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台湾、二大ブルジョア政党とどのように闘うか      かけはし2004.03.22号

総統選挙と左翼の政治的課題

鄭 谷雨



 台湾総統選が三月二十日に迫った。台湾の左派や大衆運動にとって、民進党の陳水扁も国民党の連戦も、新自由主義政策を推し進めるという点でほとんど違いがないことははっきりしている。二大ブルジョア政党に対抗する第三勢力は、どのようなものでなければならないのか。中国・台湾・香港三地域を結ぶ戦闘的大衆運動と反資本主義綱領のための雑誌『赤いもぐら』創刊号の論評を紹介する。

 第三回目の総統直接選挙は、これまでの二回の総統選挙に比べ、統一か独立かという問題と、いわゆる台湾化に関するテーマの継続した発展以外に、いくつかの新しい変化がみられる。
 貧富の差のさらなる拡大と一層厳しさを増す民衆の生活に対し、民主進歩党(以下、民進党)や国民党という主流政党が真剣に関心を払って来なかったことから、汎紫連盟や白票運動など、主流政党の「左」に位置する第三勢力が浮上し、限界を突破するために奮闘している(前二回の選挙では多数の候補が争ったが、そのほとんどが国民党系と民進党系の二大陣営の関係者であった)。
 これらの勢力は選挙には直接参加してはいないが、自分自身の方法で選挙に対する介入を行っている。その一方で、罵倒合戦とレッテル張りは台湾の選挙にとって切り離すことのできない一部となっているが、一九九六年の台湾海峡を覆った(中国による)ミサイル危機と二〇〇〇年の政権交代に対する関心に比べ、今回の総統選挙では政治的議論の空虚さと悪質さは際立っており、有権者の反感と冷めた態度も空前の水準になっている。
 だが少し分析をすれば、二大陣営が必死に罵り合い、相手のイメージダウンに奔走している理由が分かるだろう。二大陣営は結局根本的に何が違うのか。金権政治の元凶で、大企業とつながっているということにおいては民進党も国民党に負けてはいない。国民党は率先して民営化を推進し、民進党はその後その流れを加速させた。国民党は大企業のために減税を行い、民進党はそれをそっくりそのまま引き継いでいる。国民党は労働運動を弾圧し、民進党は労働法改定案でスト権をはく奪しようとしている。国民党は第四原発を建設し、民進党は核廃絶に真剣に取り組まない。青年の失業がますます深刻化しているにも関わらず、両党は小手先の政策で青年を騙そうとしている。
 実際のところ、両党はどちらも市場は万能で競争を至上とする「新自由主義」の信奉者であり、さまざまな政策において根本的な違いはない。
 「改革」「規制緩和」の名の下に労働規制や環境基準を引き下げ、「投資環境の改善」をめざし、「国際社会」「周辺化を回避する」という名の下に貿易の自由化を大々的に推進し、さまざまな名目で大企業を助成し、大企業や富裕層への減税を行い、「効率」の名の下に公共部門を大々的に削減し(公共事業の民営化やいわゆる行政改革)私的資本のビジネスチャンスを拡大している。
 これらはすべて両党の「中心的価値」なのである。もちろん支持率を上げるため「福祉社会」「雇用保障」などの空手形を切ってきたことも事実である。両党がますます似通ってきており、中国との関係においてしか若干の違いが見られないことから、違いを際立たせて支持率を拡大するためにには、スローガンを叫び、ライバルがいかに「正義」と「公平」の原則に反しているかというところで攻撃し、あるいは「台湾土着かどうか」「台湾を愛しているかどうか」などの問題で騒ぎ立て、レッテルを貼り問題をほじくり出すしかないのである。
 貧富の差を解消し、社会的平等を促進する本当の社会改革は、大企業の利益に抵触することから、両党はどちらも本気で実践する気はない。両党の政策上の相似は台湾の選挙文化の乱れでもあり、民衆の生活問題が全く重要視されないことの表れでもある。

 このような状況において、社会的不平等と腐敗した二大政党に不満を持つ民衆は新たな政党を支持するかもしれない。嗅覚の鋭い政治家であれば政治的にそういった空間が出現していることに気がついて(このような空間は一貫して存在していたが、政権交代による民進党の執政が人々を失望させたことで、より顕著で明確になった)、その空間を占有したいと考えざるをえない。また、いかに社会的に登場して二大勢力以外の第三勢力を準備すべきかを考える人々もいるだろう。
 かつて階級政党の建設を鼓吹し、その後は積極的に民進党と陳水扁の選挙を補佐し、労働者の支持を取り付けてきた新潮流派(民進党の一派閥で大衆運動と社会民主主義的傾向を代表していた)の立法委員(国会議員にあたる)簡錫 は、二〇〇三年八月に一部の福祉団体や社会運動団体とともに汎紫連盟を結成し、「体制外改革」(かつての新潮流派のスローガン)に戻るべきであるという主張を発表した。これがまさにそういった勢力を反映するものである。(紫色はマイノリティの権利を象徴するカラー;訳注)

汎紫の政治路線

 (略)汎紫は政治的にどのような路線を取ろうとしているのか。簡氏は多くの文章の中で「左派」という二文字を提起している。彼は言う。「(汎紫は)このような状況のなかで反省・思考し、そして実際の行動によって左派の討論空間を開拓しなければならない」。
 左派にもさまざまな種類があるが、簡氏は次のように賞賛する。「最も資本家の攻撃を受けている社会民主的福祉国家において、左派は依然として公民権の拡大や持続のために奮闘し、さまざまな『新中間路線』の福祉政策をもってグローバルな資本と人間の流動という挑戦に対応している」。
 彼はまた次のように批判する。現在の陳水扁の新中間路線が「イギリスの社会民主主義的新中間路線ではなく」「民進党のエリートはいわゆる『新中間路線』の理念を理解しておらず、また信念もない。どうりで民主主義国家の発展において市場経済という資本主義的価値を崇めなければならないと思っているわけだ。どうりで労働行政の主管が『ノーワークノーペイ』の概念を主張し、労働条件のフレキシビリティを鼓吹し、労働を商品として考えるわけだ」。見たところ簡氏はイギリス労働党と他のヨーロッパ社会民主主義の「第三の路線」「新中間路線」を肯定的にとらえている。
 汎紫は税金、新移民(中国からの出稼ぎなど)、社会治安、エスニック問題に関する政策においてもかなり研究を重ね、富裕税を提案し、完全な社会的セーフティーネットの整備を訴え、二人のバーチャル候補者を擁立し、政策の主張で総統選挙に介入することを宣言している。全体的にみて、汎紫の政策は、資本主義の根本的変革を迫らない、資本主義の改良を求める社会民主主義に合致するといえるだろう。
 汎紫は二大政党を批判し、多岐にわたる政策研究を行っている。このことは極めて肯定的にとらえなければならないし、積極的に自由化を擁護し市場万能主義を信奉する二大政党と比較した場合、汎紫の社会民主主義路線は進歩的である。
 しかし問題は解決していない。福祉国家の建設は民進党の一貫した主張ではなかったのか。簡氏が所属した新潮流派は一貫して「社会民主主義」を旗印としてきたのではなかったのか。二大政党は選挙のたびにさまざまな福祉政策を公約として掲げてきたのではなかったのか。問題の所在は民進党のエリートたちが進歩的理念を理解していないからだとでもいうのだろうか。
 簡氏が批判する「労働行政の主管」はまさに社会民主派である新潮流派のメンバーで革命家のローザ・ルクセンブルグとゲバラを敬愛すると公言している陳菊ではないのか。市場経済と労働力のフレキシビリティを崇めているのがヨーロッパの社会民主主義政府の政策である。民進党やヨーロッパの社会民主主義政党がなぜ転換してしまったのか、それは知識と道徳の問題なのか。

汎紫のヨーロッパの先輩たちの「経験」

 (略)
 簡氏の激賞する社会民主主義路線は一見、民衆に受け入れられる路線である。それは資本主義の不正義と市場の残酷さを批判し、穏健な改革と部分的な改良を推進しようとし、また遥かかなたにあるかのような急進的な革命を主張することもなく、改革を求める一方で安定を求める心理に合致する。
 問題は、なぜ簡氏が言うような「さまざまな新中間路線」が資本主義に対して何ら改革を実行できず、有権者に対して行った改革の公約を実現できず、逆に福祉国家を瓦解させ、労働者運動や女性運動が長年にわたってかちとってきた成果を奪い取ろうとするのかということである。台湾においてこのような路線を鼓吹することにいったいどれくらいの進歩性と実際の意義があるというのか。

かれらはなぜ堕落し、なぜ民衆を裏切るのか

 (略)
 (略)
 真に民衆の苦難を解決する第三勢力とは、反資本主義で、民主的で、エコロジーとフェミニズムの理念を持ち、労働者民衆に根差した「赤と緑の連盟」でなければならない。そしてこの勢力を拡大するには、まず民衆のさまざまな権利をかちとるための闘争に参加し、大衆運動の興隆と草の根組織の拡大を促し、そして一つの明確な綱領と断固たる目標をもち、運動のなかから誕生するカードルを鍛え、このような隊伍の基礎の上に党建設活動を推し進めなければならない。
 このような党を持ったとき、選挙と議会はこの党活動の一部となるが、最も重要な活動はやはり大衆運動と草の根組織の推進である。「党」は大衆自らの闘争を代行することはできないし、そうでなければ党は変質しはじめるだろう。

白票運動 積極的にか消極的にか

 汎紫連盟が総統選挙で政策を掲げて登場したのに続き、長年にわたり労働運動に従事してきた工人立法行動委員会(以下、工委会)は、他の親しい団体と共同で「百万白票運動」を立ち上げた。白票運動はさまざまな限界のなかでいまだ一つの社会的潮流を形成してはいないが、メディアと社会運動において一定の関心を集め話題をよんでいる。

多くの質疑に直面する白票運動

 工委会が白票運動を推進しはじめた後、左右両方からの多くの批判に直面した。二大勢力の支持者から白票運動が反対されることは当然のことであるが、社会運動圏の態度は多岐にわたった。
 まず比較的大きな労働組合や社会運動組織のリーダーはこれまでのように「政治的取引き」を考えていたことから、二大政党のどちらかを支持しようと考えていた。このような心理は非常に複雑であり、個人的な政党支持や政治取引きなどがごちゃまぜになっている(こういった人々はある理論で理由付けをしている。例えば「もう一度陳水扁にチャンスを与える」論だとか「野党支持」論など)。
 またどちらも支持はしていないが、それを公表することによって組織基盤が失われてしまうのではないかと考える人間もいる。統一独立問題を最も重要な課題と考え、それを判断基準として二大勢力のどちらかを選択する人も少なくない。また、白票運動は消極的過ぎるということで、運動の前進に全く役に立たないと批判する人々も少なくなく、なかには「白票運動は社会運動に損害を与える」ので「白票運動に反対して階級政治の道を歩みださなければならない」と批判する人もいる。しかしこのような人は、理論の上で階級政治の意義を大いに主張するが、今回の総統選挙でどのような態度を取るのかということについては何ら提起をしていない。
 左右双方からの批判は往々にして多くの欠点を持っているが、白票運動は真剣にこれらの質疑に応えなければならない。白票運動は民衆に「二大政党はどちらも腐ったリンゴだ」ということ以外に、なにか積極的な側面はないのだろうか。白票を投じるということはもちろん両党への不満を表すものであるが、結局はだれかが総統に当選するのであり、だとしたら何をなすべきなのだろうか。
 今回の総統選挙で白票を投じるということは具体的な選択の一つかもしれない。しかし白票を投じようと考えている人もこう問い掛けるだろう。「つぎはなにか」と。今回は白票を投じたが、年末に行われる立法委員選挙ではどうするのか。また次の総統選挙ではどうなのか。一部には台湾で左派の立場に立った第三政党の登場を期待する声もある。白票運動は左翼政党の誕生を促進することができるのか(あるいはどのように促進できるのか)。

二大ブルジョア政党の政権交代の末に

(略)
 オルタナティブはないという現状を受け入れ、理想的な新社会の実現は難しいという考えは、民衆が持っている根深い考え方と言えるだろう。「オルタナティブはない」(There is no alternative)と言う考えは新自由主義の道を切り開いたイギリスのサッチャー元首相の言葉である。「平等な社会を追求するだって? 大企業の支配を拒否したいだって? いや、資本主義的市場経済と金権政治以外には選択肢はない」。これがグローバル時代の各国支配者が絶え間なく宣伝し続けているイデオロギーであり、台湾の社会運動に困難さをもたらしている深刻な原因でもある。
 この局面を転換させるためには、さまざまな社会運動ができる早く政治的に結集し、個別のテーマに関心を持つのではなく、体制に対する批判とそれぞれの運動の領域において交流と対話を通じて、共通の敵にねらいを定め、新しく進歩的な政治的スローガンを提起し、不満と失望感を抱いている民衆にオルタナティブを提示しなければならない。そうでなければ、政治は一層腐敗し反動的になるだろう。
 このような目標は遥かかなたでかつ困難であるかにみえる。しかしわれわれはこの課題を避けて通ることはできない。当面する政治的課題についての行動においてもこの目標に向けて運動を推し進めることができるのかどうかという立場から考えなければならない。
 汎紫連盟は政策をもって選挙に介入することを宣言しているが、だれに投票すべきかという問題を回避している。工委会の白票運動は「マイノリティは自らの道を進む」と呼びかけ、民進党への思い入れを断ち切り、国民党や親民党による「政権交代というフィクション」に対する幻想を捨て、同時に消極的な棄権をしないように訴えている。
 このような態度はもちろん進歩的なものであるが、しかし社会運動は今後もずっと「腐ったりんごを拒否する」という段階にとどまることはできない。まさに「マイノリティ」は「自らの道を進」まなければならないのだ。二大陣営がどっちも腐ったリンゴであると指摘することは、進むべき道を指し示すことと同じではない。(白票運動は明確な政治スローガンと綱領を提起することを公式に拒否している:訳注)

(略)

中心的政治課題と具体的な活動の方向性

 社会的矛盾の拡大と民衆の苦境を解決できない二大陣営という現状において、社会運動の中心的課題は、新しい左翼政党を建設し、この政党と草の根大衆運動が共闘し、労働者民衆自身が政治権力を握ることによってのみ、大企業や資本の利潤という論理に屈服する必要はなくなり、生活水準や労働権、民主主義とその他のさまざまな社会的権利や環境なども破壊されることがなくなり、政治はいっそう民主的になり、社会はもっと平等になる、ということをどのように民衆に訴えていけるのかということである。
 この中心的任務を準備するために、今回の総統選挙を皮切りに、われわれは以下のような活動を展開するために奮闘しなければならない。
 一 労働組合や社会運動団体が会議やワークショップ、フォーラムなどの方法を通じて民主的討論を展開し、共同戦線を形成する。当面する政治的な総スローガンと最も重要な問題についての要求においてコンセンサスを形成し、集団的闘争にする方向で努力する。それは将来の左翼政党の綱領の雛形にもなるだろう。
 異なる運動領域の壁と派閥間の確執は自然には解消されない。持続した努力のみが協力を作り上げる基礎になる。違いはあるが連携できるところからはじめ、他の部分についてはそれぞれの団体の意見を保留することは可能である。
 二 基本的な政治的スローガンと社会運動の共同の要求という基礎の上に、白票運動を展開し、有権者に対して(投票用紙にスローガンを書くなどの)さまざまな方法で白票を投じるように訴える。
 三 労働組合、コミュニティ、社会運動団体などが総統選挙と白票運動の意義、ひいては党建設問題について広範な討論を行う。白票運動に賛成していない労働組合や社会運動団体の代表を招いてこのような討論を行い、このような政治的教育の過程を通じて民衆自身の判断を促す。
 多くの人が「民衆は(白票運動を)受け入れない」という理由で白票運動への支持や左翼政党の建設を拒否している。しかしこのような討論が全くない状況で、民衆の意識がある日突然変化することはない。左翼政党の建設という任務も、社会運動団体の指導者がいつも政治問題にはあいまいな態度を取り続け、「機が熟す」のを待って、指導者達が「上から呼びかける」ことで実現するものではない。
 四 総統選挙が終わった後、一方では総括を進め、一方では交流と討論を継続させ、段階を追って年末の立法委員選挙を目標として、綱領に関する討論を継続するほかに、草の根レベルに対する綱領の宣伝いかに行うのかを考え、年末の立法委員選挙に赤と緑の連盟として立候補すること、これこそがわれわれが真剣に取り組まなければならない課題である。
 有権者に「だれも支持しない」ことを訴えるのは最良の選択ではない。それは左翼候補者不在の状況における仕方のない選択であるし、永遠の選択ではありえない。いま必要なことは二大政党を否定することだけではなく、民衆の期待に応えうる新しい政治的選択を提起することである。白票運動は、労働者民衆が自らの綱領、自らの政党、自らの政府を必要とするという宣伝と結合しなければならない。左翼政党建設のための闘いと結合しなければならない。そうしてはじめて積極的な意義を有するだろう。
(「赤いもぐら」創刊号、2004年2月発行)より


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