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投稿                        かけはし2003.8.4号より

ミック・ジャガー、ジョン・レノンと第四インタナショナル

浅見和彦(大学教員)



 今年の三月、イギリスのロック・グループのザ・ローリング・ストーンズが四度目の来日公演をおこないました。そのボーカリストのミック・ジャガーと第四インタナショナル・イギリス支部が浅からぬ縁をもっているのはご存知でしょうか。

 ストーンズは一九六八年八月にアメリカで「ストリート・ファイティング・マン」という曲をシングルでリリースしました(*1)。しかし、イギリスのレコード会社はシングル盤でリリースすることに反対し、またBBCも「不穏当」を理由に放送禁止にしたのです。
 この曲は、「いま世界中でデモや街頭闘争が起きている」という歌詞で始まり、「それなのに惨めな男[=ミック自身のこと]はせいぜいロックバンドで唄うことしかできない。生気のないロンドンでは街頭闘争なんてないからだ」と続けています。ストーンズはこの曲を一九六八年春にロンドンで録音して、最初にアメリカでリリースしたのです。時期を考えると、当時のイギリスの学生運動やベトナム反戦運動の、国際的に見たときの相対的な後れを意識していると受けとることができます(*2)。
 しかし、イギリスでもこの年の三月には三万人のベトナム反戦デモがあり、ロンドンのアメリカ大使館前でデモ隊と警官隊との激しい衝突も起きています。実はミックもこの巨大なデモの隊列の中にいたのです。また、十月にはロンドンで十万人という最大のデモがおこなわれます。主催者は「ベトナム連帯運動(VSC)」でしたが、当時の第四インタナショナル・イギリス支部であった「国際マルクス主義グループ(IMG)」がその中で重要な役割を果たしました。
 IMGのメンバーは一部の知識人と協力して、「ブラック・ドゥオーフ」という新聞を発行していました。編集者の一人がこの年の四月にIMGに加入したパキスタン出身のタリク・アリという若い活動家でした。アリはデモの準備をしながら、この新聞の特別号の編集をしていて、ミックに電話をかけます。「この曲の歌詞を掲載したいのですが、自筆で書いてファックスで送ってくれませんか」と依頼すると、ミックは即座に了承したのです(*3)。

 「ブラック・ドゥオーフ」は一九七〇年に廃刊になりますが、それ以降はIMGの機関紙「レッド・モール」に事実上、継承されます(*4)。この機関紙の読者の一人に、ザ・ビートルズのボーカリスト、ジョン・レノンがいました。一九七一年にアリはレノンに対してインタビューを申し入れると、かれは快諾を即答します。アリはIMGのロビン・ブラックバーンと一緒にインタビューをしています。
 レノンは、「ベトナム連帯運動」のデモにはおそらく参加しなかったと思われますが、有名な「イマジン」を完成させたときには、アリとブラックバーンに電話をして、お茶に誘っています。「イマジン」のビデオを製作するために、レノンとアリ、ブラックバーンが談笑しているところを撮影したということです(*5)。実際にプロモーション・ビデオとして使われたのかどうかは定かではありませんが…。一九八〇年にレノンが殺されると、アリは追悼文を当時のIMG機関紙「ソシアリスト・チャレンジ」に掲載しています(*6)。

 アリは、「ビートルズか、ストーンズか」というマ`論争aではストーンズに軍配を挙げています。ミックが「ベトナム連帯運動」のデモに参加していたからということだけではなく、ストーンズの音楽のリズムが一九六八年当時の「街頭闘争の季節」を音楽的に表現していると感じていたからです(*7)。レノンとも親しかったので、アリは当時、このことをはっきりとは言わなかったのですが、レノンは気がついていたようです。
 アリはその後、第四インタナショナルを組織的には離れます。「際限のない分派闘争に疲弊した」と書いています。しかし、今年六十歳の彼は、現在もイギリスで作家、TVプロデューサーとして活躍し、また労働党内外の左翼活動家の結集組織である「社会主義連盟(SA)」や、アメリカ・イギリスのイラク攻撃に反対する「戦争をストップさせよう連合(STWC)」の確固とした支持者として活動し、また「世界社会フォーラム(WSF)」にも参加しています。

 この二人の偉大なミュージシャンと第四インタナショナル・イギリス支部にこうした縁があったことは―たぶんにタリク・アリという人のパーソナリティがほかの誰にも代えがたい役割を果たしたことを忘れるわけにはいきませんが―記録されるべきことでしょう。
 (*1)ストーンズの 「ストリート・ファイティング・マン」は、たとえば、一九八九年に出た「ローリング・ストーンズ シングル・コレクション(ザ・ロンドン・イヤーズ)」(発売元:ビクターエンターテインメント株式会社)のディスク3に収録されています。
 (*2)イギリス全学連(NUS)は労働党右派に支配されていました。これに対抗して、一九六九年の委員長選挙に「左翼」の統一候補として推されて当選したのが、ジャック・ストロー(現在のブレア政権の外相)でした。
 (*3)Tariq Ali, Street Fighting Years: An Autobiography of the Sixties, Fontana, 1988, p.222.; Tariq Ali and Susan Watkins, 1968: Marching in the Streets, Bloomsbury, 1998, p.184.
 (*4)IMGの機関紙名称は、「レッド・モール」以後、「レッド・ウイークリー」、さらに「ソシアリスト・チャレンジ」へと変更されます。
 (*5)Ali, op cit., p.252.
 (*6)第四インタナショナル日本支部機関紙「世界革命」一九八一年一月二十六日号に、一九七一年のインタビュー(抜粋)とアリによる追悼文が訳載されています。
 (*7)Ali, op cit., p.250.


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