう。もしこのような「第三勢力」が登場したとしても、真の進歩的役割を果たすことはできないだけでなく、逆に左翼勢力の政治的空間を狭めてしまうだろう。
現在の矛盾は、一方では客観的な情勢が進歩的左翼の政治勢力の結集を必要としているが、他方で左翼が極めて弱体で、政治レベルも低く、また分散しすぎており、主張もバラバラということだ。このような状況に対し、左翼と進歩的社会運動と個人的活動家の間における交流と討論は極めて切迫した活動である。
社会運動の領域で共通の課題について共闘することの他に、われわれは@金権政治と選挙制度の改革A民族的ショービニズムとエスニシティ差別に反対するB労働者民衆の立場に立った中台問題の主張C支配階級による新自由主義の攻勢にどう抵抗するかなどといったテーマで広範で徹底した討論を行う必要があるだろう。
違いを認め大局的視点に立ち、共通の立場を提起し、それを大衆的宣伝と共同行動の基調とする一方で、共同で取り組む運動課題と政治的行動の可能性と歩調と方法を討論しなければならない。綱領の明確化と課題の推進、草の根への浸透を通じて、まとまりのない砂粒のような台湾左翼は徐々にではあるが結集し、それによって直面する政治情勢に対応し、藍緑陣営以外の進歩的オルタナティブの形成を実現することができるだろう。 (4月5日)
二〇〇四年四月五日
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