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第2次都庁改革アクションプラン            かけはし2004.01.19号

石原都政による新自由主義大リストラがもたらすもの



はじめに

 第一期石原都政の都政改悪の基本計画を引き継ぐものとして、昨年十一月第二次都庁改革アクションプランが発表された。二次プランは、旧プランを引き継ぎ二期石原都政の都政改悪の方向性を示すものになっている。
 現在の石原都政を位置づける上で押さえておかなければならないのは、石原が行おうとしている都政改悪は、従来の緊縮型リストラとは一線を画しているということである。反米を掲げる石原だが、彼が行おうとしている都政リストラは旧来の緊縮財政と人減らし型のリストラとは異なり、新自由主義政策を先取りしたものである。石原がめざす新自由主義下の自治体。それは「自らを市場に開放し、資本に有利な環境を提供することにより投資を呼び寄せ、地域間競争に勝ち抜く、自立した市民が集う都市」である。

自治体の市場への全面開放

 二次プランは、石原都政の新自由主義的都政改悪の基調である旧プランを引き継ぐものである。それは第1部「第二次都庁改革アクションプランの考え方」第2部「実施計画」第3部「風土改革」の三部で構成されている。
 「考え方」では「重点テーマ」として「財政再建」がまず掲げられている。そして財政再建をなし遂げるためには、「行政のあり方を見直す必要がある」とし、実施計画では都民の生活全般に直接関わる二百八十九項目が列挙されている。そのほとんどは、現業部門の民営化・民間委譲・PFI(プライベート・ファイナンシャル・イニシアチブ。民間資金導入事業)による都の責任放棄と、企業のための規制緩和である。これらの新自由主義的政策を強行するための組織の「風土改革」を行う、と言うのが二次プランの概要である。
 アクションプランはニュー・パブリック・マネジメント(NPMと略)の手法が全面的に取り入れられている。NPMはサッチャー政権の後半(八八年〜九〇年)に行われた一連の政策手法にその起源を持つ。その手法は公共部門の徹底した民営化政策である。サッチャー政権の後半は、財政規模の縮小という「小さな政府」政策から「企業的政府」政策への転換が行われた時期である。「小さな政府」の時期に行われたのは従来型のリストラ。「企業的政府」の時代に行われたのがNPMである。
 日本では経済財政諮問会議答申「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(以下「骨太の方針」)で「新しい行政手法 ニュー・パブリック・マネジメント」として紹介されている。この文章はNPMの思想を的確に表現している。そこでは、国民と行政の関係を次のように定義している。
 「国民は、納税者として公共サービスの費用を負担しており、公共サービスを提供する行政にとっていわば顧客である。国民は納税の対価として最も価値のある公共サービスを受ける権利を有し、行政は顧客である国民の満足度の最大化を追求する必要がある。」。
 NPMの特徴は住民を顧客とみなし、企業経営の手法を自治体運営に取り入れることにある。住民を顧客とみなすNPMでは、納税できない人々の存在は考慮されていない。NPMでは、公共サービスは税金の対価として受け取るものなのである。当然、多額の税金を納めた人が、良いサービスを受ける権利があり、税金を払う能力がない人はサービスを受け取る権利はないことになる。
 しかし本来公共サービスはカネで買うものではなく、行政が保障すべきものである。したがって私たちは顧客などではなく権利の主体者なのである。このように「骨太の方針」には、基本的人権としての公共サービスという考えが欠落している。
 本来、教育・医療・介護・保育など基本的人権に関わる公共サービスは、全国どこにいてもナショナル・ミニマムとして国が最低限のサービスの提供を保障しなければならないとされてきた。国はそのための財源を国庫負担金として地方自治体に保障してきた。
 しかし現在、自民党が進める「三位一体の改革」により、国庫負担・補助金の廃止が検討されている。廃止が現実化してしまえば、これらを財源としている生活保護・義務教育・公衆衛生・保育などの地方自治体の活動は大打撃を受けることは必至である。
 それを見越して「骨太の方針」では、「ナショナルミニマムはもうありえない、自立・自助で自治体を運営してください」、そのためには発想の転換が必要なので「納税している者だけが、その対価として公共サービスを受ける権利を有する」と言っているのである。
 そのための新たな行政手法がNPMである。NPMの実際は「@徹底した競争原理の導入A業績/成果による評価B政策の企画立案と実施執行の分離」という理念の下、「公共サービスの属性に応じて、民営化、民間委託、PFIの活用、独立行政法人化等」の方策を活用する、としている。
 要するに、これからの自治体は、企画立案を担う中枢部分のみとして実務はすべて何らかの方法で外注化せよ、ということである。それではNPMは単なる民間へ丸投げか?実際面では確かにそうなのだが、NPMの背景には、基本的人権としての公共サービスの廃止、という重大な問題が存在している。この点が従来の緊縮型リストラとの本質的な違いである。基本的人権の保障を放棄した地方自治体。これがNPMを取り入れた新自由主義下の自治体の将来像である。これを先取りするのが、NPMを全面的に取り入れた都のアクションプランである。
 NPMにより、企業経営の手法を取り入れることは、自治体運営の方法も変質させる。少ない財源を企業や社会的強者のために「効率的・適正」に使うために、トップダウンが強化される。二次プランでは「強力なリーダーシップ」を確立し都庁の「風土改革」を行うとしている。
 都庁内では石原就任以降、ストレスなどで精神を病む職員が急増している。とりわけ石原就任により方針が反転してしまった昨日までの自分の仕事を、自分で否定しなければならない福祉部門で働く労働者の苦悩とストレスは深い。二次プランの「風土改革」は、都庁の荒廃を決定的なものにするだろう。

医療・福祉分野の責任放棄


 アクションプランには、「変化を改革に」「既存の枠組みを超える」「現場から都庁を変える」といった前向きな言葉が並ぶ。しかし、「実施計画の概要」を見ればその本質は明らかである。まず「行政サービスのあり方の見直し」が掲げられ「民間との協同」が前面に押し出されている。具体的内容は、都立病院のPFIや窓口業務の民間委託、都立福祉施設の民間移譲や民営化である。まさに「骨太方針」のNPMの理念がそのまま政策化されている。前述したようにNPMは単なる民間委託ではなく、基本的人権保障への攻撃である。
 特に二次プランでは、高齢者・老人福祉部門への攻撃がすさまじい。都立老人ホームは四施設しかなく、うち二カ所は民間に運営委託されている。二次プランでは直轄の二カ所の老人ホームの一カ所を廃止、もう一カ所は規模縮小するとしている。福祉局高齢者部管轄の事業所は八カ所あるのだが、七カ所が統廃合の対象になっている。
 「障害者」福祉では、都立施設の運営を東京都社会福祉事業団に委託する形でサービスが提供されてきた。まず事業運営のあり方に対して「第三者評価を導入する」としている。この評価の内容が、「人件費率が高すぎる、受益者負担を導入するべき」というものになることは予想がつく。この評価をテコに大幅な「障害者」福祉の切捨てが実施されるだろう。
 二次プランの段階で、東京都社会福祉事業団が委託運営している、最も重度の「障害」をもつ人を受け入れ対象とする四つの福祉園のうち三カ所を民間委譲することが明記されている。民間に運営委託されている施設でも、練馬就労支援ホームなど切実な要求に応えてきた四施設を民間委譲することが計画されている。このように都は、高齢・「障害」者福祉をほぼ全廃しようというのである。なぜこんな無茶苦茶なことが可能になるのか。市場化による自治体の責任放棄が、先行的に行われたのが介護なので、介護を例に説明したい。
 それまでは自治体がサービス提供者として介護サービスのレベルを保障していた。しかし現在は、自治体は保険から費用の一部を保障するだけ。利用者が直接契約するのは民間業者である。そこで劣悪な介護が提供されたとしても、自治体の責任は問われない。「自治体に文句を言うのは筋違いです。ケア・マネージャーと相談してください」となってしまう。
 特別養護老人ホームへの入居申し込みも、個人が各施設へ直接申し込むことになったため、待機者がどの程度いるのか自治体が把握していないという事態が生じている。公共サービスが市場化された場合、このように自治体は、地域にどの程度切実なニーズがあるのかも知らない、知らなくても良いということになる。「多様化する都民のニーズに応えるために民間に委譲する」というが、都は最初から福祉サービスへのニーズがどの程度あるのか知ろうとしていない。あるのは財政削減だけである。
 二次プランは、「少子高齢化社会に対応し、健康に対する都民の不安を払拭するため、福祉局と健康局を統合します」という。つまりは、統合することによって医療・福祉に関しては、企画部門までも削減しようとしている。医療・福祉における責任放棄。これが二次プランの特徴である。
 都は「権限を見直し」「区市町村に権限を委譲します」と言う。一見聞こえのいい「権限委譲」という言葉の陰で行われるのは、都が運営していた保健所や老朽化した都営住宅管理の押しつけである。保健所の運営から撤退するということは、公衆衛生活動における都の責任の放棄を意味する。これは小泉構造改革が「地方分権」の名の下、地方自治体を切り捨てようとしているのと同じ構造である。

公共サービスと雇用の破壊


 市場に開放される自治体の第二の側面が、企業優遇である。ありとあらゆる公共サービスが企業に売り渡されようとしている。
 都営地下鉄、都営バスに始まり、都立病院、福祉施設、都立図書館などありとあらゆる生活に密接に関連した公共サービスが、PFIや民間移譲の対象にされている。企業優遇は、公共サービスの市場化だけではない。老朽化した都営住宅を取り壊し、そこに「敷地の高度利用」と称して高層マンションを建設させる、都立公園にネーミングライツ(広告料金と引き換えに都立○○公園の○○に、企業名が入る)を導入するなど企業優遇措置が目白押しである。
 都営地下鉄の保守業務の外注化の拡大が明記されている。保守業務の外注化がどんな結果をもたらすかは、昨年のJR東日本の数々の事故で証明されている。都営地下鉄の場合は、さらに駅業務まで外注化を拡大するのである。すでに都営地下鉄の駅には、ラッシュ時のホームにガードマンが立っている。安全よりもコスト削減が優先されているのである。
 都は教育・福祉・医療などにおいて千二百億円の「施策の見直し」を行いながら、毎年一兆円を超える税金を臨海開発につぎ込み続けるなど、ゼネコンのための大規模開発を止めようとはしない。
 NPMの実際は、「コスト削減」が徹底される。例えば病院経営を直営で実施した場合と民間に委託した場合。そして貴重な税金を「効率的」に運用するためには「コストの安い民間に委託」といった結論が導かれる。現業部門を民営化すればなぜコストが下がるのか、言うまでもなく、それは人件費を切り詰めるからである。したがってNPMによる自治体の市場化は、労働者にとっては雇用と賃金の破壊である。
 実はNPMが破壊するものはこれだけではない。すべての合理化と同じように、NPMは労働の誇りと専門性を打ち砕く。短期的な効率のみを追求するNPMは、労働の専門性を認めない。労働の専門性という場合、それなら単純労働部門なら専門性がないから委託しても良いのか? 実はこの社会に専門性のない労働などない。どんな労働にも専門性があるから、「マニュアル」が横行しているのである。
 三鷹市が市立保育園をベネッセに委託した。ベネッセはすべての保育士を一年契約の契約社員として年収約二百万円で雇用した。直営で行う場合のコストを比較すればベネッセに太刀打ちすることは出来ない。ベネッセは保育労働者の雇用・賃金・専門性を破壊している。一年契約の職員では保育技術の蓄積は望めない。保育や看護の技(わざ)はアートであり、一朝一夕に身につけられるものではない。この委託には保育労働に対する蔑視がある。
 三鷹市は見学等の公開を拒み続けている。きっと熟練によるアートとしての保育ではなく、「マニュアルに沿った」保育がなされているのだろう。これがNPMの実際である。都は来年度私立保育園への援助を三割カットすることを発表している。これがそのまま実施されれば私立保育園では、大幅な賃金カット・ベテラン職員のリストラなどが実施されるだろう。こうなれば「民間で、三鷹で出来ることがなぜ出来ない」と区立保育園で働く保育労働者の賃金と雇用が破壊されるだろう。まさに底辺に向けての競争である。

たじろがずに闘ってみよう


 福祉を切り捨て、企業を優遇する石原都政は、「三位一体の改革」「地方構造改革」下の自治体の将来像を示す。アクションプランで示されたNPMを駆使した公共サービス切捨てが、職員の賃金カットのように全国の自治体に波及していくであろうことは想像に難くない。したがって新自由主義的都政改悪を食い止めることは全国的にも重要な意味がある。
 「改革者」石原人気の前に都労連は萎縮してしまっている。都労連の皆さん!まず単なるリストラとの闘いではないことを認識する必要がある。そして「都民の皆様へのニーズに柔軟に対応する」などという甘い言葉の影で、何が行われようとしているのかを徹底的に暴露しなければならない。私たちが直面しているのは、これまで経験したことのない攻撃である。二次プラン都政改悪との闘いは、底辺への競争を強制する新自由主義との闘いである。
 闘ってみないと何も始まらない。雇用、賃金と専門性が破壊される前に、誇りをかけて闘おう。 (矢野 薫)


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