もどる

                                  かけはし2003.9.1号より

米英占領軍は直ちに撤退せよ

国連バグダッド本部爆破事件―侵略戦争に果たした国連の役割が問われている

 八月十九日、イラクの首都バグダッドの国連現地本部で自動車爆弾テロが発生し、セルジオ・デメロ(イラク問題担当国連事務総長特別代表)ら国連関係者など二十四人が死亡、百八人が重軽傷を負った。イラクに派遣されていた国連関係者約三百人のうち、半数近くが死傷した。
 このテロで受けた打撃のため、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や世界食糧計画(WFP)、国連児童基金(UNICEF)など、戦火とその後の混乱のなかで緊急に支援を必要としている人々を支えるための活動を行っていた人道援助機関も、活動規模の大幅縮小を余儀なくされ、イラクから退去して活動拠点を近隣諸国に移すことも検討され始めている。
われわれは、多数の命を奪い傷つけたこのような非道なテロを容認しない。しかしその責任は、第一に、何万人ものイラク人民を無差別に殺傷し、長期にわたる経済制裁で疲弊し切っていた生活基盤をさらに破壊した米英の侵略戦争と無法な軍事占領政策にある。そして第二に、不当な「査察」で侵略戦争への道を掃き清め、客観的に米英占領軍の無力な下請け機関となっている「国連」の現状にあることを確認しなければならない。
米英のイラクへの軍事侵攻と占領は、イラクから侵略された事実がないのに行われた「先制攻撃」であり、国連憲章が禁じている一方的侵略戦争であった。そしてその結果、何万人とも知れぬイラク人民が殺傷された。
米英軍は、バグダッド周辺の戦闘だけでイラク軍二千三百人余りを殺害したと発表した。全土で殺害されたイラク兵士の数は発表されていないが、遺体安置所などでメディアの記者たちが集めた情報では、英軍が攻略した南部バスラで千五百人余、激戦地となったナジャフで千五百人余、バグダッド南方で壊滅された共和国防衛隊三個師団から五千人余など、少なくとも一万人以上が殺害されたと推定されている。
近代戦では、死者一人当たり重傷者三人と言われており、崩壊した医療体制のなかでその多くが命を失い、死者数は数万人に達した可能性があると英ブラッドフォード大のポール・ロジャーズ教授は推定する(朝日新聞8月2日)。
イラク戦争での民間人の犠牲者数を調査している「イラク・ボディー・カウント」(IBC)は、七月七日現在、民間人死者数は最大で七千七百九十八人、最小で六千八十七人、民間人負傷者数は一万九千七百三十三人と発表した。調査が進むにつれて、死者数も負傷者数もどんどん増え続けている。
イスラム社会には、復讐を美化し正当化する文化が今も深く息づいている。エジプトのムバラク大統領は開戦直後、「この戦争は恐ろしい結果を招くだろう。われわれは百人のビンラディンを抱え込むことになるのだ」と述べた。連日続く米英占領軍への武装襲撃は、ムバラクの不安が現実化しつつあることを示している。
米英占領軍の文字通り無法な占領支配も、イラク人民の怒りを日々増幅させている。占領軍兵士は強盗である。アメリカがイラクの石油資源を強奪しようとしているということだけではない。米誌『タイム』(7月7日発売)は、バグダッド空港を制圧した米陸軍第三歩兵師団の兵士が、空港の免税店で高級時計や酒や香水などを略奪し、使用可能な施設や航空機を破壊しまくって一億ドルの被害を与えたと報じた。
 米軍は、フセイン残党の掃討作戦ということで連日、各地で住民の家に夜中にドアを蹴破って乱入し、タンスや押入れを荒らし、金品を奪い、抗議する人々を殺害し、暴行し、容疑もはっきりしないまま連行し、数千人を拘束して拷問や不当な長期勾留などの迫害を加えている。
七月二十三日、アムネスティ・インターナショナルは、b米兵が捜索中に金品を盗んでいるb拘束者に十分な水や食糧を与えないb睡眠を与えず、大音響や強い光りに長時間さらすb尋問中に暴力を振るう\\などを告発する報告書を発表した。
八月三日には、米軍当局自身が米兵による不当な殺害や暴行、盗みが行われていたこと、それまでに二千五百十七件のイラク住民からの苦情を受けていることを発表した。翌四日には、イラク人を約五千人拘束していることを明らかにした。
 イスラムの霊廟に押し入ろうとした米兵に抗議した住民に発砲して射殺し、霊廟に催涙弾を撃ち込むなどの暴挙、検問中に通りかかった民間人の車に発砲し、親子もろとも射殺するなどの暴虐も、各地で後を絶たない。
そして占領開始から四カ月も経過したにもかかわらず、首都バグダッドでさえ水や電気の供給も回復しない。一日に数時間から十数時間、しかも突然停電するという状態が続いており、生活インフラは破壊されたままの状態が続いている。八月九日と十日、イラク第二の都市バスラで停電と燃料不足に抗議する数千人の抗議デモが起き、英占領軍との衝突で二人が殺されている。
社会システムの崩壊によって、失業率は七〇%に達したと言われている。国連児童基金(ユニセフ)と世界保健機構(WHO)は六月二十六日、イラク戦争以来、五歳未満の子どもの栄養不良率が各地でほぼ倍増し、医療システムの著しい機能低下、水供給の低下と水質の悪化で子どもの下痢による死亡率が急増していると報告した。
 イラク駐留米軍のサンチェス司令官は、八月七日の「ニューヨークタイムズ」紙で、フセイン残党掃討と武器押収を名目とした住民に対する米軍の「鉄拳」的軍事作戦が、イラク国民を離反させていると認めた。異教徒たる米英占領軍支配は、イラク人民に困難と苦しみとやり場のない怒りだけをもたらしているのである。
 七月十三日、「イラク人によるイラク統治への第一歩」をうたい文句に、「イラク統治評議会」が発足した。評議会メンバー二十五人は全員、米英による暫定占領当局(CPA)の任命であり、CPAは評議会の決定に対する拒否権を持っている。
「(記者会見で)複数の記者から『評議会の決定に(CPAの)ブレマー代表が拒否権を使うことはないのか』という質問が出た。評議会メンバーは『使わないと期待する』というばかりだった。メンバーを送り出した政治組織の幹部は、皮肉を込めて言った。『ブレマーは拒否権を行使しないと思う。だって、米国の意向に沿うような人しかメンバーに選ばれなかったのだから』」(朝日新聞7月15日)。
アメリカがイラク統治評議会のトップに据えようとしていたイラク国民会議(INC)の代表チャラビは、アラブ世界では犯罪者で知られ、ヨルダンで銀行総裁の時の二億九千万ドルの詐欺罪で懲役二十二年の有罪判決を受け、判決直前に逃亡して刑の執行を逃れたという人物である。ヨルダンの国会議員二十一人が連名で、国際刑事警察機構を通じてアメリカに身柄引き渡しを求めている。
イラク統治評議会発足後、初のイスラム金曜礼拝日となった七月十八日、全国各地のモスクで宗教指導者が「統治評議会はイラク人を代表していない」と弾劾する説教を行った。シーア派の聖地ナジャフ近郊のモスクでも、シーア派の最高指導者の一人アルサドル師が統治評議会を「占領当局の支配下にある」と糾弾し、独自の統治機構の設立を訴えるとともに、占領当局に圧力をかけるために志願兵を募ると呼びかけた。
これに恐怖した米軍は、アルサドル師の自宅を包囲し、軟禁状態に置いた。怒った支持者が七月十九日にはバグダッドで、二十日にはナジャフで、死を覚悟したことを表現する白装束をまとい、一万人を超える抗議の集会とデモを行って口々に「アメリカは出ていけ」「アメリカに死を」と叫んだ。
 七月十九日には米軍は、統治評議会にメンバーを送り出しているイスラム革命最高評議会(SCIRI)の事務所を捜索し、パソコンやエアコンや現金に加え、オーストラリアのNGOの医療活動に協力するために準備していた子どもの患者たちのカルテまで押収した。追いつめられた米占領軍は、ほとんど見境なく暴虐を振るい、イラク人民の怒りをさらにかき立てている。
 反米感情と米英占領軍への怒りは、まさに頂点に達しており、全土で米軍や英軍への武装襲撃が相次ぎ、ブッシュが戦闘終結宣言を行った五月一日以来、襲撃されて死んだ米兵は六十四人、英兵の死者は十人に達した。そしてその何倍もが負傷している。八月十八日には、デンマーク兵が襲撃されて死亡した。七月に退任した米中央軍のフランクス元司令官は下院の公聴会で、毎日十件から二十五件の米軍への攻撃が起きていると証言した。その状況のなかで、バグダッドの国連本部への襲撃事件が発生したのである。
今回のテロで殺害された国連のデメロ・イラク問題担当事務総長特別代表は、「イラク人によるイラクを」という要求に応えようとしない米英に対して、いら立ちを隠そうとしていなかった。イラク入りして始めて行われた六月二十四日の記者会見では、「真にイラクを代表する体制を待ち望む国民の忍耐が限界に近づいている」「いかなる外国人もイラクを統治できない。イラク人だけが統治する能力と権利を持っている」と述べていた。
デメロの「善意」は否定できないだろう。しかし国連が、今回のテロを「国際社会をねらったもの」と糾弾するマスコミでさえ「米国の下請けのような役回りが、テロの標的にされる事態につながったのだろうか」(朝日新聞8月21日)と言わざるを得ない役割しか果たしてこなかったことも、厳然たる事実なのである。
国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)の主任査察官であったスコット・リッターの証言で明らかなように、イラクの「大量破壊兵器」は施設も原料もほぼ全面的に廃棄されていたことが九八年段階で確認されていた。そしてその能力が再建された兆候は全くなかった。「行方不明」とされた生物・化学兵器原料が仮に存在したとしても、時間の経過ですでに使用不能になっていることがはっきりしていた。
 にもかかわらず、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)委員長ブリクスは一貫して、「廃棄した十分な証拠が出されていない」と主張し、大量破壊兵器がなおも隠されているかのように匂わせる報告を繰り返し、米英の武力行使もやむを得ないかのような社会的雰囲気を作り出すために意識的に活動し続けた(本紙3月10日号参照)。
国連は、第二次大戦で勝利した五大国が、安保理常任理事国として「拒否権」という自分たちだけに許された特権を行使して支配しつつ、国際的に対立する利害を調整する戦勝国連合としての国際機関である。この間、国際的NGO活動や多様な社会運動の急速な拡大のなかで、それらの運動の意向もかつてよりは反映されるようになってきてはいるが、その基本的性格は維持されている。
 そもそも、世界最大の大量破壊兵器保有国であるアメリカをはじめとする核武装した五大国が、特定の国に「大量破壊兵器」を開発していないという立証義務を課し、「被疑国」の「無実」の立証が不十分であればその国の政権を転覆する戦争が正当化されるという、「国連安保理の論理」を容認することはできない。爆破された国連現地本部は、侵略戦争のきっかけを作ったその「査察」の拠点であった。
八月十四日、国連安保理はイラクで「復興支援」を行ってきた国連の諸機関を統合する「国連イラク支援派遣団」(UNAMI)の創立を決定する決議1500を採択した。この決議1500は、圧倒的多数のイラク人民が「アメリカの傀儡(かいらい)」として嫌悪する「イラク統治評議会」の発足を「歓迎する」とし、しかも国連イラク支援派遣団を米英軍の指揮下にある暫定行政当局(CPA)の補助機関として位置づけている。
 テロの標的となったデメロは、軍事占領行政の補助機関として国連自ら位置づけるこのUNAMIの最高責任者であった。イラク人民にとって、国連は「中立的国際機関」ではなかったのである。
米英占領軍は、国際法で定められた「占領軍」の義務である「治安維持」の責任さえ果たしていない。国連や各国政府は、国連施設や各国公館の警備の責任を果たすよう暫定占領当局(CPA)に要求していたが、CPAは六月、国連や関係各国にブレマー代表の書簡を送り、「責任は持てない」と通知していた。
にもかかわらずCPAは今回のテロを受け、「警備強化を申し出たのに国連が拒否した」というデマを流し、アナン国連事務総長がニューヨークの国連本部でテロの翌日の八月二十日、「われわれが(そのような申し出を)拒否するなど言うことがありうるだろうか。そんな話は聞いたことがない」と述べ、このデマに抗議する強い怒りの意志を表明している。
アナン事務総長やフランス、ロシアなどは、イラクにおける諸問題の決定権を米英占領軍当局から国連に移すよう主張している。これに対して米英は、事務総長特別代表の権限強化は認めたもののb米英の指揮権は譲れないbより多くの国が治安維持部隊を派遣すべきb各国は一層の経済支援をbイラク統治評議会へのより強い支持を\\などの盗人たけだけしい要求を行っている。
 侵略者米英に不法占領を続ける権利は一切ない。米英には、この侵略戦争で深刻な被害を受けたイラク人民に、謝罪し保障する義務がある。しかし、「国連により多くの権限を移せ」という要求をそのまま承認することはできない。
 国連がイラク人民に「復興を支援する中立的国際機関」として受け入れられるためには、国連総会でイラク戦争が国連憲章を踏みにじる無法な侵略戦争であったことを確認し、米英占領軍の即時撤退、戦争被害への謝罪と保障を決議する必要があるだろう。そして、国連監視検証特別委員会などの国連機関が、戦争への道を掃き清める役割を果たしたことを自己批判しなければならない。
国連は、国連憲章を踏みにじったNATO軍によるユーゴ侵略戦争も、アフガン侵略戦争も、イラク侵略戦争も止めることができなかった。そして侵略戦争の結果を追認し、侵略した諸大国の利害にもとづいて戦争の後始末をする役割を果たしている。
 国連に求められているのは、第二次大戦の戦勝国連合としての性格を克服することである。そのための第一歩は、核武装した五大国が「拒否権の行使」という特権で支配する「安保理常任理事国制」を廃止することである。国連の根本的改革を抜きにした「国連中心主義」は、国連の極めて否定的な現実を覆い隠す役割しか果たさないのである。
 (8月26日  高島義一)

もどる

Back