もどる

欧州連合--正統性の危機                   かけはし2004.11.29号

欧州選挙に表現された左翼オルタナティブの限界と課題(下)

G・バスター

新しい欧州委員会

 アイルランド首相ベルティ・アハーンは、憲法条約に関する交渉を何とか終結にこぎつけたとしても、欧州委員会の新委員長に関する合意と委員会内の地位の分配を仲介することはできなかった。条約が合意されたら、今度は、誰が次の五年間条約を解釈し、誰の利益にしたがって解釈するかが決定的な問題になる。
 欧州理事会では、新旧欧州がそれぞれの候補者に投票した。候補者はベルギー首相フェルホフシュタットと英国委員パッテンであった。フェルホフシュタットは、危険な連邦主義者であり「強化された協調」のセクト的支持者であるとして非難された。パッテンは、フランス語を話せずユーロ加盟国に属していないという多少正当性がある理由で反対された。他の候補者は投票の前に降りることを望んだ。ソラナだけが、EUの将来の外務大臣として全会一致の支持を受けた。彼は、前もって公然とコリン・パウウェルと合意しながらブッシュの外交政策を「穏やかに」批判するという、必須の宙返りの能力を持つ。
 アハーンは、最小公分母の公式を適用し、新旧欧州が彼らの対決を継続することができるような十分弱い候補者を見つけることによって解決策を見出した。六月二九日の臨時欧州理事会において、アハーンは、ポルトガル首相デュラオ・バローゾを候補者として提案し、単に異議がないか尋ねた。沈黙の中で、バローゾが欧州委員会の新委員長として指名され、七月二十二日の欧州議会の批准を受けることになった。
 青年時代は毛沢東主義活動家、次にポルトガル右翼の急進派、UNITA(アンゴラ右翼ゲリラ)の残存を可能にしたアンゴラ和平協定の交渉担当者、イラク戦争前のアゾレス諸島におけるブッシュ・ブレア・アスナール会談のホストであるバローゾは、過去二年間のポルトガルの経済的政治的崩壊の第一の責任者である。
 彼の安定協定の厳格な適用策は、ポルトガルの失業率を労働人口の四%から七%に増加させた。財政赤字削減のために野蛮な政策を強制し、公務員賃金を凍結し、付加価値税を二%増税し、公共投資を停止してGDPを一・三%縮小させたが、これは全OECD諸国の中で最悪の結果であった。
 彼は「フィナンシャル・タイムズ」紙に対して次のように約束した。現代のユリシーズのように舟のマストに自分を縛りつけて「公共支出や役人を増やすように誘惑してわれわれを破滅させようとする誘惑の歌に抵抗する」。
 このようにして、バローゾは経済的、社会的、政治的危機を逃れ、欧州選挙での深刻な敗北の後、その管理をPDS/PPの右翼連立政権の手にゆだねた――彼の言うところによれば、「強い」欧州委員会を指導するために。
 ブレアは正しくも、欧州委員会のトップにバローゾが座ることを、「共同体方式」の決定的な阻止の保証であると見なしている。シラク、シュレーダーやサパテロにとっては、ポルトガルが構造基金、共通農業政策やスペインの投資に依存していることが、彼の従属と彼の物分りの良さの事前の保証である。EUの新自由主義的建設プロジェクトの危機を、これ以上によく象徴する候補者を見つけることは不可能であろう。

オルタ左翼の展望


 「左翼の左」に位置している政治勢力にとっての選挙結果は、国によって大きく異なるが、グローバルな正義のための運動の政治的投影が存在していないことのもうひとつの印である。
 共産党は、旧来型の反欧州主義の党(たとえば、ポルトガルやギリシャ)も、社会自由主義的連立政府に参加した経験を持つ党(たとえば、フランス)も、議員数を減らしたが、一般に五〜七%の得票を獲得した。彼らは社会的基盤である労働者階級の部門に忠誠を保っているが、基盤となっている部門は人口構成的に、また旧来型産業のリストラによって減少している。
 ボヘミアおよびモラビアの共産党は、チェコ共和国北部の急速なリストラを受けている労働者拠点を基盤にし、一七%の票を獲得し得票数では第二位であったが、これは例外である。
 南部ヨーロッパの三つの大きな複数主義的左翼組織、イタリアの共産主義再建党、スペインの統一左翼(IU)、ギリシャの左翼進歩連合は、共産主義再建党が得票(六・一%)と議席数(四)を伸ばしただけであった。後の二組織、特に統一左翼は後退した。スウェーデンの旧共産党とグリーン・レフトも同じであった(ただし、フィンランドやデンマークは異なる)。ポルトガルの左翼ブロックは初めて欧州議会の議席を獲得し、イングランドとウェールズのRESPECTは地域的に恥ずかしくない結果を残した。この状況の中では、LCR―LO連合の結果(二・六%)はフランス反資本主義左翼の後退と言える。
 実際的な理由から、これらの勢力の大多数は欧州統一左翼(GUE)に組織されるだろう。しかし、フランシス・ウルズ(仏共産党)がグループの代表に再選されるとしても、内部的緊張のために共通の明確な政治的表現を行うことは非常に困難だろう。
 ドイツPDS(SPDとの地域的連立を組み、社会自由主義的政策を行っている)がグループ内での比重を高めている。旧来型共産党はチェコの六議席によって強化された。共産主義再建党は二議席を増やしたが、相対的重みを下げ、このことが欧州左翼党発足に際してマヌーバーの余地を狭めている。さらに、北欧左翼組織(特別の綱領で協調関係にある)と他のオルタナティブ左翼の間の戦略的違いは、この選挙運動を通じて広がっており、グローバルな展望を作成することがより困難になっている。
 戦略的方向性の違いにもかかわらず、なおそのような展望の手掛かりはいくつか存在する。たとえば、憲法条約への反対と批准国民投票における「ノー」キャンペーン、イラク占領反対運動やパレスチナ人民連帯運動の支持、リスボン戦略に反対する抵抗闘争、などである。
 一九九五年以来の社会的運動におけるオルタナティブ左翼の仕事に比べると残念な結果であったが、すべてのことは、この運動の力の蓄積の長いサイクルは続くこと、重要な労働組合部門がリスボン戦略に反対する闘いに入るであろうことを示している。したがって、われわれが「左翼の左翼」に関する戦略的論争を深めることが、まさに焦眉の課題である。この議論は、特殊な文化的伝統と各国情勢から出発して、それをヨーロッパ的文脈の中で論じられる必要がある。
 この論争には、次のことが含まれなければならない。国際情勢の分析と闘争の現在のサイクルの性格付け。社会民主主義がヘゲモニーを握る社会自由主義的政府への共産党および緑の党の参加のバランスシート。社会民主主義の進化の性格。社会的運動における統一戦線政策、社会民主主義左派との複数主義的連合の構築と社会民主主義政党および緑の党との関係、特に彼らが野党である場合。これらのすべての領域への介入を可能にする、革命的左翼の力の原始蓄積の問題。
 ヨーロッパ反資本主義左翼会議は、この作業を開始するには、つつましいが有用なフォーラムである。作業とは、欧州社会運動、社会フォーラムや抵抗闘争への多かれ少なかれ調整された介入を発展させ、綱領的結束を発展させてそれを一連の共同マニフェストの中で取り上げることである。この作業の継承物が来るべき年月に社会的運動の、とりわけ社会フォーラムの、セクト的分裂を防ぎ、欧州反資本主義的オルタナティブの構築を一歩一歩続けて行く土台になるだろう。用意はいいか?

 G・バスターはマドリードの雑誌「ビエントスール」の編集委員、エスパシオ・アルテナティヴォおよび第四インターナショナルのメンバーである。(IV誌04年秋号)

(1) 「もう一つのヨーロッパのための反資本主義宣言」(本紙04年6月14日号)を参照。
(2) アイルランドにおける六月末のEU・米国サミットでふたたび示されたように、帝国主義間競争の焦点は「大西洋経済」である。米国の海外投資の利益の五〇%はヨーロッパからのものである。二〇〇二年には、欧州の米国への投資は二兆ドルで、外国投資全体の三分の二を占めた。大西洋貿易額は二〇〇三年には七%成長して三千九百五十億ドルに達した。
(3) ニース条約に従えば、必要な多数は、二十五加盟国のうちの人口の六二%以上を代表する十三か国の支持および欧州理事会における投票の七二%である。したがって、英国、イタリアおよびポーランドは、小国の支持を得て阻止少数を形成することができる。フランス、ドイツ、スペイン、ベルギー、ポルトガルも同様にこれが可能である。


ブラジルの地方選挙--労働者党の敗北

ルラ政権に対する民衆の懲罰

フランソワ・サバド

 今回のブラジル地方選で、十月三十一日の第二回投票の結果、PT(労働者党)は、サンパウロ、ポルトアレグレ、サントス、クリチバ、マリンガ、ゴラス、ベレムの都市を失った。
 労働者党は、すでに第一回投票でリオデジャネイロを失っていた。その代わり、フォルタレーザとヴィトリアで勝利した。確かに、労働者党は第二回投票の結果、一連の中小都市でかなり満足できる選挙結果を得たのだが、サンパウロやリオデジャネイロなどの大都市やとりわけ象徴となる都市ポルトアレグレで敗北した。これは、民衆の多くの層によるルラ政権の政策に対する懲罰を意味する。
 サンパウロでは、地方選の全国的な力の試し合いという意義をもっていた。前市長であり、二〇〇二年のフランスの多元主義的左翼(社会党、共産党、緑)の集会でのアイドル的存在であったマルタ・スプリシーは、四五%の得票率しか得ることができず、それに対してPSDB(ブラジル社会民主党)の指導者、ジョゼ・セーラは五五%以上を獲得した。マルタは、ルラの新労働者党の路線の尖兵の役割を果たしていた。
 われわれは、労働者党指導者のジョゼ・ジェヌイノが言ったように、その敗北を候補者個人の原因にすることはできない。ジェヌイノによれば、「民衆からマルタ候補が拒否された」ということになるのだが。実際には、この選挙結果は、ルラ政府の政策に対する、とりわけ労働者街や庶民地域からの、サンパウロの金属労働者の側からの、懲罰であった。ルラはこの都市の金属労働組合員としてかつてその活動の第一歩を踏み出したのであるが。ジョゼ・セーラ――フェルナンド・ヘンリケ・カルドゾ前大統領の弟子││の勝利は、二〇〇六年に予定されているブラジル大統領選挙への取り組みに向けてブラジル全右翼の極としてブラジル社会民主党を登場させる役割を果たした。
 労働者党はまた象徴的な町、ポルトアレグレをも失った。その町は、世界社会フォーラムの町であり、十六年間労働者党市政下におかれてきた。その町とこの町がある州のリオグランデドスル地方は、労働者党内の社会主義的民主主義派潮流――ブラジルで第四インターナショナルを支持する潮流――の強い影響力のもとにおかれてきた。
 ラウル・ポント候補は、この社会主義的民主主義派潮流の指導者の一人であり、四六・六%を獲得したのに対して、現地の右翼を代表するジョゼ・フォガッサは五三・三%を得た。ラウル・ポント現市長はルラ政府と距離をおく宣言を何度となく行ってきたのだが、有権者はポント候補をルラ政権の政策がもたらしている収支決算と結びつけて捉えたのである。
 選挙戦の真っ最中に、ルラ自身は、世界社会フォーラムをあえてけなすこともためらわず、それを「イデオロギーの大混乱」であると語ったという点を強調しておかなければならない。
 この敗北は労働者党内左派にとってだけでなく、ブラジルの労働運動と民衆の運動にとっても、さらにそれを超えて、もうひとつのグローバリゼーションを目指す運動にとっても手痛い打撃である。ポルトアレグレは、参加型予算のような実験の出生地であった。そこでは無数の労働者と市民が自治体の選択に圧力を行使することができていた。だが、中央政府の緊縮予算と新自由主義政策は、もうひとつの選択を強制しようとする市民の動員に対して勝利をおさめたのである。
 この暗い情勢の中から、喜ばしいニュースも生まれている。労働者党はフォルタレーザ市で勝利した。この町では、ルイジアナ・リンスが、社会主義的民主主義派潮流の支持者の支援を受けて、右翼の自由戦線党(PFL)の候補者、モロニ・トルガンを破って、五六%の票を獲得した。
 この勝利は、労働者党全国指導部とルラが第一回投票で別の候補者を支持したという事実があるだけに、さらに大きな意味をもっている。議員であるルイジアナ・リンスは、政府の新自由主義的改革にも、IMFの命令に屈服するような政策にも反対してきた。彼女は、後退的改革に反対票を投じ、その選挙キャンペーンは労働者党の公式の選挙キャンペーンからは大きくかけ離れた形で展開された。
 今回の選挙結果は、政府の政策に対する左翼のオルタナティブを日程にのせることになった。右翼の躍進と有権者の間に存在する幻滅や政治的混乱は、労働者党全国指導部が決定した路線の結果である。今や、社会の大衆動員を基盤にして、政府の政策に反対するブラジル左翼のすべての勢力を結集する条件を作り出す必要がある。(「ルージュ」、2085号、04年11月4日)


もどる

Back