もどる

イギリス                              かけはし2004.09.27号

RESPECTが地方議会補選で勝利

2005年の総選挙に向けて重要な第一歩を踏み出す

                          浅見和彦(大学教員)

 イギリスの労働党外左翼、RESPECTが地方議会補選で初めての勝利を獲得しました。
 今年一月に結成されたRESPECTは、六月十日の欧州議会選挙・地方議会選挙で議席獲得には至らなかったものの、ロンドンとイングランド中部などで善戦・健闘していました(本紙七月十二日号参照)。その後、七月二十九日、ロンドン市東部のタワー・ハムレッツ区議会の補選で、RESPECTのオリ・ラーマン候補が自由民主党や労働党の候補を大きく引き離してトップに立ち、議席を獲得しました。RESPECTとして選挙闘争をたたかい、当選したのは初めてのことです。
 また、労働党地方議員が労働党から離脱し、RESPECTに加入する動きが出てきているため、RESPECT所属の地方議員はラーマン氏を含め、すでに五人に達しています(*)。
 さらに、七月十五日におこなわれた二つの下院議員補選でも、レスター・サウス選挙区で得票率一二・七%、既成三政党(労働党・保守党・自由民主党)に次ぐ第四位となり、またバーミンガム・ホッジ・ヒル選挙区でも得票率六・三%、第四位になりました。九月九日にも、タワー・ハムレッツ区議会の二度目の補選があり、ここでは保守党候補が当選したものの、RESPECTは労働党を押さえ次点となりました。
 このため、二〇〇五年にも予想される総選挙(下院議員選挙)では、小選挙区制の下で、ロンドン市東部の選挙区をはじめ、いくつの選挙区においてRESPECTが当選する可能性のあることが、労働党や保守党の関係者から指摘され始めています。
 現在三千三百人のメンバーを擁するRESPECTは、十月三十日から二日間の予定で全国大会を開催することを発表し、そこで決定される方針に関心が向けられています。

(*)労働党外の左翼勢力では、社会主義党(SP、旧「ミリタント」の主流派)がイングランド中部のコベントリー市議会で二議席を、また独立労働者階級協会(IWCA)がオックスフォード市議会で三議席をもっています。
 IWCAは左翼党派のレッド・アクション(RA)が中心になって一九九五年に結成した政治団体です。RAは一九八〇年代初頭に社会主義労働者党(SWP)から離れた労働者メンバーが一九八二年に創設した党派で、旧ソ連邦の崩壊などを「社会主義の失敗」「社会主義の死滅」と総括しています。SWPの「国家資本主義論」とは異なった把握をしていて、自らを「非社会主義的」左翼と規定しているようです。




テレビ時評
モルドバ共和国の現実――
EUの東欧への拡大の陰で広がる児童人身売買産業

あらゆる形態の人身売買に対応する法案の実現を!


人口四百万人のうち三分の一が出稼ぎ

 八月三十日早朝五時二十五分から、東海テレビ「テレビ寺子屋」で、ユニセフ大使のアグネス・チャンが、世界で人身売買が最もひどい国の話をした。
 世界で十八歳未満の子ども百二十万人が人身売買されている。モルドバ共和国は、ソ連邦の崩壊によって独立した国だ。モルドバの町並や農村を歩くと自然が豊かで、とても良い国のように見えた。しかし、五%の人が五〇%の富をとってしまうという貧富の差が激しく貧しい国である。四百万人の人口のうち三分の一が外国で出稼ぎをしている。農村では出生届が出されてない、学校にもいけない子どもたちが大勢いる。こうした子どもたちが人身売買のターゲットにされる。
 二十歳になる被害女性の話を聞くことができた。十六歳の時、いつも食べられないから両親はケンカばかりしていた。それがいやになり家出した。町に出ると仕事を紹介してやると斡旋者に声をかけられ、パスポートをもらって一日半かけてモスクワに行った。モスクワではレイプされ、売春を強制させられた。寒いのに薄着で男を誘った。一銭もカネを受け取れなかった。マフィアにはぶたれるなどひどい暴力を受けた。マフィアには、「だれかに言ったら一生国に帰れない、家族も殺される」と脅された。それでも彼女は三回逃げた。しかし、捕まりぶたれた。子どもを身もごり、病気になった。ロシアの友人のところに逃げて、自分で子どもを産んだ。幸い赤ちゃんは大丈夫だった。
 モルドバの生まれたところは保守的な村なので、そのまま帰っても生活できない。ユニセフが毎月百五十ドルの援助をしている。いま彼女は専門学校に通い、自立の道を歩んでいる。彼女は「自分は大変ではない。モスクワにいる仲間が泣いて救出を待っている」と訴えた。ユニセフは、モルドバで千三百人の女性を保護している。

出生届がなく不法滞在で刑務所へ

 もう一人の少女の話。彼女は体が不自由であった。十三歳の時、バス停で「働かないか」と声をかけられた。彼女はポーランドに連れて行かれ、物乞いの仕事をさせられた。稼ぎがあれば取り上げられぶたれた。三年経って、だまされていると気づき、逃げて警察に行った。しかし、ポーランドの警察は出生届が出ていないので、確認しようがないと不法滞在で刑務所に入れられた。その後、両親が見つかりようやくモルドバに戻ることができた。
 アグネスは彼女の生家を訪ねて、貧しいヨーロッパを始めて見た。五人家族で仕事があるのは母親だけだ。それも一カ月働いて三千円ぐらい。家は泥でできていて狭い。暖房がないので寒い。食事は三食ともジャガイモとトマトのスープだけ。ソ連邦時代は電気や燃料も保障されたり、学校にも行けた。崩壊後はなんでもカネがかかる。「命かけてもおカネが稼げるなら、私は物乞いでもやりたい」と子どもは答える。
 アグネスは「子どもを搾取し、買春するおとなが許せない。子どもは売られるために生まれてきたわけではない。人身売買が産業になってしまっている」と指摘した。さらにアグネスは、「EUで最高水準の賃金をもらっているデンマークとモルドバでは百倍の差がある。EUの東欧への拡大が伝えられるが、旧ソ連・東欧の陰で何が行われているか知ってほしい」とし、最後に「カネ持ち国である日本は人身売買を行う可能性がある国だ。人身売買阻止の法律を作らなければいけない」と訴えた。
 アグネスがふれた「人身売買阻止法」とモルドバ共和国がかかえる問題について、理解を深めるために資料を掲載する。偶然見たテレビ番組であったが重要なテーマを扱っていた。(滝)




人身売買の法整備について

 日本の性産業で働かされている外国人女性はおよそ十五万人。これらの女性たちは各国で募集され、その後、契約書の売買を通じて、他の雇用者のもとで強制的に働かされています。また、日本は、東南アジアおよび南西アジアから旅行者を装って人身売買される多くの人々を外国へ密輸させる主要な通過国ともなっています。
 そして、日本に送り込まれている人身売買の犠牲者には、十八歳未満の子どもたちも含まれています。
 この問題に取り組むためには、現在、以下のような課題があります。
 一、日本では、日本国内、および国境をまたいで関係のある子どもの人身売買の現状がつかめていない。
 二、あらゆる形態の子どもの人身売買を取り締まることのできる法律がない。
 三、人身売買の犠牲になった子どもを保護する制度がない。
 そのため、次のような対策を早急に取ることが求められるのです。@子どもの人身売買の現状について、詳しく調査することA子どもの人身売買の問題を広く世間に知ってもらうことB子どもの人身売買を処罰できる法律を整備することC人身売買の犠牲となった子どもを保護できる制度を確立することD国際協力の体制を整えること。
 特に、まず、子どもの人身売買を取り締まることができるように法律を改正し、「子どもの権利条約 子どもの売買、子ども買春及び子どもポルノに関する子どもの権利に関する条約の選択議定書」を日本政府が早期に批准すること。
 法的に以下の課題を解決しなければなりません。「児童福祉法」で日本国内で子どもを人身売買することについては処罰する規定はありますが、国外で子どもを売買している日本人は処罰の対象とされません。
 今後、特に「児童福祉法」に、臓器売買、強制労働などを目的とした子どもの人身売買を罰することができる規定や、国外で罪を犯した人間を処罰できる国外犯規定を設けることなどが求められます。(ユニセフホームページより)

モルドバ共和国について

 モルドバは、典型的な農業国。ソ連崩壊によって経済は混乱。度重なる自然災害や沿ドニエストル紛争の影響もあって経済状態は悪化している。九八年のロシア金融危機の影響もモルドバ経済に大きく打撃を与えた。失業、インフレ賃金遅配は恒常化しており、輸出低迷、エネルギー債務の増加等による財政赤字の問題も深刻化している。
 一九九〇年、ドニエストル川東岸に入植していたロシア語系住民がモルドバの民族主義的政策に反発して「沿ドニエストル共和国」の独立を宣言。九一年十二月には武力紛争に発展し、駐留ロシア軍(第十四軍)も介入、多数の犠牲者を出した。九二年七月にロシアとモルドバの間で和平解決に関する協定が調印された。同地域には未だモルドバ、ロシア、ウクライナ及び沿ドニエストルによる合同平和維持軍等の軍による監視が続いる。駐留ロシア軍は、二〇〇二年十二月までの完全撤退を目指して兵力削減と装備品の撤収を図ってきたが、この地域の緊張状態が依然として高い。

もどる

Back