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第4回世界社会フォーラムに参加して          かけはし2004.02.02号

新自由主義のグローバル化を打ち破れ

「もうひとつの世界」をめざす闘いはますます広がっている

                          寺本 勉〈ATTAC関西〉


 一月十六日から二十一日までインドのムンバイで第4回世界社会フォーラムが開催された。ATTAC関西会員で大阪教育合同労組の寺本勉さんに、ムンバイでのフォーラムの模様を寄稿してもらった。

 「コカコーラ、ネスレ、モンサントはインドから出て行け!」。ジョゼ・ボベのスピーチに参加者は大きな拍手で応えた。世界社会フォーラム第二日、ホール1で開かれたカンファランス「食料主権、天然資源」で最後に登壇したジョゼ・ボベは、七〇年前にマハトマ・ガンジーが語った「イギリスはインドから出て行け」を引用しつつ、今日のインドにおける食料問題をこのように表現したのだ。こうして、アジアで初めて(あるいはブラジル以外では初めて)の第四回世界社会フォーラムが始まった。
 会場のネスコ・グラウンドはインド最大の都市、ムンバイ郊外にあった。ムンバイ中心部から北へローカル列車で約四〇分、国際空港の北側にある広大な敷地の中には、かつては巨大な工場だった跡地で、普段はたまに物産展か何かが開かれているらしい大きな建物(ホール)がいくつもあり、さらにセミナーやワークショップのために鉄骨パイプと合板などで小さい建物がたくさん作られている。参加者は、列車の駅から徒歩やバス、オートリキシャ(三輪の小型のタクシーのような乗り物)などで続々とやってくる。海外からの参加者も、宿泊しているホテルなどからタクシーやオートリキシャで駆けつける。中には、バスをチャーターしてくる団体もあり、四つあるゲートの前はいつも人であふれていた。
 一歩、会場に入ると、人また人で一杯だ。その数は、前日のインドのテレビは六万人以上と書いていたが、登録者は事前には二千五百団体、七万人以上といわれていた。ある人は、ムンバイ周辺からの参加者もあわせて十二万人はいるのではないか、と言っていた。誰も正式な数を把握しきれないのだろう。帰国してから調べてみると、参加者十二万以上、うちインドからが一日参加も含めて九万人以上とのことだった。
 このように、参加者は圧倒的にインド国内が多いが、昨年参加したアジア社会フォーラムに比べると格段にヨーロッパ系と思われる人の数が増えている。ラテン・アメリカ、アジアからの参加者も目立つ。韓国からは四百人、日本からも三百五十人が参加しているとのこと。日本からはそれ以外にもピースボートがムンバイに寄港し、多くの若者たちが会場に足を運んでいた。また、パキスタンからは千二百人が入国申請したが、インド政府がビザの発給を拒否したため、四百人しか参加できなかったそうである。中には、小学生らしい制服を着た一団が教師に引率されて歩いている姿もあった。
 十六日夕方からのオープニング・セレモニーに始まり、二十一日のクロージング・セレモニーまで、まさに世界中の社会運動団体の「デパート」ともいうべき多彩なプログラムが用意されていた。十八、十九、二十日の三日間は、連日、三つのカンファレンス(数千人規模)、九つのパネルディスカッション、円卓会議、証言の集い、三百以上のセミナー(数百人規模)やワークショップ(数十人規模)が開かれる。
 そのテーマも、カンファレンスを取り上げてみるだけでも、「土地、水、食糧主権」「メディア、文化、知識」「グローバリゼーション、経済的社会的安全保障」「労働と仕事の世界」「軍事主義、戦争と平和」「女性に対する戦争、戦争に反対する女性」「排除と抑圧、人種主義とカースト制」「宗教的、民族的、言語的排除と抑圧」(以上はWSF主催)。「女性とグローバリゼーション」「USのイラク占領とパレスチナ・アフガニスタンの問題」「世界尊厳フォーラム」「産業転換を伴う開発:展望と戦略」(各団体主催)と、今日的な問題を網羅している。
 また、パネルディスカッション、証言の集いも、「グローバル化する世界での子どもたちの権利」「民衆の世界水フォーラム」「先住民の存続」「セクシャリティ問題の多様な運動体間の対話」「犯罪としての戦争反対女性世界法廷」など、本当に多様なテーマで開かれていた。その中には、原水協などが主催する「核の陰の中で……世界的な被爆者の証言」もあった。
 一方では、いくつかのステージやストリートを使った劇、音楽などのパフォーマンス、フイルム・フェスティバル、ギャラリーなど文化的催しも数多く企画されていた。そして、各運動団体やNGOが出しているストール(出店)では、書籍販売あり、写真展あり、物品販売ありで、それこそ何百というストールが軒を並べていた。それぞれのストールでは、交流を求める人々が出展者と話し合っている場面も多い。日本からも、WSF連絡会が日本人参加者のための連絡場所としてストールを出していたのをはじめ、原水協の被爆パネル展などもあった。
 会場内のストリートではひっきりなしにラリーやマーチ(デモ行進のようなもの)がさまざまな団体によって繰り返され、にぎやかこの上ない。また、お腹がすけば、これも各NGOなどが出店した飲食店が待っている。各国のエスニック料理が手軽に味わえ、ベンチや地面に座って食事をしながら、参加者同士の交流も話が進む。
 このように書いても、実際の雰囲気を伝えるのはかなり難しい。現地でしか味わえないものがあるからだ。しかし、おそらくWSF終了後に日本各地で開かれるであろう報告会に参加してもらえれば、その一端は実感してもらえると思う。

 ムンバイはマハーラシュトラ州の州都で、インドでは「地価が高い」「ホテル料金が高い」ことでも有名な都市であるらしい。十六日、オープニングセレモニーが始まるまでの時間を利用して、ムンバイ市内を歩いた。
 まず、鉄道にチャレンジしてみた。ホテルから最寄りの駅までオートリキシャで向かい、駅に入ってみるが、改札口が見あたらない。ホームまでそのまま降りていけるのだが、どこで切符を売っているか分からないのだ。列車はほぼ五分間隔で入ってくる。しかし、その乗車の様子を見てちょっと尻込みしてしまった。
 ドアがないのはまだしも、とにかくすし詰めで、手すりから身体が完全に外にはみ出してぶら下がっている人も多い。しかし、その一方で女性専用車両が数両おきにあって、そこでは女性の乗客がゆったりと乗車しているのには感心した。何とか切符売り場を探し当てて、比較的すいていそうな一等の切符を購入した。
 しかし、一等車両がどこに停まるかは全く予想できず、いくつか列車を乗り過ごしてようやく乗り込むことができた。一等であっても、すし詰めであることにそれ程違いはなかったが、帰りに乗った二等に比べると携帯電話で話している人が多いなど、ホワイトカラーっぽい人が目についた。降りる駅でも改札はなく、駅員らしい男性が一人立っていて、思い出したように乗客を呼び止めて切符を見せるように言うだけである。
 とりあえず観光名所らしい「インド門」まで行ってみた。すると、その横で「ソリダリティ・ラリー」という横断幕を掲げて、障害を持った人たちの団体が集会をしているのが目に入った。WSFにあわせてインド各地から集まってきたとのことだった。この人々は、オープニングセレモニーの時に会場内で、しきりに「シェイム、シェイム(恥)」と叫んでいた。最初はなんのことだがわからなかったのだが、帰国してからWSF関連のニュースを見てみると、WSF主催者が会場内に障害を持った人たちの利用できる施設を用意しておらず、そのことへの抗議だと分かった。
 ムンバイは、インドの都市に共通していると思うが、場所によって極端に様相が変わる。市内中心部では、イギリス風の建造物が建ち並び、広大な芝生を敷き詰めた公園があってクリケットに興じている人々がいるかと思うと、そこから少し離れたところでは「泥棒市場」という本当に何でもありそうなバザールが広がっているという具合である。
 冒頭に紹介したジョゼ・ボベの発言は、十七日の午前中に行われた「食料主権、天然資源」をテーマにしたカンファレンスでのものだった。このカンファレンスでは、最初にビア・カンペシーナ(世界的な農民運動の連合体)の代表団がシンボルカラーの緑色の横断幕を持ち、緑色のスカーフを巻いて登壇し、ギターの伴奏で歌を披露した。同時通訳システムは、スペイン語と朝鮮語などが用意されているようだったが、途中でダウンしてしまい、英語での通訳のみとなった。
 地元インドをはじめ、フィリピン、ラテン・アメリカ、タイなどの代表がスピーチした後、ジョゼ・ボベがひときわ大きな拍手を浴びて演壇に立った。ジョゼ・ボベは、WTOの農業政策が全世界で多くの農民を土地から追い出していることを批判し、WTOに対する二回の勝利(シアトル、カンクン)を受けて、運動をグローバル化させようと訴えた。彼の人気は絶大なもので、メディアも彼の演説中は演壇の下からカメラやマイクの放列を敷いていた。また、オープニング・セレモニー翌日の地元紙にも、パイプをくわえた彼の写真が掲載されていた。

 十七日夜には、APWSL(アジア太平洋労働者連帯会議)日本委員会が主催するワークショップ「アジア太平洋地域における女性労働者の組織化〜問題点、困難点、リーダーシップ育成のための戦略」が開かれた。ちょっと離れた会場での開催で、しかもプログラムがほとんどの参加者に行き渡らないという困難な状況の中にもかかわらず、のべ七十人以上の参加者を得た。その圧倒的多数が日本人以外の参加者で、昨年のアジア社会フォーラムにおけるAPAジャパン(アジア平和連合)のワークショップがほとんど日本人で占められていたのと比べても、大きな意味を持つものとなった。
 秋本陽子さん(ATTACジャパン)の司会で始まったワークショップは、この企画提案者である日本委員会からの基調提案と日本における女性労働者の現状に関するレポートに続き、タイのスリパイさん、スリランカのパドミンさんがそれぞれの国における女性労働者の現状と組織に向けた課題を報告した。
 インド政府のビザ発給拒否により参加できなかったパキスタンのアイマさんからはメッセージによる報告があり、日本からの女性参加者が代読した。この企画では、特に南アジアの女性労働者自身によるレポートを軸に考えていただけに、この三本のレポートは参加者を大いに勇気づけるものであった。各国とも女性労働者をとりまく現状の厳しさは共通しており、その組織化は困難ではあっても女性自身の立ち上がりとリーダーシップの発展が重要であることが強調されていた。さらに、会場からは韓国、ニュージーランドから発言があり、APWSLとして女性労働者の組織化を大きな課題として取り組んでいくことが確認された。
 私自身は、このワークショップへの参加を最後に、仕事の都合で帰国したが、翌日の十八日にはATTACジャパンのセミナーが開かれた。そのプログラムは、事前のアナウンスでは、基調講演がアスビョルン・ワヒルさん(福祉国家を目指すキャンペーン、ノルウェー)、報告と提起が佐久間誠さん(国労闘う闘争団)、パク・ハスンさん(KoPA〈WTOおよびFTAに反対する国民行動〉、民主労総、韓国)、日野正美さん(電通労組)、アラン・バロンさん(SUD―PTT(連帯・統一・民主)、フランス)、山口啓さん(郵政全労協)、トレバー・ヌグウェンさん(APF〈反民営化フォーラム〉、南ア)という豪華な発言者であったので、参加できずに帰るのはまさに残念というしかなかった。また、このセミナーの後には日韓の参加者を中心にラリーも行なわれ成功したようだった。短い滞在日程であったが、本当に元気をもらえたWSF参加であった。


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