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ノ・ムヒョン政権の反動総攻勢と対決した03年下半期の労働者闘争 |
03年1月9日、斗山重工業ペ・ダルホ烈士の焼身によって始まったノ・ムヒョン政権の元年は結局、下半期に相次いだ労働者たちの自殺によって綴られた。10月17日、韓進重工業キム・ジュイク烈士の自殺に続き世源テックのイ・ヘナム支会長、勤労福祉工団非正規労組イ・ヨンソク光州全南本部長、韓進重工業クワク・ジェギュ同志が相次いで自殺に至った原因は何なのか。
02年の大統領選挙、支配勢力内の権力闘争においてノ・ムヒョン勢力が執権に成功した。権力闘争において資本や保守言論が守旧勢力であるハンナラ党と密着することによって、ノ・ムヒョン政権の権力基盤は極めて脆弱だった。これに対してノ・ムヒョン政権は執権後、極めて早い速度で資本や保守言論との関係を正常化させようとした。
まず4月の訪米の過程において親米政権であることを確認した後、政権―資本―保守言論の同盟を強化しつつ、労働に対する攻撃を開始した。6月以後、公権力の投入、拘束手配、損害賠償仮差し押さえ、勤労基準法の改悪、イデオロギー攻勢などがそれだ。多くの民衆は、まだノ・ムヒョン政権に対する改革への期待を依然として持っている状況にあって、何よりもまず攻撃を受けた労働者たち、特に民主労総が孤立させられる形勢だった。
ノ・ムヒョン政権は余勢をかつて使用者の対抗権強化、非正規労働者の拡大、国民年金の改悪など総体的攻勢を加えてきた。この攻撃は04年1月の民主労総の指導部選挙と連動して民主労総の闘争性を弱化させ、労使協調主義へと体質改善をしようとする構図の下に進められた。
このような情勢の下で民主労総は10万全国労働者大会と組合員の総投票を通したゼネスト闘争によって立ち向かおうとした。だが組合員総投票は、ああでもない、こうでもないという反対によって雲散霧消してしまい、民主労総の下半期の闘争戦線も、その展望が不透明になっていった。ノ・ムヒョン政権は総体的労働弾圧を加えてきているが、民主労総の闘争戦線構築の展望が見えない中で烈士たちは死をもって抗議する以外には、他の道を求めることができなかった。
烈士らの相次いだ死を前にして組合員大衆の怒りが闘争によって表現された。民主労総は緊急代議員大会を招集してゼネスト計画案を論議した。執行部は11月6日の4時間ゼネストと11月12日のゼネスト案を提出した。この案に対して11月12日のストを無期限ゼネストにしようという修正案が提出された。票決の結果、修正案は否決された。
代議員大会以後、起亜自動車労組のスト権投票においてゼネストへの参加が否決されることによって、民主労総のゼネスト戦線に赤信号がともった。幸いにも公共連盟が12日のゼネストに加勢する決定をすることによって危機を切り抜けた。11月6日、金属労働者らのストと公共労働者らの総会闘争が展開され、ソウル地域のスト集会では警察の無差別暴力がほしいままになされ、大衆の怒りはさらに高まっていった。
ノ・ムヒョン大統領は「焼身の時代は終わった。自殺を手段として何かを手にできるという期待をするな」と語りつつ、労働者らの怒りの炎にさらに油を注いだ。11月9日、全国労働者大会に6万人以上の労働者たちと1万人以上の学生市民らが集結し、怒った大衆は鉄パイプ、火炎ビンを持って闘争に乗り出した。
ノ・ムヒョン政権は、「民主労総は、もはや労働団体ではない」とする大統領の毒舌とともに大々的な検挙の旋風に踏み切った。3日後の11月12日、ゼネストに12万人以上の労働者らが参加し、12日以後、即座にストライキ闘争を配置しがたい条件の中で、民主労総は烈士への追悼期間を宣言した。19日と26日の水曜ストへと結びつけつつ12月の民衆大会を通じて全民衆闘争へと発展させていこうとした。11月13日の貧民大会、11月19日の農民大会そして核廃棄物反対でノ・ムヒョン政権退陣のレベルへと発展したプアン闘争など民衆の闘争が相次いだ。政権―資本―保守言論の3者同盟強化のための攻撃が労働者たちばかりでなく全民衆へと拡大した結果だ。
民主労総はソウル駅での籠城闘争を光化門での時局籠城闘争へと拡大し全民衆への闘争へまとめあげていこうとした。この過程で6月以後、労働者たちが孤立するかのようだった地形は克服され、民衆陣営の闘争戦線へと拡大し、ノ・ムヒョン政権―資本―保守言論の3者同盟に対峙する民衆の闘争戦線を構築した。
だが12月、民衆闘争を威力ある闘争へと作ることはできなかった。03年上半期、本組織として発足した民衆連帯は怒りのさく裂する労働者、農民、貧民、プアン郡民などの闘争を強固な民衆連帯闘争戦線としてまとめあげられなかった。このような中で12月12日、イ・ヘナム、イ・ヒョンジュン烈士の葬礼式を最後として烈士らの葬礼をすべてとり行い、該当事業場の諸問題を交渉妥結し、集約した。
韓進重工業の場合、2人の同志の犠牲によって労働弾圧を粉砕した。だが労働弾圧の中断と非正規労働者の正規職化のための制度改善は社会の争点化の水準にとどまっている。9月に進められた民主労総の下半期のゼネスト闘争戦線構築に失敗した後、烈士らの死に伴った組合員大衆の怒りにのみ依拠した闘争の限界をさらけだした。
ゼネスト闘争、街頭集会闘争などに参加した10数万人の労働者たちの03年下半期の闘争によって、ノ・ムヒョン政権の反労働・反改革の攻勢に対する対峙の戦線が一定程度、構築された。その戦線は農民、貧民など民衆闘争戦線へと拡大した。
このような状況においてノ・ムヒョン政権をはじめとする総資本の攻勢は継続している。集会デモに関する法律の改悪、鉄道構造調整、貨物労働者の業務復帰命令制導入を国会で強行している。イラクのフセイン大統領が逮捕されると、ノ・ムヒョン政権はイラク派兵を一層、積極的に押しつける態勢だ。民主労総内の該当組織の悪法阻止闘争や民衆陣営の反戦平和闘争が国会前で展開される予定であり、03年もまた例外なく労働者民衆は年末を国会前での籠城闘争で対決する状況だ。
03年にすでに反労働・親資本政策へと回帰したノ・ムヒョン政権の労働政策は、04年にもその基調をそのまま維持するだろう。非正規労働者の制度改善問題、退職年金制、最低賃金制など、すでに立法予告したり、国会継続審議中の制度問題は4月の総選挙前の国会で主要争点として形成される展望だ。労働者たちの対応いかんによって国会通過が阻止されれば、04年下半期の通常国会で通過するかどうかを決定する水準の争点となるだろう。
03年の国会通過を試図していた国民年金改革案は4月以前の臨時国会で通過の試みが続けられるだろう。だが現在の形勢では6月の臨時国会に委ねられる可能性もかいま見える。また特殊職域年金(公務員年金、私学年金、軍人年金)政府改革案が03年12月に発表され、04年上半期の論議を経て下半期の通常国会で通過を試みるものと見通される。したがって04年には年金制度全体の改悪阻止闘争戦線が構築される可能性が極めて高い。
12月7日、労使政委員会に委ねた労働部(省)の「労使関係先進化方案研究委員会」で最終報告された労使関係先進化方案は、使用者の対抗権強化、労働市場柔軟化の強化という基本基調を中心に4月の総選挙まで論議が続けられるだろう。4月総選挙後、下半期の通常国会で、この問題が本格的に浮上するものと展望される。
03年、労働政策においてノ・ムヒョン政権が提出した社会統合的労使関係の構築は、すでに前提を喪失してしまったけれども、社会統合的労使関係の核心である民主労総の労使政委員会参加問題は04年上半期に争点として浮上する可能性が少なくない。
ノ・ムヒョン政権は、03年下半期の民主労総の闘争に対して全面的弾圧を押し立てて、労使政委員会のほかにはいかなる対話もないとの状況を意図的に作りだしてきた。ノ・ムヒョン政権は04年初め以後、民主労総内の労使政委員会問題に対する地形の変化を主観的に希望しており、2月以降、4月の総選挙期間に目に見える形での効果を出して総選挙戦略への活用を試図する可能性が大きい。この期間に何らかの結論が出ないとしても、04年下半期までにこの問題はノ・ムヒョン政権の核心的労働政策の事項となるだろうし、民主労総内でも争点として形成されるだろう。
だが04年4月の総選挙後にノ・ムヒョン政権としては向こう3年の対民主労総政策を選択しなければならないだろう。ノ・ムヒョン政権の労働政策は07年の複数労組、専従者の賃金問題や産別労組への転換など労使関係の変化の主要な基点に備えた労働政策を駆使しているがゆえに、反労働・親資本の労働政策は一時的なものではない。だが今日までの民主労総つぶしや全面的弾圧は、その正当性を喪失し、国内外的世論が高まっており、このような労働政策を率いていくことのできる能力もままないからだ。したがって04年はノ・ムヒョン政権と民主労総間の闘いの行方を判断する第2段階の時期となるだろう。(「労働者の力」第45号、03年12月20日付、キム・テヨン/民主労総政策企画室長)
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