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                           かけはし2004.05.24号

ユーロとドル--今日の世界資本主義の安定化しえない構造(中)

ミシェル・ユソン



90年代に生じた2つの傾向

 ユーロ内の為替レートを凍結してきたやり方は、マネタリズムを道徳基準として採用した場合の無節操なおとぎ話のようなものである。一般的に言って、スペインやイタリアのように通貨切り下げを実行した悪い生徒は、強い通貨を主張した良い生徒より、市場シェアに関して改善されている。スペインやイタリアは、有利な為替レートでユーロに参加したが、ドイツや、それよりやや小さな程度でフランスは、過大評価された為替レートに苦しんでいる。
 ドイツの相対的位置は成長と剰余の観点から見て悪化し続け、過大評価された為替レートの圧力はますます強く感じられている。いつかそのうち、たとえ象徴的影響が特に強烈だったかもしれなくても、マルクを切り下げるのが賢明だった、ということになるだろう。いずれにせよ、ユーロの場合、この調整の道は閉ざされている。したがって、ドイツ経済のすでに相対的に平凡なものになっている成長を下げるか、賃金コストを大幅に引き下げて競争力を再確立することが必要である。これこそまさにアジェンダ二〇一〇の要点であり、ドイツのSPD・緑の党連立政権が提案している急進的反改良プログラムの核心であり、ドイツ・モデルの深刻な後退を表している。
 一九九〇年代を通じて、二つの傾向が見られる。一方では、米国の成長は欧州に比べて、一九八〇年代は同程度であったのに、一九九〇年代ははっきり(一%以上)高くなった。他方では、欧州内部の差別化を見ることができる。欧州諸国全体の最近十年間の平均年間成長率は二%である。しかし、「フラン・マルク・ゾーン」(フランス、ドイツ、ベルギー、ルクセンブルグ)(一・六%)は欧州連合の残りの諸国(二・三%)より明確に低く、特定グループの国(スペイン、英国、アイルランド、フィンランド)(二・八%)は米国に近い成長率を記録している。
 日本の軌跡も、年代順に同様の傾向をたどっている。一九九〇年代初めまでは、日本は世界経済の他の二つの極より明確に高い成長率であった。このとき以降、日本経済は十年にわたる擬似停滞に入り、世界経済の平均的前進から立ち遅れた。したがって、一九九〇年代初めは、巨大な転換点であった。それ以前は、米国と欧州の成長率ははるかに均質的であった。それ以降は、米国と欧州の差は広がり、それまで均質的だった欧州の成長の分極化が進んだ。これこそ明らかに、安定協定の事実上の放棄をもたらした危機の基礎である。

全欧単一市場と世界市場

 EU内部の裂け目の拡大に直面して、固有の階級関係を抱える各国の特殊利害は、EUの集団的利益より優先されがちになる。その管理は欧州委員会に代表される。ここに安定協定の現在の危機の鍵がある。出発点は、いかなることがあっても財政赤字はGDPの三%を超えてはならないというルールをフランスとドイツが経済的および政治的に守れなくなったことである。
 EUのGDPの四〇%近くを占めるこの二カ国は、他の政府の過半数から、安定協定が明示的に定めた制裁を免除する約束を取りつけた。この決定は明らかにEU委員会の憤慨を引き起こした。EU委員会の正統性と自律性の大きな部分は、安定協定の守護者としての機能に由来する。
 危機はその技術的側面を超えて深まり、EU構築プロセスの本質的な態様を問うものとなっている。ユーロの不便さが利点を上回っている、と言うことができる。確かに、新自由主義的方向性と、特に賃金抑制と公共サービスおよび社会保障の民営化による商品分野の拡大の必要性に関しては、ヨーロッパ・ブルジョアジーの間に深い一致が依然として存在している。
 フランスとドイツの財政赤字は、ケインズ主義的インフレ政策を適用しようと望んだ結果ではない。それは危機の悪化と金持ち減税の教条主義的政策が重なったことの機械的な産物である。安定協定があろうとなかろうと、ドイツにおいてはアジェンダ二〇一〇が示すように社会的支出を削減することによって、フランスにおいては公共サービス支払いを凍結することによって、均衡回復の試みが行われている。資本所得に対する増税を含む真のオルタナティブ政策からは、ほど遠い。
 矛盾は厳密に経済的とは限らないので、矛盾はさらに鋭くなる。イラク介入問題や制度的構造問題に限らず、仏独両国は他の欧州連合諸国と対立する傾向にある。二国間「連合」の観測気球はこのことを反映しており、中核諸国と周辺諸国の二速式ヨーロッパという古い構想に関連している。
 しかし、これは異なる社会的モデルの防衛とは関係がないことを強調しておく必要がある。フランス政府およびドイツ政府は、標準的新自由主義モデルへの整列を加速する(彼らの観点からは決して速すぎない)非常に系統的な反改良政策を推進している。それは国家利益、いやむしろ階級利益の国家管理への回帰を表現しており、それはEU憲法草案に関する困難のためである。今日、ヨーロッパ・ブルジョアジーの結束力は非常に消耗している。
 この危機の基調は、EU構築の論理につながっている。たとえば、十九世紀のドイツ・モデルとは異なり、EUは新たな国民経済を追加することによって構築されるのではない。その理由の一つは、ヨーロッパ諸国はそれぞれの特殊性を持っているが、すでに世界市場の一部であるということである。
 国際化の局面は一九六〇年代の終わりに始まっており、単一市場と単一通貨の構築は、国際化運動の前提条件であったと分析することはできない。したがって、ヨーロッパ的基盤と巨大資本グループの世界戦略的地平の間には特に同期は存在しない。単一市場はそのような意味での主要市場ではなく、広範な攻勢のための後方基地である。
 それにもかかわらず、ブルジョアジーの一部にとっては、EU構築は、ドゴール―ポンピドー型ナショナル・チャンピオンのある種の欧州拡張版にもとづいたヨーロッパ・チャンピオン構築の「集合的」論理に従うものである。しかし、この方向性は、銀行や保険会社のような金融部門の特徴であり、支配的戦略を代表しているというにはほど遠い。
 支配的戦略は、大陸間同盟を築くことであり、それによって世界市場のあらゆる領域に直接参加することである。資本の相互浸透は、最近の研究のタイトルを借りれば、「大西洋横断経済」の形成をもたらす。この段階にすでに到達しており、米国とEUを別個の互いに競争している実体として語るのは困難になってきている。

規制機能としての単一通貨

 このような条件の中で、巨大資本グループはEU構築に関してある種の特殊な期待を持っている。単一市場に関する彼らの概念は、彼らの考える優先順位に光を当てるものである。単一市場は、多かれ少なかれ国際競争から保護される。この場合、その目的は商品と資本の循環に対するあらゆる内部的障害を取り除き、世界の他の部分に対しては多かれ少なかれオープンな形式の保護を維持し、実際には保護を強化することである。
 フランス・モデルは基準の役割を果たすはずであり、これは現行の欧州産業政策の枠組みの中で、公共秩序と巨大産業グループの間の非常に強力な協働をともなうはずであった。これに代わって、一九八六年の単一欧州議定書により、別の道が選択された。これは内部的「硬直性」の撤廃に満足せず、さらに進んで、「ヨーロッパ優先」を廃した競争に公共市場を開くという決定的選択を行うものであった。この選択はEU委員会、特にその競争総局の自由市場の立場と一貫しており、競争総局はこの領域におけるいかなる産業政策原則やいかなる介入も拒否している。
 言いかえると、単一市場は風に対して開かれた市場である。なぜなら、巨大資本グループは世界市場をにらんだEUの建設に基調を置いているからである。この点は非常に重要であり、これによってわれわれは、EU構築の社会的側面の従属的性格をよく理解でき、ブルジョアジーの最も強力な部門の意図が、純粋に構造化され統合された全体を構築することではないことが理解できるのである。
 さらに踏み込んで、単一通貨の真の必要性に関するかなり系統的な疑問を提起することが可能である。その意図がヨーロッパ市場を統合された実体として構築することであったとすれば、単一通貨は、コンパクトにまとまった欧州ゾーンと世界市場の間の境界を管理するために絶対に必要だっただろう。しかし、問題の単一市場が開かれたものとして考えられていたとすれば、単一通貨の必要性ははるかに弱くなる。
 単一通貨への過程の本質は、その通貨としての機能にあるのではなく、規制装置としての機能にあることは疑いない。公共支出の規制や「穏健な」賃金、要するに典型的な新自由主義的プログラムを実施しなければならなかったのは、単一通貨の必要性という至上の大義名分のためであった。単一通貨プロジェクトによって多様な新自由主義的プログラムを統一することが可能になり、それらに正統性が与えられ、経済とヨーロッパの理想への要求が呼び起こされたのであった。
 何年か後に、安定協定は「的はずれ」であり、ブルジョアジーは自らの結束度を過小評価していたことに気づいていることをわれわれは見出した。安定協定は新自由主義的観点から見れば完璧であり、決して確実ではない経済政策の間の協調のレベルを前提にしている点で完璧である。すべてはここから発生している。
 ブルジョアジーはまるで自らの議論に押し流され、自らの計画の脆弱性の要素を忘れてしまったかのようである。このことが、財政政策のあいまいさの度合いに関する新たな逆説をもたらしている。財政赤字は単一通貨の下では説明責任をともなうから、ある意味でユーロ・ゾーンのすべての諸国の責任であり、基準からの逸脱に対しては、国家借入に対するより高い利子率によって対処しなければならない。
 ユーロ創設以前には、金融市場がリスク・プレミアムを要求することによって、または為替レートに対して圧力をかけることによって、制約の機能を果たすことができた。今日では、安定協定が真の政治的意思にもとづいていない程度に応じて、罰をまぬがれることが保証されている。
 安定協定は最初の嵐に遭遇して折れ曲がった。その理由は単純である。安定協定の機能はブルジョアジー間の利益共同体を前提にしているが、それは未だ存在せず、そのようなものは適切な制度的試練なしに政治的に構築することは不可能だからである。
 種々の国民経済はすべて、固有のやり方で世界経済に参加している。さまざまな国が、多かれ少なかれ価格競争に対応し、巧みさの程度の差があったとしても世界需要をとらえ、多かれ少なかれ資本を引きつけている。フランス経済の「下降」に関する最近の議論は、確かに漫画的ではあるが、問題の核心をついている。すなわち、ナショナルな帝国主義の持続が今なお社会的利害の枠組を構成しているというものだ。危機の主要な要素の一つがここから派生していることは疑いない。新自由主義的規制緩和が適用されて以降、規制緩和の導入を可能にした規則や制約のいくつかは、いまや利点よりも不都合が目立つものになった。
 ヨーロッパにおける分極化は、本質的に戦略的経済的考慮から生じたことである。差別化は、価格弾力性と米国の支配の受容という二つの基準の機能によって、相対的に均質的に発生した。仏独の極とEUの他の大国、すなわち英国、イタリア、スペインの間の対立の基礎は、このようなものである。
 英国、イタリア、スペインはコンパクトな制度的統合、産業政策、構造的競争力をそれほど必要とせず、英国の場合はユーロさえ必要としていない。英国は資本を引きつける必要性とその能力の観点から見て米国と非常によく似た、非常に特殊な統合モデルによって、特殊な役割を演じている。
 この分極化は、多くの点からみて明白である。たとえば、東への拡大のあり方に関してもそうであるが、最も強烈な例は、イラク戦争である。この問題を経済的利害の違いに切り縮めることはできないにしても、立場の違いの一貫性を指摘しておく価値がある。
        (つづく)


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