先の通常国会で、先代天皇裕仁の誕生日である四月二十九日を「みどりの日」から「昭和の日」に変更する祝日法改正案が衆院を通過した。それは、裕仁が制定した「明治節」(十一月三日)が日清・日露戦争や台湾・朝鮮植民地化を「偉業」としてたたえるものであったとの同様、天皇制と侵略戦争を賛美するものである。
先代天皇裕仁の誕生日である四月二十九日を、「みどりの日」から「昭和の日」に変えるとする祝日法改定案が、七月十七日、賛成多数で衆議院本会議を通過した。まったく審議すらせずに、いったいどうしたらこのような決議を導き出せるというのか。私たちは、衆議院採決に対し、怒りを込めて抗議するものである。
この法案の意義は、二〇〇〇年に廃案となった同法案と同じ「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」だ。
ふざけるのもいいかげんにしてほしい。「激動の日々」とは、「復興」とは、いったい何を指しているというのか。侵略・植民地戦争で数千万のアジアの人々を殺し、そのためには自国民の命を消耗品として位置づけた末、敗戦を迎え、その直後からアメリカの傀儡となり、朝鮮戦争・ベトナム戦争で経済的「復興を遂げた」。それ以外の何を指しているというのだ。
このような「激動」と「復興」の「昭和」と命名された時代、そしてその戦争責任をとらず、死ぬまで天皇として君臨し続けた戦争の最高責任者昭和天皇を、賛美し記念する祝日を、どのような道義で認められるというのだ。そういう意味では、天皇として存在するかぎり、そして裕仁の「偉業」を継承すると宣言した現天皇明仁も、同様に許されない存在であることも、付記する。
この法案の主役である裕仁は、即位して間もない一九二七年、「明治節」制定詔書を発した。内容は、明治天皇がすぐれた徳を持って成し遂げた「偉業」は前例のない発展をもたらしたので、十一月三日を「明治節」と定め、明治天皇の「遺徳」を仰ぎ、「明治」を追憶する、というものだ。
明治天皇の「偉業」とは、北海道(アイヌモシリ)・沖縄の武力による統合、日清・日露戦争、台湾・朝鮮の植民地化という、まったくもって人道に反する膨張政策の遂行でしかない。その「明治」の時代を讃えるところから始まった「昭和」の時代も、やはり敗戦するまで戦争に邁進した時代だったのだ。敗戦後は、他国の戦争で潤い、経済侵略をひた走った。
そしていま再び、戦争法や「愛国心」を押しつけ始めた政府は、「明治節」をつくったとまったく同様に、「昭和節」をつくろうとしている。
この「昭和の日」とは、天皇主義右派議員が集まりできた〈「昭和の日」推進議員連盟〉によって執拗に推し進められてきたものだ。日本はいつまで天皇制を頂きながら、アジアの人々と敵対し続けるつもりなのだ。
私たちは、いつまでもこの悪しき循環につき合うつもりはない。私たちは、この新たな悪循環に道を拓いた衆議院に強く抗議すると同時に、参議院議員に訴える。「昭和の日」制定とは、戦争と最高無責任者天皇を容認し、受け入れさせていく時代づくり以外にはありえない。反対するべきである。
私たちは、ひとかけらの反省もなく「昭和」を記念し、天皇制を賛美する「昭和の日」制定を策す政府を、断じて許さない。
二〇〇三年八月四日
アジア連帯講座、アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会、活かせ!9条福岡の会、「家族論」読書会・ぶなの会、神奈川教育労働問題研究会、北九州がっこうユニオン・うい、北九州「君が代」訴訟=ココロ裁判の会、教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま、京都「天皇制を問う」講座実行委員会、憲法勉強会・ベアテの会(西宮)、国立の教育を守る市民連絡会、軍国主義に反対する会、現代教育研究会、在日朝鮮人作家を読む会、写真の会・パトローネ、昭和天皇記念館建設阻止団、女性と天皇制研究会、第9条の会なごや、大ピンチ・ふくおか、立川自衛隊監視テント村、天皇制に問題あり!福岡連絡会、天皇制を考える広島ネットワーク、天皇問題を考える市民ネットワーク(大分)、日韓民衆連帯全国ネットワーク、日本基督教団
九州教区 平和・人権部門、日本基督教団西中国教区宣教委員会社会部、日本基督教団西中国教区靖国神社問題特別委員会、命どぅ宝ネットワーク、派兵チェック編集委員会、反天皇制運動連絡会、はんてんの会、東アジアの平和をめざし天皇制の戦争責任を追及する8・15集会実行委員会、ピースサイクル浜松、「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、「日の丸・君が代」はいらない! くにたち・一橋ネット、撫順の奇蹟を受け継ぐ会(九州)、不戦へのネットワーク、仏教徒非戦の会・福岡、明治大学駿台文学会、もうやめよう国体!埼玉の会、「湾岸戦争の子どもたち」写真展米国実行委員会
強制連行されて死んだ先祖に思いを寄せて
東京・芝でアイヌ民族供養祭
八月十日、東京・芝公園内(開拓仮学校跡)で、関東のアイヌの人たちが《東京・イチャルパ(供養祭)》〜シンリッモシリ・コイチャルパ〜を行った。レラの会会長・佐藤タツエさん、事務局長・長谷川修さんらが呼びかけたものだ。アイヌ民族が二十数人と滋賀県、名古屋など関東以外の支援者なども含めて百人近くが参加した。
シンリッモシリ・コイチャルパは、いま生きるアイヌが一同に会してともに、「先祖の大地に思いを馳せて(望郷)死ななければならなかったアイヌウタリをアイヌプリで供養をするものだ。
東京・芝増上寺境内でこの供養祭が行われたわけは次のような歴史があったからだ。
一八七二年五月、政府は東京府芝(現、東京都港区)の増上寺に設置した開拓使仮学校付属北海道土人教育所と東京府下渋谷村(現東京都渋谷区)に設置していた開拓使第三官園にアイヌを強制的に入学・入園させた。土人教育所はアイヌの習俗、精神世界、生活を破壊し排除することが目的とされた。監視、矯正、病気・死に至るほどの環境に置かれた。強制就学したアイヌ五人が病死した。その結果、帰郷を願い出るものが多く、一八七四年七月、退学ないし帰省を希望したアイヌを全員帰道させ、北海道土人教育所を廃止した。開拓使官園では翌八月、帰省者を再び東京に連行し農業指導を開始しようとしたが、応じたアイヌは皆無だった。
アイヌを東京ヘ連行し教化する施策は開拓次官黒田清隆が計画し実行した。この施策は、連行されたアイヌへの強制だけでなく連行されたアイヌの家族、コタンの破壊と無関係に考えることはできない。
アイヌ民族の世界、精神、文化剥奪の最初と言われている。日本政府はこれ以降、明確にアイヌへの同化政策を強行した。
アイヌ民族衣装に身を包んだアイヌの人たちは、神へ祈りをささげる「カムイノミ」などの後、祭壇にイナウ(木幣)や酒、料理などををささげて先祖を供養した。その後、歌と踊り、弓の舞いを披露した。アイヌ民族として生き抜こうとする生き様を知ることができ、どうしたら和人がともに生きる社会を作れるのか、考える契機を与えてくれる行事であった。(M)
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