| 外形標準課税をめぐる裁判と東京都の敗訴
かけはし2002.4.22号より |
大手銀行を対象にした東京都の「外形標準課税条例」をめぐる裁判で、東京都は敗北した。しかしそれは逆に、零細企業に増税して大企業を減税する外形標準課税の全業種、全国一律導入へ向けた流れを加速した。ゼネコン政治と新自由主義を粉飾する石原の右翼ポピュリズム政治と対決しなければならない。
三月二十六日、東京地裁で、東京都が〇二年度から大手銀行を対象に導入した「外形標準課税条令」をめぐり、課税対象とされた十八行が条令の無効などを求めていた訴訟の判決公判が開かれた。判決は条令を違法とし、すでに納められた約七百二十五億円を銀行側に返還するよう都に命じるとともに、約十八億円の賠償も認めた。全面敗訴となった石原都政側は、直ちに控訴した。
東京地裁の判決の論理に深入りすることに意味はない。問題は、石原が勝訴しても敗訴しても、橋本政権以来の政府税調が「できるだけ早期に導入をはかることが望ましい」としていた外形標準課税の一律導入への流れを促進したということである。
勝訴すればすでに導入を決めていた大阪府が続き、その他各地の自治体が続き、全国一律導入の動きが一気に加速したであろう。しかし敗訴にも関わらず、政治的効果は絶大であった。「東京の銀行を狙い撃ちにした点が問題とされただけに、全業種を対象とする外形標準課税を全国一律に導入することをめざす政府の動きに拍車がかかりそうだ」(日本経済新聞3月27日)。
与党税制協議会は二〇〇二年度税制改正大綱で「二〇〇三年度税制改正をメドに導入をはかる」としている。政府税制調査会(首相の諮問機関)の石弘光会長も、東京地裁の判決について「外形標準課税の導入に向けた議論はかえって促進される」とコメントしている(同前)。朝日新聞をはじめ各紙も判決翌日の社説で一斉にこの問題を取り上げ、全国一律・一斉導入を求めている。
石原都政が対象を大手銀行に限定する形で導入した外形標準課税条令は、一律導入への突破口となったのである。
現在の法人事業税は、企業の最終収益に課すことになっている。外形標準課税は、最終収益ではなく事業規模に応じて課税するものであり、石原都政による銀行への外形標準課税は、人件費などの経費や不良債権処理などによる損金を差し引く前の「業務粗利益」に三%の税率を課すというものであった。
なぜ政府や政府税調は外形標準課税の一律導入に熱意を燃やしているのだろうか。小泉政権が推し進めている税制改悪のキーワードは「広く薄く」である。「広く」とは、これまで課税対象外だった低所得者層からも「広く」税を取り立てるということであり、「薄く」とは、高額所得者の税率を引き下げるということである。
中曽根政権以来の新自由主義的税制改悪で、大企業減税と金持ち大減税が進められ、大衆増税としての消費税が導入されるなどの、新自由主義的税制改悪が進行してきた。かつては七五%だった所得税の最高税率が現在では、新自由主義のチャンピオンであるアメリカより低い三七%という世界最低水準に引き下げられている。
小泉の経済財政諮問会議は、課税最低限の引き下げなどによって、低所得者や中所得者を増税する一方、金持ちの最高税率をさらに大幅に引き下げて「がんばった人が報われる社会」(竹中平蔵経済財政担当相)を実現するという「方向性」を提示している。竹中にとっては高額所得者は「がんばった人」であり、低所得者層は「がんばらなかった人」である。「がんばった」金持ちはご褒美で税金を安くし、「がんばらなかった」貧乏人は罰として税金を高くすれば、みんながんばって金持ちになるだろうというのが、「竹中教授の経済学」である。
一律導入がめざされている法人事業税の外形標準課税化も、「広く薄く」を唄い文句にした弱肉強食の新自由主義税制の典型である。収益ではなく事業規模や活動量に応じて課税するということは、もうかっている企業には減税となり、もうかっていない企業には増税となるということである。全法人の七割近くが赤字法人である。赤字法人の圧倒的多数が、バブル崩壊とグローバリゼーションのなかで、大企業によるすさまじい単価切り下げ要求や銀行の貸し渋り・貸し剥がしに苦しめられている中小零細企業である。
外形標準課税が一律に導入されれば、税金どころか給料や仕入れの資金繰りさえおぼつかない状況に追い込まれている中小零細企業からも、無慈悲に税金が取り立てられることになる。まさに、竹中平蔵仕込みの新自由主義を信奉する小泉好みの税制である。
政府税調法人課税小委員会の報告によれば、業種別、企業規模別に税負担額の大きな変動が生じる。業種別では特に赤字法人の多い小売業、繊維産業、サービス業などで税負担額が大幅に増大し、企業規模別には中小企業ほど負担増となる。
大阪経済大学教授の梅原英治が、国税庁の「税務統計」や大蔵省の「法人事業統計」をもとに詳しい試算を行なっている(法人事業税の外形標準課税問題の検討」『経済』98年9月号)。
資本金別では、五千万円以上の法人は、資本金額が多ければ多いほど減税となり、資本金十億円以上の法人は三八・一%もの大幅減税になる。これに対して資本金五千万円以下の法人は増税になる。たとえば資本金二百万円以下の法人では、繊維工業が五〇〇%の増税、機械工業が二三〇%、出版印刷業が二二〇%、サービス業と小売業が一三〇%というすさまじい増税になる。今春闘で、一兆円という空前の利益をあげたトヨタ自動車が賃上げゼロであったとして話題になったが、笑いの止まらぬ大もうけをしているこのような超優良巨大企業が大幅減税となり、資金繰りもままならず社長が自殺に追い込まれているような零細企業が大幅増税で倒産させられるというのが、外形標準課税なのである。
「広く薄くで参加意識」「『抜本的』な税制改革とは」という大見出しをつけた朝日新聞(3月25日)の特集記事(経済部・福島範彰)は何の疑問も持たずに言う。
「赤字法人に外形標準課税を導入することが論議されている。実現すれば抜本度は大きい。企業が広く税を負担すれば、地方税の法人事業税を含め、法人税率の引き下げも可能になる。利益の出ている元気な企業の税負担を軽減できれば、経済活性化の目的にもかなう」。
竹中平蔵の言うことをそのまま信じる単純素朴な福島は、朝日新聞という大企業の社員である自分の年収より、下層自営業者の年間営業所得の方がはるかに少ないことなど全く知らないのだろう。全国商工団体連合会などの調査をもとにした金沢誠一(仏教大教授)の研究によれば、年間営業所得五十万円未満の自営業者が七・三%、五十万円〜百万円が一〇・二%、百万円〜二百万円が一四・九%、二百万円〜三百万円が一一・三%もいる。営業所得三百万円以下の極めて零細な自営業者だけで四四%にもなるのである(「現代社会における貧困」『経済』00年6月号)。
営業だけで生活できず、わずかな国民年金と合わせてようやく生活している人も多い。年金保険料を払えず「無年金者」にならざるをえない人が一〇%以上存在する。国民健康保険の滞納所帯は全国で一六%、四十万所帯以上が正規の保険証を取り上げられて病院に行くにも不自由しているが、言うまでもなくその多くが零細自営業者である。
このような零細企業が「広く税を負担すれば」、トヨタのように「利益の出ている元気な」巨大企業の「税負担を軽減でき」「経済活性化の目的にもかなう」というわけだ。すさまじい弱肉強食の論理である。
しかし「経済活性化の目的にもかなう」という新自由主義者の単純な論理は裏切られざるを得ない。外形標準課税が導入されれば、すでに戦後最悪の水準に達している倒産の嵐がますます激しく吹き荒れるだろう。そのため、収奪しようとした中小零細企業からの税収は増えず、「元気」な大企業や大金持ちの税金がさらに安くなるために、税収の空洞化がさらに進行するだろう。財政危機がますます深刻化し、国債の大増発と社会保障の一層の切り捨て、そして消費税の大増税に突き進まざるを得なくなるだろう。したがってそれは、大不況をさらに深刻化させる。
外形標準課税は、中小零細企業から収奪するだけではない。経費を差し引く前の「業務粗利益」に課税されるため、すべての企業が課税されるベースを小さくしようとして経費をできるかぎり削減しようとする。通常、企業の経費の最大部分は人件費である。したがって、外形標準課税は首切りと賃下げの促進を企業に強制する役割を果たす。すなわちそれは、リストラ促進税制なのである。そしてリストラ促進税制は失業を増大させ、消費不況に拍車をかける役割しか果たさない。
しかもそれは、地方税収の安定にも役立たない。統計的に大規模な黒字法人は大都市圏に多く、地方圏では赤字の中小零細法人の比率が高い。その結果、最終的な収益に課税する現在の法人事業税の半分近くを東京都・大阪府・愛知県・神奈川県の四都府県だけで独占してしまうという状況が作られてきた。
このような状況を前提として全国一律・全業種に外形標準課税を導入すれば、もうかっている大企業は大幅に減税となるため、大都市圏では増収どころか逆に税収が減少し、自治体の財政危機はさらに深刻化してしまうのである。これに対して沖縄や東北や四国などでは一時的に大幅な税収増になるが、倒産の激発や地域経済の疲弊を招き、結局のところ過疎化の進行を加速することになる。小泉政権の信奉する新自由主義的経済政策は、「経済活性化」をもたらすどころか、不況を深刻化するだけなのである。
石原が突破口を切り開き、政府税調が全国一律・全業種に導入しようとし、マスコミも一律導入のキャンペーンを張っている外形標準課税とは、このようなものである。
都の「外形標準課税条令」は、対象を資金五兆円以上の大手銀行に絞り、五年という期間を区切って施行された。しかしそれは、単なる「銀行税」ではなく、一律一斉導入の突破口を切り開くことをはっきりと意図したものだった。
「ある都幹部は『全国一斉導入を待っていたらいつになるか分からない。都が先陣を切ることで、他の自治体が後に続けばいい』。大塚主税局長も七日、『全国的な税制改正の引き金にしたい。閉塞状況にインパクトをあたえ、本格的議論が進むことを期待する』と述べるなど、先陣役を自認する発言が続く」(朝日新聞00年2月15日)。
東京都や大阪府が「財政非常事態宣言」を出さざるを得ないような深刻な財政危機に追いつめられたのは、政府の財政危機とほとんど同じ構造である。バブル崩壊以降、法人事業税の連続的減税もあいまって税収が減少し、財政状況が悪化しているにも関わらず、地方債を乱発してゼネコン政治の「公共事業」(地方単独事業)を野放図に拡大してきたからである。その象徴が五兆円以上の規模に膨れあがった臨海副都心開発であった。そして政府・自治省はバブル崩壊以降、地方自治体に対し一貫して、借金を増やしても公共事業を増やすよう強力に「指導」してきたのである。
しかし石原は小泉と同様、そのようなゼネコン政治を改めることなく臨海副都心開発などへの大盤振る舞いを続ける一方で、シルバーパスの有料化や老人医療費助成の対象年齢引き上げ、大気汚染公害患者など十四種の医療費無料制度への本人負担導入、都立大・都立高授業料値上げと私学助成の大幅カットをはじめ、ほとんどすべての領域で社会保障の切り捨てを強行し、都職労働者の大幅賃下げを強行してきた。
銀行は、バブルの主犯であるにも関わらず巨額の公的資金の投入を受けて大衆的怒りの的になっていた。石原はこの銀行に的を絞る形で、中小零細企業大増税の要素にベールを掛け、外形標準課税導入の突破口を切り開こうとした。またそれは、「銀行叩き」の形で大衆的受けをねらい、石原が強行する社会保障切り捨てやゼネコン政治への不信と怒りの方向をそらそうとするものでもあった。
それは、出口のない経済危機と将来への不安、既成政治の腐敗と行き詰まりへの絶望やいらだちのなかで、強力なリーダーシップを求める気分を巧妙につかもうとする右翼ポヒュリストの政治手法であった。石原は都の政策会議などの正式な場には一切はかることなく、二人の特別秘書と主税局長と石原のたった四人で秘密裏に検討作業を進め、いきなり記者会見で発表した。
石原のねらいは成功し、圧倒的な大衆的支持とマスコミの全面的同調を獲得した。都議会も当時第二党の共産党を含む主要会派がすべて賛成に回り、ほとんどまともな審議もなされないまま条令は成立した。
大型開発の継続や社会保障切り捨てなどの予算案全体との関係や、中小企業への増税になる外形標準課税全面導入との関係で慎重な審議を求め、採決でも反対したのは福士敬子都議(自治市民93)ただ一人であった(「かけはし」00年2月28日号)。
共産党は、「外形標準課税には反対だが、都の新税は外形標準課税ではなく『銀行税』だから大歓迎」という奇妙な主張で賛成に回った。石原が「外形標準課税だ」といって導入しようとし、政府税調もこれを外形標準課税一律導入の突破口にしようとし、マスコミもそれに同調しているにも関わらず、共産党だけが「これは外形標準課税ではないから導入に賛成する」と主張したのである。
共産党は、「外形標準課税とはなにか」という本質的論議もしないまま、それが正しいものであるという政治的雰囲気を作ることを助け、予算審議と一体のものとして論議する回路を自ら断ち切ってしまった。そしてそのことによって、ゼネコン政治や福祉切り捨て路線との矛盾をつきながら石原の右翼的大衆扇動政治のいかがわしさを暴露する決定的チャンスを、自ら放棄した。そして何よりも、政府税調のねらいを暴く絶好の機会を放棄してしまったのである。
われわれは日本共産党に対して、銀行に的を絞った石原の右翼的パフォーマンスがいかに大衆的に大受けしていようとも、「選挙目当ての大衆迎合主義は闘うべき敵を強化し、結局は自分の首を絞めていくことになる」と警告した。そして「いまからでも遅くはない。日本共産党は石原の外形標準課税導入への支持を取り消し、二〇〇〇年度都予算案への徹底した批判と一体のものとして議会内外で論議を巻き起こすべきなのである」(「かけはし」00年2月28日号「外形標準課税問題―共産党は石原応援団からの離脱を」)と強く訴えた。
今回の判決についての筆坂政策委員長の談話(しんぶん赤旗3月27日)でも、日本共産党は都の外形標準課税条令は外形標準課税ではなく「銀行税」であり、「適切」だという奇妙な主張を繰り返している。現在、小泉政権の右翼的デマゴギー政治の化けの皮がはげ、大衆的不安といらだちがますます高まり、しかも新自由主義に対決する左翼的オルタナティブが不在という状況下で、右翼マスコミは「石原新党」への期待をあおっている。
小泉の右翼デマゴギー政治がさらに右翼的な石原のデマゴギー政治に変わっていく可能性も否定できない。その先にあるのはファシズムである。ヨーロッパやラテンアメリカで、新自由主義に対するオルタナティブ勢力として反資本主義左翼が力強く登場しつつある。われわれは、不破・志位指導部の右転落路線に疑問を持つ多くの共産党員とともに、新自由主義と対決する闘いを推し進めなければならない。(4月13日 高島義一)
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