かけはし重要記事

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                           かけはし2002.4.29号より

捕らえられ送還されても再び北から脱出する人々

生きるための脱出を大目に見始めた北当局


 中国に行けば食糧難にあえぐ脱北者たちに会えるだろうと考えた。だが脱北者たちは違うことを言った。「俺らは、息苦しくてどうしようもなかったんだ」。「そうやって死ぬのはどうにも嫌だった」。口にした言葉は少しずつ違った。けれども気持ちはみんな相通じていた。一度、味わった自由と豊かさとを忘れることができなかった。最初に祖国を出るのが難しいのであって、一度脱北すれば、到底、北韓に定着はできないというのだ。中国の各地で会った脱北者たちのほとんどは、一回ぐらいは北送された経験を持っている。彼らは、最近、国境を越えてくる人々はほとんどが再脱国者だと語った。実際、脱北の行列の大きな流れはすでに再脱北へと変わっていた。

脱北者への苛酷な処罰は弱まった

 リー・ヨンスク氏(仮名、41)。三年前に脱北した彼は昨年十月、韓国行きの直前に北送された。一緒に韓国行きを図っていた脱北女性を米国人と結婚させて分け前にありつこうとしていた朝鮮族の人物が恨みを持って公安当局に申告したからだ。だが三カ月後の今年一月、再脱北に成功した。「北朝鮮は生活が余りにもせわしく(貧しく、の意)到底、暮らせるものではありませんでした」。食うものも足らず、電気もやってこない北韓の生活よりは、息をひそめて生きるとしても中国の方がよいと考えたというのだ。
 北送された脱北者たちは、リー氏と同じ考えを持っている。同行したキム・ヒョンドク氏は「中国では物ごいをしてもキム・ジョンイル生誕日の時よりも、はるかによく食べられる」「川ひとつ隔てて天国と地獄の違いがあるということを体で分かってしまった人々が困窮な北韓でひき続きとどまるのは難しい」と解釈した。祖国を裏切ったという隣人らのさげすみも再脱北を煽りたてる。
 だが再脱北の行列は、北韓政権の寛大な処理や体制弛緩に伴う監視の緩みによるところが大きい。北京、上海、吉林、長春など中国全域で検挙された脱北者たちは海蘭江が流れている延吉市龍井にある中国軍辺境部隊集結所に移送される。辺境監房と呼ばれる所だ。脱北者たちによれば、土城で囲まれたそこには男子房が六つ、女子房が四つの十房からなっており、各房ごとに監視カメラが設置されている。監房には普通八〜十人ずつ収容され、朝と晩に米ガユが供される。中国政府はここで、中国で犯罪を犯した脱北者だけを分離した後、他の人々は一カ月のうちにすべて北送される。普通は二十人ほどが乗れるバスで開山屯、図們、チュンサンを経て北に送られる。中国と北韓とを結んでいる橋や鉄道がある所だ。
 「北韓は脱北者たちを苛酷に処罰する」。わが社会で通用している常識だ。だが現実はちょっと違った。大量の脱北が始まった九七年の初めに北送された脱北者たちは北韓軍に引き渡されてすぐに殴られ、鼻を折られて引っ張られていくケースもあったとのことだ。だが再脱北者たちは、いまはそんなことはないと口をそろえる。
 リー・ヨンスク氏は「キリスト教を信じたり、南朝鮮の人に会った場合、あるいは人身売買にかかわったことがない場合には、道集結所で数日間を過ごした後に釈放されます」と語った。何人かの再脱北者たちは、昨年十月から北朝鮮の軍人らが「将軍様は、食べていくために越境した人々は、そのまま故郷に戻してやれとの方針を下された」として、中国から持ってきたカネや物品を奪うことも少なくなったと語った。北韓政権も生計型の脱北者をどうすることもできない現実として認めているというのだ。

なんとかして逃れる方法はある

 韓国の住民登録証に該当する公民証を持っていない十七歳未満の子どもらには特に寛大だ。コンピュータ網が整っていないために、故郷を偽ってもさしたる確認もなしに、そのままだまされる。ソニャンで会った再脱北者チョン・ミョンナム、キム・ユノは「故郷を偽ったのに集結所では確認もできません。涙ぐみながら、気の毒なことだと言って殴りもしないのです」と語った。
 もちろん例外はある。韓国人と会っただとか、キム・ジョンイル体制を批難した形跡が確認されれば、即刻政治犯として分類される。過酷な刑罰も伴ってくる。だが再脱北者たちは「北朝鮮に引き渡されれば保衛部が、韓国の人間と会ったことがあるかどうかを集中的に問いつめる」し「食うために国境を越えたと言い通せば大事にはならない」と伝えた。どうにでも逃れる方法は、あるということだ。
 このような手続きが終われば市集結所から道集結所を経て労働矯化所へと送られる。脱北期間や行動内容によって、短ければ二週間、長くとも半年程度が過ぎれば故郷に戻ることができる。故郷でも監視は体系的だとはいえない。脱北者たちは安企部がたまに点検するものの自己批判書さえ書けば大げさな問題にはならない、と伝えた。不完全とはいえ、一度味わった豊かさと自由とを忘れられない北送脱北者たちは、このような監視のすきをついて必ずや再び脱北者の隊列に合流する。
 事情がこうであるので最近は北韓と中国とを行き来して、北側に残っている家族の生計をはかっている人々も増えている。四月一日に延吉で会ったリー・オクスン氏(仮名、66)。四年前に北韓の会寧から脱北した彼は「これまで二回ほど北韓に行ってきた」「行くたびに、借り集めた人民幤一千元ほどを娘たちに渡してくる」と語った。延吉市中心街の隠れ家で会ったリー・ヒョンチョル(仮名、21)、キム・ジンヒョク(同、20)氏も「先日、北朝鮮にいる家族たちに数百元ずつ、やってきた」と自慢した。
 中国貨幣である人民幤一千元は韓国ウォンで言えば十七万ウォンほどだ。北韓では韓国のカネで二万ウォンほどあれば一家族が一カ月持ちたえられるほど、彼らがもたらしたカネは住民らの生計に少なからぬ助けとなる。北韓に残した家族らの中には、これを自由に使えるカネとして農民市場でコメや食糧品を売り買いし富を蓄積することも少なくない。リー・ヒョンチョル氏は「数百元というのは大金とは言えなくても、ちょっとした商売はできます」と語った。
 国境警備の北韓軍でさえカネを受け取って脱北者たちの入国を見逃してやる。少なくとも脱北者たちの間では公々然の秘密だ。四年前に脱北した後、国境の北韓軍と連係して脱北者たちの帰還の道をあっせんしてカネをもらっているキム・イリョン氏(仮名、24)は最近の雰囲気を、こう伝えた。「軍隊も食べていけてこそだ。入ってくる時や出て行く時に百元ずつやれば何事もありません。最近、情勢の緊張につれて軍人らは二百元くれだとかテレビを持ってきてくれだとか言うので頭が痛いです」。

「イエス様が助けてくれる?」

 このような雰囲気に乗じて、脱北者たちにカネを与え、北韓住民らを対象にした宣教活動を展開している教会などもある。脱北者らを集め、聖書を学ばせた後、年に一万五千元ほどを与えて宣教に踏み出すようにしていること。キム・イリョン氏も「教会から頼まれて北韓に戻ったことがある」と伝えた。他の脱北者らも、国境に隣接している都市には中国に行けばイエス様が助けてくれるとのウワサが広まっており、こっそり礼拝をささげる人々も増えていると語った。
 四十代なかばのある再脱北者は「最近、北朝鮮で捕まった時に、聖書の勉強をした事実を隠せば、むしろ疑念を受けます」と語った。すでに北韓保衛部などでは教会が脱北者たちの生存空間だという点を承知しており、これを隠せば、むしろ韓国の人々と接触したのでは、と疑うというのだ。(「ハンギョレ21」第404号、02年4月18日付、シン・スングン記者)



「食える人だけが生き残った」

`弱者aの餓死と地下経済活性化で北の食糧事情が改善?


 再脱北者たちや最近、北韓に入った朝鮮族の人々は一様に北韓の食糧事情が良くなったと伝えた。特に中国と国境を接する地域は、はるかに事情が良くなったというのだ。彼らは「飢えていた人々はトウモロコシガユ、トウモロコシ飯を食べていた人は白米へと一段階ずつ上がった」と語った。息子が建設労働者だという女性脱北者は「いまは一食当たり百四十グラム程度のトウモロコシガユをずっと与えています」と語った。
 だが状況の改善は、北韓政府の配給拡大というよりは厳しい食糧難を経て生存力の劣る人々は亡くなり、農民市場など地下経済が活性化したおかげだとの分析が支配的だ。脱北者たちの入北ルートをつけ、北韓にしょっちゅう出入りしているキム・イリョン氏は「商いのできない人々は、とうにみんな飢え死に、いまや食える人だけが生き残ったのです」と言い、耐えしのげた家では農民市場で稼いだカネでコメをこっそり貯め込んでいる、と語った。
 脱北者たちは北韓の底流にはすでに市場経済のメカニズムが働いていると伝えた。カネさえあれば農民市場で食糧をはじめ必要な物品は何でも求めることができるという。農民市場も、かつての十日市から五日市へと短縮され、いまやほとんど毎日、市が立っているというのだ。
 キム・ヒョンドク氏は「北韓政権は配給によって住民らの生計の面倒を見る政策を放棄し、いまや農民市場など小規模地下市場に依存した住民らの自力更生を容認しているようだ」「小規模市場経済まで阻んだなら不満が暴走して体制維持が難しくなることを認めたから」と解釈した。党幹部や保衛部、人民保安省などに勤務している人々は生計の困難を全く感じていないことが知られている。脱北者たちは彼らが北韓内の他の地域に移動する住民らに通行証を発給してやる代価として公々然とカネを求めたり、市場で隠密に商売をしている、と伝えた。(「ハンギョレ21」第404号)

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