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 陸では座り込み、海上では船やカヌーで闘う           かけはし2004.10.18号

沖縄の海を米軍基地にするな!

普天間のヘリ墜落現場

今も焼けただれた壁の放射能汚染調査が続く

 九月、沖縄を訪問した。沖縄国際大学では、米軍ヘリの墜落現場を知ってもらおうとパネル展を開催し、広く市民の情報を求めている学生たちの姿を、辺野古沖では座り込みをする市民たちの姿を見ることができた。

住宅地の真ん中
に墜落したヘリ

 沖縄国際大学は、普天間基地のヘリが離発着する脇にある。大学入り口脇からは、校舎が見え、その壁一面にススが滲み、まるで地獄絵のように広がっている。大学構内で職員に話しかけると、事故のことを進んで話してくれた。
 「当日、私は、この(炎上した建物の)近くにいた。ほら、これを御覧なさい(大学当局のバスを指して)。ヘリが墜落したときの破片で作られた傷です。これを弁償するのは、米軍ではなく私たちの税金でまかなうということになっているさ」。
 確かに、ヘリの炎上で車両全体がススで薄汚れているバスの表面に、機体破片の傷跡が不気味なまでに光っている。
 米軍ヘリが墜落した直後、地元の通報で最初に駆けつけたのは消防署員だったという。その後、大挙してやってきた米兵たちは、人命の安否や消火活動を優先するのではなく、墜落したヘリの部品回収のため、消火活動をしていた消防署員たちや大学当局の職員や学生を排除したのだ。さらに米軍は、警察による事件の実況検分を拒否し、学生や市民の抗議行動に対して、武装した米軍が立ちはだかり、ジープを突入させるなど威嚇を繰り返したのである。
 一方で米兵は、機体の破片を回収している最中、校舎の脇にテントを仮設し、学生たちの抗議などにもかかわらず、寝転がり談笑し、トランプにうち興じていたというのだ。まったく事態の深刻さとは裏腹な態度をとり、陣取っていたという。ヘリの破片の中には、放射性物質が含まれており、その回収のために防護服に身を包んだ米兵が作業していた。
 墜落現場から五十メートルにも満たない距離には、住宅地が広がっている。近所に住んでいた中村さんは、当日、親類から「飛行機が近くに墜落する」と連絡があり、慌てて居間にいる生後六カ月になる寝ている子どもを抱きかかえ、必死で逃げたという。その後、ヘリが墜落し、中村さん宅の部屋を突き破り、子どもの寝ていたところまで破片が飛んできたという。親類から連絡がなければ子どもは即死だったというのだ。
 学校にはほとんど人がいなかったということと、中村さんのように危険を察知して避難したから、大惨事にならずに済んだということが、現場に行くとよく分かる。そのことに関して、米軍や政府関係者の中では、ヘリに搭乗していたパイロットが優秀だったとか基地の付近に大学など建てるのが悪いなどということが平気でささやかれているというが、このような欺瞞を決して許してはならない。
 現在では、焼け爛れた校舎の壁はフェンスで囲まれ、放射能汚染などについての環境調査が進められている。また、大学では、自治会を中心とした学生たちによってパネル展が開催されており、当時の写真などを自由に見ることができるようになっている。

海上を浮き輪
でプカプカでも

 名護市辺野古では、連日、海上施設庁のボーリング調査に対して、地元住民たちによる座り込みや海上にカヌーや漁船を出してボーリング調査をさせないための非暴力直接行動が展開中だ。私たちが訪問した時は、休日ということもあり調査もなく穏やか日だったのだが、それでも炎天下の中、地元の住民や沖縄県の教員組合員たちが座り込み、神奈川などからも参加者が来ていた。
 私たちが、座り込みに参加すると、真っ黒に日焼けした人が、カヌーでの闘いの様子を詳しく話してくれる。
 「防衛施設庁が漁船を出して調査に協力しろ、一日十万円くらいの手当てをつけると、札束で漁民をひっぱたいてるの。それでも辺野古や久志の漁師たちは漁船を出さずに私たちに協力してくれているの。海上では本当にすばらしいたたかいが繰り広げられているのよ。施設庁の巡視船が行くと、私たちのカヌーや船が調査船を邪魔するというような攻防が繰り広げられている。非暴力の闘いで、今まで二本のブイがわずかに立てられただけなの。カヌーを操るのができなければ、浮き輪でプカプカと海上に浮いているだけでもいいの。とにかく今、必要なのは、カヌーができる人と漁船を出し協力してくれている漁師さんへの船代なのよ」。
 その脇では、この間の稲嶺県政の普天間基地の米軍ヘリ墜落事故から、調査強行にいたるまでの経過を事務局の方が報告していた。稲嶺県政は、普天間基地の返還には代替案が必要だとし、辺野古沖にヘリポート基地を無理矢理作ろうとしている。現在の調査でも、サンゴのリーフにボーリング調査を五十一本も行うとしているが、このような行為がサンゴの心臓部を突き刺す行為に等しいということが専門家からも指摘されている、という。

おじぃ、おばぁ
たちに連帯を!

 辺野古で座り込みを続け、防衛施設庁の職員の行く手を阻んでいる地元住民たちの多くは、おじぃ、おばぁたちである。連日の酷暑のなか、健康不良を訴えながらも座り込む。まさに命がけの闘いだ。
 私たちが宿泊した民宿では、夜になると座り込みをしていた方々がその宿に来てはいろいろな話題に花が咲く。毎週水曜日になると定例の三線教室があるといって、宿に遊びに来る金城繁さん(三線師範・67歳)もその一人だ。金城さんは、辺野古地区の隣にある瀬嵩地区に住んでいる。生命を生み出す海が人を殺すための米軍基地に変わってしまうとことに反対し、連日座り込みを続けている一人だ。「明日も座り込みにいく。みんなは来るのかい」と金城さんに聞かれ、私たちも行くことを伝えると本当にうれしそうだった。
 この間、ブッシュ=小泉のグローバル戦略は、何を生み出したのか? 片隅で沖縄の基地がなければ楽しく豊かに暮らしていただろうおじぃ、おばぁたちの静かな生活を脅かし続ける。アフガンで、イラクでアメリカが行った空爆、地上戦によって犠牲となり、虫けらのように虐殺された人々と生き残った人々の憎悪しか生み出してはいない。
 沖縄国際大学へのヘリ墜落を許すな!辺野古に駆けつけ、カヌーで陸で闘いに参加しよう!辺野古にお金を!カンパを!(猿田耕作)


鉄建公団訴訟―個別立証始まる
「法廷闘争と大衆運動の結合」で一〇四七人の解雇撤回を


国鉄闘争勝利の
最大の山場に

 鉄建公団訴訟は二〇〇一年一月に訴訟を開始して以来十六回の口頭弁論が展開され、いよいよ正念場の個別立証が十月七日から開始されることになった。原告証人を励まし、原告団・家族と共闘が年末の個別立証終了まで「法廷闘争と大衆闘争を結合して戦う陣形を作るため」十月六日中野ZERO小ホールで「打つぞ鉄建!リストラの原点をあばく総決起集会」を鉄建公団訴訟原告団と国鉄闘争共闘会議の主催で開催し、約二百五十人が結集した。
 司会は女性応援団の大須賀さんとJR職場で戦う国労組合員の山田さんの息子さんで、山田さんの自己紹介は大きな拍手で歓迎された。

日本労働運動
の再生をかけて

 主催者あいさつに立った共闘会議議長の二瓶さんは、現在が極めて重要な局面であると訴えると同時に前日の共闘会議の幹事会決定を報告した。
 二瓶さんは、@裁判闘争を大衆闘争として戦いながら十二月二日の最後の個別立証まで総力で戦うことAまだ訴訟に参加していない闘争団員をオルグしながら建交労や千葉動労争議団と結合し一〇四七人の統一戦線を強化することB決戦状態なので闘争団・家族の参加を強化するため旅費などの資金カンパを集めきることC日本労働運動の厳しい状況を勝利して再生していく、と訴えた。最後に「勝利をつかむために闘い続ける」と締めくくった。
帰すうを決める
最後のチャンス

 次に基調講演に立ったのは鉄建公団訴訟主任弁護人の加藤さんだ。
 加藤さんは「最高裁判決以降、統制処分や生活援助金を切られていても、国労本部に鉄建公団相手に裁判闘争に打って出るよう呼びかけてきた。しかし国労本部は大会で裁判をやらないと決定し、われわれの申し出を拒否した」と報告した。
 「今鉄建公団訴訟は三百人で解決を目指して闘っているが、残る六百人の半分でも合流しなければ、裁判が終わっても鉄建公団は和解に向かって動かなであろう」。
 「その意味でもわれわれは最先端の部隊であり、なんとしても背水の陣を敷き勝利判決を勝ち取らなければといけない」。
 「負けたら本部は『解決破壊』と責任をわれわれに押し付け、勝ったら、それを足場に解決のイニシアチブを取ろうとするだろう」「われわれは国労本部を相手にせずに勝利の展望を切り開いていくしかない」と現局面を提示した。
 そして残された闘争団員を裁判に立たせること、今後裁判に打って出ようとする建交労の取り組みの重要性を訴えた。その上でリストラ、解雇、戦争参加など「日本社会が落としこめられている状況への反撃の拠点」としてこの闘いを位置付け、「数では少数だが、われわれが正義である。帰趨を決める最後のチャンスだ。」と檄を飛ばした。

人に訴える力
と情熱を持って

 その後は沖電気で闘う田中さんのミニコンサートが行われた。田中さんは工場門前の取り組みや株主総会での果敢な行動などのビデ上映を織り交ぜながら、闘う者の、人に訴える力と情熱と敵を恐れさせる力強さを込めて、「私の哲学」と題したトークと歌で「人らしく生きよう」と会場に高らかに語りかけた。

大同団結なし
に勝利はない

 連帯のあいさつは昭和シェル労組と全動労争議団の仲間からだ。全動労の仲間は、争議団に至った経過と自己紹介を「一カ月の東京常駐オルグが十五年になってしまった」ユーモアを交えながら述べた。
 そして八月建交労臨時総会で鉄建公団相手の裁判を開始することを決定したこと。その後の中央執行委員会で「難しい面もあるが」十月末か十一月には始めると発言した。さらに本人は一日でも早い裁判開始を望んでいたこと、「一〇四七人が大同団結しなければ勝利はない、という想いで闘ってきた」と静かに、しかし確信に満ちた言葉でその決意を語った。

闘いの輪がう
ねるための火

 証人の決意表明では、一番目に一九九〇年の二度目の解雇時に国労本部書記長だった宮坂要さんが、十数年前の資料を読み直し、民営分割と採用差別は「卑劣な国労攻撃だとひしひしと感じた」と述べた。そして家族の大変さは「なまじっかなものではない」と想いを寄せ、明日の証言での決意を述べた。
 そして翌日の証言に立つ原告と第二期日の証言に立つ原告の中の四人が演壇に上がった。発言した二人はそれぞれ「今、帯広ではストーブに火をつける。これからが熱い闘いだ。闘いの火をつけたい」「十八年間の想いを裁判所に訴えたい。本部の決定は残念だ。闘いの輪がうねりになっていくという想いでがんばる」と燃える決意を宣言した。
 その後、闘争団に会場カンパの贈呈があり、最後に酒井原告団長の団結がんばろうで集会を締めくくった。
 翌日から十二月まで個別立証段階の裁判闘争という局面が始まった。原告団と弁護団は何が何でも勝利しようという決意をみなぎらせている。
 国労本部がどこを向こうが足を踏みつけようが、法廷内外の取り組みで鉄建公団訴訟に勝つことが一〇四七人の解決を生み出すこと、崩壊する日本労働運動再生の第一歩であることを確信している。全力で鉄建公団訴訟に勝利する取り組みを闘い抜こう。(蒲田宏)
裁判日程と集会予定
b十月十八日、十一月四日、十二月二日いずれも東京地裁一〇三号法廷。傍聴券締切りは九時四〇分。報告集会が十月十八日「NOナカソネ! NOコイズミ こんな日本に誰がした」。午後六時三十分シニアワーク
b十一月四日、「たたかいは今、女たちにシフト」。午後六時三〇分全水道会館五階
b十二月一日鉄建公団勝利全国総決起集会(仮称)。午後六時三〇分〜日比谷野外音楽堂、デモ
b十月三十一日団結祭り、亀戸中央公園
 十月七日東京地裁で鉄建公団訴訟の裁判があり約二百人が傍聴闘争に結集した。
 一回目は九〇年、一〇四七人が清算事業団から解雇された当時の、国労本部書記長だった宮坂要さんの証言、そして北海道闘争団原告二人と九州闘争団一人の個別立証だ。
 宮坂さんは本部書記長としての役割から民営分割による国労潰しと激しい採用差別の事実を、主尋問を通し、そして反対尋問への反論を通して詳細に展開した。また原告の三人はいずれも鉄路が好きで国鉄に入り、まじめに働き、労働条件改善のために国労で闘い、そのことが不採用にいたった経過を述べた。
 国労を脱退した者はすべて採用されたが「国労のままなら採用されないぞ」と言う脅しにも屈せず、国労組合員でありつづけたこと、清算事業団管理者の陳述書にある就職斡旋のうそとでたらめさを告発し、地労委救済命令を履行することを主尋問を通し訴えた。
 鉄建公団側代理人による反対尋問は聞くに堪えない偏向に満ちた全く一方的なもので、差別と反労働者的扱いを受けた者のはっきりとした記憶と事実の反論によって打ち砕かれた。
(10月7日 蒲田宏)

【訂正】前号1面小泉改造内閣批判論文5段1行「資本主義を」「資本主義に」に、同6段3行目「願望が」を「願望を」に、2面辺野古・東京集会記事1段10行目「施設庁」を「施設局」に訂正いたします。


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