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「国史」の束縛を脱ぎ捨てよ              かけはし2004.09.6号

「歴史戦争」を再生産する東アジアの歴史認識の問題点


 1992年、ブダペストのある講演で20世紀を代表するマルクス主義の歴史家ホブスボーム(Eric J.Hobsbawn)が、歴史学は核物理学にも劣らない危険なものとなりかねないという遅ればせの悟りについて話したことがある。すべての歴史家は予期せずに政治家となるためだというのが彼の弁だった。単に歴史学界ばかりではなく、権力の場や市民社会を熱くしている東アジアの歴史戦争は北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)の核武装や日本の再武装に劣らず東アジアの平和体制を脅かすというのも同じ脈絡からだ。

葛藤の触媒とし
て作用する歴史

 過去についての利害をめぐる対立や葛藤の底流には事実上、現在の国家間の対立や葛藤が隠れているからだ。タイオユ・尖閣列島をめぐる日本、中国、台湾の葛藤、クリル・千島列島をめぐって繰り広げられているロシアと日本の神経戦、独島・竹島をめぐる韓国と日本の長きにわたる領土紛争などが歴史戦争の政治的背景なのだ。
 それゆえ、日本の「新しい歴史教科書」の波動から始まり、中国の「東北工程」(注)によって一層、激しくなった東アジアの「歴史戦争」は過去の歴史的実体を事実的に究明したとしても解決できる性格のものではない。各国は、それぞれ問題となっている領土についての自分たちの領有権を裏付ける各資料を引用しているからだ。
 この論争において歴史は解決策ではなく、葛藤を誘発し増幅する触媒の役割を果たす。タイオユ・尖閣列島や独島・竹島は熱烈な民族主義者たちが、ときおり国旗を掲げて上陸するハプニングを繰り広げるばかりで、自然的な居住民のいない無人島だ。どの国もその領土に居住している住民たちの文化的結びつきを主張する現実的根拠はないのだ。
 したがって、そこが「わが国固有の領土」だとする各国の主張は過去の歴史との関連の中でのみ正当化されるにすぎない。このとき歴史学は領土紛争の学問的先兵として服務する。ヨーロッパの歴史戦争においてもしっかりと持ち出されたように、しばしば考古学の役割もまた無視できない。多くの場合、「歴史的真実」は歴史戦争の政治学を学問の名によって、あるいは真実の名によって隠ぺいするだけだ。
 歴史戦争の最大の認識論的特徴は、近代国民国家の主権の概念が、はるかな過去に概念的に介入するという点だ。現在の中華人民共和国の領土を中国史の空間的範ちゅうと規定する中国の公式的歴史認識は、その代表的な例だ。韓(朝鮮)半島の北部にも一部かかっていたものの、満州の大部分を占めていた高句麗を中国史の一部に編入しようとする「東北工程」の試みも同じ脈絡から理解できる。
 これに対して韓国の歴史学界の主流は文化的、形質的連続性を根拠として高句麗史を韓国(朝鮮)史の一部だとして強く反発する。韓国歴史学界や市民社会の主流は歴史的伝統の継承を強調する「歴史主権」の観点を取っている。中国の「国家主権」的観点に比べれば韓国の「歴史主権」的観点は、近代国民国家の視角をはるかな過去にそのまま投影する時代錯誤主義からは多少は自由なように思われる。
 だが独島と尖閣列島などの領有権をめぐる論争において見られるように、「歴史主権」は、この島々に対する「国家主権」を正当化する論理へと直ちに飛躍する。「故土収復(失った土地を取り戻す)」を叫びつつ韓国の主権を満州地域にまで広げようとする一部の極端な民族主義者たちの主張も、せんじつめて見れば「歴史主権」を根拠としている。過去に対して「国家主権」に固執する中国や、これに対して「歴史主権」を主張する韓国もともに近代国家の「国境」概念を歴史の「辺境」にかぶせるということでは同じだ。
 地図の上にコンパスと鉛筆で確実な線を引き決定される近代国民国家の「辺境」とは違って、歴史の「辺境」は単一の線を横切って出入りする複数の点が散らばっている。辺境は異質の言語や文化、風習などを持つ多様な種族たちが出会い、疎通し、交流しつつ互いに異なる文化の架け橋となりもし、また時には多様な文化が混合したダイナミックな独自的共同体を形成する空間だ。高句麗の歴史が持っている意味も、韓半島と満州、大陸の互いに異なる文化と種族などが混合し作り出した多様性と躍動性、そしてそれが大陸と韓半島に及ぼした影響力にあるのではないのかと思う。

「国境」から「辺境」を救い出せ

 高句麗の歴史を中国史や韓国史のどちらかに帰属させるのではなく、中国人でも韓国人でもない高句麗人たちを歴史的に復権させ、彼らに返さなければならない理由が、ここにある。
 徳川幕府の家臣にして朝鮮王の臣下だった対馬領主と、その島の過去を日本史から救出し、東アジアの文化を豊かにした「辺境」の歴史として復元しようというのも同じ脈絡からだ(韓国史に含めるべきだとの主張として誤解なさらないように!)。自身に慣れきった地域の過去が自己の民族だけの独占的所有物だと考える態度こそが、東アジアの歴史認識が持っている大きな問題なのだ。「過去は外国」なのだ。
 中国の「東北工程」や日本の「新しい歴史教科書」が含蓄している彼らの民族主義に対する韓国の学界主流や市民社会の対応は、われわれの民族主義だった。19世紀ドイツの文献学的伝統やランケなどの実証史学が、すでにドイツの歴史を発明し、すべての国の国史を創造することに寄与したということはよく知られた事実であるにもかかわらず、韓国の歴史学界が反論として提示した歴史的実体や真実は、いかに客観性や科学性によって包み込もうとも韓国の民族主義的歴史解釈を正当化する論理として受けとめられざるをえなかった。
 日本の「新しい歴史教科書」を支持している「産経新聞」が、日本の右翼修正主義の歴史家たちは韓国の国定歴史教科書を見習え、との社説を掲載したとき、すでに韓国歴史学界の民族主義的対応方式は事実上、戦略的破産を宣告されたのだ。日本の「新しい歴史教科書」より、さらに強い民族主義的色彩を帯びた韓国国定教科書の解釈が歴史的事実だという主張は国内では通用するかも知れないが、対外的には説得力を持てないものだった。
 何よりも東アジアの民族主義は互いが互いを排除し他者化するという点において、現象的には激しく鋭く衝突するが、思考の基本的な枠組みやイデオロギー的な戦略においては共有しているのだ。韓半島の民族主義、あるいはその歴史的解釈に対する批判こそが、逆説的に中国の「東北工程」や日本の新民族主義の歴史学に対する根源的な批判となり得るというのも、そのような脈絡からだ。
 東アジアの民族主義が結んでいる敵対的共犯関係の隠ぺいされた現実を直視するならば、韓国の民族主義に対する批判が、彼らの民族主義の前でわれわれの民族主義を武装解体させるという単純な論理は、もはや現実の批判に耐えぬくことはできない。韓国の「国史」を正史とし、中国や日本の「国史」は間違いだったとの主張は説得力がない。高句麗に局限してみるならば、「国境」から「辺境」を救い出すことこそが、中国の「東北工程」に対する最も辛らつで鋭い批判の武器であることを認識する必要がある。
 韓国社会において、いささかの余地もなしに当然視されている「国史」は、用語からして日帝のものでもあるが、それはともかく民族と国家を歴史の主体であり発展の頂点とみなすことによって、市民社会の歴史意識を民族主義的に規律する効果的な権力の道具だ。「国史」のパラダイムにとらわれている限り、東アジアの歴史学は権力の必要に応じて、画一的「国民」主体を作る規律権力の道具として作用するだろう。
 
国史の解体と歴史学の民主化

 韓国、北韓、中国、台湾、日本など東アジア5カ国で同時多発的に「国史」を解体し国家のくびきから歴史学を民主化するとき、東アジアの民衆連帯と平和体制が可能なのではないか、と思う。市民社会の歴史意識が民族主義的に規律化されている限り、歴史戦争は素材と形式を変えながらも絶えず持続され、それは再び東アジアの民族主義の敵対的共犯関係を強化するだろうからだ。(「ハンギョレ21」第523号、04年8月26日付、イム・ジヒョン/漢陽大教授・史学科)




大韓民国の真相究明悲劇的な国家の誕生

 注 「東北工程」は中国の歴史研究プロジェクトで、中国・東北地方の歴史見直しを推進している。核心は高句麗も中国史の一部で高句麗は古代中国の一地方権力にすぎなかったという点にある。本紙04年3月22日付を参照。
 59周年の8・15慶祝記念のあいさつでノ・ムヒョン大統領は過去史の真相究明のための特別委員会を国会に設置することを提議した。大統領の意志がどの程度なのかは、いいかげんには言えないが、「国家権力による人権侵害と不法行為」までも含む真相究明が必要だとの言及を額面通りに受けいれるならば、まさに一層深化した過去史の真相究明のための意味ある進展が期待されるところではある。だがそれは簡単なことだろうか。

妨害と隠ぺいよりも大きな難題

 キム・デジュン政府の時節、疑問死究明委と民主化運動補償審議委が設置され、済州島4・3抗争被害者の恨みを晴らし恥をそそぐ問題が具体化したのも大きな進展だったし、キム・ヨンサム政府の時代に光州聴聞会が開かれてチョン・ドゥファン、ノ・テウ大統領が拘束されたのもまた歴史的なことだったと言える。
 けれども、このような政府の過去史への真相究明のためのさまざまな試みは、いつも何か尽くしきれないものを残して、急いで縫合されてしまった。なぜなのか。真相究明を阻んでいる何かが、いつも強力に存在していたためだ。
 それは過去の政府自体が間違った過去の歴史に大なり小なり関わっていたという点、過去の犯罪者たちが当時の状況においても政界、言論界、文化界、経済界などで、あまねく強い影響力を行使していたという点が責任者の処罰や謝罪はもちろんだろうが、真相の正しい究明や歴史的評価のための資料の入手や確認さえも困難にしたからだ。
 けれども、これよりもさらに大きな原因は、われわれのいわゆる「過去史」は踏み込んで行けば行くほど妨害や隠ぺいの試図を通り越した、さらに大きな難題にぶち当たることになるという点にある。ここには大韓民国という一国家のアイデンティティー問題が横たわっているからだ。
 民主化運動補償審議委が第3共和国時代の大統領3選改憲反対運動をその審議対象とみなしている点は、それがゆえに示唆的だ。5共や維新時代の反軍部独裁民主化運動の過程での諸問題は、現存する加害勢力の妨害さえ適切に制圧できるならば真相究明や責任者の確認および謝罪(処罰には至らないまでも)までは、いくらでも「民主化運動」の名によって押し出していけると思う。けれどもさらに以前にさかのぼっていけば問題は簡単にいかない。
 時あたかも数日前、韓日協定の過程の真実を新たに入手した秘密文書を土台として再追跡した、ある放送社の8・15特集番組で、日帝の植民地支配についての賠償が「補償」、「請求権」へと変わり、ウヤムヤになったその過程に米中央情報局(CIA)の決定的介入があったという事実が「一部」明らかになった。
 もう少しさかのぼってみよう。いまでは歌集のネタにすぎない4・19直後のイ・スンマンの下野についての米国の介入問題もさらに越して、韓国(朝鮮)戦争中に米軍がしでかした数多くの民間人虐殺問題もまたしのびないが、これも通り越そう。そして、われわれの視線を解放の政局に固定しよう。
 占領軍として進駐した米軍政は南韓の唯一の権力機関として自任し、臨時政府の要人たちを単に個人の資格でのみ入国させた事実、親日官僚らを行政機関にそのまま留任させた事実、南労党はもちろん、中道主義の諸政派までも弾圧し、大邱から始まった10月抗争、済州島で起きた4・3抗争など当時の民衆の民主的な抗拒の数々を無慈悲に弾圧し結局、親日派を背にしたイ・スンマン政権を据えた事実……。
 おそらく民族分断を含めて、われわれが知っている「真相究明」が必要なすべての過去史は、この歴史的諸事実のページの間にすべて隠れていることを知ることになるだろう。集団虐殺、要人暗殺、法殺、テロ、クーデター、投獄、拷問、追放……。これらのすべてが解放政局での裏切り者的イ・スンマン政権の樹立の過程の中に入っており、このときから5共政権に至るまでの、すべての隠された諸「事件」が始まっていたのだ。

簡単な歴史的事実の確認へ

 今日、大韓民国はわれわれにとっては、どのみちその中で生きていくほかはない宿命だけれども、そのルーツは栄光に満ちてもいず、健康でもない。大韓民国は米軍政と親米派と親日派と政商どもが建てた国だった。本当の過去史の真相究明は、この簡単な歴史的事実の確認へと結びつかざるをえないし、この事実に達することのできない真相究明は、すべてインチキだ。
 けれどもここまでさかのぼっていくことができさえすれば、これからの大韓民国は本当に偉大な国の班列にのぼることができる。はたしてノ・ムヒョン政権の過去史究明の意志は、どこまで行き着けるのだろうか。(「ハンギョレ21」04年8月26日付、キム・ミョンイン/文化評論家『黄海文化』主幹)


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