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韓国はいま                      かけはし2004.02.09号

映画「実尾島」-金日成暗殺をねらった韓国秘密部隊の悲劇


 私は映画については露ほども知らない。けれども684北派部隊を扱った映画「実尾島」(注1)について書こうと思う。ただ、おこがましく映画の技術的な完成度だとか、演出や演技力、キャラクターの分析や評価などについては触れない。「実尾島」についての映画的分析は映画評論家のような映像文化の専門家たちの領域だ。私には、それをする能力もないけれども、この文章の目的とも隔たりがある。
 平素、ほとんど映画館に足を運ばない私が先日「実尾島」を観に行った理由は分断と戦争、南北関係に関心があったからだ。映画を見終わった後、心穏やかならざるものがあった。私の「実尾島」観賞評を要約すると、「感情の過剰」あるいは「歴史の貧困」だった。
 けれども他の人々の評価は極めて友好的だ。「実尾島」は封切り15日目の1月7日、全国で400万人を超える観客を動員するなどの興業の勢いだ。観客らは殺人的訓練にうちかった684部隊の訓練兵らの不屈の意志、ねばっこく荒っぽい男たちの同僚愛に拍手を送り、個人の生を無慈悲にぶち壊す国家権力の乱暴さに怒る。
 私は「実尾島」に賛辞を送る人々の判断を尊重する。私が感じた心穏やかならざるものが、他人が感じた感動よりも比較して優位にあるとの根拠は、どこにもない。仮に「実尾島」を観終わった後、映画館のトイレに行かなかったならば、この文章は書かなかっただろう。トイレで高校生ぐらいと思われる10代の2人が用を足しながら映画について話していた。「おい、キム・イルソンの首を取ることができたのに、惜しいな」。「全くだ。そうなってりゃ統一もできてよかったのに」。
 映画の中盤ごろ、辛い訓練のすえに殺人兵器として完成された684部隊の隊員らがキム・イルソンの首を取るためにゴム・ボートに乗ってピョンヤンの主席宮に向けて出動する。けれども突然の北派作戦取り消し命令を聞いて部隊員らは海上で絶叫する。「どうか北に送ってくれ」と。10代の若者らは個人を無慈悲に破壊した国家や戦争を扇動するイデオロギーを批判するのではなく、キム・イルソン暗殺計画を取り消した国家の「気まぐれな」命令に怒っていた。
 はたしてどれほど多くの人々が、このような反応を示しているのか気になった。「実尾島」の公式のホーム・ページ自由掲示板には「われわれは31人のランボーを失った」「南北和解の雰囲気が、それほどまでに重要だったのか」というような文章が載っている。大衆の関心事に鋭敏なスポーツ新聞は、684部隊の小隊長キム・バンイル氏(59、映画の中でのチョ中佐、実在の人物)に会い「万一、キム・イルソン暗殺計画が試みられていたなら、必ずや成功したものと確信する」とのインタビュー記事を載せたりもした。
 特に実尾島の部隊員31人を英雄視する10代の若者たちが、このような反応を示した。「キル・イルソンの首を取れば統一が実現できた」という一部観客らの「危険な感動」は、まかり間違えば南北関係を対立と葛藤へと引き戻そうとする守旧勢力に悪用されかねない。
 数多くの難関をうち破って、最近の南北関係は敵対と対立の関係から互いの違いを認めた前提の上で、交流を通じて共同の利益を追求する和解と協力の関係に向かっている。けれども依然として「国軍のタンクがピョンヤンの主席宮に押しよせて行くとき統一が実現される」として歴史を後戻りさせようとする守旧勢力らがいる。
 カン・ウソク監督は封切り前に「シネ21」(ハンギョレ新聞社が刊行している映画情報誌)とのインタビューで、「実尾島」は国家主義の犠牲となった人々の悲劇を描き出したと語った。カン監督は、教育隊長役を演じたアン・ソンギが中央情報部の幹部に「中央情報部は国家なのか」と語る場面を撮るとき、気分は最高だった、と語った。監督は国家主義を批判すると言っていたが、一部の観客は国家主義に埋没してしまったわけだ。
 けれども、このような現象は観客のせいだけではないと思う。映画では「上部から」のキム・イルソン暗殺作戦取り消し命令に抗って「キム・イルソンの首を取るために北に送ってくれ」と言って訓練兵らが凄絶に泣き喚く場面を詳しく示し、実尾島を脱出した訓練兵らがソウル・大方洞(国会議事堂などのある汝矣島の近く)までバスに乗ってきて鎮圧の軍人らと対峙して最後を迎える瞬間に、南北赤十字会談を告げる垂れ幕がひらめく。映画に出てくる訓練兵らと「キム・イルソンの首取り=人生の逆転」というのは情緒的一体感を持った一部の観客らが、政府の気まぐれな平和統一政策が実尾島の英雄31人を殺したとの「陥穽(かんせい)」に落ちるに充分な装置が映画の随所に配置されている。
 何よりも映画は訓練兵らが実尾島に連れて行かれることになった1968年の敵対的南北関係については大きく注目しなかった。映画の宣伝文句のように、32年間も葬られていた実尾島の歴史的真実を明らかにしようとするのならば、現役軍人でもない31人の市民らが、なぜ68年春に実尾島に集められることになったのか、なぜ凄絶な死に至ったのかに注目すべきだった。
 実尾島事件の根っこは分断と、これによって派生した敵対的南北関係であり、68年の具体的状況に注目しなければならない。「1968年の1年は韓国(朝鮮)戦争後の休戦期間中で最も激烈な年だったのであり、非武装地帯の内外で深刻な諸事件が発生した」(駐韓国連軍司令部軍事停戦委「停戦協定に関連した重大事件日誌」より)。
 68年には南側に浸透していた321人の北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)の武装要員らが死亡し、軍事分界線(休戦ライン)の付近で181件の南北衝突が繰り広げられた。この結果、145人の国軍、18人の米軍、35人の民間人など198人が戦死し、240人の国軍、54人の米軍、16人の民間人など310人が負傷した。68年、南北は2日に1回の割で軍事分界線で大砲まで動員して交戦をしていた、事実上の戦時状態だった。万一、一部の観客の望み通りに684部隊員らがキム・イルソンの首を取ったならば南北統一ができただろうか。
 ひどすぎる。戦争の危機が高まっていた当時の韓(朝鮮)半島の状況を考えれば、十中八、九、韓半島の全面戦争へと変わっていっただろう。70年代に入って米国と中国の和解など東西冷戦の緊張が和らぎ、北韓の相次いだ対南浸透作戦が失敗すると、南北関係は対決から対話の局面へと転換する。韓半島は60年後半から続いていた一触即発の戦争の危機を辛うじて乗り切ることとなる。
 ところが映画を見て気がかりになった。北韓は特殊部隊である124軍部隊所属の最精鋭現役将校31人を南派して青瓦台(韓国大統領府)襲撃事件をひきおこしたが、なぜ韓国は軍番号も階級もない市井の人々によって684部隊を編成したのだろうか。684部隊の最後の訓練兵ミノのセリフのように、国家は「だれにも知られず使い、だれにも知られず消してしまう計画」だったのだろう。
 また別の構造的原因は当時、韓国軍の戦時・平時の作戦統制権が、すべて駐韓国連軍司令部にあったからだ。北韓軍の対スパイ浸透作戦に対する韓国と米国の対応作戦も国連軍司令部司令官の責任下で遂行された。ところが1968年1月21日の青瓦台襲撃事件と1月23日の発生した米国情報艦プエブロ号拉北事件(注2)の処理をめぐって韓国と米国が衝突した。国連軍司令部司令官が青瓦台襲撃事件にはいかなる対応もしないうえ、プエブロ号拉北事件に対してはデフコン2を発令し、戦争直前の段階にまでいった。
 このような米国の二重的態度に怒ったパク・チョンヒ大統領は韓国軍が報復攻撃の一環として北進することができる、と脅した。これにあわてた国連軍司令部は韓国軍の単独北進を阻もうとして韓国軍に対する油類の補給統制を強化したりした。
 当時、韓国軍にも最精鋭の特殊部隊要員らがたくさんいたけれども、中央情報部は1968年4月、実尾島に階級も軍番号もない民間人たちを緊急に集め、キム・イルソン暗殺訓練をさせたのは作戦統制権がなかったからではないだろうか。「実尾島」には684部隊員31人の凄惨な運命と軍隊の作戦統制権を異邦人に委ねた1968年の大韓民国の凄然たる姿が重なっている。(「ハンギョレ21」第493号、1月29日付、クォン・ヒョクチョル記者)
 注1 1968年、北朝鮮の武装工作員が韓国に侵入し朴大統領暗殺をはかった事件をきっかけに、当時の韓国中央情報部(KCIA)は、北侵して金日成を暗殺することを目的とした特殊部隊を創設した。この特殊部隊は仁川沖の実尾島で厳しい訓練を受けていたが1971年の「南北対話」ムードの中でその存在自体が抹殺される運命となった。特殊部隊員の二十四人は同年八日、島を脱出してソウルに向かうが軍に包囲され交戦のすえ二十人が死亡、残る四人も死刑となった。
 注2 1968年1月23日、朝鮮民主主義人民共和国の元山港沖でアメリカの武装情報船プエブロ号が朝鮮人民軍海軍艦艇に拿捕(だほ)され、80余人の乗組員が逮捕され、取り調べを受けた。同年12月23日、アメリカ側が公式謝罪し、乗組員は全員釈放され、帰国。


あなたが米軍駐屯費を払っている

急増し続ける「防衛費分担金」


 1991年から韓米駐屯軍地位協定(SOFA)によって韓国政府は駐韓米軍の駐屯費用のうちの一部を負担している。この費用は国防予算の項目において防衛費負担金として組み込まれている。今回の防衛費分担金の予算は6983億ウォンで、全国防費の3・47%、戦力投資費の11%を占める。
 毎年、急増している防衛費分担金は納税者たちに国防費の負担を加重させる一つの要因となっている。91年以後、2003年までの国防費の増加率は135%であるのに比して、同期間の防衛費分担金の予算増加率は686%だった。
 国会の統一外交通商委関連の報告書によれば、米国は総駐屯費用の具体的構成項目別の金額や算出の根拠をわれわれに知らせてはいない。これまで韓国は駐韓米軍がカネをどこに、どれくらい使っているのかも知らないまま米国と防衛費分担交渉をし、米国が要求するカネを出してきた。このような不合理な交渉では公正な防衛費分担が実現しがたい。
 米国防部が米議会に出した防衛費分担報告書の内容を見ると、われわれが米軍に支援している土地などの間接費用についての評価が一様ではない。例えば米国は95年には土地供与などの間接支援費を14億3千万ドルと評価し、98年には4億ドル、99年には3億9700万ドルだけを認めている。このような限界のゆえに国会の予算審議の過程で、今年初めから始まる2005年〜2007年の防衛費分担金交渉の際、米国側に合理的な根拠を要求すべきだとの指摘が高まっている。
 防衛費分担金の規模も問題だが、支出も問題だ。年とともに韓米連合防衛態勢の強化のための連合防衛増強事業費や軍事支援費は大幅に減り、駐韓米軍の駐屯費用を減らしてやるための人件費や軍舎建設費は大幅に上昇している。人件費は駐韓米軍が雇用した韓国人の人件費を現金で支援するのにかかるカネであり、軍舎建設費は駐韓米軍が使用する兵営施設、電気、給水体系および非戦闘軍事施設建設の費用の一部を現金で支援している予算だ。
 昨年の防衛費分担金6559億ウォンのうち、人件費(3033億ウォン)と軍舎建設費(1801億ウォン)の比重が74%(4864億ウォン)を占めた。これに比べて飛行大隊、滑走路のような米軍の戦闘作戦施設を建設し補修する連合防衛増強事業費の比重は11%(736億ウォン)だった。2002年の場合、防衛費分担金の支援内訳に策定された連合防衛増強事業費750億ウォンのうち21%(148億ウォン)が人件費や軍舎建設費の不足分を穴埋めするのに転用されたりもした。
 韓国の納税者たちが出した税金である防衛費分担金が韓国軍の脆弱戦力の補強や韓米連合作戦の能力向上というよりは、他郷暮らしをしている駐韓米軍の面倒見に大部分が化けている、というわけだ。(「ハンギョレ21」第493号、04年1月29日付)


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