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厚労省は障がい者支援費の介護保険との統合方針を撤回せよ! |
来年の通常国会に法案提出ねらう
二〇〇三年四月より障がい者の福祉に「支援費」制度が導入された。これに先立ち二〇〇〇年四月には、高齢者(65歳以上を指す)の福祉制度に介護保険がスタートしており、この十年間政府が標榜してきた「社会福祉の基礎構造改革」(福祉の市場化)は二つの制度の導入で、大きなはずみをつけたと言える。
二つの制度はよく似ているが、財源が違う。介護保険は四十歳以上の人が納める保険料と税金と自己負担(利用額の一割)の三つを財源としている。支援費は税金と収入に応じた若干の自己負担の二つを財源にしている。
ところが発足一年もたたずに、居宅(在宅系)支援費の財源が不足するという事態が起きている。国は居宅支援費として、当初予算に二百七十八億円をつけていたが、「利用者が予想以上に急増」(厚生労働省の弁)し、財源不足が顕在化。省内から七十六億円をかき集めたが、それでも二十五億円の不足となった。
支援費の税負担は、国が1/2、都道府県が1/4、市町村が1/4なので、不足分は自治体がかぶることになってしまう。その結果、不足額が一億円を超える自治体が数カ所でると言われており、すでにそれらの自治体では、利用者(障がい者)に「利用を控えてくれ」と言い始めている。
このような事態を受け、厚生労働省は今年一月に「介護保険と支援費を統合することを検討する」との方針を打ち出した。しかも六月中に大枠を決め、来年早々の通常国会に介護保険法の一部改正案を提出する、というとんでもないスケジュールをたくらんでいる。
制度発足一年目で矛盾が続出するといった制度設計の甘さに加え、二つの制度の統合という「大改革」をたった半年でまとめる、といった強引な手法には、当然障がい者団体より大きな抗議が沸き起こっている。支援費導入直前の昨年一月に「障がい者へのホームヘルパー派遣時間に上限を設ける」と厚生労働省が打ち出し、一千人規模の抗議行動が連日のように組まれたことが、厚生労働省の行動を制約する力として働いている。現に、厚生労働省の幹部も「障がい者団体が反対するなら統合はできない」と発言しており、緊迫した状況が続いている。
統合の真のねらいは何か?
「支援費は税法上は裁量的経費で、介護保険は義務的経費なので、障がい者も介護保険に組み込まれたほうが財源が安定する」というのが厚生労働省の主張だが、これには二重のウソがある。そもそも介護保険も財源の先行きに赤信号がともっている。
介護保険の運用団体である市町村や広域連合組織のうち、二〇〇三年度に赤字となった団体が百七十団体、赤字額が四十三億円に達していることが明らかになった。(日経新聞5月3日)
これは二〇〇〇年の二倍、金額ベースでは六倍にあたる。介護保険の費用も二〇〇四年は六兆円だが、高齢化のピークとなる二〇二五年には二十兆円に達するとの予想もあり、財源不足は支援費以上に深刻な状況だ。居宅支援費二百七十八億円という予算規模が低すぎるのである。「高速道路一キロ分程度。しかしその二百八十億で命が守られている」(3月24日厚生労働省交渉での障がい者側の発言)のであり、国防費や不要な公共事業をカットすれば、たやすく捻出できる金額である。
つまり支援費財源不足論はまやかしである。真のねらいは介護保険に二十歳以上の国民を組み込むことにある。介護保険は四十歳以上から保険料を払い、保険のサービスは六十五歳以上から受けられるというシステムである(14の特定疾病者は40歳から)。
介護保険のモデルであるドイツでは、高齢者・障がい者が一本のシステムでスタートしている。日本も同様な形で導入したかったが、経済界が猛烈に反対し現在のシステムで発足したいきさつがある。サラリーマンの保険料は労使折半であり、「生まれつきの障がい者の介助まで企業が負担するのはスジちがいだ」との主張が審議会であい次いだとの話を、当時の審議委員であった社民党議員から聞いたことがある。
つまり国はこのような抵抗と正面戦を行うことを回避し、介護保険の発足を最優先にするという「一歩後退 二歩前進」の戦略をとったわけであり、いずれは統合しようと機会をねらっていたのである。
自立生活が根底から破壊される
さまざまな問題がありながらも、支援費は障がい者自立生活運動三十年の成果の影響下で制度化されたといえる。その端的な例が、重度障がい者への長時間のホームヘルパー派遣が認められていることだ。介護保険では、一カ月に利用できるサービスの利用額の上限が決定される仕組みだが、支援費では時間の上限の決定(たとえばヘルパー派遣を月一〇〇時間とか)であるという点に大きな違いがある。介護保険では最重度の方(要介護5)でも、一日二〜三時間しかヘルパーの派遣を受けられないが、支援費では二十四時間の派遣決定といったケースも都市部では出ている。
介護保険に統合されるということは、これらの成果が根底から破壊されることであり、重度障がい者の自立生活は破綻に追い込まれてしまうだろう。その結果やってくるのは、施設や病院への「隔離・収容」という道しかない。時代を逆行させるこのような統合攻撃に対し、障がい者運動はかつてない危機感を持ち、昨年一月の闘いを上回る厚生労働省包囲闘争を組もうとしている。
一方、地方自冶体や経済界も一枚岩ではなく、意見が分裂のきざしを見せている。東京都は四月五日に「統合には課題が多く、準備期間も相当必要なので、二〇〇九年からを目途に具体的なプロセスを国民に明示すべき」との意見書を厚生労働省に提出した。
また経団連は四月二十日に統合反対の意見書を発表した。いろいろ言ってはいるが、結局二十歳以上から介護保険料が徴収されることによって、事業主負担が増えることを嫌悪しているのである。運動の強さと支配層の足並みの乱れにより、統合問題の年内強行突破の可能性は日増しに狭まっているが、国はその意思を貫こうとしていることは間違いない。
障がい者の自立生活を根底から破壊する介護保険への統合に反対しよう!
保険ではなく税による公的介助保障を!
ブルジョア・富める者への課税を強化せよ!
(赤井岳夫)
田んぼくらぶが小泉英政さんとの交流会と田植え
はじめての仲間も多く参加して
五月四日、田んぼくらぶが今年も横堀部落の旧二期用地内にある熱田さんの田んぼで田植えを行った。参加者は約三十人。四月四日に田起こし、二十五日に代かきを行い、連休での田植えに備えた。
田植え前日の三日夜には横堀農業研修センターに東峰部落の小泉英政さんを迎えての交流会。小泉さんは最近コモンズという出版社から『みみず物語』という本を出版したばかり、ということもあってか、例年になく多くの参加者が集まった。
連休で故郷に帰省した学生の仲間が山で取ってきたという山菜の天ぷらなどを食べながら話は進む。キノコ取りの話や、小泉さんのやっている「循環農場」のこと、空港のこと、など話題は多岐に渡った。「空港や騒音のことはあまり考えないようにしている、こっちはこっちでやっていく」と淡々と語る小泉さんの話に引き込まれていった。
翌日は「曇りのち晴れ」の予報ということもあって朝食をとってただちに田んぼへ。熱田一さんも見え、いつものように田植えのレクチャー。田植えは初めてという参加者も多く、熱心に聞き入る。
田んぼのすぐ脇を通る飛行機の大きさや、騒音にびっくりしたり、カエルなどに見とれたりしながらも、二時間ほどで作業終了。足を洗い、鉄塔に上ったりして、農業研修センターに帰る。
天気が良ければ鉄塔の下のウッドデッキでバーベキューの予定であったが、今にも降り出しそうな空模様と強風のため断念し、研修センターの庭でバーベキューを焼き、部屋の中で熱田一さん、テルさんとともに昼食を食べ、二日間の日程を締め括った。次回は十六日に第一回目の草取りを行う予定。
(板)
「北朝鮮民主化のために支援を」と呼びかけ
脱北者の報告と証言の集い
多くの脱北女性たちが人身売買の被害にあっている
五月五日に東京・韓国YMCAで「脱北者・報告と証言の集い」(主催・北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)が開かれ、緊急の呼びかけではあったが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の人権状況に関心を寄せる市民ら約五十人が集まった。今回証言のために来日した三人の脱北女性は韓国で韓半島芸術団を組織して公演会を催すなどして自立を試みておりその活動は日本でも紹介された(NHK)ことがある。集会はチマ・チョゴリで正装した彼女たちの歌と踊りで始まった。「パンガプスムニダ(お会いできてうれしいですの意)」「アリラン」など北朝鮮では定番で人気のある曲目が続き、会場の人たちもリズムに合わせて手を鳴らす。
最初に同会代表が「脱北者問題の中に北朝鮮人権問題のすべてが含まれている」という観点から三人の脱北女性を招いたことを明らかにし、北韓民主化運動本部の朴相学(パクサンハク)さんがアメリカや韓国での北朝鮮人権状況改善にむけた最近の取り組み(米上下院や韓国ウリ党への働きかけなど)を報告。続いて脱北女性三人が紹介され証言に入った。
来任した3人の脱北女性が証言
オ・ヨンヒさん(70年生まれ・02年脱北)。
「人身売買などどれだけ多くの脱北女性がひどい目に遭っているかを訴えるために訪米してきた。私は十一歳の時から新体操を始め八九年にはワンジェサンという労働党中央所属の楽団に入り新体操の国家チームとして国際大会に何度も出場した。子ども二人と夫とともに渡河して脱北した。北朝鮮ではピョンヤンで暮らし子どもを預けて働きに出ていた。国家チーム代表としていろんな国の大会に参加する中でこの国がおかしいと思うようになり夫と話し合った末に脱北を決意した」。
「いざ脱北して中国側に来てみてそこでの脱北女性たちの生活のひどさをみてショックを受けた。中国では警察に捕まったり脱獄したり教会の世話になったりした。いま私がいちばん訴えたいことは、かつての従軍慰安婦のように多くの脱北女性が人身売買されレイプされている現実についてだ。十二歳の子どもが売り飛ばされそうになり私の所へ助けを求めに来たこともあるし、もっと悲惨な話もある。人身売買には中国人、韓国人、中国朝鮮族のブローカーが関わっており売買先はベトナム、香港、タイにまたがっている。具体的数字はわからないが一万人ぐらいはいるのではないかと思う。こうしたことを知ってもらい脱北女性たちが一日も早く穏やかな生活ができるように力を合わせていきたい」。
パク・ソンファさん(71年生まれ・98年脱北)。
「九三年から九五年にかけて中国国境に近い恵山(ヘサン)で勤務していた。当時のヘサンは密輸や脱北の経由地でコッチェビ(孤児)たちが何とかして食べ物を手に入れようとうろつき回っていた。凍死する子もいて遺体運びを手伝ったり、ほかにも多くの悲惨な現実を見て胸が痛んだ。日本や韓国に北朝鮮が流すテレビ映像はつくり物です。北朝鮮民主化のためにみなさんの力を」。
ユ・ウンジョンさん(86年生まれ・02年脱北)。
「北朝鮮での生活は楽だったが母が病気になって一転し家族全員で脱北しようとしたが私以外は中国で捕まり北朝鮮へ送還されてしまった。当時私は十三歳だったが生きていく現実に直面し家族と離れて一人になってしまった(涙ぐんで声が詰まる)。中国では人々の家で農作業をやったりしたが絶望して動脈を切って自殺を図り病院に担ぎ込まれたこともある。韓国に来てからも未成年なので仕事もあまりない。生活支援金の支給(月額50万ウォン)を受けアルバイトをしながら通学している。北朝鮮に送還された母は死亡し父は行方不明と聞いているが、生き別れた弟とはなんとしても再会を果たしたい」。
集会の最後には、こうした北朝鮮人権問題解決のためには韓国、中国が今後取り組みを強めるように働きかけていくことが重要だと指摘された。 (H)
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