二月二十九日、無政府状態になっていたカリブ海にある中南米の最貧国ハイチで、ジャン・ベルトラン・アリスティド大統領が辞任し、出国した。彼は、中央アフリカに「移送」されたが、南アフリカに亡命すると見られている。旧軍部独裁の中心にいた軍人たちが中心になっている「ハイチ解放再建革命戦線」が二月五日に北部のゴナイブで武装反乱を開始して以後続いていた流血の内乱は、反政府派の「勝利」に帰結した。
アメリカ帝国主義は、一九八六年に打倒されたデュバリエ父子独裁体制や、一九九〇年の民政移管後の選挙で大統領に選出されたアリスティドを一九九一年のクーデターで打倒した軍事政権を支えてきた。しかし、内乱が始まった当初の段階では、ブッシュ政権も「アリスティド追放」の方針を明らかにしていなかった。
二月十三日、アメリカ、カナダ、カリブ共同体・共同市場(カリコム)、米州機構(OAS)の四者が、ハイチ危機にあたって出した「共同声明」では、危機の「平和的・民主的解決」が呼びかけられるとともに、パウエル米国務長官も「選挙で選ばれた大統領を追い出す違法な試みはいかなるものであろうと認められない」という「強い懸念」を表明していた。
二月二十一日には、アメリカやカリブ共同体が提起した「新首相任命、新内閣組閣」などの調停案をアリスティドは受け入れた。つまり二〇〇六年までのアリスティドの大統領任期を認めた上で、反政府派との共同統治を行うという方針である。しかし、反政府武装勢力の側があくまでアリスティドの即時辞任を譲らず、内戦と略奪などの無政府状態が深刻化したことにより、ブッシュ政権はアリスティド即時追放を最終的に決断した、と考えられる。
暫定大統領に就任したアレクサンドレ(最高裁長官)の首席顧問となったオスネル・フェプレは「アリスティドは手錠をかけられ連行されるようにして出国させられた可能性が高い」と述べており、ネプトゥン首相は米、カナダ、フランスなどの外交官が二月二十八日から二十九日にかけてアリスティドを取り囲んで辞任するよう圧力をかけた、と述べている(毎日新聞3月1日夕刊)。(アリスティド自身は到着した中央アフリカで、「自分は辞任したわけではない。米兵に銃を突きつけられ、むりやり連行されたのだ。米軍によるクーデターだ」と述べ、米政府を強く批判した)。
二月二十八日、ホワイトハウスのマクレナン報道官は、ハイチ危機の原因はアリスティドが「民主主義の原則を堅持せず、分断と暴力をもたらした」ことによると非難し、「大統領自身の行動が、今後ハイチの統治を続ける適格性そのものに問題を投げかける」とする緊急の「報道官声明」を出した。ブッシュは二月二十九日に、米海兵隊のハイチ派遣を命令し、アリスティドの辞任・出国が「ハイチの歴史の新たな章の始まり」と語った。ハイチの反政府武装勢力側もこの米海兵隊の派遣を「歓迎」する意向を表明した。旧宗主国のフランスもアメリカと共同歩調を取り、二月二十九日に軍部隊を派遣する事を決定した。こうした事態を受けて、二月二十九日の国連の安保理ではハイチへの「多国籍軍派遣」を決議した。
一連の経過を見るとき、明らかにアメリカ帝国主義はアリスティド政権を経済制裁で揺さぶりながら、旧軍部体制残党を中心とした反政府武装勢力にテコ入れし、内戦と危機の進行に応じてさまざまな選択肢を残した上で、最終的に政権転覆のカードを切ったものと思われる。アメリカの反戦運動団体ANSWERのメールニュースによれば、二月二十七日のワシントンでの記者会見で、ハイチ支援ネットワークのレイ・ラフォレストは「ハイチを知るわれわれは、これは自分たちの政権に対するハイチ民衆の蜂起などではないのであって、むしろアメリカ政府とドミニカ政府の中の闇に包まれた部署の支援を受けた、元国軍兵士と殺し屋集団による軍事行動であることは明らかである」と述べている。
われわれは中南米の最貧国であるハイチの社会と経済をいっそう解体させた上で、直接の軍事介入を行ってきたアメリカ帝国主義の責任を追及しなければならないし、ハイチからの「難民流出を阻止する」というブッシュ政権のごう慢きわまる非人道的言辞を許してはならない。
アリスティドは、一九九〇年十二月の選挙で貧しい人びとの圧倒的な支持で大統領に選出された「解放の神学」派の神父であった。しかし一九九一年九月の軍事クーデターで政権の座を追われて以後、彼は戦闘的に展開されていたハイチ民衆の反軍政闘争に依拠するのではなく、アメリカの軍事介入に依拠して政権復帰をめざす態度を明確にしていった。一九九四年の彼の帰国と政権復帰は、クリントン政権の軍事的圧力を背景に実現されたのである。
「アリスティドが軍事介入を主張するようなことがあれば、ジョージ・ブッシュ(父)とクリントンはそのような方向を大いに歓迎するだろう。そのようなことになれば、アリスティドはハイチの貧しい人びとから託されている希望を最終的に裏切り、ハイチ人民の大多数から寄せられている信頼を失うことになるだろう」(アーサー・マホン「帝国主義に依拠した『国民和解』への軍部の抵抗――アリスティド大統領の復帰はあるか」、本紙94年1月31日号)。
そして米帝国主義の軍事的圧力に依拠してハイチ大統領への復帰を果たしたアリスティドは、結局のところハイチ人民の「希望」と「信頼」を裏切り、米帝国主義からも見捨てられる結果となったのである。復帰したアリスティドは、一九九五年の大統領選挙には出馬しなかったものの、一九九六年に自ら結成した新党ラバラス・ファミリー(FL)が二〇〇〇年五月の選挙で圧勝した余勢をかい、同年十二月、「不正選挙」を批判する野党のボイコットの中で、再度大統領選挙に打って出て圧勝した。
アリスティドは、民兵組織を作って野党勢力の弾圧に乗り出し、強権化・独裁化を急速に深めていった。今回の内戦も、「犯罪集団」化したアリスティド派民兵が反政府派に寝返り、ブッシュ政権が彼らを支援してアリスティド転覆工作を強めたことに主因があったと言われている。
今回のハイチ内戦と「クーデター」は、ブッシュの「グローバル戦争」の下での、新たな植民地支配の一環である。「安定」と「平和」と「自由」を看板にした帝国主義の共同した武力介入を批判することは、世界の反戦・平和運動と反グローバリゼーション運動の共通のテーマである。
(3月3日、平井純一)
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