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読書案内『イスラエル=パレスチナ民族共生国家への挑戦』ミシェル・ワルシャウスキー著/加藤洋介訳つげ書房新社2200円      かけはし2004.01.26号

流血と絶望の現状を突破する希望への道を大胆に提起


 二〇〇四年一月八日、パレスチナ自治政府のクレイ首相は、「イスラエルがヨルダン川西岸などに新たな境界線を設け、パレスチナ人居住地を分離した場合、パレスチナ国家独立による二国共存を断念し、一つの国でユダヤ人が併存する『アラブ・ユダヤ国家』作りに方針転換する」という意見を述べた。
 このクレイの発言は、昨年末にシャロン・イスラエル首相が発言した「分離壁などによるパレスチナ人居住地の分離案」に抗議したものであり、パレスチナ自治政府が本当にこのような方向へと方針転換したわけではない。しかし、クレイが捨て台詞として吐いた「アラブ・ユダヤ国家」の建設こそイスラエル・パレスチナ問題の唯一の解決方法であると主張しているのが、ミシェル・ワルシャウスキーの『イスラエル=パレスチナ 民族共生国家への挑戦』である。
 マスコミはこのクレイの「アラブ・ユダヤ国家」発言を一斉にイスラエルに対する揺さぶりとして報道した。また一方では「ユダヤ人国家としての性格を守りたいイスラエルの急所を突いたものと言える」と伝えている。その理由として、「現在、イスラエル占領地で暮らすパレスチナ人は三百五十万人。イスラエル市民権を持つアラブ人約百二十万人を加えるとユダヤ人口約五百五十万人との差は八十万人に過ぎない。パレスチナ人の人口増加率はユダヤ人のそれを大きく上回るため、近い将来にこの地域の人口構成が逆転すると考えられる」と。
 ミシェル・ワルシャウスキーは「アラブ・ユダヤ国家」の問題を単なる人口比の問題ではなく、歴史的、地理的、文化的、政治的なあらゆる面から実証しようと試みている。しかしイスラエルのパレスチナ人民への弾圧と攻撃が激しくなればなるほど、そしてそれに反撃するパレスチナ人民の抵抗が自爆テロも含めて激しくなればなるほど、この問題に対して遠いわれわれ日本人は、彼の言う「アラブ・ユダヤ人国家」をなかなか実感できないし、机上の空論のように思いがちである。
 本書の前書き「『アンダルシアの夢』の入り口で」を執筆している岡田剛士は、約二十年間にわたりパレスチナ問題に取り組んできた。彼は「本書のテーマがパレスチナ/イスラエルという二つの民族の共存であるということは、こうした僕自身の現在の問題意識からしても、非常に興味深い。だから彼の分析と『アンダルシアの夢』は、ほかならぬ僕自身の今後にとっての一つの道標でもあるだろうと思っている……」と述べている。
 パレスチナ支援・連帯!を叫んでも、われわれの多くは、この問題に対して「素人」である。したがって、本書を開く時あまり構えず、「へえ!こんな考え方もあるのか」と思って読むのが良いと思う。
 本書の内容に入る前に、パレスチナ・イスラエル問題の現在の状況・位置を確認しておきたい。この現在の状況こそ、パレスチナ自治政府のクレイ首相に「アラブ・ユダヤ人国家」と発言させるに至っているからである。
 現局面を一言でいえば、「イスラエルとパレスチナ独立国家」の共存をめざすという「オスロ合意」の破産・行き詰まりである。
 一九九三年のオスロ合意は、戦後のシオニズムのイスラエル建国運動によってパレスチナ人が民族であることが否定され、自決権も認められず、三百五十万人の難民を生み出した歴史的構造を、転換させる契機となる「はず」であった。「オスロ合意」の基本理念は、パレスチナ人を民族として認め、ヨルダン川西岸やガザ地区などからイスラエル軍が撤退し、パレスチナ暫定自治政府のもとで、パレスチナ独立国家がつくられるというように国際的には「理解」された。世界中でオスロ合意が歓迎され、ノーベル平和賞まで飛び出した根拠はここにあった。
 しかし、「オスロ合意」は七年近い交渉の末に、イスラエルの一方的な政治的理由によって決裂した。それは、オスロ合意自身が内包していた矛盾と限界の結果でもあった。この結果、二〇〇〇年九月二十八日以降、パレスチナ人民は第二次インテファーダ(大衆蜂起)に突入した。この闘いは第一次の「抵抗闘争」という枠を越え、自動小銃などで武装したパレスチナ人民の決起という様相を呈している。闘いの激しさはパレスチナ人民のオスロ合意への期待、それを打ち破られたことに対する怒りの大きさを現わしている。
 パレスチナ側の自爆攻撃が拡大し、他方イスラエル側は戦車やヘリコプターから発射されるミサイルなどを使った難民キャンプへの無差別弾圧と攻撃へとエスカレートし、以前と比較してもはるかに多数の犠牲者を出し、凄惨な事態が作り出されている。
 さらに二〇〇一年の「九・一一」以降、ブッシュの「対テロ」戦争に便乗して、イスラエルはパレスチナへの攻撃を全面化した。このように状況が悪化するなかで、アメリカ、ロシア、EU、国連の四者は、新たなパレスチナ和平プランとして「ロード・マップ」を提案し、パレスチナ人民に押し付けようとした。
 この「ロード・マップ」こそ「分離壁などによるパレスチナ人居住地の分離案」であり、イスラエル支配下でのパレスチナ人のバントゥースタン(民族隔離政策)をともなうアパルトヘイト体制による「問題解決」なのである。
 「ロード・マップ」の実態が公然化した時、パレスチナ自治政府首相クレイは「アラブ・ユダヤ人国家」をイスラエルを揺さぶる概念として持ち出したが、本書の執筆者ミシェル・ワルシャウスキーをはじめとするイスラエル内の左派活動家は、オスロ合意が実施され、「むしろ二つの民族国家への分裂に向かっている時」に、パレスチナ・イスラエル問題のオルタナティブとして「民族共生国家の実現」を提案した。
 目の前で次々に多くの犠牲者が作り出される悲惨な現実に対し、怒りを押さえたんたんと「民族共生国家」の実現を訴える彼の姿勢の中に、一九六八年以降イスラエル内で何度も投獄されながらも闘い続けてきた彼の活動家としての「凄さ」を実感する。
 ワルシャウスキーは「序、共に生きること」の中で、「民族共生国家」の実現を次のように結論づけている。
 「われわれが分断に呪われているのではなく、民族共生は、単に、二つの人民のための、平和と、安全と、正義と、相互的な豊饒化を結びつける最良の手段なのではなく、百年以上にわたって、ある者はパレスチナと呼び、ある者はエレツ・イスラエルと呼ぶこの美しい大地で、たがいに傷つけあってきた女たちと男たちの心に埋め込まれた深い希望なのだということがわかったのだ」。
 その上で彼は、十章の項目に分け、「民族共生国家」の必然性を展開している。
 第一章「ついに分割?」では、イスラエルは三十年にわたる「暫定的な軍事占領」の結果、「たぶん平等ではないが、少なくとも対称的である二つの主権を画する一つの国境線、……自分の国境、領土、天然資源それに国内政策と外交政策と管理する国境線をともなう真の分割を……受け入れることを拒否」していると述べている。
 受け入れるためには、「イスラエル人が、ユダヤか?民族か、宗教か?」の新しいレベルでアイデンティティーを問われるのであり、オスロ合意は絶対にパレスチナ独立国家へと収斂しないと述べている。クレイの「アラブ・ユダヤ人国家」もまたイスラエルのこの弱点を意識したものである。
 第二章「ユダヤ人国家」では、「三〇年代の後半にドイツ、オーストラリアからユダヤ人民がやってきた後ですら、ユダヤ人はパレスチナでは土地の五%以下を統制するだけで、人口は全体の三〇%以下のマイノリティである」「シオニズムがはじめの一歩を踏み出してから……多数の者はユダヤ人国家が可能であると思っておらず、望ましいとさえ思っていなかった」と述べている。
 その上で第三章「原罪」では、一九四七年十一月二十八日の国連総会で採決された分割案は、「ナチスドイツ、キリスト教的ヨーロッパがユダヤ人に対して行った残虐行為の賠償」であり、その上でパレスチナのアラブ人追放戦争が行われ、休戦協定を経てシオニストの第一の目的「イスラエル国家」が実現したと述べている。多数の難民を生み出しながら、アメリカ、EUなどの今日につながるイスラエルに対する支援構造が確立したのである。
 こうした認識の上で第四章「新しいユダヤ人」では、「ユダヤの民というこの概念は時間のうちにも空間のうちにも定義されるものではなく、それ自体極めて不確かなものである」と規定し、「ユダヤ人国家は単なる国民=国家ではない。それはさらに、新しいユダヤ人が形作られる構造であり、移民からディアスポラ(民族離散―引用者)の残滓を取り除くるつぼであり、イスラエルで生きるためにやってきた多様なコミュニティーを均一化する鋳型である」と結論づけている。そしてそれは現在まで成功していないばかりか、逆にアイデンティティの崩壊につながっていると分析している。
 いま、その変化の兆候は若者たちの占領地兵役拒否、空軍パイロットや予備役士官による占領政策批判などして広がり始めている。
 第五章「シオニズム計画の危機」では、移民の経過や議会、選挙、少数政党問題など具体的例を取り上げて、イスラエル内部の分化・亀裂、アイデンティティの崩壊を実証しようとしている。
 注目すべきは、三〇年代から四〇年代にヨーロッパからやって来た「労働党員とその支持者にとっては、彼が額に汗して建設し、彼の息子たちの血をもって守った国を(後からやって来た移民を中心とする)『下層民』は彼らから奪おうとしている」という、「二つのイスラエルの間の亀裂」がどんどん広がり、政党や選挙に反映している現実である。

 第六章「民主的パレスチナからパレスチナ国家へ」、第七項「パレスチナ国家から民族共生的解決へ」の二項は、イスラエルの内部でパレスチナ人民への連帯を闘い抜いてきたワルシャウスキーの総括と言えるものである。第一章から五章までが「民族共生国家」のための情勢分析とすれば、この二項目はPLO=パレスチナ評議会の政治評価も含めた闘う側の主体の分析ともいえる。
 「パレスチナ国民評議会が一九八八年に「歴史的妥協」と呼ぶことになる『二国国家共存方式』の採択……独立したパレスチナ国家をという選択は民族運動の中で帰還のために闘争し、主権を切望し、民族感情に政治的表現を与えるため」のものであったが、オスロ合意の行き詰まりによって「パレスチナの本当の独立国家という選択肢はまったく非現実的となっていった。彼の考えでは、分割と降服はふたたび同義となっていった。
 この結果、「民族共生の展望はオスロ和平プロセスが陥った行き詰まりに代わる唯一のオルタナティブである」。
 クレイは「アラブ・ユダヤ人国家」をイスラエルに分離・独立を迫る戦術として提案している。戦術としての「アラブ・ユダヤ人国家か」、それとも戦略としてのそれなのか。ここに今後のパレスチナ解放闘争をめぐる本質問題が提起されている。
 「民族共生の選択肢は、パレスチナ人にとってはもはや領土の主権と民族独立という点からではなく、諸権利と市民的・集団的平等という要求という点から反植民地の闘いを押し進めることを意味している」。
 このように述べるワルシャウスキーは、南アフリカにおける反アパルトヘイトの闘いを分析し、積極的に取り入れようとしている。
 第八章「あえぐユダヤ人国家」、第九章「民族共生プロジェクト」は、二つの人民が共通の計画を持つための政治考察であると彼は主張している。つまり「行動綱領」のための提案である。
 ここでワルシャウスキーは、「ユダヤ人国家と民主国家」の間でアイデンティティを失っているイスラエルの分析に多くの紙面を割いている。それは彼がパレスチナ問題の解決=「民族共生国家」をめざす闘いの中心問題は、イスラエルの「民主化」であると確信しているからにほかならない。
 彼は民主化の第一に神権政治の排除をあげている。それはシオニズムが分断の哲学の上に成り立っているからであり、多元主義を排除し、等質化を望む体制と一体化しているからである。そのために「民主化」の第二は、シオニズムと一体化している国籍と国家に反対し、民族性と市民権とを分離するための闘いの重要性を繰り返し主張している。「統一と自治」なしに「民族共生国家」は成立しない。五十年を超えて抗争を繰り返してきたパレスチナ・イスラエル問題は、他の世界のどこよりも「統一と自治」に支えられた民主化が不可避なのである。
 第十章「アンダルシアの夢」は、七世紀にアラブとユダヤ、キリスト教的ヨーロッパが共存し花開いたスペインのアンダルシアをアナロジーしている。
 「追伸」を執筆しているエリアス・ナンバーは、「ともにアンダルシアの夢を見ようという呼びかけで終っている。……しかし、この時期は、来たるべき大虐殺の残虐さの前触れによって幕を閉じるのである」と述べている。
 クレイが提案した「アラブ・ユダヤ人国家」問題は、次の大きな論争のテーマになるであろう。その点で本書は、重要な出発点をわれわれに与えてくれる。(松原雄二)


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