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欧州連合││正統性の危機                   かけはし2004.11.15号

欧州選挙に表現された左翼オルタナティブの限界と課題(上)

G・バスター

 五月に二十五カ国に拡大したEUは、六月十八日にブリュッセルで開催された首脳会談で新しい欧州憲法を採択した。それに先立って各国で行われた欧州議会選挙は、政権与党の敗北と極右勢力の一定の伸張など複雑な結果をともなった。反資本主義左翼勢力の政治的弱点と課題も明らかになった。米国との関係、EU内部の関係など旧来の政治的枠組が流動化している。筆者はスペインの第四インターのメンバー。

新規加盟諸国の高い棄権率

 二〇〇四年五月一日に中央ヨーロッパを組み込む拡大を行った後、欧州連合(EU)はこれまでにない深刻な危機に突入したように見える。二〇〇四年六月十三日の欧州選挙における、特に新規加盟諸国の非常に高い棄権率は、まさに新しい憲法条約が新自由主義的企図を法律に変えることを提案しているときに、正統性の危機を際立たせた。
 新しい憲法条約は、「古い」欧州と「新しい」欧州を超越するどころか、「共同体方式」を「協力の強化」に置き換え、欧州建設プロジェクトに参加する諸国を、中核部と、自由化された単一市場の名の下に規制を受ける周辺部に永久的に分割するものである。
 市民のヨーロッパという幻想は、市民自身がこのプロセスに背を向け、選挙で大量に棄権し、あるいはリスボン戦略の経済的社会的半改革に反対投票をしたとき、もはやほとんど存続することはできない。プロディが「多くのヨーロッパ人は欧州連合は自分たちの希望をかなえないと考えたのだ、わざわざ投票しなければならない理由がなかったのだ」と言ったのは正しい。しかし、ドイツ建設労働組合委員長のクラウス・ヴィーゼンヒューゲルが「税金を下げると同時に弱者への社会的給付を削減しようとする者たちは、われわれの地区の承認を期待することはできない。問題は、ドイツ社会民主党がその基本的価値を放棄したことだ」と指摘したのも、やはり正しい。

「欧州社会モデル」神話の限界


 ヨーロッパの社会的反乱は、一九九五年のフランスにおける公共部門のストライキから始まり、続いてグローバルな正義のための運動のデモストレーション、多くの加盟国でゼネストや部門別ストライキ闘争、イラク戦争反対の巨大な動員があり、矛盾に満ちた不均等な政治的企図の組み合わせをもたらした。しかし、それは新自由主義的プロジェクトの拒否を表明するものであり、「彼ら」が何者かについての明確な認識を示すものであった。この運動が直面している重大な問題は、「われわれ」を自己認識することが依然としてできていないことである。
 欧州建設のプロジェクトは、冷戦下のヨーロッパ寡頭制と労働組合(社会民主主義またはキリスト教民主主義指導部の下にあった)の間の社会協定の時期に始まり、「欧州社会モデル」の神話の上に設立された。このモデルは民衆的正統性を手に入れ、欧州戦争の恐怖の記憶と「現存社会主義」の政治的社会的貧困に対置されたものであった。この社会協定は、一九九一年のマーストリヒト条約によってヨーロッパ寡頭制の側から公然と破られ、新自由主義的プロジェクトに置き換えられた。新自由主義的プロジェクトはアムステルダム条約(一九九七年)、ニース条約(二〇〇〇年)で形を現し、最終的に欧州条約で法律となった。
 寡頭制の側は、欧州労連(EUTC)の欧州連合指導部(主として国家機構とブリュッセル官僚内部の互選による)にかつて示した社会的政策の「共同体化」推進の展望に代わって、欧州経済に世界市場での優勢な位置を保証し米国および日本に対する競争力を回復するのに必要な構造改革を導入した

棄権・「反欧州」票の流れ

 新自由主義的ヨーロッパの政治的プロジェクトがブルジョア自由主義イデオロギーの核心である市民の権利に反しており、欧州委員会や欧州理事会に体現される賢明なテクノクラートの独裁をもたらすとするなら、欧州選挙にかくも強力に表現された民衆的正統性の危機は容易に理解できることである。
 ルカーチの古い表現を使うなら、第二の世界経済の「(労働)階級自身」(今なお社会的政治的に統一している)が支配的イデオロギー、ヨーロッパ新自由主義プロジェクトの一貫性、当面する利益との一致を疑い始めたのである。戦後社会契約の中で作られた社会的想像力の枠に未だとらわれているが、新しい世代にとってはそれはもはや直接の生きた経験ではなく、一種の制度的な遺物に過ぎない。
 「彼ら」との関係で自己を認識し、「階級自身」になるには、ヨーロッパ労働者は、政治的レベルにおける欧州建設のオルタナティブ・プロジェクトを必要としている。労働者が抵抗闘争を調整することができれば、一時的あるいは部分的に新自由主義プロジェクトを引き戻すことができるだろう。しかし、新自由主義プロジェクトを打ち破るには、オルタナティブな政治的組織を構築する必要があり、力関係を変えることができる選挙の影響力が必要である。
 これらの欧州選挙は、われわれがこのことから未だはるかに遠いところにいることを示した。全体としての左翼オルタナティブは、一九九五年に始まりこの三年間に特に強まった長期の動員のサイクルを、「階級自身」の運動として、独立して表現する票を集めることができなかった。この票は、野党になっている古い政治組織、たとえば、フランス社会党やイタリアの「オリーブの木」によって、あるいは社会自由主義的連立の少数派パートナーたち、たとえば、ドイツの緑の党によって、そしてとりわけ棄権によって、圧倒的に表現された。また、英国や北欧諸国や中欧の場合は、この票は重要な「反欧州的」票として、ほとんどの場合右翼ポピュリズムによって表現された。

岐路に立つ新自由主義的EU

 EUの新自由主義的建設プロジェクトがさしかかっている岐路の戦略的性格については、別のところで分析した。これは、EUが世界市場で競争できるようにし、中欧諸国を統合し、隣接地域に対する地域的権力としての影響力を確立し、自立的外交および軍事政策を確立するために、欧州寡頭制の種々の利害を制度的に明確化する、質的飛躍を必要とするような岐路である。
 これらはすべて、帝国主義間競争の枠組の中では必須の問題である。EUは正統性の基礎を確立する必要があり、このことこそ新自由主義的欧州憲法が果たすべき役割なのである。それにもかかわらず、ものごとは計画通りに運ばなかった。

経済不況が四年目に突入したEU


 第一に、二〇〇一年に始まった経済不況はすでに四年目に入り、加盟諸国政府のマヌーバーの余地を狭めている。ドイツ、フランス、イタリア、ポルトガル、ギリシャ、そして英国で財政赤字が累積し、諸国政府は、リスボン戦略が提案している社会的反改良の第一波を実行しようとしている。
 欧州委員会は、プロディが「とんでもない」と非難した安定協定の守護者に変身し、リストラと赤字削減のリズムを速めるように要求している(失業者数二千百万人、GDP成長率約一・五%)。特に弱い欧州委員会は、ECOFIN(欧州経済・財務相理事会、加盟国の経済・財務担当閣僚で構成)の多数が承認を拒否し、協定の「柔軟な景気循環的」解釈を押し付けたとき、信用を失ったが、この拒否は安定協定の適用の凍結を意味していた。
 ものごとをさらに複雑にしているのは、二〇〇四年第2四半期の経済上向きの兆候が、今やエネルギー価格上昇の持続、米国の利子率上昇、中国経済成長率の鈍化の展望に直面していることである。これらはすべて、世界市場での欧州の輸出マージンを低下させる。欧州の輸出は、昨年度は一一・九%増加した。内部需要は非常に弱いので、欧州経済は前回の不況から本当に立ち直らないうちに、リスボン戦略の適用の決定的段階において、ふたたび不況におちいる可能性がある。

欧州権力と単一市場問題で分裂


 第二に、八か国共同書簡(英国、スペイン、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ポーランド、ハンガリー、チェコのフセイン糾弾共同書簡)の「新しい」親大西洋主義的欧州と仏独枢軸の「古い」欧州の、イラク戦争によって引き起こされた分裂が、五月十四日のスペイン選挙でのサパテロの勝利とイラク問題に関する国連決議一五四六号の共同投票後も終息するどころか、憲法条約をめぐる交渉の最終局面でその構造的性格に関して再び始まった。
 この分裂は、一年近くの間、欧州理事会が重要な決定を行うのを阻害してきた。しかし、仏独枢軸がG8で彼らの中東問題の方針を押し付け、ヘゲモニーをふたたび握ったと思われたとき、英国、イタリア、ポーランドが国内的政治的危機を抱えているにもかかわらず、分裂はさらに力を増してふたたび姿を現した。対立は欧州建設プロジェクトの形態をめぐって噴出した。一つは欧州権力の問題であり、もう一つはヨーロッパ単一市場の問題である。

新自由主義プロジェクトの限界


 第三に、社会的政治的抗議運動がおそらく頂点に達した。この運動のサイクルは一九九五年に始まり、二〇〇三年二月十五日のイラク戦争反対の巨大なデモと、同年五、六月のフランスにおけるストライキの波、ヨーロッパのいたるところ(たとえば、重要加盟国の二つの例を挙げれば、ドイツのIGメタルやVerdi、最近のイタリアでのフィアット・メルフィ)での重要な労働組合の動員で頂点に達した。これらの動員の政治的影響と選挙への影響は、直ちにではないにしても急速に明らかになるものである。
 たとえば、スペインにおける五月十三日の野党国民党本部前での自然発生的デモ、数か月の間に起こったドイツ社民党党員大量脱退、ポルトガルにおける即時総選挙の要求のごとくである。
 これらの三つの要因の絡み合いは、ヨーロッパ新自由主義プロジェクトの限界を示しており、このプロジェクトを危機に押しやっている。欧州選挙、憲法条約の承認、バローゾの欧州委員会の構成の評価も、この光に照らして行う必要がある。(つづく)



コラム
12月14日 派兵期限

 イラクへの第4次派兵部隊として陸上自衛隊東北方面隊第6師団に派遣命令が出され(11月5日夜発令)その一員として福島、郡山駐屯地から約百十人が派遣されることとなった。
 十一月六日福島、郡山駐屯地でそれぞれに激励会が開かれその模様はテレビ、新聞などで報じられた。テレビでは派遣隊長と思われる人が「三月中旬の帰隊までがんばってきます」などと挨拶をしているところがあり、自衛隊の中では(政府を含めて)十二月十四日の派兵期限をまったく念頭においていない命令を出していることがうかがわれる。
 新聞によれば派遣隊員の父親(56)は「絶対行くな」と反対したが、駐屯地から「サマワは砲弾が飛んでこない限り、駐屯地と同じくらい安全」と説明され安心したが、「送り出すとなると、心配です」と不安がっていたとのこと。家族の不安は当然のことと思う。現に自衛隊のサマワの宿営地に先月二回ロケット弾が打ち込まれており、そのうち一回は資材倉庫を貫通したといわれている。
 派遣される隊員はかなり以前に決められてこれまで訓練を受けてきたという。駐屯地が説明した時点では宿営地に対する攻撃にロケット弾は使われていなかったが現在は違う。しかもロケット弾攻撃はかなり遠距離からの攻撃となり防衛は困難と聞く。無人ヘリによる監視を行うことが検討されているようだが、どの場所から打ち込まれるのかわからなければ、監視をしようとしてもできないだろう。攻撃の側のことは何もわかっていないのだから。
 これまで自衛隊はサマワでは歓迎を受けていると報じられてきたが、派兵が長引くにつれ攻撃を受けるようになり、さらにサマワの治安も悪くなり宿営地外の作業が実施できなくなってきている。いま行っている飲料水の給水や、学校の修理、道路の修理などは自衛隊がいなくとも、サマワの一般市民に機器の使用方法を教え、材料、機器などを付与すれば自力での作業ができる内容であると思う。
 日本の報道陣が居られないような治安の悪化したサマワに十二月十四日で期限が切れるにもかかわらず、わざわざ自衛隊の第4次部隊を派兵するなどとんでもない。そもそも自衛隊のイラク派兵はイラクの中でも安全なところに派兵をするとして、サマワの地が選定され、先遣隊が派兵された時点には報道陣もおり、さまざまなことが報道されていた。いまは民間人の香田さんが人質とされ、犯人要求の「四十八時間以内の自衛隊の撤退がなければ殺す」に対し、小泉首相の「自衛隊は撤退しない。テロに屈することはできない」と香田さんの生命を見殺しにした。結果的に香田さんはバクダットで死体となって発見された。また宿営地がロケット弾攻撃を受けるなど、イラク民衆に自衛隊が敵視されるようになってきていると思われる。これらからしても派兵は誤りである。
 第四次部隊の派兵は、米軍を主体とした占領軍がイラクに存在する間、自衛隊を派兵し続けることを意味している。第4次部隊の派兵反対、期限延長を許さない闘いを作り出そう。(高)


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