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リベリア内戦                    かけはし2003.8.25号より
テイラーの大統領辞任と米仏多国籍資本の抗争

ジャン・ナンガ



解説

 一九八九年以来続いてきた西アフリカ・リベリア共和国の内戦は、政権を副大統領に引き渡して退陣したテーラー前大統領が八月十一日にナイジェリアに亡命し、八月十八日に政府と、北部を支配するリベリア和解民主連合(LURD)、東部を支配するリベリア民主運動(MODEL)との間で和平協定が調印され、新しい段階に入った。
 しかし、西アフリカ諸国の多国籍軍と米海兵隊の導入による兵力引き離しによって、二十万人の死者(総人口は約二百六十万人)を出した内戦を収拾し、十月までに暫定政府を創設することをうたった和平協定がリベリアの混乱と破壊を克服することができるかどうかは、依然として流動的である。
 リベリアは一八四七年にアメリカから送り込まれた「アメリコ・ライベリアン」と呼ばれる「黒人解放奴隷」によって建国が宣言されたアフリカ大陸で最も古くからの独立国家の一つであり、人口の八%強の「アメリコ・ライベリアン」が九〇%のアフリカ人を支配して特権を享受する関係が継続してきた。
 しかし一九八〇年の軍事クーデターで「アメリコ・ライベリアン」の特権的支配体制が終焉して以後、それに対して「アメリコ・ライベリアン」出身のテーラー前大統領率いるリベリア国民愛国戦線(NPFL)が一九八九年に蜂起し、内戦が勃発した。
 その後、幾多の曲折を経て、テーラーが一九九七年に大統領に就任したが、彼はシエラレオネなど近隣諸国の内戦に介入して、ダイヤモンドの密売などの利権を獲得し、重要な外貨獲得源だった「便宜置船籍」の登録料を私物化するとともに、暗殺、人権弾圧などをほしいままにして、その戦争犯罪を告発されてきた。
 だが問題を今日の新自由主義政策がもたらした社会的崩壊・腐敗状況の枠組みでとらえなければならない。個別リベリアの悲劇ではないのである。 (純) 


 リベリアのチャールズ・テイラー大統領の待望されていた辞任は、この国の国内和平へ回復の兆しである。しかし、それはフランス系多国籍企業にとっては好ましくない事態になりかねないだろう。
 六月十七日、ガーナのアクラで、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)のイニシアチブで、アメリカとEUの代表が出席して、二〇〇〇年以来戦闘状態にあるリベリア政府と二つの反政府運動のリベリア和解民主統一連合(LURD)、リベリア民主運動(MODEL)との間で、停戦協定が結ばれた。停戦の尊重は、多国籍軍の配備によって保障される。他方、チャールズ・テイラー大統領の辞任と暫定政府への彼の不参加という反乱派から出されていた要求も、満たされることになった。
 こうして、自らが始めた長い内戦(一九八九年〜一九九六年)から一年後の一九九七年に「自由に」しかもまったく「透明な形で」選出されたこの支配者は、自らの合法的な任期を最後まで務めることができなかった。この事態は、リベリア人民にとってだけでなく、この地域の他の国々の人民にとっても、さらにこの犯罪者によって組織された悲劇に懸念をもつ世界の他の地域のすべての人々にとっても、安堵の念を抱かせるであろう。
 しかしながら、この支配者の戦争活動と政策から多国籍企業が引き出すことができた利益を考えるなら、一部の多国籍企業にとっては、この辞任はそれほど望ましいことではない。だから、これら多国籍企業は、それから二日後のラジオ放送でのテイラーの宣言に興味を抱いた。「私は自分の大統領の任期を完全に務めて、その権限を副大統領に委託するつもりである。私は、望む場合には、自分の憲法上の権利、総選挙に参加するという権利を保留する」。
 この態度は、コートジボアールへのフランスの介入から着想を得たものであった。彼は、そうすることによって、リベリアへのアメリカの直接的な介入についての米国議会での討論を六月二十六日の審議議題に乗せるために(米国議会内の黒人議員グループの)黒人幹部会やアフリカ小委員会に対してロビー活動を展開したのであった。
 この二十年間のリベリアの歴史は、隣国シエラレオネと同様に、このテイラー個人によって刻印されてきた。アメリカの大学で経済学を学んでいたときに、彼はクレジットカードの不正使用で警察といざこざを起こした。彼は、リベリアのサムエル・ドエ軍曹の新政権によって一九八〇年から一九八三年まで政府の仕入れセンターの長官に任命されたが、そこでも不正をおこなった。リベリア警察の追及を逃れるために、彼はアメリカに逃れたが、そこでアメリカ=リベリア間の警察の協力によって逮捕され、投獄された。
 そこからの脱走に成功すると、しばらくしてから、亡命反政府運動、リベリア国民愛国戦線(NPFL)の指導者として登場した。NPFLは一九八九年に、独裁的となったサムエル・ドエの政権に対する武装反乱を開始した。ドエは、一九八五年の大統領選挙で不正によって五一%の得票で勝利していたのだった。翌年、ダムエル・ドエ政権を打倒したのは、NPFLから分裂した、(プリンス・ジョンソンに率いられた)独立NPFLであった。
 反乱勢力の間のこれらの分派の間の対立は、民族間の相互対立の様相を呈したが、エル・ホジ・クロマとジョンソン・ローズベルトによって当初指導されていたリベリア民主化統一解放運動(ULIMO)ようなもうひとつの反乱組織も闘いに加わってきた。流血の泥沼は、アブジャ(ナイジェリアの首都)協定でようやく終わったにすぎない。
 この協定は、とりわけ民主的選挙の組織化を任務とする暫定評議会を設置することになり、チャールズ・テイラーがそこから勝利者として抜け出した(七五%の支持票)。彼はその残虐さのゆえに勝利したのだが、国民は、彼を選出したとき、もはやそうした残虐な政治を受けないようになることを期待していた。彼は、ある有権者の発言を引用して臆面もなくこう語った。「彼は私の父を殺した。私の母を殺した。私は彼、テイラーに投票する」。
 だが、この大衆的な正当性は、だからといってそこから民主主義者を作り出したわけではなかった。まさにその正反対に、彼は自分の息子が指揮する特殊部隊を強化する一方、国軍を弱体化させた。この特殊部隊の略奪は、この戦争屋の支配者の蛮行の同じ犠牲者でもあるギニアとシエラレオネとの国境地域を基地とした二〇〇〇人の反乱軍、LURDを再び出現させることになった。
 一九九一年以降、チャールズ・テイラーは、自分の代理人、シエラレオネの元伍長、フォデイ・サンコー、革命的統一戦線(RUF)に、シエラレオネの内戦を拡大する任務を与えた。ほぼ十年間続いているこの隣国の内戦の過程で、主として少年兵から成るRUFの兵士による民間人の虐殺、女性への暴行が行われ、それに伴ってコンゴでベルギーのレオポルド二世の国王軍の兵士が行っていた蛮行(手足の切断)が復活した。シエラレオネでのこの野蛮な行為では、犠牲者は――大人も子供も――自分たちの四肢のどれを切断するのかのくじを引かなければならなかった……。
 この戦争における彼の直接の責任は、ごく最近に、国連の特別法廷によって、シエラレオネでの内戦での彼の役割について戦争犯罪と人道に対する犯罪で告訴された。彼は、辞任の条件として、統治後の免罪と告訴の撤回を要求している。ギニアとコートジボアールの両国も、自国内での反乱軍をテイラーがはっきりと支援していたので、テイラーを告訴する可能性がある。
 このぞっとするような悲惨な事態の意味を明らかにするには、精神分析的な説明を必要とするに違いない。だが、ひとつのことは確かである。それは時代の雰囲気、サハラ以南アフリカにおける新植民地的風土と大きく符合しているのである。なぜなら、テイラーの好戦的なノウハウは、そもそも最初から、ブルキナファソの大統領のブレーズ・コンパオレ、リビアのカダフィー、地域の「賢人」、コートジボアールのフェリックス・ウフウエ・ボワニーによって支援されてきた。
 民族的理由のためというわけではけっしてなかったのだが、テイラー自身は、政治家の手段として使う民族主義について相対的に正常な意識を示している。この地域の二人の保証人、コンパオレとウフウエにはまた、ジョナス・サビンビによって率いられたアンゴラの反政府軍、UNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)を支援したという過去の実績があった。しかもUNITAはダイヤモンドの密輸を行っていた。
 ところで、リベリアとシエラレオネは、木材、ダイヤモンド、鉄、金の天然資源が豊富であり、土壌が肥沃なので、カカオの木、コーヒー、パラゴムの木、アブラヤシを栽培することができる。資本主義文明の歴史はわれわれに、豊富な資源が地球上の多くの人々にとっての不幸の原因になることを教えている。
 アフリカの資本主義は、西側多国籍企業によって用いられた方法に劣らない方法に訴えた。反乱軍の支配者あるいは独裁大統領として、チャールズ・テイラーは同時に、植民地資本主義の古典的方法に従って富を増やす企業家でもある。この方法とは、鉱山やプランテーションでこき使われる労働力、国民に対する勝手な課税、国際市場からの調達、さらには多国籍企業との協調である。権力に就く前にすでに、彼は、リベリアとシエラレオネで新しいタイプの多国籍企業――手数料の取得によって傭兵に対する支払いがなされる――とも、伝統的企業とも、合弁事業を起こし、金やダイヤモンドの採取や森林事業の契約を結んでいた。
 伝統的企業の中では、フランス企業が有利な位置を占めている。たとえば、テイラーは、実業界の人々との特権的な関係についてステファン・スミスからの質問に答えて、こう言っている。
 「特権はない。フランスの実業家は何をおいてもまずわれわれに会いに来ているのだよ。連中は危険を冒してきた。それは、彼らが今日すでに、一定期間をかけて先行投資しているからだ。この事実は、われわれが自らの利益――リベリアの利益――を守り、フランスの実業家が自分たちにお金をもたらしてくれる市場を確保しようと試みる限り、何ら変わることはない! だから、われわれは協調できる場を見い出さなければならない。それは『通常のビジネス』なのだ……。われわれは大国間のある種の競争を醸成しようとするものでは決してない」。
 言い換えれば、NPLFが――ULIMOや他の勢力についても同じことが言えるのだが――村に火をつけ、子供や老人を含む民間人を虐殺していたとき、フランスの資本家は投資を行い、その利益を確保していたのだった。こうしてテイラーは、選挙に勝って以降、一九九八年の最初のヨーロッパ公式訪問に際して、この年の十一月に開催されるパリでのフランス=アフリカ首脳会談より数カ月前の九月の段階で、当然にもフランスを選択したのだった。
 リベリアの独裁者の利害とフランスの利害の共通の緊密な関係が確立された。両者は、権力とフランスの一部の権益を放棄してそうした利益を失ってしまうことを望んでいない。フランスの利害は、この共謀関係を放棄すれば打撃を受けるだろう。すでに、リベリアは、リベリアからの木材輸出禁止という国連の制裁に反対する工作の中で、一度ならずフランスの支持を受けていた。フランスの産業界は木材の大部分についてリベリアの木材に依存していた。
 同じく、国連安保理事会の決定(二〇〇一年五月、一三四三号決議)によって、リベリアの首脳は国外旅行を禁じられているのだが、チャールズ・テイラーは、国連のアナン事務総長とともに、コートジボアールの内戦に関する(パリ郊外の)マルクシの交渉に参加した。
 この内戦でテイラーが実際に反政府軍を支援していることは否定できない。この戦争は、ブレーズ・コンパオレが調整している「フランス系アフリカ人」の下請けを際立たせているように思われる。これは、人民の犠牲のもとで、そして先に引用したテイラーの発言でそれとなく言及されている「大国」のひとつ、アメリカを犠牲にして遂行されている、相互に利益をもたらす仕事の交換である。
 チャールズ・テイラーの勝利はアメリカが望んでいたものではなかった。アメリカはすでに一九九〇年の時点で、テイラーがサムエル・ドエに反対するために、リビアのカダフィーと同盟していたために、プリンス・ジョンソンを支援することによってテイラーのモンロビア攻略を阻止していた。この同盟は、コンパオレやウフウエ・ボワニーらフランス系アフリカ人の支援を受けて、ラテン・アメリカに匹敵するようなアメリカへの長い従属の歴史をもつこの国において、アメリカの権益の見直しというところにまで達した……。
 アメリカは、外交カード(ダイヤモンドや木材の取引およびシエラレオネの破壊を促進している武器輸入に対する国連の制裁、戦争犯罪と人類に対する犯罪でのテイラーへの告訴、IMFを通じた財政的圧力)を切った後、最終的に強力な方法を選択した。
 LURDとMODELの軍事的な急速な前進は、アメリカのこうした選択と無縁ではない。テイラーがギニア国内の反乱軍を支援しているのに対応して、ギニア政府は、一九九〇年代にULIMOを支援したのと同様に、LURDを支援しており、コートジボアール政府はMODELを支援しているが、こうした事態があるからといって、アメリカ政府が採用しているギニアへの軍事的支援を覆い隠すことはできない。この計画の最初の部分(三百万ドル)は、リベリア・ギニア国境地域にまで拡大したリベリア内戦の全面的再燃に関与することであった。しかしながら、ギニアのランサナ・コンテ将軍=大統領は、独裁者であり、まぎれもない寡頭政治の張本人なのである。
 テイラーの辞任は、この地域の新植民地体制を再編するに違いない。アメリカは、この国への禁輸措置の解除を見返りとして、再びリベリアを支配するだろう。「グローバリゼーションの中でアフリカは周辺的地位へと排除されている」とする論議がなされている。だが、そのことはアメリカをも含む資本家の収益の増大を妨げるものではないのである。米議会内の黒人幹部会が望んでいるアメリカの介入は、アフリカ人民への連帯というよりも、アフリカ系アメリカ資本の利害という動機の方がより大きいように思われる。
 さらに、ワシントンとリベリアに隣接するフランス語圏地域との間の結びつきが再び強化されるという事態が見られる。それは特に、コートジボアールの大統領、コートジボアールにおける伝統的なフランスの権益の脆さという点とも関係している。さらに、ギニア政府が、イラク侵攻をめぐる国連安全保障会議の決議の問題で、アメリカを支持したという事実もある。
 再編の動機のひとつは、ワシントンの「単独行動主義」に反対するフランスにその代償を支払わせたいとするアメリカの願望から来ている。だが、テイラーの辞任がEUの仲介でアメリカとフランスの間の交渉によって実施されるという可能性も排除できないのであって、すでにベルギー資本とイタリア資本もリベリアで割のよい取引を行っている。そうであれば、結局、それぞれが自らの伝統的な勢力圏においてそれぞれの権限を獲得することになる。
 アクラ合意をテイラーが尊重した場合、彼の統治の終結は、傷つき悲しみに沈んで来たリベリア人民に平和をもたらすことは疑いないところである。しかしながら、これまでの反政府運動(LURD、MODEL)によっても共有されている暴力の文化には、利害対立が貫かれているのであって、その大部分は、リベリアとシエラレオネの内戦に加わっている兵士たちによってなされているのである。そのために、平和への移行が長い困難なものになることが懸念される。しかも、リベリアの反政府勢力は新自由主義のモデルに対するオルタナティブをもっていないので、楽観主義的展望を抱けるような根拠があまりないのである。
 国際金融機関がリベリア国家との間で維持して来た悪しき関係の後には、「構造調整」を優先する協力関係が続くことになるだろう。この構造調整には、たとえば少年兵士の社会への再統合をめぐるいくつかの化粧直し的政策(貧困削減の戦略的計画)が実施されるだろう。そこから暴力の社会的原因を取り除く真の民主的計画が出て来ることはあり得ない。「国際社会」がリベリアの「民主化」と「再建」計画の中に、この国で利益をあげているマフィア的経済・金融活動、老朽化し汚染を撒き散らすリベリア船籍のタンカー、麻薬取引、マネー・ロンダリングなどに対する闘いという項目を書き加えることはありそうもない。
 ……これらの問題に取り組もうとする人々は、テイラーがいるか否かに関わりなく、新たな「エスニック間戦争」を覚悟しなければならないだろう。  
(「ルージュ」03年7月17日号)

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