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                           かけはし2004.03.08号

北朝鮮の核開発をめぐる六カ国協議が示したもの(上)

荒沢 峻

何が浮かび上がってきたか

 二月二十五日〜二十八日まで北京で開かれた二回目の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)核開発問題六カ国(米・中・朝・ロ・韓・日)協議は、作業部会の設置、次回協議の六月末までの開催などを議長声明で確認して終了した。同協議では北朝鮮の「核凍結」の内容をめぐる米朝間の対立が解消されずに終わった。
 しかし、昨年春までは「核問題協議は朝米二国間の問題」として多国間協議への移行を頑なに拒んできた北朝鮮が昨年四月以降に多国間協議に応じて以降の流れを検証すれば、協議の継続・前進と多国間合意下での大規模経済支援を切望している北朝鮮の姿勢が浮かび上がってくる。

経済援助獲得への揺さ振り外交

 昨年四月の米中朝三カ国協議を北朝鮮は「中国が司会した朝米核問題協議」と見なして日韓の協議参加は拒否し、核兵器保有を公言して米に揺さぶりをかけながら、一方で「米の対北朝鮮敵視政策の大胆な転換を促すため新しい寛大な解決方法を提示した」とした。金正日独裁体制のこうした軍事と外交(核問題)のもて遊びに翻弄された中国指導部は以降、五カ国を網羅する「シャトル外交」によって北朝鮮への外交圧力を強め、ついに六カ国協議(八月)の場に北朝鮮を引きずり出すことになった。第一回六カ国協議の公式協議の場でも北朝鮮は「強力な核抑止力の保持」を公言、米に対しては「核実験の意図」を示唆しながら「朝米不可侵条約締結」による一括妥結案を提示し、協議は次回開催スケジュールすら決められないまま終了。核保有公言による揺さぶりもままならなかった北朝鮮代表団は「こんな会談は開く必要もなく興味も持つことはできない」と言い残して北京を後にした。
 こうした中で中国指導部は「朝鮮半島安定化・非核化」という国益をかけて事態の打開に乗り出し、六カ国協議から一カ月後には指導部ナンバー2とされる全人代委員長ら政権要路で構成された大型代表団の九月末訪朝が明らかにされたが、北朝鮮は理由を告げないまま「延期」を一方的に通告することで応酬。十月末にようやく訪朝にこぎつけた中国代表団は大規模経済援助と引き替えに第二回六カ国協議への北朝鮮参加を金正日総書記に確約させた。
 この経過の中では北朝鮮核開発問題をめぐる中朝間の激烈な応酬があり、中国側からは何らかの「最後通告」が北朝鮮側に伝えられているだろう。今回の六カ国協議での北朝鮮代表団の姿勢の変化はそのことを物語る。
 「六カ国協議再開のための中国の忍耐性ある努力に深く感謝する」「今回の協議は今後の六カ国協議の方向を決めることになる重要な契機だ」「原則を堅持しながらも柔軟性を発揮して協力する」(北朝鮮代表団の協議初日冒頭発言)。
 協議では核凍結の内容(核利用全般を包含するか核兵器に限定するのか)、核凍結と代替エネルギー支援の実施方式についての対立が解消されなかったことが指摘されているが、協議内容自体については「実質的な討論に入り前進しつつある」(中国代表)、「実質的な問題について相当意見交換があった」(日本代表)とされ、北朝鮮代表も「米国との会談では実質的で根底的な結果を生み出すことができなかった。今後の展望は全面的に米国にかかっている。政策変化の意思があるかどうかだ」と四日間の協議を総括した。
 そして「次回協議の六月末開催」「作業部会の設置」を含む議長声明に北朝鮮は同意した。わずか一年前には核問題は「米朝間のみによる協議で解決される」「朝米不可侵条約締結によってのみ解決される」と豪語していた北朝鮮は今日、今後の六カ国協議継続プロセスの中での「米の政策変化の意思」に期待をにじませている。
 北朝鮮にとっては六カ国合意下での大規模経済支援確保は緊急の課題となりつつある。破綻した北朝鮮経済をこれ以上放置することは金正日政権延命の可能性を閉ざしかねないものとなっており、人民軍組織の規律崩壊の加速度的進行もそれに拍車をかけている。核保有を誇示しながらの揺さぶり外交への異様なまでの拘泥はこうした事態の進行と表裏一体の関係にある。
 六カ国協議では核凍結論議のみが断片情報として伝えられているが、その見返りの経済支援について北朝鮮が関心を抱かないはずはなく、四日間にわたる今回の協議では「実質的な問題」としての食糧・エネルギー支援の規模や内容についても相当の論議がなされたとみるべきだろう。
 六月末までに開催が合意された次回(第三回)六カ国協議での論点は、北朝鮮の核開発放棄に対する経済支援の規模と方法へとシフトしていくだろう。五カ国の思惑がどうあれ、北朝鮮自身がそのことを切望しているのであり、核兵器保有誇示はそのための相場形成の手段にすぎない。

経済援助獲得への揺さ振り外交

 かつて九〇年代に入り深刻なエネルギー危機に陥っていた北朝鮮は核開発計画に介入してきた米国の意表をつく作戦に成功した。二年間(93〜94年)の危機演出の末に自国による黒鉛減速炉原発建設断念と引き替えに米日韓による二基の軽水炉型原発建設、その間の米による年間五十万トンの重油無償提供継続を確保(94年米朝ジュネーブ合意)するという外交的「勝利」を手にした。そしていま北朝鮮が目指しているのは五カ国合意下での国家再建経済支援プロジェクトの確保である。
 そして北朝鮮金正日独裁支配体制は政権延命が担保できるか否かにかかわらずこの選択肢以外に道はない。
 こうした判断に立つなら、東アジアの平和と非核化のために、日本政府の対北朝鮮政策に対して私たちは何を訴え、何を要求していくべきなのか。(つづく)


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