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                           かけはし2004.03.22号

3・11テロとスペイン政治

アスナール政権のために死ぬ価値があるのか!答えはノーだ!

 三月十一日、マドリードで二百人を超す人々を殺害するテロが発生した。その翌日の十二日、スペイン全土で人口の四分の一に達する一千万人のテロ抗議デモが行われた。そしてその二日後の総選挙では、アスナール政権が敗北した。テロを呼び寄せたのがイラク参戦にあるという大衆的判断が下されたのだ。以下は、評論誌『ビエント・スル』の編集員で第四インターの支持者のG・バスターによるもの。

 かつて詩人のラファエル・アルベルティは、ファシズムへのレジスタンスに敬意を払って、マドリードを「栄光の首都」と呼んだ。三月十一日、マドリードはふたたび犠牲者に満ちあふれる都市となった。残虐なテロリストの攻撃で百九十八人が死亡し、約千五百人が負傷した。被害者のほとんどは市南部の労働者街の労働者、女性、青年である。マドリードの住民は、この無差別的テロの波に対してふたたび連帯と勇気のバリケードを築いた。
 八キロから十キロの爆発物をつめた十二のナップザックを三つのローカル列車に置いたテロリストの攻撃は、午前七時半前後に起こった。被害者のほとんどは職場や学校に通うところだった。警察によれば、テロリストの目的は、アトーチャ駅内の列車を爆破し、駅舎全体を倒壊させることだった。
 被害者とその家族の苦痛、マドリードの人びとの連帯と勇気の中で、総選挙投票を三日後に控えた国民党の保守政権は、住民感情を操作する大規模なキャンペーンを開始した。この四十八時間の中で、マドリードはふたたび「政治的汚辱の首都」となった。
 攻撃から数時間後の最初の記者会見で、アセベス内相はETA(バスク祖国と自由)が爆発事件の仕掛け人だと断言した。数分前にETAの非合法政治部門であるヘリ・バタスナのスポークスパースンであるオテギが、バスク独立運動のあらゆる責任を絶対的に否定したことを考慮に入れて、記者会見に出席していたジャーナリストが内相に証拠を質すと、内相はあらゆる疑問を打ち消した。保守政権にとっては、ETAでなければならなかったのである。
 ETAでなければならなかったのは、国民党がその選挙運動のすべてを恐怖のプログラムの上に築いていたからである。それは、バスク国家、カタルーニャ、ガリシアへの全面的な自治を拒否する憲法上の地位の、あらゆる変更に対する恐怖である。それは、新自由主義的・集権的政策に疑問を呈する新しい地域政府への恐怖である。それは、イラクでのブッシュの戦争を支持するアスナール首相に反対して大規模に街頭に繰り出した反戦運動への恐怖である。それは、新しい水利計画による水資源の乱用に反対するエコロジストのキャンペーンへの恐怖である。それは反動的大学改革に反対する学生たちの抵抗への恐怖である。それは安価な労働力を求めて全産業を新たな土地に移転させることに反対する労働者の全産業的行動への恐怖である。そしてETAは他のなによりも恐怖を代表するものなのである。
 恐怖は、保守政権が、社会自由主義的野党であるPSOE(社会労働党)を「反テロ協定」を通じて自らのヘゲモニーに結びつけ、従属させることを可能にしている。この協定は政府だけが解釈・適用できる。この協定は、抑圧やスペイン民族主義にもとづかないスペイン国家内の民族問題のあらゆる解決策を排除するものだ。
 カタルーニャ左翼政権の新首相カロド・ロビラが、テロ休戦の可能性を探る目的でETA指導部と会談するためにフランスを訪問したとき、国民党の中央政府は彼を「裏切り者」だと宣言し、カタルーニャとだけの「平和」を交渉し、テロの矛先をスペインの他の地域に向けるものだとして彼を非難した。そしてカロドの党である独立派のカタルーニャ左翼共和派(ERC)とのあらゆる連合を断ち切るよう、PSOEに迫った。
 カタルーニャの左翼政権は生き残った。しかし、国民党の恐怖に駆られた選挙運動の基礎にあるものは、危機と非難である。その目的は明らかだ。自らの保守的選挙基盤を動員し、左翼を無力化させ、少なくとも左翼の社会的キャンペーンを阻止することである。
 この選挙戦術は、今までのところ国民党にとってきわめて有効だった。しかし、彼らが9・11後にブッシュ政権が成功したように、テロ攻撃を利用して民衆の感情を根本的に変化させることができるならば、それは選挙戦術だけではなくスペインの政治支配を決定的に新しい道へと打ち固め、フランコ独裁の終焉以後最大の民衆的抗議の波の高まりを阻止し、破壊する戦略的変化となるだろう。
 他方、不法なイラク占領にスペイン軍を参加させることに反対する数百万人の人びとの街頭デモを目のあたりにした以上、もしテロ攻撃の責任がアル・カイーダやその仲間であるということになったら、国民党の選挙での敗北は必至となりうる。スペインの人びとにとって、イラク占領へのスペイン軍の参加こそがスペインをテロ攻撃の対象にしているということは、きわめて明らかであった。ブッシュの世界新秩序はそうした危険に値するものなのか。アスナールや彼の政府は、そのために死ぬ価値があるものなのか。答えは明らかにノーである!
 この政治的操作のキャンペーンを行ったアスナール、アスベス、そして国民党のすべてのスポークスパースンたちは、三月十一日の朝に彼らが言ったことを本当に信じていたと考えてみよう。それではなぜ彼らは、攻撃を非難したオテギ(ETAの政治部門ヘリ・バタスナのスポークスパースン)の宣言に何らかの信用を与えることになったのか。なぜマドリードの人びとに対するテロ攻撃の背後にいたのはETAではないというオテギの断言を信じることになったのか。ETAが、その政治部門の宣言を操作してきたことがあったことは確かである。
 しかし、三月十一日の夜、ETAが攻撃の仕掛け人ではないことがいっそう明らかになる時が訪れた。少なくとも、つねに資本主義制度の前線にいる国際株式市場にとっては、これがスペインの「内部」問題ではなく国際的な原理主義的テロの行為だということをもとに新たな安値をつけることで、事態は十分に明白なものとなったのである。この攻撃は、アル・カイーダは単にまだ健在だというだけではなく、ブッシュの同盟者たちの中枢を襲撃できることを示した。アル・カイーダの傘下組織がロンドンの新聞「アル・クオズ」に送った通信は、まったく政府を助けるものではない。
 国民党政権は、新しい証拠を知った後でも、自らの政治的成果のためにテロ攻撃を行った責任者がだれなのかについて故意に混乱させている。政府は、世界中の外交代表部にETAが攻撃の犯人だと強調するよう指示し、国連とEUがこの説明を支持するよう求めた。コフィ・アナン国連事務総長とフランス政府はそれを拒否した。彼らはアスナールのウソを支持することを拒否したのである。
 午後八時までに、内相はテレビに再度登場し、アル・カイーダとの関係という副次的線の調査を指令したと真剣に発表しなければならなかった。爆発物を運ぶために使用した自動車がイスラム教のテープとともに発見された。そのほんの一時間後にスペインのテレビは、犯行を声明するアル・カイーダの手紙について報じた。しかし政府は、ETAが攻撃の背後にいると強調し続けた。もし真実と国民党の政治路線が矛盾をきたしたのならば、都合が悪いのは真実なのだ。
 こうした中で、国民党政権の巨大な圧力が政治的キャンペーンを押し止めた。実際、国民党のみが政府を通じてキャンペーンを行っている。他の政党は、「反テロ協定」と憲法的現状の防衛の名の下で口をふさがれた。新しい9・11、今回の場合スペインの3・11は帝国の治安の名の下に民主主義的自由を制限することになった。
 私がこの文章を書いている時、政府は依然として、この事件を自らの利害に合わせて解釈している。彼らは時間を稼ぎ、労働者階級の苦痛と絶望から利益を汲み取り、三月十四日の投票までできるだけ長く混乱を持続させようとしている。彼らは恐るべき反撃が起こりうることを知っている。もし人びとが、この恐ろしいテロ攻撃の後に何が起こったかを考え直す時間を持ったならば、この二十四時間にわたるウソの背後にある政治的操作と汚辱がきわめて明確になるだろう。
 こうした方向での最初の反撃が始まっている。人気ラジオ番組の中で疑問と怒りが高まっているのを聞くことができる。それは葬儀の中で爆発的なものとなりうる。左翼が自らの責任を持って立ち上がり、少なくともマドリードの民衆と同じ勇気を示して再び語り始めることができるならば、なすべき政治的説明はたくさんある。今や人びとが三月十四日に決定しなければならない問題は、国民党のウソを信じるのかどうかということである。
(3月12日)


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