| 映画紹介『東京原発』 かけはし2004.0405号 |
三月十三日、映画『東京原発』が劇場公開された。時を見はからったのか、福井県の西川一誠知事は同日、関西電力高浜三・四号炉でのプルサーマル実施を了承し、加えて日本原電敦賀三・四号炉の増設を了承している。
場面は二〇〇X年のある一日、物語は東京都庁の特別会議室とプルサーマル燃料のトラック輸送が交差しながら進んでいく。天馬都知事(役所広司)は局長クラスの特別会議を召集し、「東京に原発を誘致する!」と発言、民間から登用された津田副知事(段田安則)が反論する。双方、専門家を招請して白黒をつけようと、天馬は原子力安全委員の松岡(益岡徹)を、津田は物理学者の榎本教授(綾田俊樹)を呼ぼうとする。
脚本・監督は山川元、伊丹十三の『ミンボーの女』や周防正行『シャル・ウィ・ダンス』で助監督の後、監督第二作の『卓球温泉』は全国百五十館で上映され、メジャーの評価を得る。本作品では、局長クラスに平田満、田山涼成、菅原大吉、岸辺一徳、吉田日出子を配した特別会議は、伊丹十三をほうふつとさせる。
さて、天馬は携帯電話で松岡を呼び出そうとしたが、松岡はお台場ふ頭でフランスから秘密裏に輸送されてきたプルサーマル燃料の陸揚げに立ち会っている最中であった。プルサーマル燃料は三台のトラックに積まれ、福井に向かった。だが、三台のうち一台のトラックの運転手は転職後にまわってきた二度目の仕事、はじめての都心で道に迷い、目的地へつながる首都高の入り口にたどり着けない。
運転手から連絡を受ける松岡は、都庁へは向かえない。ひとり都庁に着いた榎本教授は、チェルノブイリ事故による住民被災や原発震災の危険性など、原発の危険性を詳しく語っていく。形勢が不利になった天馬、いつも知事のそばにいるはずの及川特別秘書(徳井優)がなぜかいない。及川はこの数日、燃料電池についての調査を行っていた。
輸送トラックは爆弾マニアの少年にジャックされてしまう。爆弾をしかけられたトラックは都庁へと向かう。天馬と津田の手により爆弾の起爆装置が無力化されるが、降り出した雨のためにプルサーマル燃料が青い光を放つという結末だ。劇場公開に合わせて出版された小説版『東京原発』(山川元著、竹書房文庫)では、別の一台が琵琶湖に沈み、青い光を放つ。
プルサーマルが計画されている軽水炉では、高速の中性子を水で減速させ、核分裂反応を持続させる。JCO臨界事故で核分裂反応が持続したのも、適度な水があったためだ。亡くなった大内さんらは青い光を見、決死隊は水抜きを行った。榎本教授の「講義」をはじめシナリオの設定は、事実にもとづく客観的な内容である。
作家の小田実は、インターネットの「東京原発」オフィシャルサイトに次のようなメッセージを寄せている。「これに続けて、若手の人たちが『大阪原発』『京都原発』『名古屋原発』というぐあいに『御当地原発』でつくっていくと面白い」。
この小田のメッセージは、原発立地の現実を知らなかった劇中の局長たちが、天馬知事の誘致宣言をきっかけに考えていくといったという過程を重視したのだろう。その一面では原発から離れた消費地である大都市ではそのとおりだと思う。
他方、福井県知事にみるように、架空ではなく現在進行中の誘致の実態がある。高レベル廃棄物処分場や使用済み核燃料の中間貯蔵施設の誘致に名乗りを上げる自治体も後を絶たない。山川元による映画と小説の結末は、どちらも悲劇の幕開けで終わる。これは原発が運転する限り、悲劇は終わらないというメッセージとして受け止めたい。
(KS)
東京での上映は、新宿武蔵野館とシブヤ・シネマ・ソサエティで四月中旬過ぎまで。現在のところ、旭川から福岡までの二十数館で上映が予定されている。上映時間、一時間五十分。配給はザナドゥー。
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「マグダレンの祈り」を見て
神奈川 S・M
昨年の十一月に恵比寿ガーデンシネマ1で「マグダレンの祈り」(ピーター・ミュラン監督作品)を見た。
ストーリーを紹介したい。舞台は一九六四年の、アイルランドのダブリンだ。マーガレット(アンヌ=マリー・ダフ)は従兄弟(いとこ)のケヴィン(ショーン・マクドナー)にレイプされる。孤児院にいるバーナデット(ノーラ=ジェーン・ヌーン)は近くで働く少年たちの人気の的だった。彼女は少年たちの心を「惑わせた」。ローズ(ドロシー・ダフィ)は未婚のまま病院で赤ん坊を産んだ。
三人の少女はマクダレン修道院に連れてこられた。ここは「堕落した女性」のための収容施設で、シスター・ブリジット(ジェラルディン・マクイーワン)をはじめとする修道女たちによって管理されていた。ここに収容された女たちは囚人のような制服を着せられて洗濯部屋で働かされた。給料など出ない。ただ働きだ。「祈りと労働によって神に奉仕し、罪を悔い改めよ」というわけだ。
私語は厳禁で、家族と会うことも許されなかった。規則を守らない女たちはムチで打たれたり、頭を剃られたりした。修道女は、女たちを裸で並ばせ、彼女たちの体の特徴を笑いものにした。クリスピーナ(アイリーン・ウォルシュ)はフィッツロイ神父(ダニエル・コステロ)にフェラチオをさせられ、後で、その神父のことを批判したため、精神病院へ送られた。こんな所で犬死にするのはイヤだ。バーナデットはローズを誘って修道院から逃亡することを決意するのだった……。
この映画は衝撃的な作品だった。この映画を見終わって、ぼくは涙が出てきてしまった。修道女をハサミで脅して修道院を脱出する女性を見ていて、ぼくは心の中で拍手をしていた。かっこいい、と思った。マクダレン修道院の犯罪をどう考えるのか。犯した罪をどう償うのか。キリスト教(宗教)と女性差別の問題をどう考えるのか。これは、すべてのキリスト教徒(宗教者)が避けて通れない問題の一つではないか。宗教は、改革の積み重ねによって脱宗教化されるべきなのではないか。ぼくは、そう思う。
この映画のプログラムによれば、マグダレン修道院は、十九世紀に「堕落した」女性や娼婦のための収容施設としてアイルランドに建設された。二十世紀に入ってカトリック教会が運営するようになった。このような修道院は一九九六年まで存続し、一世紀以上にわたって、少なくとも三万人の女性が収容された、という。
また、マクダレンの存在がマスコミの注目を浴びたのは一九九二年のことで、一九六〇年代に修道院で働いた経験を持つパトリシア・バーク・ブローガンが戯曲「Exlipsed」を発表したことがきっかけだった。一九九七年になってシンガー・ソングライターのジョニ・ミッチェルが「The
Magdalene Laundries」を発表し、これは非公式ながらマグダレンの洗濯部屋で生き残った者たちのプロテスト・ソングとなった、という。
ミュラン監督はスティーヴ・ハンフリーズ製作&監督によるチャンネル4のドキュメンタリー番組「Sex in a Cold Climate」(1997)を見てマクダレン修道院の存在を知った。彼はこれまで隠されてきたマグダレンの女性たちの犠牲に愕然とし、より多くの人びとにこの事実を知ってほしいと考えた、という。
この映画のプログラムによれば、「ミュラン監督が六〇年代のアイルランドの女性たちにとってカトリック教会がどのようなものだったかを尋ねたとき、ある女性は『KGBのようだった』と答えた」という。「現在に至るまで教会は彼女たちに謝罪せず、賠償金も払っていない」。
ピーター・ミュラン監督は、「カトリック教会が立ち上がり、間違いを認め、被害者に賠償をし、このようなことが二度と起きないと保証する勇気をもっていると思いたい」と述べている。ノーラ=ジェーン・ヌーンは「この映画がきっかけになって、被害者の女性たちが、自らの体験や苦しみを語る糸口になればいいと個人的に思っています」と語っている。
この映画は、とても良かったが、ぼくの誤解でなければ、「ハンセン病の人」や「精神障害者」を差別するような表現があった。その点が残念だ、と思った。
なお、この映画の原案となったジューン・ゴールディングの実話がソニー・マガジンズ(ヴィレッジブックス)から翻訳・出版されている(『マグダレンの祈り』石川順子訳)。
「マクダレンの祈り」/二〇〇二年/イギリス・アイルランド合作映画/原題・The Mahdalene Sisters
「マグダレンの祈りは」は、二〇〇二年のヴェネチア映画祭で金獅子賞に輝いた。監督のピーター・ミュランは、ケン・ローチ監督の「リフ・ラフ」(一九九一)や「マイ・ネーム・イズ・ジョー」(一九九八)の俳優としても知られ、後者ではカンヌ映画祭の男優賞を受賞した。(2月15日)
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