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映 評                        かけはし2003.8.25号より
ジュリー・ティモア監督作品『フ リ ー ダ』

生命の賛美、愛と革命

 メキシコシュールレアリスムの女王とも呼ばれるフリーダ・カーロは、生涯で三十数回の手術を受け、その激しい肉体的苦痛と夫ディエゴ・リベラの度重なる女性問題による精神的苦痛を繰り返し自画像に託して描きつづけた画家として知られている。
 彼女の絵にはむきだしの心臓や死産の子、機械の背骨など不吉なイメージが多く描きこまれているが、その画面の中でフリーダは時には美しい民族衣装で着飾り、常に誇り高く傲慢とさえいえる強い眼差しで見るものを圧倒する。フリーダの作品には一般にシュールレアリスムといって思い描くような作為的な技巧は存在せず、ただ生命への賛美、情熱、ディエゴへの激しい愛情が彼女にとっての現実に最も忠実な方法で表現されている。
 映画は全体的にフリーダの代表的な作品をCGで実写と重ね合わせることで象徴的な深みのあるものに仕上がっている。斬新で思い切った表現も多く見られるが、私にはバスの事故で腰部を鉄の棒で貫かれたフリーダが手術中に見る夢で、骸骨の医者がユーモラスにめまぐるしい動きを見せる場面が、当時のフリーダの「夜になると死が私のベッドのまわりを踊り廻った」という言葉の解釈として興味深く思えた。少し唐突に思えるところもあるが、それも難解なフリーダ美術のひとつの読み解き方としてみれば面白い。
 その他、自画像とあわせてみても違和感のないほどのフリーダ役サルマ・ハエックの演技にも注目したい。学生時代から晩年までのフリーダの成長と心の動き、特に作品の全体を通してのディエゴへの苦しい愛情表現。そしてその裏返しともとれる数多くの異性、同性との関係のなかでもフリーダの青の館に滞在したメキシコ亡命中のトロツキーとの情熱的な恋愛や、絵画に没頭する姿など魅力的なフリーダを存分に演じきっている。
 この映画では深く触れられていないが、フリーダの生きた時代は世界で共産主義と芸術がかつてないほど密接に結びついた時代であった。映画の中でディエゴが「優れた画家はみんなアカ」だと冗談を言う場面があるが、それはまるきりの冗談とは言えない。
 当時、メキシコ美術の主流を占める表現方法は壁画であり、ディエゴをはじめとする革命画家の描いた壁画は多くの人の目に触れ、字の読めない者にも自分たちの国の歴史と革命の意義を確かに伝えたのだった。一方で同時代のフランスではシュールレアリストの作家アンドレ・ブルトンによって芸術の独立した価値を求める運動が起こっている。
 目的としての芸術はマルクス主義と両立しないのではないかという議論がスターリン派に対抗する芸術家の間に国際的な規模で激しく繰り広げられ、その中でもだれより芸術の独立性について強く主張したのはトロツキーだったといわれている。その声は後に「独立革命芸術のために」というマニフェストにつながり、その宣言では「芸術の独立」は革命のため、そして革命は「芸術の決定的な解放」と位置づけられた。そして世界中の多くの芸術家はその可能性を信じる。結果的にその理想は第二次世界大戦に飲み込まれ実現することはなかったのだが……。
 その頃フリーダは自分の作品が革命に貢献しないものだと嘆いていたといわれている。この宣言は共産主義芸術を志す者に対しての力強い激励であると同時に、トロツキーにとってはフリーダへの愛情のこもったメッセージではなかっただろうか。(深沢瑞江)

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