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                           かけはし2004.02.09号

ヨーロッパ社会運動の新しい段階と直面する困難な壁(上)

フランソワ・ベルカマン

 昨年、ヨーロッパ全体を二つの巨大な社会運動の波がおおった。ひとつはイラク反戦運動の空前の盛り上がりであり、もうひとつは、年金改悪をはじめとする新自由主義的政策に反対するストライキと巨大な街頭デモの波である。しかしこの闘いを「もうひとつのヨーロッパ」「もうひとつの世界」のための闘いに押し上げることができるような新しい政治勢力は、いまだ形成途上にある。ベルカマンは第四インター執行ビューローのメンバー。

 EU全体に反動的「改革」を押し付けようとする雇用者側の攻勢に対する、大部分は自然発生的な社会的動員は、新自由主義的モデルの正統性の危機を証明するものであった。新自由主義モデルの正統性の危機はすでにグローバルな正義を求める運動の成功の中で明らかになっていた。しかし、この広範な拒否の運動と、「もう一つの可能な世界」を求める大衆的要求に内容を与えることができる政治的プロジェクトの再生という困難な課題の間には、なかなか埋まらないギャップが存在する。急進的左翼は一連のヨーロッパ諸国で政治的および制度的に目立ち始めているが、急進的左翼は大衆運動が未だ無自覚的にではあるが期待している政治的対応をどのように発展させることができるだろうか。
 対イラク戦争とその余波は、闘争の条件と政治的展望を検証する重要な機会をもたらしている。二つの側面を強調する必要がある。すなわち、帝国主義は、その巨大な物質的手段にもかかわらず、分裂が明らかになり、政治的レベルおよび正統性に関しては弱くなっていることである。しかし、 戦争と新自由主義的政策に反対する動員は、歴史的に未曾有の規模であったにもかかわらず、戦争を阻止できなかったし、世界的規模での生活水準の悪化を阻止できなかった。二つの陣営の対決は依然として続いている。対決の現場での勢力の再編成に注目が集まっている。
 戦争の終わりから時間が経つに従って、その政治的結果の認識は変化している。米国の侵略は、最初は軽快なダンスのように思われたが、長期的闘争を思わせる、民衆的要素を伴うしつこい抵抗に遭遇し始めた。この「悲観主義」はフセイン派の軍隊の消滅によって消え失せた。米国にとって、中東全体の再征服と再編成の道がひらけたかのように思われた。ブッシュは北朝鮮を始末する意図さえ表明した。今日では、事態は逆転している。米国政府はイラクで沈没し始めている。問題はもはや軍事的な問題ではなく、政治的問題である。ブッシュは泥沼から脱出するために必死に支援を求めている。
 シリア、イラン、そして意味は異なるが、サウジアラビアに対する米国の圧力は、現実的な圧力である。しかし、今や、これらの国の国家機構を破壊する力として作用しなくなっている。どんな大きな政治・軍事作戦でも、征服した国を大急ぎで安定化することが不可欠なのである。ブッシュのイスラエル・パレスチナ和平政策の失敗がこの困難を増幅している。これらのすべてが、国内政策(予算、経済回復など)、イラクに関する国家のうそ、二〇〇四年十一月大統領選挙に向けた選挙運動の開始と関連して、ブーメランとなってブッシュに襲いかかる可能性がある。
 中東での行き詰まりは、米国の至上権の限界を明らかにしている。米国は超大国であり、世界唯一のスーパーパワーであるが、地球全体を統合的に支配する手段は持っていない。帝国主義陣営内の同盟国や家来どもを含めて地球を服従させることは、米国の力を超えている。まったく突然、帝国主義体制内の矛盾が顕在化した。
 最も衝撃的な政治的事実は、次の二つのことである。第一に、EUの頭目である仏独枢軸が、戦争の勃発や侵略の失敗の以前から、特にロシア(および中国)との連合を形成して「米国の支配」限界を顕在化させた。次に、カンクン・サミットにおける、ブラジル、インド、南アフリカ、中国を中心とする「非同盟国」連合(G20またはG21)が復活したことである。ブラジルは、FTAAに対する対案として南米南部共同市場を再出発させてラテンアメリカ経済関係を推進し、この新しい勇敢な行動の先頭に立っている。カンクン・サミットにおいては、この脆弱な連合がこれらの国々の農業の破壊的な自由化を阻止することに成功した。大西洋ブロック(EUと米国)内部の公然たる対立が第三世界諸国の要求を強める余地を作り出していることに注目することが重要である。カンクンはシアトルの記憶をよみがえらせた。
 重要な政治的事実は、米国との関係で欧州連合の自律性が強まり、これに伴って対立が発展していることである。「帝国主義」と世界情勢の分析において、EUは一般に忘れられ、米国の至上権が当然と考えられている。
 一九八〇年代の後半から二十世紀の終わりまでの約十五年間にわたって(注1)、EUは米国に匹敵する規模の単一市場を形成し、この工業的商業的力の上に自律的通貨制度が構築された(注2)。EUの国家機構は確かに不完全ではあるが、既成の超国家的機構(欧州委員会、欧州評議会、欧州中央銀行、欧州裁判所)と一連の国家間規制が今や枠組みとして機能している。「自然発生的」かつ分散的に始まった商業的組織も、今では集中的政治的に活動している。このことはEUの内外で感じられている。
 大西洋ブロック内部で起こった矛盾は、思いがけないことでも偶然でもない。EU・米国間の対立への新しい傾向は、対立する二つの運動に由来し、これらの運動はますます強まっている。一方ではEU国家機構と世界的舞台でのその具体的活動の建設がある。いずれにせよこれまでの米国との力関係は調整しなおされるだろう。他方では、米国支配階級は単独行動主義的積極的戦略を抱き、帝国主義体制全体を緊密に支配しようとしている。
 一九四五年以降結果的に生じた米国支配の時代は、終焉を迎えようとしている。米国の多国籍企業に奉仕する米国国家機構の偏在性、全能性、積極行動主義は、EUだけでなく他の大国や中ぐらいの諸国を含めて、国際的利益に対立するようになっている。激化する競争と国家間対立が、隠然・公然の大小の経済的・政治的紛争を増加させている。アメリカ帝国の限界と矛盾が明らかになっている。
 NATO内での米国に対する欧州諸国の抵抗は、すでにアフガン戦争のときに一時表面化し、二〇〇三年に再び表面化した。フランスとドイツは、米国の支配の欲望に対抗している。彼らはトルコ問題をめぐってNATOを麻痺させている。国連安保理事会ではロシアおよび中国と同盟し、米国の戦略を阻止し国際的に孤立させた。
 逆説的に聞こえるかもしれないが、この大西洋をはさんだ対立は初めてEUに広範な民衆的基盤を与えた。このことはまずEU内部で大きな政治的要因となるだろう。EUに憲法を押し付けるという巨大な作戦と二〇〇四年六月の欧州選挙は、この獲得物を打ち固めるものになるだろう。
 かくして、EUのイメージの人気を高めるための莫大な費用をかけたキャンペーンは失敗したが、戦争、いや複数の戦争、特にバルカン戦争は成功した。支配階級内部の一致は存在しないが、あらゆる色合いの政治家たち、特に社会民主主義者や緑の党は、この局面を全面的に利用するだろう。EUは対抗権力として、米国に対するオルタナティブとして打ち出されている。世論調査「ユーロバロメータ」によれば、今やヨーロッパ人は「独自の」防衛力を支持し、ブッシュは「世界の危険を高めている」と考えている。
 この傾向は一般的であるが、その程度は国によって異なる。最も目をみはるような結果が出現したのはドイツである。ドイツは四十年間スターリニスト・ブロックに直面し、「同盟国」の占領下にあった。「共産主義」に対する保護者アメリカに身をゆだねてきた国は、数年の間(一九九九年以降)に二つの巨大な跳躍を成し遂げた。まず、憲法によって国境を越えることを禁じられていた軍隊に関するタブーを打ち破った。そしてイラク戦争後は、ドイツはヨーロッパ帝国主義の利益を防衛する「ヨーロッパ」防衛の最前線として自己を位置付けようとしている。事態はひとめぐりしたのである。米国の戦争が、仏独枢軸が大多数の加盟国の支持を受けてEU内部のイニシアティブを取り戻すことを可能にしたのである。
 EUの「新しい」正統性は、民主的社会的「価値」(一九五七〜一九八〇年までのローマ条約の場合のような)に基づくものではなく、「米国に対するオルタナティブ」という空っぽの殻と抑圧機構の強化(軍隊、国境警備隊、「反テロリスト」対策など)に基づいている。既成政党の圧倒的多数は、まったく新自由主義的で好戦的で反民主的な憲法草案を、いくつかの原則に関して不同意であっても、進んで支持しようとしている。これには保守派、リベラル派、緑の党、社会民主主義者、そして一部の共産党が含まれる(たとえばドイツのPDSは確実にそうであり、他の諸党は熟慮中である)。
 英国首相ブレアの哀れな運命は、これに直接結びついている。彼の戦略は、戦争中はブッシュに次ぐ位置を占めることによって、英国をEUと通貨同盟(ユーロ)の頂点に押し上げることであった。この失敗と彼に個人的な影響を与えているスキャンダル(デビッド・ケリー博士の死亡に関する国家のうそ)によって、彼は疑いもなく英国支配階級にとってのあらゆる有用性を失った。今やブレアはUターンし、EUの「軍事的防衛」に関するフランス・ベルギー・ドイツの考え方、NATOの自律性を受け入れた。彼のライバルのゴードン・ブラウンや自由民主党は取って代わるチャンスをうかがっている。副次的効果として、労働党は一九四五年以来の未曾有の危機に陥っている。グローバルな正義の運動が先頭を切り多くの労働党活動家を引きつけた巨大な反戦運動が、英国社会を揺り動かした。反戦運動は重要な労働組合セクターによって社会民主主義の心臓部にも持ち込まれ、戦争とブレアのシニカルな親ブルジョア政策に対する抵抗に火をつけた。
 イタリアおよびスペイン政府は、ブレアのような不信を買ってはいない。巨大な戦闘的動員があったにも関わらず、ベルルスコーニもアズナールも選挙で罰を受けることはなかった。
 他方では、ヨーロッパ諸国政府は、ブッシュ反対の恩恵をこうむる「平和主義派」(フランス、ドイツ、ベルギー、ルクセンブルグ)か親戦争派(イタリア、スペイン)かに関係なく、闘争を麻痺させるために使用者側と労働者の間に「神聖同盟」を強制しようとはしなかった(ブレアは例外で、消防士のストライキを暴力的に攻撃した)。
 反対に、戦争準備期間も戦争期間中も、社会的紛争は持続した。このことは、ヨーロッパ的正統性の限界を示している。EUも各国政府も深い不信を向けられたままなのである。使用者側と政府は、社会的給付を漸進的系統的に巻き返す制度的メカニズムの能率の良さに頼って自らを慰めている。
 ヨーロッパは、この二十年間に前例のない労働組合の動員の波を経験した。ほとんどすべての国で、「これまでの長い間で初めて」の現象が目撃された。それはその広がりや激しさや持続性において初めてであっただけでなく、さらに重要なことは「下からの」(下部労働者、活動家の地方的チーム、中間機関の)新しいイニシアティブ能力が発揮された点で初めてであった。また、既成の労働者運動への「外部」からの介入についても強調する必要がある。すなわち、協会、NGO、第三世界連帯グループ、エコロジスト、そして組織化されたレベルでのグローバルな正義の運動の活動家たちである。これらのすべてが労働運動(労働組合、社会的および政治的運動)の革新を示しており、労働運動の新しい地平が開かれるだろう。
 この再組織化/ルネッサンスは、ほぼヨーロッパ全体に影響を与えた闘争の最初の大きな波の最も明るい要素である。一般に、これらの闘争は勝利で終わったわけではなく、具体的目標を獲得したわけではない。労働組合運動は依然として組織的に弱体である。ほとんどの場合、大衆的な強固な中核を形成しているのは公共部門の労働者である。民間部門では、雇用と解雇の条件は多くの場合はるかに専横である。仕事の大量虐殺、いわゆる「リストラ」が全面的に続いている。工業労働者階級の中核である(東)ドイツの金属労働者やフィアットの労働者は、印象に残る闘いの後、敗北をこうむった。イタリアの経験は特に心配である。イタリアの労働者は左翼組合指導部(FIOM)の下で闘うことができたし、二〇〇一年春以降の目覚しい社会的高揚の中で多くの闘いの波と結びついていた。すなわち、部門別ゼネラルストライキ、「中央」ゼネラルストライキ、ジェノア以降のグローバルな正義の運動の爆発、反戦運動の動員である。反戦動員のヘゲモニーは、何百万もの家の窓に掲げられた平和ポスターによって、とりわけ労働組合運動とグローバルな正義の運動の対話の開始によって、明確に示されていた。
 最近の経験の中で、新しい三つの動的な要因が目立っている。
 (1)闘いは敗北したが、闘いのレベルは活動家層の眼に新しい展望を開いた。闘いの形態が変化した。下部の民主的能力、急進的行動、などである。また、いたるところで労働組合活動家の新しい世代が出現した。彼らは、イデオロギー的には訓練されていないが、労働組合、党、国家機構との対決では断固としている。
 (2)しかし、それは何よりも、労働組合カードルの更新の始まりである。各国で、大きな闘争、全国的な労働者の運動ごとに、労働組合運動のルネッサンスの貴重な兆候が存在している。しかし、それは労働者階級の大きな敗北と労働組合運動の構造的弱体化の後の、始まりに過ぎない。したがって、一方での動員の広がりと、他方でのその政治的組織的沈滞の間の隔たりを認識する必要がある。
 (3)第三の要因は、国際的スケールにおけるグローバルな正義を求める運動の際立ったバイタリティと創造性である。
 グローバルな正義を求める運動は、短期間に、多数の社会的運動にとっての基準点となる国際的運動を形成することに成功した。それによって、国際情勢のきわめて複雑な局面の中で、歴史上未曾有の影響力を持った反戦運動を誕生させた。この運動は、新しいヨーロッパ社会運動を根付かせる活動を続けている(前回のフィレンツェ、今回のパリ/サンドニのヨーロッパ社会フォーラム)。今日、この運動は二つの課題に挑戦している。すなわち、「豊かな」諸国の労働運動と協働すること、そして発展した資本主義世界における「社会的問題」、特に労働の搾取と女性の抑圧の問題の理解を深めることだ。
 グローバルな正義の運動と労働組合という二つの運動の運命は結びついているという直感的な感覚が存在する。なぜなら、二つの運動は同じ敵、すなわち「北」の支配階級、帝国主義国家に直面しているからである。しかし、これによって要求、組織、戦略などの問題が解決するわけではない。特に約二十年にわたって若者の運動と労働者運動の間のギャップが拡大し続けたために、二つの困難な問題が提起されている。
 第一は、グローバルな正義を求める運動の内部では、非搾取階級であり新自由主義的政策を打ち破るための決定的社会的勢力である賃金労働者階級の役割を理解することが必要である。第二に、労働組合運動(ETUCの労働組合)の内部では、ほとんどのヨーロッパ諸国で組織された労働組合左翼が消滅したかに見える状態の中で、パートナー探しが行われている。力関係を見誤ってはならない。賃金労働者階級は守勢に立っている。社会的後退を続けている状態の中にある。結局何も変わらなければ、意気消沈に襲われるだろう。その結果はどうなるだろうか?  (つづく)(IV誌03年11月号)


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