かけはし重要記事

frame01b.html

もどる

映画紹介 「人らしく生きよう 国労冬物語」     かけはし2002.4.8号より

胸をうつ「闘って人らしく生きよう」という思い

線路を奪われた鉄道員と家族の物語

 「四党合意」は破産した。しかし国労本部は、大阪・岡山での採用差別裁判の取り下げ、闘争団に対する査問委員会の設置と屈服と昏迷の度合いを深めている。今こそ新しい闘いが求められている。そんな中で国労・闘争団の十四年を記録した「人らしく生きよう 国労冬物語」の全国百ヶ所上映運動が取り組まれている。これは素晴らしい映画だ。この映画は観る者の胸に刻み込む。「労働者として生きよう」、「人を蹴落として生きるより団結を」、そして「闘う人ほど人らしく生きられる」と。
 映画は、三人の闘争団員とその家族の語りに当時の映像を織り交ぜ進行する。前半は八七年の分割民営化までを、中盤は北海道闘争団の闘いを、後半は〇一年までの国労と闘争団の闘いを振り返る。
 闘争団員佐久間忠夫さん(六八歳)が、かつて押し込められていた新鶴見人材活用センター跡を再訪するところから映画は始まる。シャンと伸びた背筋はとても六八歳とは思えない。佐久間さんは十四歳で国鉄に入社。鶴見線の運転手を二十五年。分割民営化で仕事を奪われ「人材活用センター」に送られ定年一年前に解雇された闘争団の最年長者だ。
 山田則雄さんは一九六七年十九歳で国鉄に就職した。ひげに丸顔、優しい笑顔の山田さん。新宿の保線の職場で働きながら定時制高校を卒業した。その後労働者大学で学ぶ。「インパクトあったのは、社会を支えてんのは労働者だなんて、そんなこと考えたこともなかったね。それからだよね変わったのは」。
 山田さんたちは、助役など上司に物をいえない職場の雰囲気を打破しようと立ち上がった。上司に何でもいいから一言発言しようという「一声運動」を始める。「変わりましたよ。助役に『これは違うんじゃないか』って言うくらいになりましたからね」。このように国労の運動は、職場で当局にものを言う、職場を拠点にしたものだった。山田さんはその後、国労差別で保線の職場をはずされ、ホーム売店に十年。現在はPCリニューアルという隔離職場に押し込められている。
 映画の前半は二人の語りを中心に八七年分割民営化までの国労の闘いを振り返る。「土光の目刺」に始まるマスコミの反国労キャンペーン。執拗な国労切り崩し攻撃に、山田さんが所属していた分会も半数近くが国労を脱退する。そんななか国労青年部は、東京駅でハンスト闘争に立ち上がる。「人活センター粉砕!」のシュプレヒコールと幾つもの横断幕、「退去通告をいたします」と告げる無表情な管理職。
 毎月一万人の大量脱退に動揺した国労本部は、労使共同宣言を結ぼうとする。現場の組合員は激しくこれに反発、あの修善寺大会へと決着はもつれこむ。会場周辺を埋め尽くす旗や横断幕、座り込む組合員や支援の労働者。会場では、本部を支持する原案賛成派と反対派が激論を展開していた。反対派代議員の「みんな国労でがんばってきたんだよ」という発言に「そうだ!」の声が飛び交い拍手が起こる。票決は一〇一対一八三。歓声が沸き起こる。国労は「一人の首切りも許さない」という労働組合の原則を守った。
 佐久間さんたちは修善寺大会後、横浜人活センターへ移された。修善寺大会後の反人活センターの盛り上がりを恐れた国鉄当局は横浜人活センターで傷害事件をでっち上げる。神奈川県警は五人の国労組合員を不当逮捕する。国鉄当局は横浜人活のメンバー二十五人全員を処分。逮捕された五人は懲戒免職となった。
「仲間よ何をそんなに恐れるんだ 信じようじゃないか人の良心を 働く者の魂を人間として 労働者として 恥ずかしくない生き方をしたい」「人間として 労働者として」が朗読され、映画は分割民営化後の北海道闘争団の闘いへと進んでいく。
 大谷英貴さんは北海道で生まれ一九七五年国鉄に入社。車両検査係となる。一九八七年二月十六日全国でJR採用通知が行われた。新会社JRを設立して、もといた社員を選別して採用する方式が「国鉄改革法」という法律にもとづいて行われた。以降このやり方は全国各地でリストラのモデルとされた。今、まさにこれと同じ攻撃がNTT労働者にかけられている。
 不採用になった七千人のほとんどが国労組合員であった。北海道・九州では国労組合員の二人に一人が不採用になった。大谷さんも国労を抜けなかったためにJR不採用となる。「屈辱って言うか、生涯忘れられない日になった」以降、大谷さんの苦闘の日々が始まる。不採用になった労働者は三年を期限に国鉄清算事業団に送られた。
 八九年北海道・九州で地方労働委員会の命令が出た。JRへの採用にあたり国労差別があったことを認め全員の職場復帰を命令するものだった。しかし、JRと国はこの命令を不服とし中央労働委員会に再審査を申し立てた。八九年は労働委員会の形骸化が始まった年となった。
 九〇年三月清算事業団からの解雇が迫った。三月、まだ寒さが厳しい北海道各地で駅前に座り込む組合員と家族。夕闇の中「われわれを元の職場に戻せ!」のシュプレヒコールが響く。退去を通告する職制に座り込む家族が「あんたたち人間か!」と叫ぶ。音威子府清算事業団ではやじと怒号の中、四十八人の解雇を告げ逃げ出そうとする当局に子どもを連れた妻たちが「子どものもわかるように説明して」と詰めよっていた。
 JRに採用された国労組合員にも攻撃は続いた。山田さんは保線の仕事をはずされ駅の売店へと飛ばされた。
 大谷さんたち解雇された一〇四七人は、全国で三十六の闘争団を作り、中央労働委員会闘争に集中する。しかし中労委命令は地労委に比べ大きく後退したものだった。
 うつむき押し黙る闘争団員が国労委員長を取り囲む。闘争団員の一人が叫ぶ。「俺たちは悔しくて涙も出ないんだよ!」。国労、JR双方が命令を不服とし闘いの舞台は東京地裁へと移った。九八年五月、東京地裁は国による解雇を容認する反動判決を下す。
 国は反動判決に勢いを得て、国労に対して全面屈服を要求してくる。国労本部は六三回定期大会に「五項目の補強提案」を行う。その内容は国労の名称変更、裁判の取り下げなど全面屈服だった。そして二〇〇〇年五月、JRと国に法的責任なしとされる四党合意が国労本部との間で結ばれる。国労・闘争団の十五年を記録した百分の映画の後半二十分は四党合意をめぐる闘いに当てられている。
 九九年三月十八日。国労本部は改革法承認のための臨時大会を開く。国鉄改革法は承認され大会は終了する。ただちに危機感を募らせた闘争団の必死の闘いが始まる。座り込み、全国集会。同時に大谷さんたち留萌闘争団は生き延びるため事業を起こす。ホタテの販売、手作り石鹸など。厳しい生活の中で闘争団員は、あたりまえのようにさらりと言う。「(国労のよいところは)人を裏切らない」「もう十年やれるだけの状況はあるんじゃないか、政治的な解決を今すぐとか、そういう形で政府やJRに譲歩する形は一切取ってもらいたくない」。
 闘争団の妻たちも確信を深めていく。アルバイト先で、夫の解雇を理由にいじめにあった友枝さんも闘争団の暖かな人間関係に包まれて蘇る。「組合が家族を支えてくれてんのかも。それがわかった」。闘争団と家族会。十五年の闘いは、家族会を闘争主体へと鍛え上げた。JRに残った国労組合員にも試練は続いた。山田さんが押し込められたPCリニューアルでは、点呼時に返事をしないだけで処分が下されている。
 こんな中、当時者である闘争団の意思を無視して四党合意を受諾するために臨時大会が開かれる。大会代議員の多くは四党合意を支持しており、大会開催は闘争団の切り捨てを意味していた。七月一日臨時大会当日。臨大阻止のために座り込む闘争団・家族会、支援。なぜか大会会場の社会文化会館周辺には機動隊の車両が配置される。座り込んでいた闘争団員、家族会の妻たちが本部役員の前につめより会場入りを阻止する。「中央執行委員会じゃなくてあなたの意見を聞きたいの」。「わたし聞きたいのは鈴木さんの気持ちです」。鈴木中央執行委員はただ沈黙し入場を断念する。
 闘争団員全員の入場を条件に大会は開催された。反対する闘争団に言うだけ言わせてガスを抜く。その後採決してしまえばいい。これが本部のねらいだった。本部はろくに議論もせず、会場の都合を持ち出し強行に採決しようとする。しかも拍手によって。
 「最後に家族の方の発言をお願いします」。フロアーで音威子府闘争団家族の藤保美年子さんがマイクを握った。会場からの「前!」の声に促され藤保さんは壇上へ。ここからがこの映画のクライマックスである。藤保さんは壇上から訴える。十四年の闘いの日々は一人の物静かな女性を闘志に変えた。
 「無責任にわたしたちの人生を勝手に決めないでください。わたしたちが望んでいるのは。どんなに苦しくたって、どんなに辛いことがあったって、夫の解雇撤回、政府の責任でJRへ戻すこと。わたしたちの悩み苦しんだ十四年間に謝罪すること。闘争団そして家族、この要求は一歩も譲れません。歳がいこうと。JRに戻る年代がどうのとか。わたしたちは、解雇されたあのときから止まってるんです。わたしたちの気持ちはあの時に止まっているんです。それをぜひわかって、たたかうための方針を議論してください。家族からのお願いです」。
 藤保さんの訴えに会場の雰囲気が変わる。宮坂書記長の集約発言が今まさに終わろうとした時、演壇は闘争団と反対派組合員に占拠され臨時大会は粉砕された。
 その後国労は三度の臨時大会を行い「四党合意」を採択する。映画は、闘争団と家族が新たな闘いに立ち上がろうとするところで幕を閉じる。
 「空港をこの地に持ってきたものをにくむ。……しかたなかったんだよ。空港などこんなところにもってきたから、まじめにやれば闘わざるを得なかったんだよ。しかし、俺は線が細いから闘いにたえられなかったんだな。人間なんて弱いもんだよな。なんかの本に書いてあったけど、もっとも人間らしく生きようと思ってる人間が、なんで非人間的に扱われるのかな。本当に国家権力というものは恐ろしいな。生きようとする百姓の生をとりあげ、たたきつぶすのだからな」。
 これは今から三十年前、「人らしく生きよう」とした三里塚芝山連合空港反対同盟青年行動隊、三ノ宮文男さんの遺書だ。わたしは映画を見ながら何度となく、この一節を思い出した。

 過飽和溶液。今の日本は怒りの過飽和溶液である。過飽和溶液日本は溶かしきれない過剰な怒りを溶解している。過飽和溶液に、ほんの小さな種結晶を投げ入れると過飽和溶液はたちまち結晶をつくり始める。
 怒りの過飽和溶液日本。そこに投げ入れられた、国労闘争団・家族会、三里塚芝山連合反対同盟という小さな種結晶。その結晶のように固く結ぼう。
 四・一六「一〇四七名の不当解雇撤回、国鉄闘争に勝利する共闘会議」結成集会で、四・一八東峰部落で会おう。ともに闘おう。勝利の日まで。 (矢野 薫)


もどる

Back