| 中国政府はリストラ反対闘争への弾圧をやめ労働三権を保証せよ! |
〇一年のWTO加盟にともなって、中国国有企業の私有化政策と労働者に対するリストラが、激しさを増している。今期全人代で憲法に「私有財産の不可侵」を書き込み、資本主義化を法的にも完成させた中国政府は、労働者の抵抗闘争に無慈悲な弾圧を加えている。蔡広業の釈放を求める国際署名運動が、香港の全球化監察、台湾の全国自主労工連盟と工人民主協会、日本のChina Now!から呼びかけられている。
蔡広業、男、一九六四年生まれ。吉林省吉林市人。上海第二軍医大学の修士課程を修了し、政府による隔離調査の直前まで吉林省軍区二二二部隊医院で軍医を勤める。十三歳の娘がいる。蔡広業は長期のあいだ労働者と農民の苦境に関心を持ち、吉林省のいくつかの国営企業のレイオフ労働者の権利を守る活動を支援する。
蔡広業は「レイオフ労働者は二筋の涙を流す」というハンドルネームで、中国政府系ウェブサイトである人民ネットの掲示板である強国論壇で、失業・レイオフ労働者についての文章を発表した。二〇〇一年十二月十一日、二二二医院政治処主任、幹事、聯勤部第一支部保安科科長が蔡広業の自宅に来て調査を行い、彼のコンピューターを持ち去った。
十二月二十一日、蔡広業のコンピューターは返還されたが、蔡広業本人は吉林軍区の担当者に連行されて隔離審査が行われた。二〇〇三年七月に労働教養三年の処分が下され、現在は遼寧省蔡陽市の郊外の軍労働教養所に投獄されている。情報によると、蔡広業は拘束された後も「悔い改めることなく」、マルクスレーニン主義の立場から軍事官に「説教」したことから労働教養の処分を受けたといわれている。
何人かの蔡広業の友人によると、蔡広業は労働教養処分の期間中は、羊の放牧を任され、飼育、交配、出産、治療などに従事しているという。妻の蔡黎陽は中学の国語の教師をしており、娘は中学校に通っている。蔡広業の賃金は拘束されたことにより支払われていないことから、家計は主に妻の月収八百元に頼っており、生活は比較的苦しいという。
中国政府による国有企業に対する私有化政策および二〇〇一年にWTOに正式に加盟したことにともない、中国の国有企業は一層の競争圧力にさらされることになり、倒産や内外民間企業への吸収が予想される。それはさらに多数の労働者が職を失うことを意味する。基本的な社会保障制度が確立されていない状況において、多くのレイオフ失業労働者の生活は非常に厳しい状況にある。このような状況はすでに国内の多くの知識人の関心を集めており、彼らは様々な方法で労働者の闘いに支援を寄せている。蔡広業は労働者のために奔走し声を上げたそのような人々のうちの一人であり、そのために政府による不当な拘束を受けた。
蔡広業と他の労働運動活動家が異なるのは、彼はレイオフ労働者の苦しい状況と中国共産党政府の資本主義化路線という背景とを結びつけて分析し、労働者階級の立場を堅持し、社会主義的価値観を擁護したことにある。彼は労働者民衆の側に立ち、労働者農民のために声をあげ、そのために政府から迫害を受けたのだ。われわれも当然、蔡広業の側に立ち、彼に対する官僚ブルジョアジー政府による迫害に反対する。
われわれは国内外の労働組合と中国の労働者の人権状況に関心を持つすべての友人たちに蔡広業を支援することを訴える。われわれは中国政府に以下の要求を行う。
1、蔡広業をすぐに釈放せよ
2、労働者活動家への迫害をやめること
3、国有企業の私有化政策を停止し、国有企業の民主的経営を行うこと
4、憲法によって保障されている人民の言論、出版、結社などの自由を実現すること
(CHINA NOW!のメーリングリストより)
中国共産党の弾圧で獄中27年トロツキスト周仁生を追悼する
中国の老トロツキスト周仁生同志が死去した。八十三歳だった。周同志は一九五二年の全国トロツキスト粛清の時に中国共産党支配体制によって不当逮捕され、二十七年にわたる獄中生活を闘い抜き、七九年に釈放された。それ以降はドイッチャーの『トロツキー三部作』をはじめとする翻訳活動と教育活動に従事してきた。以下は、中国共産党と中国トロツキズム運動の創始者である陳独秀と中国革命の歴史の真実を掘り起こす活動を行っている「マルクス主義研究促進会」のウェブサイト「陳独秀と中国革命」に掲載されたもの。
温州の翻訳家、周任辛先生が一昨日他界されたことを知りました。享年八十三歳、当会一同心より哀悼の意を表します。わたしたちと周先生とはかねがね面識はなく、数年前に周先生が翻訳に参与した予言者三部作を拝見し、ご友人から周先生が革命的マルクス主義のために長年にわたって奮闘してこられ、そのためにつぶさに辛苦を嘗められてこられたことを聞き及んでいただけでした。周先生は(そのような苦労にもかかわらず)、志を投げ出すことなく、近年においては膨大な著述翻訳を通じて、新しい世代に革命的マルクス主義の伝統を認識させ、スターリニズムの歴史的功罪を省みて来られました。近年中国国内でふたたび陳独秀と共産主義運動史研究の盛り上がりが発展を見せつつあることから、わたしたちは周先生の努力が巨大な影響力を生み出したことを目の当たりにしています。当会が中国革命史の整理と研究活動に邁進すること、これも周先生を記念する最良の方法であると信じております。
二〇〇四年一月二十九日
マルクス主義研究促進会
周仁生同志略伝
周仁生同志は浙江省温州の人で、一九二二年四月二十二日に生まれた。温州中学を卒業後、浙江大学外国語学部で学び、一九四四年に浙東三臨中、温州師範などで教壇に立ち、一九四六年に上海に行き、教員を職業として、主に革命的宣伝活動に従事した。一九四八年、(中国)トロツキスト多数派の党結成大会に参加した。その時の会議で(中国)トロツキスト多数派の名称は正式に中国革命共産党と定められ、大会の後、周仁生は宣伝活動の責任者となった。一九四八年下半期には、福建省海澄中学で教鞭を取り、その後校長になった。その時から名前を周任辛とした。
周仁生同志の革命理論、著述、翻訳、宣伝での煽動能力はすべて強力で、そのトロツキズムは多くの青年に影響を与えた。一九五二年に全国トロツキスト粛正の時に捕まり、無期懲役の判決を受け、福建、浙江、上海などの監獄に投獄された。二十年後の一九七二年九月二十八日、上海に投獄されて、釈放されていなかった十二人のトロツキストが全員釈放されたが、釈放を宣告されてすぐに釈放証を没収された。そして青東農場と周浦ガラス工場などの労働改造所に送られた。各人にはすでに準備された一人部屋があてがわれ、毎月少なくない生活費が支給されたが、六人で一つの中庭を共有するだけで、外部の人間との接触は許されなかった。事実上、投獄から軟禁に変わった。一九七九年六月五日、ふたたび十二人は青東農場に集められ、公安局が公民権の回復を公布し、六月末、鄭超麟、喩守一、蒋振東など八人は石泉路の新居に引っ越し、周仁生と王国龍は温州に帰った。一九五二年から一九七九年まで、周仁生などの人々は二十七年も監禁されたことになる。
一九七九年七月初めから二〇〇四年一月二十七日の他界まで、周仁生は外国語教育と翻訳活動に従事してきた。最も影響のあった翻訳はドイッチャーの「予言者三部作」である。中国の中央編訳出版社から出版された大著はトロツキーとその思想を宣伝することについて重要な影響を及ぼした。また長年にわたり義務教育に携わり、高尚な人格と博識は、多くの学生や社会全体から尊敬を受けていた。
周仁生同志の逝去はわれわれの革命事業にとって大きな損失であり、われわれは忠実で誠実なミリタントを失った。プロレタリアートの革命戦士周仁生よ、安らかに!
一九九一年に中国で出版されたドイッチャーの『トロツキー三部作』第二巻『武力なき予言者』の翻訳を周仁生(周任辛)が担当した。
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