もどる

JR側の「やり得」はもう許さない!                かけはし2004.10.11号

鶴見駅不当労働行為事件で国労に画期的勝利判決



計画的挑発で傷
害事件をねつ造

 九月二十七日、東京地裁で鶴見駅不当労働行為事件の行政訴訟裁判の判決があり国労側が緊急命令を含む画期的勝利判決を勝ち取った。
 この鶴見駅不当労働行為事件とは、次のような経過であった。分割民営化後も続く激しい国労潰し攻撃の最中の一九九〇年十一月、踏み切りで一人勤務についていた内藤さんに主席助役が「バッジをはずせ、彼女はいるのか、いつまで一人でいるのか」などやセクシャルハラスメント暴言など人格を無視した挑発的言動を繰り返し、怒った内藤さんともみ合いになった。直後、計画していたかのように多数の管理者を踏み切りに集め、駅長室に缶詰にして不利な自認書を強要した。そして「傷害を負わせた」との理由で不当な懲戒解雇処分にした。また事件を前後して分会三役を強制配転、合わせて「分会潰し」の不当労働行為と救済命令を申し立てた事件である。
 地労委、中労委ともに内藤さんの懲戒免職無効と不当配転の二人を原職復帰せよとの救済命令を交付した。しかし二〇〇三年、JRは中労委の救済命令の取り消しを求めて行政訴訟を起こした。けれども東京地裁(難波裁判長、鉄建公団訴訟の裁判官でもある)はJRの請求を却下する判決を行い国労側が勝利したものである。不当解雇、不当配転から十四年、ついにJRから勝利をもぎ取ったのだ。
 判決は内藤さんには原職復帰と未払い賃金の支払い、ベンディング(清涼飲料水の販売)に不当配転された二人には、原職または原職相当職に復帰させることを命じた。その上「団結権侵害が著しく進行し、回復困難な損害が生じる恐れがあると認められる」として緊急命令の必要性も認められた。(判決を実行しないと請求によって一日十万から三十万の科料が科せられる)
 直後の報告集会で内藤さんは「これからは判決を実行、実施させることが重要」と語り、またベンディングに不当配転された二人は、それぞれ「対等平等な労使関係を築いていく契機になれば」「こんないい判決が出るとは思わなかった。ベンディング職場など国労敵視の労務政策の転換を求めこれからも戦い続ける」と喜びの声を上げた。

十数年の差別に
誰が責任を取る

 この判決を前にして九月十六日、国労東日本本部(エリア本部)は中央労働委員会に係争中であった東日本エリアの「配属差別十三事件」のうち「高崎配属・配転差別事件」を除く十二事件の一括和解を強行した。
 地労委救済命令による救済対象者は十三事件で六百八十四人だが十六年の経過の中で退職などによる救済対象者が年々減少してきた。その理由は会社が謝罪や不利益扱いを是正することなくさみだれ的に、原職ではなく「通常の人事異動」という形で原職相当職に配転し、エリア本部も黙認、闘いを風化させてきた点も大きいといえる。また中央労働委員会がその責務を放棄し、十数年も命令を引き伸ばすことによって問題を先送りにしてきた責任も重大といえる。
 東京七電車区配属差別事件が初審命令を反故にするに等しい「通常の人事異動」と言う形で東京地裁で和解が成立、収拾してしまってから、エリア本部は「会社のやり得で終わっていいのか」「十数年間の差別、不利益扱いはだれが責任を取るのか」と言う声を無視して和解作業を進めた。そして結局十二事件について東京地区では、ベンディング廃止計画を含む会社の施策展開の中で事件解決?(廃止に伴う転勤で終結)を予測させる方向で両者は和解した。

勝利判決が引き起
こす衝撃・波紋

 このような一括和解の背後にあるのは「四党合意」路線と同じ国鉄闘争の収拾方針である。会社との係争事件を和解で解消、採用差別事件の解決を切り離して新たな労使正常化を図ろうとする展望である。しかし差別も不当労働行為も職場ではなくなってはいないし、継続、増大しているとさえいえる。
 しかし今日の国労上部機関による和解偏重の流れの中で救済命令の履行を求め闘い続けた鶴見駅不当労働行為事件の勝利は、会社に大きな衝撃を与えると同時に国労内部にも大きな波紋を引き起こしている。
(10月1日 蒲田 宏)



福島県母と女性教職員の会
渡辺修孝さん(
米兵・自衛官人権ホットライン
講演が230人で成功

 【福島】九月二十五日郡山市で、福島県教組女性部主催の「第三〇回福島県母と女性教職員の会」が開かれ、午前に講演会、午後に分科会がもたれた。
 講演会の講師は、元自衛官で「米兵・自衛官人権ホットライン」の一員としてイラクに派遣され、調査・取材活動中のこの四月、イラクのレジスタンス勢力に「誘拐・拉致」された渡辺修孝さん。関心は高く、教職員や保護者のみならず、一般市民も多数訪れ、予定を大幅に上回る二百三十人が参加した。
 渡辺さんは「サマーワのセメント工場は破壊されたまま。失業率は高い。イラクの人々が望んでいるのは自衛隊ではなく継続した仕事」「自衛隊の雇用は日銭払い。人道復興支援とは程遠い」「軍隊とともに民間会社が戦争に参加しているのがイラク戦争の特徴」「自衛隊のガードも民間警備会社が行っている」「自衛隊員は参加希望が取られるが拒否するのは難しい」「自衛隊員や家族が本音を言えるように活動を進めていきたい」などと淡々と語った。「自分らがイラクで拘束されたのは憲法に違反して自衛隊を派兵した日本政府の責任だ」として行っている損害賠償請求裁判について渡辺さんは報告した。講演後、渡辺さんの著作『戦場イラクからのメール』『自衛隊のイラク派兵―隊友よ殺すな!殺されるな!』(共著)の販売とサイン会が行われた。
 午後からは「いじめ・不登校」「学力と進路」「食教育」「「憲法・教育基本法・平和」「性の問題」の五つの分科会で討議が行われ、最後に全体会で「自衛隊イラク派兵の中止を求める特別決議」などを採択して終了した。(N)



投書
高島義一の自民党改憲案
分析をもっと広めたい

長野県 たじま よしお

「かけはし」論文
を地域で配った

 自民党は「憲法改正」に向けた布石として六月十日に「論点整理」を出してきました。これに対して「かけはし(七月二六日)」は高島義一論文「『九条改憲』だけではない」で批判しています。これが高島(本名・右島一朗)の最期の稿となった訳です。
 これを長野県の最南端の「地図にないむら」の仲間たちに配布しましたが、正直云って少しためらいを覚えたものです。右島さんはきっての理論家で、危機感を煽るために論理を飛躍させるような人ではないことはわかっていましたが、いくら自民党でもそこまでやるだろうかという気持ちも拭うことが出来ませんでした。それと日頃党派の機関紙などに触れることのない人はいささか違和感を感じるのではと思ったりもしました。
 しかしこの「かけはし」というのは一九七八年三月に、あの成田空港の管制塔を占拠・破壊した日本革命的共産主義者同盟の機関紙であることなど、これまでに何度か皆に紹介してきた経緯もありましたので、思いきって高島論文を配布したのです。それと九月十二日に「憲法九条を守り広める飯伊の会」の結成集会がありましたので、「かけはし」編集部から「論点整理」の本文を送って頂きマスプリして配布しました。この「飯伊の会」というのは「下伊那郡の会」という意味になります。私はこの会の代表呼びかけ人ということになっていて急遽時間を作ってもらい「論点整理」について発言しました。

「9条どころの
騒ぎじゃない」?

 まさに晴天の霹靂と受けとめた人もいたようで、集会が終えてから面識のない方から「自民党もとんでもないものを出してきたものだ」など声をかけてくるということもありました。この「飯伊の会」というのは「九条の会」に触発されて結成されたようですがさて、「九条の会アピール」は皮肉にも自民党が「論点整理」を出して翌日の六月十一日に発せられているのです。それを熟読した上でしたら、もっと別のアピール文になっていたであろうにと、とても残念に思えてならないのと、やはりこの際アピール文を書き替えるくらいの柔軟性が求められると思いますが。
 さてこの間、自民党の「論点整理」と民主党の「中間報告」についての感想をまわりの人たちに求めますと、それらのあまりのひどさに「憲法九条どころの騒ぎじゃない」と大概の人が怒りだすのです。勿論言葉には気を付けたほうがいいとは思いますが、その怒りは無条件で支持したいのです。
 そしてあの「高島論文」の大見出しは「『憲法九条』だけではない」となっていましたが「憲法九条どころじゃない」としたかったのではないかと、どうしても思えてくるのです。ご本人が亡くなった今となっては確かめる術はありませんが、八月二十三日の中央委員会書記局による追悼文にも彼は「『論点整理〈案〉』に示される反動的な国家・社会支配構造の再編との闘いに全力を注がねばならない」と強調していたとあります。私もそのことに共鳴するとともに、自分の住む地域の人々の反応から、この「論点整理」に的を絞った全国的なネットワークの研究会を組織すべきではないかと思うのです。そんことで私もホームページを開設しようと考えているところです。9月29日



投書

「ユーリー・ノルシュテイン
の世界」で私が感じたこと

                  S・M

エリュアールの詩
とレーニン演説

 八月にラピュタ阿佐ヶ谷で「ユーリー・ノルシュテインの世界」(のAプログラムとBプログラム)を見た。ロシアの映像詩人ユーリー・ノルシュテイン監督他の短編アニメーション作品集を見た。「ユーリー・ノルシュテインの世界」のチラシによれば、Aプログラム(「キツネとウサギ」「ひとりぼっちのカバ」「愛しの青いワニ」「お姫さまと怪人」「マルティンコの奇跡」「犬が住んでいました」「霧の中のハリネズミ」。計七作品)は親子向きで、Bプログラム(「ケルジェネツの戦い」「25日―最初の日」「アオサギとツル」「話の話」。計四作品)は大人向きと紹介されている。
 この作品集を見て、(それが人間にとって大切なもののすべてではないかもしれないが)人間にとって大切なものとは何か、をぼくは考えさせられた。ノルシュテインは、「人々のとても友愛に満ちた眼差しに出会ったり、一緒に食卓を囲んだりする仲間たちがいる」ことが人間にとって大切であるというようなことを語っている(『シネ・フロント』二〇〇四年六月号、七ページ)。
 才谷遼さん(ふゅーじょんぷろだくと代表/ラピュタ阿佐ヶ谷支配人)は、「先日、ノルシュテインさんのトークショーを開いたのですが、そのときに、図書館司書をしている若い女性が『子どものときに、私は見たかった』と言った言葉が、ぼくのなかで響いているんですよね」と語っている(『シネ・フロント』二〇〇四年六月号、一五ページ)。シナリオはそんなに良いとは思わなかったが、自然の描き方が凄い、とぼくは思った。作品集の中で、ロシア革命最初の日を描いた「25日―最初の日」(A・チューリンとの共同作品)と、戦争批判が含まれている「話の話」が、特にぼくの印象に残った。
 ロシア革命最初の日を描いた「25日―最初の日」(一九六八年)について、浜田佳代子さんは、「これは、ロシア革命が起こった1917年10月25日を描いた作品だ。後半、突如として当時の実写フィルムに変わり、レーニンの演説が流されるが、これはノルシュテインたちが意図したことではなく、当局の要請によるものである。ノルシュテインとチューリンは、レーニンの演説ではなく、フランスの詩人ポール・エリュアールの『兄弟たちよ』と呼びかける詩を入れる予定でいた。しかし、当局は、ロシアの民衆がバリケードを築いて成功させた革命を、なぜ、エリュアールの詩でしめくくらなければいけないのかと怒鳴ったそうだ」と述べている(『シネ・フロント』二〇〇四年六月号、二〇ページ)。
 ノルシュテインは、「25日―最初の日」について、「レーニンの演説そのものは正しいことを言っているので、否定するつもりはありません。ただ私自身は、あの場面は別のことを考えていました。それは実現できませんでしたが、私としては妥協を最小限にするということを最大限にやったつもりです」「まだ若かった私が妥協を最小限にした作品を、ぜひそのまま見てください」と語っている(『シネ・フロント』二〇〇四年六月号、六ページ)。「レーニンの演説のシーンは良い」と、何も知らなかった・ぼくは思ったが、ポール・エリュアールの詩だったらどうなっていたのだろうか。
 ぼくの勘違いでなければ、Aプログラムの最初の方の作品に「精神障害者」を差別するような表現があった。それが残念だ、と思った。
 なお、ラピュタ阿佐ヶ谷では、『きりのなかのはりねずみ』『きつねとうさぎ』(以上、福音館書店)『アオサギとツル』(未知谷)などの絵本や『ノルシュテイン氏の優雅な生活』『ユーリ・ノルシュテインの仕事』(一〇〇〇円+税)『世界と日本のアニメーション ベスト150』(以上、ふゅーじょんぷろだくと)などの本が売られていた。また、『ユーリー・ノルシュテインの仕事』(ふゅーじょんぷろだくと)という「本格的」な本(通常版は八五〇〇円+税)も売られていた。
 才谷遼さんは、『ユーリー・ノルシュテインの仕事』について、「『外套』の製作を助けるために本を作りましょうということで」、出版した、という意味のことを語っている(『シネ・フロント』二〇〇四年六月号、一四ページ)。なお、ゴーゴリ原作の「外套」は、ノルシュテインが二十数年の歳月をかけて制作中の作品で、テレビで放送された「未完の大作アニメに挑む」(一九九八年七月十五日、NHK教育テレビ)という番組の中でも紹介されている。(04年9月10日)


もどる

Back