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                           かけはし2004.02.16号

ヨーロッパ社会運動の新しい段階と直面する困難な壁(下)

フランソワ・ベルカマン

 ヨーロッパで最も大規模で、強力で、多様で、豊かな政治的社会的運動の経験を持っている国であるイタリアから提案が行われた。PRC(共産主義再建党)は、グローバルな正義の運動の構築と労働組合運動に全面的に参加し、反資本主義的革命的な「新しい政治課題」を運動に調和させ、PRCを「乗り越えて進む」ように解放するために働いてきた。これは二〇〇三年四月に開催された大会における転換である。
 現在のPRCの指導者であるファウスト・ベルチノッチは、運動と彼の党に関する非常に穏やかなバランスシートを作成した(「ガーディアン」、二〇〇三年八月十二日)。
 社会的動員の広がりと政治的局面(選挙および党にとって)におけるその表現の弱さの間のギャップは、PRCの展望の変化を呼び起こした。運動の失敗によって、諸党の連立、「中道左派」(社会民主主義、ブロディの「オリーブの木」)とPRCの連立によって労働組合全体と社会的運動の支持を受けて、ベルルスコーニ政府を打倒し、新しい左翼政府を形成することが優先されることになった。
 この転換の口火となったのは、国民投票の失敗(二〇〇三年六月)であった。目的は、従業員十五人未満の企業における「不公正な余剰人員」を禁じるように法律(第十八条)を拡大することであった。これは非常に重要な社会的法律であった。この提案は、新自由主義的環境のもとでは非常に急進的なものである。
 雇用者側組織、ベルルスコーニ政府、DS(野党の社会民主党)および三つの大労働組合連合の内の二つ(UILとCISL)から激しい反対の声を浴びた。敷居をさらに低くすることによって、男女の労働者、若者や臨時労働者が巻き込まれた。この運動は強力な市民的側面を持っていた。なぜなら、困窮家庭や非労働組合員グループに呼びかけたからである。これらの部分はしばしばグローバルな正義の運動に参加していた。
 PRCは広範な連合を形成することに成功し、社会的、政治的、市民的左翼(PRC,緑の党、PdCI、FIOM、下層労働組合、CGIL、主要文化運動のARCI)を巻き込んだ。国民投票は目的を達成することはできなかった。投票率が低すぎた(二五・七%)。しかし、一千万を超える人々が提案を支持した。これは巨大な数である。このような著しく矛盾した状況から、どのような政治的結論を引き出すべきか?
 この「失敗」から、ベルチノッチは「転換」を行った。主として急進的左翼の社会的および政治的潮流を基盤としたこの運動の弱さから、彼は新しい展望を発展させた。その狙いは、「中道左派」(「オリーブの木」の社会自由主義政党)との同盟によりベルルスコーニを短期的に打倒し、政府を形成してPRCもそれに参加するというものである。それは「道を開き、開かれた綱領論争を開始し、対立の中ではぐくみ、目標であるベルルスコーニ政府の打倒を実現し、国を治める可能性を持つ綱領的同盟を実現する」という問題である(「リベラシオン」九月二十五日、PRCの「全国指導部」が採択した文書)。
 そこにはあらゆる戦術的困難と問題がある。すなわち、右翼政権を追い出すための新自由主義的社会民主主義を含めた広範な行動の統一、この「統一戦線」内の社会的政治的急進的左翼のヘゲモニー争い、行動綱領を作成するための公開政治論争、新しい「中道」政府の形成、そのような政府へのPRCの参加、などである。ベルチノッチによれば、この政府は社会的急進主義によって特徴づけられる。なぜなら、この政府は運動によってもたらされ、今日の資本主義では社会民主主義的/改良主義的綱領が実行不可能で新自由主義が完全に信用を失っている局面でもたらされるからである。
 問題は行動の統一でも、非常に反民主的な選挙法のためにベルルスコーニを打倒するには選挙ブロックが必要であるという事実でもない。問題は、綱領がすでに決定されている政府に参加するという約束を、PRCがすでに発表したことである。経験が決定するのである。PRC指導部の主要な動機は、明らかに、若者と人民大衆の自主的活動と自己組織化、それに合わせたPRCの急進的路線、PRCの活動家たちの膨大な活動が運動に重要な役割を演じるという非常に実りあるべき局面の後に、選挙で失敗し、党の成長が限られていたことである。
 この性急な転換の根源には、真の困難が存在している。すなわち、われわれは社会的政治的運動の再生の最初の段階にある。その組織的復活は限られているが、社会の中でのその正統性はすでに十分確立されている。反資本主義的/急進的党はいまだ少数派であるが、すでに選挙された議会に進出することに成功している。
 このことが、社会的(そして多くの場合民主的)権利に対する攻撃を強化するという右翼政権の策略に続いて起こったことを、無視することはできない。選挙主義に陥ることを避けながら、選挙において強力に表現することが、反資本主義的オルタナティブを目に見えるものにするために有益である。
 他方では、社会自由主義政党との綱領的政府同盟を構築することは、フランス共産党からベルギーのエコロジストに至るいくつかの政党の場合にそうであったように、信用を失うことになる可能性が強い。それらの党の組織はぼろぼろになっている。さらに重大な危険は、そのような政府同盟がそれに加わる反資本主義的政党を不可避的に連立参加を採用する方向に押しやり、さらに悪いことに社会的運動の自律を制限する方向に押しやることである。政党と運動の双方が、そのような行動に伴う不可避的な政治的激動に巻き込まれることになるだろう。
 われわれは、社会的および政治的運動の発展への道をしっかり保持し、運動に全面的な自由を許容して、行動の翼を広げ、表現の自由と複数主義による文化を創造し、綱領、分析、組織を強化しなければならない。「政治的表現」の問題は、避けることのできないきわめて重要な問題である。しかし、急進的左翼にとっては、残念なことにそれは真空の中に置かれている。党、選挙、政府、国家の問題はタブーである。だれもがそれらの問題について語るが、運動の中で語ることはタブーになっている。社会的運動の広がりと必須の政治的戦略の間のギャップは、依然としてタブーである。どの程度タブーなのか?
 広範な関与がまったく存在しないので、ギャップを埋めるのに役立つのは異質な要素だけである。
 次の四つの要素が役立ち得る。
 (1)広範な抗議と国際主義的・グローバル主義的層が存在している現在の情勢の際立った新しさ。それはこの二十五年間で初めてであり、国によって程度の違いはあるが世界的な規模の現象である。この層は世界的規模のイニシアティブに関して驚くべき能力を持っており、現在は社会自由主義的保守派や制度的勢力の支配をのがれている。この中では、社会的複数主義的左翼が基盤的要素である。新しい反資本主義的政治的組織を形成するエネルギーと自覚が見られるのはこの運動の内部である。しかし、惰性、不信、消極性、誤解がこの解決を阻んでいる。この間、社会自由主義的左翼の伝統的政党に対する社会的活動の政治的結論は放置された。
 (2)運動は、運動の領域と運動が提起する社会的問題のために、今や深い矛盾を抱えている。すなわち、運動のアイデンティティである主要な要求(トービン税、第三世界負債の免除、社会的不平等に対する闘い)をいかにして達成するのか、そしてその上に立って、可能な「別の社会」にいかにして到達するのか、という問題である。この問題から論理的には「別の左翼」を求める要求が出てくる。「戦略」や「綱領」について語る場合は、まさに政治的潮流や運動や党の、組織された意見の複数性についても語らなければならない。運動が「反資本主義的」であることは繰り返し語られている。確かに「潜在的には」反資本主義的であり、反体制的である。しかし、反資本主義にとってのいくつかの基本的要素が欠如している。すなわち、巨大多国籍企業から経済的権力を奪うことの必要性、政治権力の根本的変革と下からの再編成、われわれを支配している金融寡頭制に対抗するための多数派すなわち民主的社会的勢力の必要性である。これらの考え方については討論されておらず、ほとんど受け入れられてさえいない。明らかにこのことが、なぜ運動の大きな部分にとって「政治」が不可解で嫌がられるのかを説明する理由の一つである。
 (3)「運動の外部」では非常に活発な政治的生活が存在している。政権党は、強力な分極化要因である。政権党の行動は住民大衆に影響を与える。ほとんどのヨーロッパ諸国で、社会自由主義的左翼を見つけるのは容易である。彼らは政権党と野党の立場を繰り返している。提案または実施されている具体的政策に対して立場を取ることを、あるいは対案を作成することを、運動はどうして拒否できるだろうか。何よりも、これは現実の政治的闘いなのである。しかし、運動の中では政治の重圧はますます重いものになり、運動にのしかかっている。信用を失い疲労困憊した社会民主主義は、運動に「参加」することを必死に追及している。社会民主主義は改良主義的な個人の支持者を見つける。たとえば、フランスではATTACのカッセン=ニコヴィエフ指導部は社会党や共産党と連携して政治的社会的急進主義左翼を攻撃している。運動は一つの政党または複数の党、または一つの党の複数の潮流の中に組織化することを避けることはできない。
 (4)ゆっくりした潜伏している政治的明確化のこのプロセスは、次の数か月の間に表面化し始めることは疑いない。これまで言及した理由、特に二〇〇四年六月のヨーロッパ選挙のためにである。EUとそこに関与している政党にとって、フィンランドから地中海まで、大西洋からロシア国境までのこの資本主義的帝国主義的ヨーロッパを正統化しそこに食い込む絶好の機会である。社会自由主義的左翼と反資本主義的左翼の間の違いと対立が、何百万の人々の目に明らかになるだろう。数千の運動の活動家や支持者がどうして傍観者にとどまっていられようか。今回は、投票日の夜に票数を数えるときではない。人々の心をかちとる闘いのときである。
 中期的将来に二つの大きなイベントが行われる。ヨーロッパ社会フォーラムでは数万人が「ワークショップ討論」に参加し、数十万人がパリのデモストレーションに参加するだろう。また、二十五の加盟国(人口四億五千万)で膨大な数の人々が政治的選択を行う。この二つのイベントを結びつける必要がある。
 新自由主義的政治を押し返し、社会的権利の問題をヨーロッパの心に持ち込む共通の動員をフォーラムから推進すること(戦争反対の闘いを忘れることなく)をわれわれは望んでいる。これらの問題も、二〇〇四年六月の選挙運動の核心である。
 社会的左翼の活動家は、この機会をつかまなければならない。われわれは参加しなければならない。情勢は有利である。まず、ヨーロッパ反資本主義的左翼会議で数年にわたって協力してきた一連の広範な複数主義的な政党や運動が、ヨーロッパ党を形成したいという意志を表明している(インターナショナル・ビューポイント二〇〇三年九月第三五三号、「かけはし」03年10月13日号を参照)。社会的要求を強制し、「もう一つの世界」、「もう一つのヨーロッパ」のために闘うことができる新しい政治的勢力をすでにヨーロッパに形成していると主張するほど彼らは傲慢ではない。彼らは、何万人もの男女に向かって手をのべて、参加するように求めている。新しい反資本主義的政治勢力は、ヨーロッパ社会フォーラムに対応しなければならない。

(1) この過程全体は非常に複雑である。EUは相対的に均質的な経済的レベルの、非常に古い帝国主義的機構を持っている国家のごく最近の集合体である。その構築は、多くの経済的、歴史的、文化的、政治的慣性によって特徴付けられる矛盾した過程であった。
(2) ミシェル・ユソンは「Le Grand BLUFF Capitaliste(巨大な資本主義的ハッタリ)」(「ラ・ディスピュトゥ」、二〇〇一年、p184)で、諸国家にとっての重要な役割は、国際的投資および主要世界通貨間の交換レート政策の管理であると指摘している。
(「インターナショナルビユーポイント」)03年10年号


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