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JR採用差別裁判                   かけはし2004.01.12号

最高裁が上告棄却の暴挙

国家的不当労働行為を許さず鉄建公団訴訟を軸に闘おう!


 十二月二十二日、JR採用差別裁判で最高裁は、JR不採用を組合差別の不当労働行為と認定して、JRに採用を命じた中労委救済命令を取り消した行政訴訟裁判の一、二審判決を支持し、国労、全動労にかかわる中労委によるいずれの上告も棄却するという不当判決を下した。
 一〇四七人の十七年間に及ぶ闘争団家族の苦闘と不屈の闘いとJR復帰の希望を、何が何でも打ち砕こうとする最高裁の暴挙に断固として糾弾する。
 また総評労働運動の解体を目的とした十万人削減と国鉄分割民営化と、九〇年一〇四七人に二度目の解雇を行った国家的不当労働行為を免罪する、この反動判決を許すことはできない。
 これは、国労型のリストラ解雇を広め、労働委員会命令の不履行と不法行為の拡大など、資本政府による労働委員会制度を破壊する攻撃でもある。それはまたILO条約に違反し、ILO勧告を否定するものだ。
 〇〇年と〇二年に出された国労と全動労に対する高裁の反動判決は、使用者責任について判断が分かれていた。国労判決は、改革法二三条を根拠に「JRの職員選定の過程で国鉄が不当労働行為を行ったとしてもJRに使用者責任はない」として、JR復帰の道を閉ざそうとするものであった。
 一方、〇二年の全動労判決では一転し「JRの職員選定過程で不当労働行為があればJRに使用者責任がある。しかし分割民営化という国是に反対した者の採用率が低くても不当労働行為とはいえない」とし、「国是」に反する者は差別されて当然だという不当極まりない判断を下した。
 最高裁はこの二つに分かれた高裁判断について結論を出さなければならなかった。JRに使用者責任があるのか否か? 不採用は不当労働行為なのか否か?
 結果、判断は五人の裁判官で三対二に分かれた。多数意見は「国鉄改革法は、職員採用の各段階で国鉄とJR設立委員の権限を明確に分離している」としてJRに使用者責任はないとした。そして不当労働行為の有無については明らかにしなかった。少数意見は「職員採用では国鉄がJR設立委員を補助していて、JR各社には使用者責任があり、不当労働行為の意思がないとは断ずることができない」として中労委命令に沿った判断を示し、東京高裁に差し戻すべきとの反対意見を述べた。このような第一級の争点について大きく判断が分かれる最高裁第一小法廷が、「口頭弁論を開催すべき」という多数の学者、弁護士、労働委員などの要求を無視して一度も口頭弁論を開催しないまま不当な判決を下したのである。
 それでは多数意見では使用者責任はどこに行ったのか? 判決は「専ら国鉄(清算事業団)が労働組合法7条にいう『使用者』として不当労働行為の責任を負う」と述べている(承継法人は鉄建公団すなわち現在の現独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構である)。新会社を設立し名称を変えれば資本や事業を継続しても使用者責任(雇用継続)を引き継がなくてもよい、などという判断は憲法上も労組法上も決して認めることはできない。しかし使用者責任が国鉄と清算事業団にあることを明言したことは注目する点でもある。
 また、不当労働行為の有無については触れず、さすがに全動労高裁判決にあった「分割民営化に反対したものを採用しなくても不当労働行為ではない」との判断は、そのまま採用することはできなかった。
 判決直後の、鉄建公団訴訟原告団と国鉄に勝利する共闘会議の報告集会では、二瓶共闘会議議長や原告団員が「許しがたい不当判決」と厳しく批判した後で「これからは鉄建公団訴訟以外ない」と攻勢に出ようとする決意を新たにした。
 国労本部の約二百人を集めた報告集会で、吉田書記長は「判決は確定し法的にJRとの関係は断たれた(ママ)。地労委、中労委命令はあったし闘争団が残る以上闘いに終止符を打つことはない。だれかに不当労働行為の責任がある以上、国に責任を求めていく」と述べ、国に損害賠償を求める裁判を検討していることを示唆した。しかし、国労弁護団内部にある鉄建公団訴訟を行おうという議論については全く触れることはなかった。
 一方、一月三十一日、中央委員会を開催し「闘争体制の見直し、組織体制の見直し、闘争団の自活体制の強化(生活援助金の見直しか?)など」を行うと発言した。鉄建公団訴訟原告闘争団への生活援助金の凍結や、統制処分を維持したままの見直しや自活体制強化発言は、掛け声とは裏腹にただ単に国鉄闘争の幕引きを準備するということを予測させる。国労を脱退し北労組分裂組合結成に走った寺内前書記長が推進していたように、酒田・吉田現本部執行部体制も依然として闘争団の切り離しと国鉄闘争の終結、国労の単一体の解体を画策しているからである。
 九八年の東京地裁反動判決、補強五項目と改革法承認の強要、〇〇年「JRに法的責任なし」の「四党合意」攻撃、五度のILO勧告の無視と偏向、生活援助金凍結と統制処分、そして今回の最高裁反動判決など、政府資本は国鉄闘争の解体と大合理化を無抵抗に進めるためのJR労組再編のために奔走してきた。それは中曽根が開始した総評解体のための国労解体攻撃と「戦後政治の総決算」、憲法改悪の地ならしを意図した総仕上げ的攻撃にほかならない。
 しかし闘争団と家族は、〇一年に鉄建公団訴訟を開始し、国労本部に代わってこの一連の攻撃の前面に立ちはだかったのだ。
 鉄建公団訴訟原告闘争団と家族はどんなに困難であろうとも十七年間の苦労と闘いに報いるためにも、納得いく解決を求めて闘いを継続する意思を明確にしている。
 最高裁不当判決は鉄建公団訴訟の闘いと闘争団、家族の闘いと生活を守る取り組みがいま、緊急かつ重大な課題となったことを浮き彫りにした。
(03年12月30日 蒲田宏)


  
「天皇誕生日」に「派兵と改憲」と戦争責任を問う

第6期反天皇制運動連絡会が発足

 十二月二十三日の「天皇誕生日」に、「派兵と改憲」というテーマで「『天皇誕生日』に天皇制の戦争責任を考える12・23集会」が東京の渋谷勤労福祉会館で開催された。主催は反天皇制運動連絡会Y。この日の集会は反天連の第六期発足集会でもあり、八十人が参加した。

天皇主義右翼の妨害と敵対に抗して

 反天連の集会では「恒例」のことではあるが、この日も「正心塾」など天皇主義右翼の宣伝カー五台が大音量で「反天連粉砕!」「国賊は日本から出ていけ!」などとがなりたて、会場周辺を長時間にわたって徘徊するだけでなく、入口に車を乗りつけて一部が会館内に突入してきた。警察側はこうした右翼の挑発と参加者への威嚇に対して形式的な「警備」をするだけで、右翼の集会妨害を放置する態度を取っていたのだ。
 緊張した雰囲気の中で始まった集会では、最初に主催者を代表して天野恵一さんがあいさつ。天野さんはイラクで射殺された二人の外交官の葬儀が、祭壇に「天皇陛下」と書かれた供物が目につくような形で置かれていたことに示されるように「天皇の祭祀」と結びつけて執り行われたことに注目すべきであるが、誕生日にあたっての記者会見での天皇発言で「イラク派兵」問題がふれられなかったことは派兵時代における天皇制の役割についての試行錯誤が支配階級の間でなお続いていることの現れでもある、と指摘した。そして「建国義勇軍」事件にふれて、明らかに右翼の中でも「反米ナショナリズム」の気運が強まっていることに注意すべきと訴えた。

グローバル戦争と天皇制の役割

 続いてピープルズ・プラン研究所共同代表の小倉利丸さんが、グローバル戦争と天皇制をメインテーマに報告。小倉さんは、日本情勢の現在を「軍事大国化」から「戦時」への移行と捉える必要があると語り、憲法や民主主義を前提としながら象徴天皇制がそれを超越する機能を果たし、民衆もそうしたあり方を「容認」する現実は一種の「ファシズム」と言えるのではないか、と提起した。
 小倉さんはまた、ポスト冷戦の時期に中国が資本主義的に再編成され、それが日本にとって政治的・経済的に重要な危機の要因となっていること、その中で旧来の日米同盟が再編されていることに注意を喚起した。さらに小倉さんは資本のグローバリゼーションへの対応の中で、国家が新たな「ナショナルアイデンティティー」を必要としており、天皇制が「国民統合」において果たす役割を批判して統合に抗うことが、私たちにとっての責任である、と強調した。

母子保護法と少子化対策基本法

 「SOSHIREN 女(わたし)のからだから」の大橋由香子さんは、「派兵時代における人口政策、今昔」と題して報告。一九三八年の「母子保護法」、一九四一年の「国民優性法」が戦時における兵力や労働力確保をめざした人口政策であったこととの関連で、二〇〇三年七月に成立した「少子化対策基本法」の意味について批判的分析を行った。そして基本法には、現実の差別をそのままにしたまま「伝統的家族」の下で女を一つの枠にはめこみ、「子どもを生んでもらう」という考え方が一貫している、と語った。
 笹沼弘志さん(静岡大学教員、憲法学)は、憲法改悪の動きの中で盗聴法や生活安全条例、健康増進法など「民衆の中の安全志向」を煽って、住民を監視し自由を剥奪する動きが強まっていることを批判し、「自己決定」や「自己責任」という名目で自由を剥奪する「近代主義的」考え方を乗り越える必要があることを強調した。そして権力を人権によって制約する立憲主義の原理を徹底化することこそが必要、と訴えた。
 その後、パネリスト相互の討論や会場からの質問と回答もまじえて、「派兵・改憲」の時代に立ち向かい、象徴天皇制による国民統合に対決する闘いを持続的に形成していく必要性が確認されていった。   (K)  



「平成」の戦争と浮上する「昭和」

「ヒロヒトの時代」を美化する策動との闘い

 十一月二十九日、東京の渋谷勤労福祉会館で「『平成』の戦争と浮上する『昭和』」と題した集会が行われた。反「昭和の日」プロジェクトと「昭和天皇記念館」建設阻止団が共催したこの集会は、有事法制の成立と自衛隊イラク派兵の準備の中で、ブッシュのグローバル戦争と連動した本格的「戦争国家」の道に踏み込んだ日本が、同時に「昭和の日」法案や立川の「昭和天皇記念公園」内に建設しようとしている「昭和天皇記念館」を通じて、侵略戦争に貫かれた「ヒロヒトの時代」を国家的「記憶」としてあらためて民衆の中に浸透させようとしていることの意味を問いなおすものとして準備された。
 最初に共催二団体を代表して、「昭和の日」プロジェクトの中嶋啓明さんと「昭和天皇記念館」建設阻止団の井上森さんがあいさつ。中嶋さんは「昭和の日」法案(祝日法改正案)が通常国会では衆院を通過したものの臨時国会で廃案になった経過と反「昭和の日」プロジェクトの闘いについて報告。井上さんは「記念館」の建設を推進し、運営を担当する「昭和聖徳記念財団」が立川市に移転が決まったことに反対する緊急行動への取り組みを呼びかけた(12月14日、15日に申し入れ行動)。
 次に加納実紀代さんと池田浩士さんの報告。加納さんは、新しい戦争の時代の中で「昭和の日」が浮上していることについて、時間を支配することによって歴史を支配し、文化を支配し、精神を支配するようになる君主制の民衆支配の構造との関係で分析していく必要性について語るとともに、いま「天皇制の無化」という戦略を取るとき、「天皇の人権」という路線で天皇制を国民の中に「埋没」させてしまうことが有効なのではないか、と問題提起した。加納さんはその立場から、中野重治の「五勺の酒」に表現されている「天皇個人の人間としての天皇制からの解放」という考え方を支持する、と語った。
 また加納さんは、自分が教えている大学のゼミ生の中では小差ながら天皇制否定論の方が多いという事実を例に上げ、「私は人間の関係性の危機の中で、『関係性への飢え』を天皇制が集約していくのではないかとも考えていたが、どうもそうなってはいない。むしろ『飢え』が実感されないまま、条件反射的攻撃性として現れているのではないか」と指摘した。そして「一人一人の人間としての尊厳にもとづく反天皇制運動」を訴えた。
 池田浩士さんは、まず一八七三年の太政官令によって制定された「天皇家の神事」としての「祝祭日」、一九四四年の「祝日」・「年中行事」と、今日の「国民の祝日」がみごとに対応していることを表にして対照するとともに、ナチス「第三帝国」の「祝日」もまた基本的な類似性を持っていること、国家の「祝日」と軍事との対応について説明した。
 池田さんはまた「五勺の酒」に対する加納さんの評価に反論し「天皇が同じ人間であるという思いを覆す必要があるのではないか」と主張した。
 討論の後、「日の丸・君が代」強制に反対する市民運動ネットワーク、女性と天皇制研究会、新しい反安保実[からのアピールが行われた。      (K) 


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