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グローバリゼーションに奉仕する国家主義を断ち切ろう       かけはし2004.09.20号

アジアカップでの「反日」騒動と日中民衆連帯の道



小泉の動きがブーイングをあおる

 中国で行われたサッカーアジアカップの一次リーグ戦で、日本チームに対する中国人サポーターの「反日」行動によって日本公使の乗った車が取り囲まれ窓ガラスが割られるなどの被害を受けたことなどから、日中両国間の外交問題にまで発展する事態となったことは記憶に新しい。
 日本では「反共」メディアや「反共」政治家を筆頭に中国の「反日」行動を厳しく非難する言説が飛び交った。グローバリゼーションの中で巨大化し矛盾が膨張する中国と「戦争のできる普通の大国」へと飛躍しようとする日本が、今後米中の対立の中で台湾海峡を巻き込みながら政治、経済の領域で摩擦を拡大することは避けられないだろう。
 まだどのような形になるかは予言することは不可能であるが、軍事的な摩擦が拡大することも排除できないなかで、今回のサッカーアジアカップという「スポーツ」に表現された政治問題をどのように考えるか、それは東アジアの反資本主義左翼に鋭く突きつけられた問題である。

「反日」過去と現実の一体化

 中国人サポータから日本チームに罵声やモノが投げつけられた対オマーン戦(七月二十日)と対タイ戦(同二十四日)が行われたのは、日本軍のじゅうたん爆撃によって多大な犠牲と被害を受けた歴史を持つ中国・重慶だった。八月三日に日本対バーレーンの準決勝戦が行われた済南は「邦人保護」を名目に日本軍が出兵した一九二八年の済南事変をはじめその後の日本軍の侵略によって多大な被害を受けた町である。ここでも日本チームに対するブーイングは止むことはなかった。
 八月七日、北京で行われた日本対中国の決勝戦では、中国当局による一万人規模の警備にもかかわらず、試合後に負けた中国人サポーター数千人が会場から出ようとした原田親仁、堀之内秀久両日本公使の乗る乗用車を取り囲み、後部ガラスを割り、車体を凹ませるなどの行動を取った。
 しかしそれら「反日」的行動が、かつての日本軍の侵略という歴史的観点からのみ沸き起こってきたと考える人はいないだろう。それは中国をはじめアジア各国への侵略の歴史をいまなお正視せず、侵略戦争による被害に対する補償をもとめるアジア各国民衆の声を無視し、「戦争のできる普通の大国」へとまっしぐらに突き進もうとする小泉政権の一連の策動がもたらした結果でもある。
 日中間には、今年四月に日本司法からも違憲であると判断された首相の靖国参拝、今年三月に中国人活動家七名が上陸し入管難民法違反で中国へ強制送還されたことで焦点化した釣魚島(尖閣諸島)問題、七月九日に広島高裁で下された第二次世界大戦中の中国人強制連行に対する損害賠償を命じる判決が新たな地平を切り開きつつある戦後補償をめぐる問題など、今も続く「歴史的」問題が山積している。

スポーツと政治は無縁ではない

 これらの山積している問題の当事者の一方である日本政府は、みずからの責任を棚に上げ、「スポーツに政治的な意識を持ち込まない方がいいんじゃないでしょうか」(小泉純一郎首相)、「(中国は)平静な対応を」(細田博之官房長官)、「中国のサッカーファンにもう少し考えてもらいたい」(川口順子外相)などという発言を繰り返した。石原慎太郎などは「民度が低いんだからしょうがないね」と差別的感情をあらわにした。
 「スポーツに政治的な意識を持ち込まないほうがいい」。なんと空虚な響きだろうか。多国籍企業の祭典であるオリンピックを挙げるまでもなく、いったいどのスポーツが政治、利権、差別と無縁でこられただろうか。いったいどれだけの選手たちが政治、利権、差別のなかで肉体と夢をつぶされてきたのだろうか。
 スポーツと政治は無縁ではありえない。もちろん日本チーム選手が「歴史」問題の責任を背負うことはできない。しかしスポーツと政治が無縁ではありえないなかで、とくに民族的感情を高揚させることを通じて一体感を作り出そうとする国際競技において、民族的感情を揺さぶる未解決の「歴史」問題という力が競技自体を左右することは現実にありうることなのだ。
 事件発生後の八月十日、小泉は来年以降も靖国を参拝することを明言し、中国外務省の孔泉報道局長は「日本の指導者が被害国民の正義の訴えを軽視して挑発的な言論をしたことに不満と遺憾」をあらわにした。しかし日中両政府が今回の問題をこれ以上政治的焦点としないことで合意していることも事実である。

官僚体制の腐敗に対する怒り

 かつて中国共産党は民衆の民族的要求を「共産主義」というベールに包みコントロールしてきた。しかし半世紀近く続いたスターリニズムのジグザグ路線、反右派闘争や文化大革命に象徴される権力闘争、七〇年代後半から断続的に続いてきた民主化闘争への弾圧、そして決定的な一九八九年六月四日の天安門広場をはじめとする民主化運動に対する大弾圧によって共産主義と党への忠誠と帰属意識はかつてなく低下した。
 さらに八〇年代後半からの資本主義化政策に根深く寄生してきた官僚主義的腐敗構造は、中国共産党に対する民衆の希望を不信と怒りに変えた。資本主義復活の巨大なてことなった官僚独裁体制による腐敗構造は社会の隅々にまで浸透した。それは巨大なビジネスとして成長しつつある中国のサッカーをはじめとするスポーツ社会にも及んでいる。
 中国のプロサッカーリーグは、一九九四年に始まった。二リーグ制で、各チームに企業スポンサーがつく。二〇〇一年に浙江省のクラブチーム「緑城」の会長らが「腐敗のために不正取引を強いられている」と、審判員の買収やクラブ間の勝負の貸し借りが横行していると暴露したことで、それまでうわさ的に広がっていた中国サッカー界における八百長疑惑が明らかにされた。「緑城」チームの試合を担当した審判員は「良心の呵責を感じていた」と匿名で告白し、一試合で四万元(約六十三万円)を受け取っていたことなども明らかにした。
 これをきっかけに「吉利」チームのスポンサー企業の吉利自動車の李書福社長も審判八百長が行われていると告発。昨年一月三十一日、批判を無視できなくなった中国サッカー協会は、審判員を買収するなど不正に関与した「緑城」など六クラブとその幹部ら六人に対し、計四百三十万元(約六千百五十万円)の罰金処分を決定し、各クラブなどから計三十七万元(約五百三十万円)相当を受け取った元審判は北京市警察に逮捕され、一月二十九日に北京市中級法院が収賄罪で懲役十年の判決を下している(ウェブサイト「中国現代ライブラリー」より)。
 ファンの不満と批判は巨大な利権と腐敗にまみれた中国サッカー協会にも及んでいた。経済大国への道を歩み始めると同時に、社会的な不安定と貧富の格差の拡大、その根源にある官僚主義への批判のアマルガムが「もっと強い中国を!」という意識を作り出している。それらの不満のはけ口として、対日本のサッカー試合は格好の機会でもあったのだ。

「愛国主義」と民族主義の矛盾

 社会的に広がる「強い中国を!」の意識は、経済発展とそれに伴う中産階級を中心とした市民社会の形成が基盤を提供しているが、天安門事件以降に中国共産党がとってきた一連の政策によるところも大である。八九年民主化運動を「売国分子」と規定して出発した江沢民政権は、「愛国分子」の育成に力を注ぐことになる。九〇年の「国旗法」、九一年の「国章法」を始めとして九四年八月には「愛国主義教育実施要綱」が党中央から指示が下る。ここでは「現代の中国では愛国主義と社会主義は本質的に一致する」とされた。
 このころ日本政府の閣僚による歴史問題に関する問題発言などが続いたこと、自民、社会、さきがけの三党連立政権による戦後五十年の国会決議における文言のあいまいさ、また中国人民と共産党の偉大な歴史的功績である抗日戦争の勝利五十周年にも当たったことなどから、民族主義的雰囲気がいやがおうにも高まった。
 またこの時期は台湾総統選挙(一九九六年三月)を控え中国がミサイル発射訓練などで台湾海峡を中心に米中の軍事的緊張がかつてないほどに高まった時期でもある。戦闘体制に入ることを示す二隻目の空母を台湾海峡に派遣した米国に対して、中国政府は軍事的威嚇を中止することを提示し危機を回避した。米国や台湾に対する「弱腰」外交への批判をかわす意味でも一層の愛国主義的政策を採らざるを得なかった時期でもあった。
 こうして「愛国主義」的政策が数年間続いた後の九九年五月八日、北大西洋条約機構(NATO)の米軍機が在ユーゴスラビアの中国大使館を爆撃し、三名の中国人が犠牲になった。事件直後の学生を中心としたデモ隊が米国大使館と英国大使館に対して投石などを繰り返した。デモは全国に拡大した。デモは当初政府の支持によって組織されたが、政府の思惑をのりこえて学生たちの怒りは拡大し、成都では米国総領事館に火が放たれ建物の大半が燃え尽きた。政府の思惑を乗り越えたデモの収拾と鎮圧の陣頭指揮に当たったのが当時国家副主席であった胡錦濤である。
 その二年後の二〇〇一年四月一日、米海軍の偵察機EP―3が南シナ海でスパイ活動の最中にスクランブルをかけて接近した中国空軍戦闘機と接触し、中国南部の海南島に不時着するという事件が発生した。戦闘機を操縦していた王偉飛行士は行方不明となった。この事件の収拾の陣頭指揮を執ったのも胡錦濤であった。このときには街頭デモなどの抗議行動を一切許さず、事件発生後からわずか十日で海南島に拘留していた米軍人二十四人を米国に送還した。
 胡のこうした迅速な対応は政権内部および国際的に注目と賞賛を浴びることになったが、抗議行動さえも許されなかった「愛国分子」たちは政府に対する不信を一層募らせることになった。九〇年代から緩和されてきたメディア規制によって膨大な新聞やウェブサイトが創設され、そこでは政府の許容できる最大限の愛国的報道や言説が繰り広げられた。政府の公式見解が外交を気にするあまり批判を控えたものになる傾向が強まる一方で、民間のメディアではそれに対する民衆の不満を表現するかのような報道を行った。ウェブ上では政府の「弱腰」外交を批判する言説が飛び交った。
 政府への不信を抱きつつ、強い国になることが、現在の苦境を打開することができると信じる「愛国分子」はこの十年の経過の中で登場してきた。資本主義化政策における官僚主義的腐敗構造の深化によって決定的に民衆への威信を失墜させてきた中国共産党は経済成長と愛国主義によって支配の正統性をつなぎとめている。しかしその命綱は、時として危険な凶器にもなりうることは共産党自身が最も理解している。
 東アジアにおける政治・経済大国への道を歩み始めた中国のブルジョアジーは、自らの政治的地位と同じく、その民族主義政策もいまだ安定してはいない。資本主義中国の支配的イデオロギーとしての民族主義はいまだ形成途上にあるが、釣魚島(尖閣諸島)領域に眠る豊富な資源をめぐる日中間の駆け引きが、資本主義中国における支配的イデオロギーとしての民族主義の形成に一役も二役も買うことは間違いないだろう。

「釣魚島は中国に、資源は労働者に」

 日本政府は、日本と中国の海岸線から中間地点の距離を基準に「日中中間ライン」を主張している。ここでいう日本の海岸線には釣魚島(尖閣諸島)も含まれていることから、中国は、この日中中間ラインを認めていない。中国は、中国大陸から続く大陸棚の上に釣魚島(尖閣諸島)があることなどを理由に、釣魚島(尖閣諸島)の領有を主張している。
 一九五八年に締結された大陸棚条約では「水深二百メートル、もしくは開発可能な水深まで」が大陸棚であると定義されたが、近年の開発技術の飛躍的向上にともなう管轄権の混乱を避けるために、一九九四年に国連海洋法条約が発効した。同条約によると、大陸棚の地殻が陸地と同じ地質であり、地続きであることが証明できれば、国連に地質調査の結果を添えて申請し、それが認められれば沿岸国は領海(沿岸から約二十二キロメートル)の外側最大三百五十カイリ(約六百五十キロメートル)を自国の大陸棚として海洋資源を占有することができる。
 国連への申請期限が二〇〇九年五月に迫る中、調査、開発では中国が日本をリードしている。中国は、一九九九年には、日本政府の主張する日中中間ラインの中国側で平湖ガス田プラント、今年五月には日中中間ラインのわずか五キロ中国側で春暁ガス田プラントを建設している。
 この背景には、今後も続く経済発展で需要がうなぎ上りとなっているエネルギー不足へ対応しようとしている中国政府の政策がある。日中間の海洋に眠る石油や天然ガスは黒海油田に相当する推定七十二億トン。その大半が日中中間線の日本側にあるともいわれているが、これまで中国が開発・建設しているプラントはどちらも日本政府が主張する日中中間ラインの中国側に位置することから、日本政府は「日中間の相違を棚上げして共同開発を検討するよう希望する」(六月二十一日に中国山東省青島で開かれていたアジア協力対話会議に参加した川口順子外相の発言)と申し入れをするにとどまっている

右翼の中国への敵対行動弾劾

 中国は、今年三月の中国人活動家による釣魚島(尖閣諸島)上陸などの行動をたくみに利用する一方で、七月には再度の上陸を準備していた中国人活動家たちの出航を阻止するという行動にでている。これは民族的感情をあおる領土問題として政治的にクローズアップされることにより、着々と進めている資源開発が中断されることを避けようとする極めて実利的な対応ともいえる。
 七月八日には日本政府が主張する日中中間ライン付近で地質調査を始めたことに中国政府が「日本の挑発行為に反対する」と抗議している。日本の調査ペースでは二〇〇九年五月の申請期限に間に合わない可能性もあると言われる中で、今後、政府、与野党、マスコミによる「国益を守れ!」という大合唱が起こるだろう(今年の四月には、中国人活動家による釣魚島上陸に抗議した政治結社「日本皇民党」の街宣車が大阪の中国領事館に突入し、領事館の正門を破壊したテロ事件が起きている)。
 八月末には、経済産業省・資源エネルギー庁は来年度予算の概算要求で、探査費用として今年度の三倍にあたる百億円を計上し、データ分析などのため新規で五千万円の調査費も要求した。中国では春暁ガス田と陸地をつなぐ長さ四百七十キロの海底パイプラインの敷設工事が始まっている。今後もこの問題は続くだろう。日中ブルジョアジーの領土的権益をかけた抗争に、超然とした対応をとることは許されない。われわれ日本の労働者人民のスローガンはこうなるだろう。「釣魚島は中国に!資源は労働者民衆に!」

国際主義に基づく運動の構築を

 今回のサッカーアジアカップにおける「反日」行動でも明らかになったように、今後も日中間の侵略の歴史にまつわるさまざまな現代的問題はことあるごとに摩擦を引き起こし、ときには衝突にまでいたるだろう。グローバリゼーションと一体化させた社会体制を作り出そうとしている日中両国の支配階級は、これまで以上に民族主義、国家主義を前面に押し出さざるを得ないだろう。日米安保、米軍の再編、台湾海峡、WTO、FTAなどさまざまな領域で日本と中国の利害は複雑に絡みながら、今回のようなスポーツを契機とした摩擦や衝突が起こるだろう。
 そうであるがゆえに、歴史認識、戦後補償、領土問題、反戦運動などの課題で、国際主義に根ざした日本の労働者民衆の断固とした立場は決定的に重要になるだろう。スポーツを国家主義と資本主義から解放し、民衆に取り戻そう!
(早野 一)



新自由主義の義務教育改革案(河村プラン)批判
競争原理を導入し、公教育を切り捨てる差別・選別教育反対

 河村建夫文部科学相は、学制弾力化や教員免許更新制の導入を柱とする「河村プラン」を発表した。河村プランは差別・選別教育を押し進めるものである。教育基本法改悪とセットで進められる「教育改革」と闘おう。

「6・3制」の弾力化とは何か

 八月十日、河村文部科学相は、小学校六年、中学校三年の「六・三制」を地方ごとに変更できるようにすることを中心とした義務教育改革案(河村プラン)を発表した。
 このプランは「地方が自由に教育制度を創造できる」ものとして打ち出されているが、その内容は教育を経済学的な観点から評価し、競争原理を導入することで、新自由主義的改革の一環として公教育の切り捨てを行おうとする、非常に悪質なものである。
 義務教育の「六・三制」は一九四七年に学校教育法で制定され、半世紀以上続き、日本の教育に定着している学制であるが、現代の子どもの発育の区切りは小学四(もしくは五)年生と中学二年の二回であるので学制の区切りもそれにあわせるべき、また、半世紀も前に制定された学制は現状に見合っていない、改正すべきであるという「六・三制」批判は以前から教育界では言われていた。
 しかし、「六・三制」の区切りは教育現場に深く浸透しており、また、学制と子どもの心や成長の発達には大きな関係はないという説もあり、強い現場の反対があって学制の変更は今まで実現しなかった。
 文科省は今回、学制と子どもの発達段階との不一致が子どもの不登校や引きこもり、いじめの増加につながっていると断定し、「生きる力」、「豊かな心」を育てるという名目で学制の改革を急激に進めようとしている。

「4・3・2制」モデル校の設置

 では、なぜ学制の変更をこんなにも急激に押し進めようというのだろうか。それは今までの教育改革、「ゆとり教育」や「習熟度別学習」との関連で見ると非常にわかりやすくなる。
 「ゆとり教育」も「習熟度別学習」も、公教育で保証する範囲を狭め、「能力のある子ども」や、公教育で足りない部分を塾などで補うことのできる「経済的に恵まれた家庭の子ども」はどんどん先に進ませ、そうではない子どもにはそれ相応の教育を受けていれば良いとする、差別、選別の思想に貫かれた教育政策である。
 「六・三」制の代替案として「四・五制」や「五・四制」があげられているが、このような区切りだと現在よりも中学受験や塾通いの時期が早まり、学校選択には親の経済力がより反映されるようになる。
 また、小・中一貫で義務教育の九年間を三段階に分ける「四・三・二制」などもすでに東京都の品川区や三鷹市、広島の府中市などでモデル校の設置が決まっているが、この「四・三・二制」とは、最初の四年間で基礎教育を行い、次の三年間では子どもの「個性」や「能力」に応じた選択学習を取り入れ、最後の二年間でその選択の幅をさらに拡大するというもので、これが実現すれば子どもは現在よりもずっと早い段階で選別を受けることになる。これは授業のなかだけではなく、学校全体を、公教育の枠組み自体を差別、選別の装置にする試みである。
 「六・三制」の変更にともなって生じる問題に違う学制の学校の間での転校や教科書の違いなどがあげられているが、その対処案も未だ明確にされていない。また、学制の変更に連動させて学校教育法や教育基本法改正、学習指導要領の内容も変更しようとする動きにも注意しなければならないだろう。

教員を選別する免許更新制

 河村プランのその他の内容としては、生徒・児童が義務教育修了までに身につける最低限の内容を、学習指導要領を具体化、数値化する形で「ナショナル・ミニマム」として明示し、子どもの評価や管理を徹底しながら国が保障する教育の範囲を縮小することができるようにするシステムや、所定単位で教員免許が得られるという現行制度から、法科大学院のような教員の専門職大学院を設置し、その大学院修了を免許取得の条件とする制度、そして約十年ごとに教員免許を更新する制度の導入などがあげられている。
 教員免許の更新制については、この制度を導入することで指導力の確かな質の高い教師が残り、保護者も安心して子どもをまかせることができるという説明がされているが、指導力不足教員認定のシステムと同じく、評価の基準は非常にあいまいである。
 二〇〇三年度に「指導力不足」と認定された公立小中高校の教員は全国で四百八十一人にのぼるが、その中には児童・生徒に「君が代」を歌わない自由、起立しない自由を教えた教員も含まれているという。権力にとって都合の悪い教員は徹底的に排除するという姿勢は、年々増加する処分者の数からも見てとれる。このうえ教員免許の更新制まで導入すれば、教員の終身雇用の崩壊にまでつながる深刻な事態になりかねない。教員は日々、評価を受けることや明確な理由なしに処分されるかもしれないストレスに耐えながら教壇に立たなければならなくなってしまうだろう。
 ただでさえ、学校で強制される競争の不安や重圧から精神のバランスを崩す子どもが急増し、教育委員会による管理やしめつけの強化によって退職や自殺にまで追い込まれる教員が増えている中で、このような改革が行われれば状況はさらに悪化するに違いない。

一時しのぎの国庫負担制維持

 また、注目したい点にこの改革案が河村文科相が義務教育費国庫負担制の維持とセットで打ち出したということがある。
 八月二十日に改革案を具体化するためのプロジェクトチームの初会合が行われ、その後、二十四日には小泉純一郎首相を議長とする経済財政諮問会議で今回の義務教育改革案と、かねてから三位一体改革の一環としていわれ続けていた義務教育費国庫負担金の削減について話し合われた。その場では河村文科相が「地方が多様な改革を行うためには、国が財源を確保する必要がある」と主張し、現行の義務教育費国庫負担制の存続を求めたために、財源移譲を唱える全国知事会など諸団体が対立し、結論を持ち越すことになったという。
 義務教育費国庫負担制とは、公立の小・中学校の教員給与を国と都道府県が半分ずつまかなう制度で、この制度が廃止、削減された場合、財政難に陥っている市町村は現在の義務教育のレベルを維持する事は困難であろうといわれている。義務教育の機会均等や教育水準の確保のためには国庫負担金の削減はどうしても阻止したいところであるが、公教育の大幅な縮小を進めようとしている文科省が国庫負担制の削減に反対している裏にはどのような思惑があるのだろうか。
 文科省は現在、年間二兆五千億円を義務教育費国庫負担金として支出しており、この制度が廃止されてしまえば年間予算の約四割が削減される計算になる。また、文科省から地方市町村への各教育委員会を通じた仕組みは徹底している。文科省は組織維持のために現在は義務教育費国庫負担制の維持を打ち出しているが、組織強化策である教育委員会や校長をはじめとする教育管理職の権限強化が実現した後は国庫負担を切り捨てる政策を打ち出す可能性も充分にありうる。
 高校の教員給与はすでに一般財源化されており、授業料の引き上げや教科書代の徴収、学校の規模縮小や学校数の削減で切り捨てられた補助金の分をまかなっている。義務教育費国庫負担制の廃止によって義務教育にもこのような問題が起こるかもしれないのである。
 私たちは、義務教育費国庫負担制の廃止と、差別や不平等を拡大する教育改革のどちらにも反対の声をあげていかなければならない。
 義務教育の改革や教育基本法「改正」に先立って、教育現場ではすでに「ゆとり教育」導入や「日の丸・君が代」をはじめ、さまざまな改革が行われている。教育現場の内側からも外側からも、これ以上の教育改悪を許さないという、強い声を上げていこう。
(深沢瑞江)



県教組郡山支部などの闘いで

日本会議提出の「教育基本法早期改正」請願は継続に


 【郡山】「教育基本法の早期改正を求める」請願が郡山市議会九月議会に提出された。請願者は、日本会議福島県本部長。九月十日午前に開かれた文教福祉常任委員会 では、唐突な請願提出の印象が否めず慎重論が大勢を占め「継続審議」となった。
 前日に、福島県教組郡山支部から緊急の傍聴呼びかけと、常任委員会へのFAX送付が呼びかけられ、当日は三十人近くが駆けつけ(傍聴は抽選で十五人)、常任委員へのFAXも全国から多数寄せられた。また、新聞各社も取材した。
 継続審議は議会閉会中の十月か十一月にもたれる。同常任委員会九人の構成は、社民一、共産一、日本会議メンバーを公言する二人、それと同会派(創風会)を組む三人、公明一人と一人会派の一人で、保守系会派が意思統一すればいつでも採択される状況にある。採択を許さないためには、この議会を大衆的に包囲する闘いが必要だ。
 日本会議は、「新しい歴史教科書をつくる会教科書採択運動」とこの「教育基本法改正請願運動」、そして、イラクに派兵された「自衛隊支援運動」を三本柱に改憲と戦争国家づくりを進めている勢力である。
 各市町村、各県での動き注意し、彼らを凌駕する運動を形成しよう。(N)


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