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                          かけはし2003.8.11号より

イラク侵略戦争と国際反戦運動の教訓

「グローバル戦争」の破綻と「もう一つの世界」めざす挑戦の始まり

 
 アフガニスタンへの「報復戦争」に続いてブッシュが強行したイラク侵略戦争は、巨大な反戦運動の波を解き放った。イラク占領支配の危機はブッシュ戦略の限界を刻み込み、世界的なオルタナティブの必要性を労働者市民に実感させている。日本も例外ではない。集団的抵抗運動の社会的再建に向けた共同の摸索を!

破綻を深めるイラク軍事占領

 アメリカのブッシュ共和党政権が全面的に主導し、イギリスのブレア労働党政権とともに遂行したイラク侵略戦争は、三月二十日の全面爆撃開始からわずか三週間でイラクの首都バグダッドの米軍による制圧と、サダム・フセイン政権の崩壊をもたらした。世界に比類のない軍事力を誇るアメリカ帝国主義が、二〇〇一年九月十一日の「同時多発テロ」直後から準備したイラクへの全面戦争に正面からサダム・フセイン政権が抵抗する術はなかった。
 しかしチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官などの極右「ネオコン」勢力が主導した米ブッシュ政権の、圧倒的な軍事力によるイラク「解放」と「民主化」の展望は、その破綻を日々あらわにしつつある。五月一日、ブッシュはイラクにおける「大規模な戦闘の終了」を宣言したが、占領軍に対するイラク民衆の「反米意識」は日増しに昂進し、武装抵抗勢力の米兵に対する攻撃が連日のように続いている。米兵の死者は累増し、米占領軍の中での「厭戦意識」や軍中枢に対する不満が渦巻いている。
 七月十三日、米英の暫定占領当局によって選ばれた非サダム派イラク人からなる「イラク統治機構」が発足したが、それは決して新たな親米派イラク政権への基礎を据えるものとはならない。イラク人民の占領者への怒りを背景にした「治安の悪化」は収拾する気配を見せておらず、アビセイド米中央軍新司令官は七月十六日の記者会見で「ゲリラ戦の存在」を明らかにした。イラクで起こっていることは決して「野盗」の類による「犯罪行為」ではないことを認めざるをえなかったのである。
 これは米軍の占領が必然的に長期化し、米軍が泥沼の中に引きずり込まれつつあることを意味している。国際法や国連憲章をも無視し、国連安保理の「武力行使容認」決議もないままに、仏、独などのG8諸国の反対をも押し切って強行したブッシュの「先制攻撃」戦略は、世界の混乱と不安定をさらに高め、おごり高ぶった「単独行動主義」の限界を画するものとなってしまった。それはポスト冷戦期のアメリカ帝国主義の「単独覇権」の衰退への道を切り開いたのである。
 米英軍によるイラク制圧の直後には、「イラク国民は米軍を解放軍として迎えた」として反戦運動の「誤り」に言及し、国連の機能マヒを乗り越える新たな「二十一世紀国際秩序」の到来を言いつのる主張がメディアなどでも吹き荒れた。「反戦世論にひるまず、決断を貫いた」ブレアや小泉を賞賛した高畑昭男・毎日新聞論説室員の主張(「毎日」5月28日、記者の目欄「市民の笑顔が語る『自由』」)は、その典型であった。しかし、今やそうした「正義の戦争」賛美論は説得力を失った。
 われわれはここで、改めて一九九一年の湾岸戦争との対比の中で、二十一世紀初頭における米ブッシュ戦略の危機と矛盾をつかみとっていかなければならない。それは歴史的な規模で国際的に展開されたイラク反戦運動の意味をつかみとり、グローバルなレベルでの労働者・市民の闘いがどこに向かうべきかを主体的に選択する上で、不可欠な作業なのである。

「歴史の終焉」から「新世界無秩序」へ


 一九九〇年八月、サダム・フセイン政権がクウェートに侵攻して占領し、「湾岸危機」が勃発すると現ジョージ・W・ブッシュ大統領の父親である米大統領ジョージ・ブッシュは、ただちにサウジアラビアと湾岸地域に米軍を大規模に集結させて「砂漠の盾」作戦を発動した。翌一九九一年一月に始まった湾岸戦争の発端である。
 前年の一九八九年、東欧のスターリニスト官僚支配体制は、「ベルリンの壁」の崩壊とルーマニアの独裁者チャウシェスクの「処刑」に象徴されるような劇的な崩壊を遂げた。八九年末、地中海のマルタ島で会談した父ブッシュとゴルバチョフは「冷戦の終結」を宣言した。全面核戦争の「恐怖の均衡」を内包した第二次大戦後の米ソ対決という世界的枠組みは「ソ連圏」の自壊によって終焉し、アメリカが唯一のスーパーパワーとして全世界に覇権をふるう構造が姿を現したのである。
 湾岸危機の勃発直後の一九九〇年九月、父ブッシュはアメリカの両院議員合同総会で初めて「新世界秩序」の形成を宣言した。奇しくもその日付は「九月十一日」である。父ブッシュの「新世界秩序宣言演説」の前半は、冷戦に「勝利」したアメリカの力を高らかにうたいあげる一種の「楽観的理想主義」のトーンに染め上げられていた。
 「われわれはユニークでめったにない瞬間に立ち会っている。ペルシャ湾岸危機は深刻なものではあるが、歴史的な協力の時代へと向かうめったにない機会をも提供している。この面倒な時代の彼方に……新世界秩序が出現しうるのだ。それはテロの脅威がより少なく、より強力に正義が追求され、平和の探究が確保される時代である」。
 「現在、この世界は生まれ出るための闘いを行っている。それはわれわれが知っている世界とは全く異なった世界である。それは法の支配がジャングルの法則にとってかわる世界である。それは諸国民が自由と正義のための責任を分かち持つ世界である。それは強者が弱者の権利を尊重する社会である」。
 「自由と正義」が世界に浸透し、「強者」が「弱者」をおもんばかる、このアメリカ的「理想郷」は、フランシス・フクヤマが「自由と民主主義の勝利」による「歴史の終焉」をうたいあげた時代認識ともつながっていた。一九九一年末のソ連邦終焉は、こうした時代認識を立証するかに見えた。
 「帝国主義」に代わって、「中枢」を持たないグローバルなネットワーク的な「主権」たる〈帝国〉の支配を展望したアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『〈帝国〉』(一九九一年から九九年にかけて執筆)もまた、「湾岸戦争」をそうした新たな時代の画期をなすものとして分析した。
 「湾岸戦争の重要性」は、「この戦争によって合衆国が、それ自身の国家的動機に応じてではなく、グローバルな法権利の名において、国際的正義を管理運用することのできる唯一の権力として登場したということである」。「合衆国世界警察は、帝国主義の利害関心ではなく、〈帝国〉の利害関心にもとづいて行動するのである。この意味でジョージ・ブッシュ(父)が主張したように、まさに湾岸戦争は新世界秩序の誕生を告げるものでもあったのだ」。
 この「新世界秩序」の中では、米ソ冷戦の時代にはその機能をマヒさせていた国連が、真にその「本来の役割」を発揮する、という主張が広がった。
 しかし「新世界秩序宣言」から十年以上たった今日、ブッシュ・ジュニアが直面した世界は、そうした「楽観的展望」とは全く異なるものだった。ブッシュ・ジュニアにとっては「邪悪なテロリスト」や「ならず者国家」「無法者国家」によって不断にその「平和と安全」が脅かされる世界となっていたのである。唯一の「超大国」としてのアメリカ帝国主義の中枢で引き起こされた二〇〇一年「9・11」はこの世界の「本質」を見せつけるものとなった。
 それは資本の新自由主義的グローバリゼーションが作りだした徹底的に不公正な弱肉強食の社会であり、「富者」と「貧者」の間での世界の暴力的分裂であった。「9・11」から一カ月も経ずに始まったアメリカのアフガニスタン・タリバン政権への「対テロ戦争」はグローバルな「終わりなき戦争」の時代を解き放った。
 「新世界秩序」は湾岸戦争以後の経過の中で「新世界無秩序」に転化した。その最も悲劇的な現実は、餓死や無差別虐殺をふくむ数百万人の死者を伴った無政府状況そのものへと転化したソマリア、スーダン、ルワンダ、ブルンジ、コンゴ、シエラレオネ、リベリアなどアフリカ諸国の内戦に具体的な表現をとっている(これら諸国については帝国主義諸国の側からは「失敗国家」という傲慢な規定が下されている)。ブッシュの戦争は、この絶望的ともいえる無秩序の中に「唯一の超大国」アメリカをいっそう深刻なまでに引きずり込んでしまったのである。


ブッシュドクトリンの論理と世界


 「ブッシュの戦争」は、二十世紀最後の十年間を通じて全世界を席巻した資本の新自由主義的グローバリゼーションと、それが作りだした新しい世界構造と表裏一体のものであり、それを最も端的に体現しているのはブッシュ大統領の「米合衆国の国家安全保障戦略」(02年9月)である。その内容を貫く論理は、政治・経済・軍事・道徳が一体となった「アメリカの比類なき優位性」という自己主張であり、そうした「アメリカ国際主義」にもとづく「ならず者国家」や「テロリスト」に対する小型核兵器の使用をふくむ「先制的攻撃」戦略であった。それは「脅威が実際に爆発する以前にそれを阻止」する「攻撃は最大の防御」(「ブッシュドクトリン」)という概念の適用である。
 今回のイラク侵略戦争の中では、このブッシュドクトリンの本質が具体的に次のような形で現れた。
 第一は、主権国家の相互関係としての「国際法」を侵害し、戦争の「違法化」を規定した国連憲章をあからさまに否定していることである。ブッシュ政権は、昨年秋の段階で国連安保理決議があろうがなかろうが「サダム・フセイン政権の打倒」をめざしたイラクへの先制攻撃戦争を行う体制を固めていた。ブッシュ政権は「国連安保理決議1441」にもとづく「大量破壊兵器査察」を早期に打ち切り、自らの作戦スケジュールに沿った戦争の開始を強行したのである。
 「大量破壊兵器の脅威」は、あくまでも「9・11同時多発テロ」と重ね合わせてサダム・フセイン政権の「差し迫った危険性」をイメージさせるための虚構に過ぎなかった。そしてイラクへの先制攻撃に国連安保理の合意すら取り付けることができないことが明確になるや、ブッシュは「国連はその役割を果たしていない」「古い欧州(フランス、ドイツ)が妨害している」と非難して、自らの国際法・国連憲章違反を居直ったのである。それは「ポスト冷戦期の新たな脅威」に対応するためには国連の枠組みは時代遅れとなっている、とする「ネオコン」的アメリカ原理主義の論理の貫徹だった。
 「ネオコン」派に属するジョン・ボルトン米国務次官はアメリカン・エンタープライズ研究所に在籍していた当時の二〇〇〇年に著した「国際問題に本当に『法』はあるのか」という論文で「国際法の隠された目的は……米国の一方的な武力行使を難しくする事にあるのだ」と述べている。それは国際法への露骨な敵意をむきだしにした論文であった(阿部浩己「帝国の『法』に対抗する」、『ピープルズプラン』22号参照)。
 第二は、「ならず者国家」や「テロ支援国家」に対して、従来の概念の「戦争」としてではなく「犯罪者」への「警察的治安活動」として対処するアメリカの「権利」を公然とうたいあげていることである。したがってここでは「戦時国際法」は発動されない。アフガンでの戦争で、米軍に投降したアルカイーダの兵士と目された人びとが「捕虜」としての待遇を受けず、一切の情報を遮断されたままキューバのグアンタナモ米軍基地で非人道的待遇の中で長期拘留されていることは、その現れである。
 国家的「主権」という概念は公然と無視されている。そして「ならず者」や「テロ支援国家」の判断基準は、アメリカの時々の「国益」に従属したダブルスタンダードに貫かれており、その意味で「主権」を持つのは事実上、唯一の超大国として「正義」を一身に担ったアメリカ合衆国だけなのである。
 第三は、唯一可能な経済システムとしてのアメリカがモデルとなった「自由な企業」「自由な市場」「自由な貿易」を普遍化する「使命」を帯びた新自由主義的グローバリゼーションを支えるものはアメリカの「比類なき軍事力」であり、この「自由な経済」を支えるために「軍事革命」「永続的」な軍事経済・グローバル戦争体制が必要であるとする論理である。市場原理主義とグローバル戦争はまさに表裏一体の関係に関係にある。
 小泉政権の、「ブッシュの戦争」に対する無条件の支持は、旧来の「国連を中心とした国際貢献」という外交路線の事実上の変質を意味している。小泉がサダム・フセイン政権打倒の戦争を支持したことは「国際法の尊重」や「国連中心主義」の建前を変更し、あくまでもアメリカ帝国主義の単独行動主義的な「力の論理」に無条件的に追随することに帰結せざるをえない。「大量破壊兵器の脅威」の根拠について問われて「フセインが見つからなかったからといってフセインがいなかったということにはならない」と失笑を買った小泉首相の国会答弁や、「支持しちゃったものはしかたがない」とする福田官房長官の屁理屈にもならない言い訳は、政府がブッシュ・ドクトリンに合わせて「国連中心主義」の原則を放棄する方向に一歩踏み出したことを示すものである。
 今日の国家主義的右傾化のオピニオンリーダーの一人である中西輝政京大教授や岡崎久彦(元駐タイ大使、博報堂特別顧問)は、ブッシュの「国際法」無視の態度をよりおおっぴらに支持している(岡崎と中西の対談「義務としての戦争」、『諸君!』03年6月号)。
 「今回のイラク戦争にしても、一昨年のアフガン攻撃、九九年のコソボ空爆にしても、『文明』を破壊しようとするテロ勢力やならず者国家への内政介入的な制裁戦争を行うことによって、人権侵害の続行と拡大を阻止することが出来るようになった。ですから、二十一世紀に於いては、『文明の敵』『自由と民主主義の圧殺者』を打倒する『正義のための戦争』を正面から肯定する新しい国際法体系が再び求められている」(中西)。
 「結局、国際社会は主権国家の集まりであって、そこは『法の支配』があまり及ばない所だという認識を持つことが必要ですよね。現実に実効力を持たない『国際法』や『国連憲章』を絶対視して、事の是非善悪を評論家的に論じても意味がない。意味があるのは、国際情勢の正確な潮流を掴んで、日本国と日本国民の利益を最大限に生かすような行動を政府が取ることです」(岡崎)。
 イラク派兵法や今後検討されている自衛隊の恒常的海外派兵法案=グローバル戦争への無条件参戦法案の論理は、こうした国際法・国連憲章を否定する露骨な力の論理たる「正義の戦争」論に裏打ちされている。アーミテージが「米国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」(00年10月)で述べていた「集団的安全保障」の発動を通じて日米同盟を米英同盟に準じたものにしようとする主張の行き着く先はここにある。

破綻する「グローバル戦争」


 ブッシュの「グローバル戦争」の結果はどのようなものなのか。圧倒的な軍事力を行使して数千、数万の無実の民を殺し、デージーカッターなどの大量破壊兵器によって国土を破壊し、人びとの心に癒しがたい傷を残した戦争の結果、作りだされたものは「平和」や「解放」とはほど遠いものであった。
 アフガニスタンのカルザイ政権は、多国籍軍に支えられてカブールとその周辺のみを支配する「カイライ政権」にほかならず、全国的にはタリバンと同じような人権や民主主義とは縁もゆかりもない軍閥勢力が割拠する内戦状態が継続している。タリバン勢力も拠点の南西部を中心に根強い力を保持しており、アフガニスタンと隣接したパキスタンの北西辺境州では昨年十月の選挙で、事実上タリバンの同調者(MMA=統一行動協議会)が支配する州政府が成立している。
 イラクの軍事占領支配の現状は冒頭に述べた通りだが、米英両軍の暫定占領当局(CPA)は、九月にも制憲会議を発足させ来年中にも総選挙を実施する計画を描いているようである(朝日新聞7月21日)。しかしそれが机上のプランに過ぎず、米英両軍がイラク民衆の怨嗟の声に取り巻かれ、安定的な「親米政権」の樹立もかなわぬまま、長期軍事占領の中で出血を強制されることは明白であるように思われる。
 このイラク軍事占領支配の危機は、アメリカのイニシアティブの下での「パレスチナ国家」樹立による中東の安定化=「ロードマップ」構想の実現を困難にするだろう。言うまでもなく「ロードマップ」は、パレスチナに「テロの停止」と「支配体制の改革」を一方的に強制し、シオニスト国家によるパレスチナ占領支配を受け入れさせた上で、「バンツースタン」的な「パレスチナ独立国家」を形式的に認め、アメリカとイスラエル国家が主導する安定した中東の「秩序」を確立しようとするものである。それは地域的パートナーたるイスラエルを従えたアメリカ主導の「中東自由貿易圏」構想=中東における新自由主義的グローバリゼーションの貫徹という表現をも伴っている。
 アメリカ帝国主義がねらう中東の石油資源の一元的支配は、「パレスチナ問題」の解決ぬきにはありえない。パレスチナ解放闘争の最終的解体を通じて中東の危機の根源を断つことが、イラク侵略戦争の重要な目標の一つであった。
 したがってイラク軍事占領支配の危機と破綻は、パレスチナの「ロードマップ」構想の崩壊と密接な相関関係にある。イラク「親米安定政権」の展望が崩れさることは、同時にアメリカとイスラエルのイニシアティブの下での「パレスチナ解放闘争の解体」戦略を瓦解させることになる。
 現在アメリカ帝国主義は、フィリピン・ミンダナオ島とその周辺のムスリム分離主義運動に介入して「反テロ戦線」を拡大し、インドネシアのアチェ、西パプアなどの分離・独立運動の動きやインドネシア国軍による弾圧のエスカレートが何をもたらすかについて重要な関心を払っている。またイランの「原子力開発」を槍玉に上げてイラン・イスラム体制への圧力をかけている。
 東アジアでは、「悪の枢軸」「テロ支援国家」と規定した北朝鮮・金正日軍事独裁体制の生き残りをかけた「核開発」に対して、イラク戦争の「成果」に立って、金正日体制への軍事的恫喝を強めている。もちろん北朝鮮への対応に関しては、中国や東アジアの重要なパートナー国家である韓国、日本の利害に配慮せざるをえない。そこではイラクのサダム・フセイン体制に対したと同様の先制的単独軍事攻撃によって金正日体制を「打倒」する方針を直ちに採用することはできないだろう。
 実際、「ブッシュドクトリン」の中では東アジアについての言及はきわめて少なく、北朝鮮に関しては「韓国とともに北朝鮮への警戒を維持する」と述べているだけである。しかしサダム・フセイン体制の軍事的打倒を経た今日、ブッシュ政権は北朝鮮に対する軍事的攻撃の選択肢をちらつかせて日本と韓国の支配階級を「グローバル戦争」の軍事戦略の中にいっそう組み込もうとしている。
 こうしたアメリカの「対テロ戦争」戦略は、「秩序攪乱」の「ならず者」「犯罪者」を不断に拡大し、民主主義と人権を否定する強権的な治安国家体制を「北」と「南」の双方に地球規模で普遍化していく力学を伴ってい.るのである。

米欧の分裂と欧州内部の分裂

 今回のブッシュ・ブレアによるイラク侵略戦争の重大な結果のひとつは、アメリカ帝国主義とEU内のフランス、ドイツなど有力帝国主義諸国間、ならびに欧州内部の分裂である。一九九九年のユーゴ爆撃と対比して、その違いはきわめて鮮明であった。
 一九九九年、NATOのユーゴ爆撃は、EU十五カ国中十二カ国で社民政権(緑の党をふくむ)が成立しているという情勢の中で行われた。社民党や緑の党は「人道的介入」の名の下に、「ヒトラーのチェコ侵略を容認したミュンヘン協定の誤りを繰り返すな」というたい文句でユーゴスラビアのミロシェビッチ体制への一方的な空爆に加担した。
 それは緑の党までもがグローバルな新自由主義政策の加担者となり、かつての平和主義を放棄する契機となった。「9・11」への「報復」としての二〇〇一年のアフガン戦争では、NATOははじめて「集団的自衛権」を発動して、ブッシュの戦争犯罪に加わった。
 しかし、今回のイラク戦争では、G8を構成するフランス、ドイツの政府は最後までブッシュ・ブレアのイラク侵略戦争の一方的発動に反対する姿勢を崩さなかった。国連安保理は分裂し、アメリカ帝国主義は国連の「お墨付き」を得られなかった。アメリカの圧倒的な軍事的覇権の下で「国際社会対サダム・フセイン」という図式を描きだすブッシュの試みは頓挫したのである。
 サダム政権の崩壊と英米軍の占領下での五月二十二日の国連決議1483は、イラクへの「復興支援」と経済制裁の解除を決議した。しかし、それによっても米英軍のイラク侵略戦争と占領支配が国連での公式追認を受けたわけではない。
 エビアンのG8サミットも、イラクをめぐる対立の構造を解消したわけではない。ブッシュはサミットでの「多国間協調」には重きを置かず、あくまで国際政治におけるアメリカの「単独行動主義」をつらぬく方針をとり続けている。ブッシュがエビアンに二十六時間しか滞在せず、「ロードマップ」協議のために中東に向かったことは、それを浮き彫りにするものだった。
 ここでは詳論を避けるが、イラク戦争を通じた米欧対立の深まりとNATO同盟内部の分裂は、今後の世界情勢にとって大きな影響を及ぼさずにはおかない。それはWTOを通じた新自由主義的グローバリゼーションの推進をめぐっても、各国間の不協和音を増大させざるをえないだろう。こうした帝国主義支配階級間の対立を大きく規定しているものこそ、ヨーロッパを中心に質的深まりと社会的広がりを見せている反グローバリゼーション運動であり、それを背景に空前の歴史的規模で繰り広げられた平和運動の力なのである。
 イラク侵略戦争のかげで、アメリカ経済の危機はさらに深刻な状況に陥っている。米財務省の六月十九日の発表では、米政府の03会計年度(02年10月〜03年9月)の財政赤字は五月までの八カ月で二九二〇億ドルに達し、過去最悪の水準を上回った。前年の同時期の実績に比較して倍増であり、一年間で四千億ドルの赤字ペースである。経常赤字も五千億ドルペースであり、ドル急落や長期金利の下降を通じた深刻な危機がアメリカならびに国際経済に大きな打撃を与える可能性が強まっている。
 それは当然にも新自由主義的グローバリゼーションの危機を加速する。そして冒頭でふれた「大量破壊兵器の脅威」の証拠捏造などをめぐるイラク戦争の「正統性」への不信の広がり、イラク民衆の抵抗の発展と占領支配の泥沼化と結びつき、「ブッシュドクトリン」や軍事的「単独行動主義」の限界を浮かび上がらせる結果を引き起こす。
 サダム・フセイン政権打倒の「軍事的勝利」は、プッシュのアメリカ帝国主義の政治的・経済的・モラル的敗北を増幅させ、そのグローバルイニシアティブの破綻をいっそう確実なものにしていくこととなるのである。

反戦運動の空前の高揚とその背景

 イラク反戦運動は、ブッシュ政権が「サダム・フセイン政権打倒」のためのカウントダウンを開始した時期から始まった。
 第一にその主軸となったのは、言うまでもなく一九九九年末のシアトルでWTO閣僚会議を事実上粉砕した反グローバリゼーション運動の急速な世界的拡大であった。そして二〇〇一年から始まったポルトアレグレの世界社会フォーラムで「もう一つの世界」をめざすオルタナティブに向けた挑戦を開始した反グローバリゼーション社会運動にとって、資本の新自由主義的グローバリゼーションにもとづく「ブッシュの戦争」との闘いは必然的な課題となったのである。
 昨年十一月にフィレンツェで開催された欧州社会フォーラムはその最終日にブッシュのイラク侵略戦争<Oローバル戦争に反対する百万人の平和デモを実現し、二月十五日の世界反戦同時行動への最初のアピールを発した。
 一月末に十万人を結集して開催された第三回世界社会フォーラムでも、二月十五日の世界反戦統一行動が呼びかけられた。全地球を一周し、南極をふくめてすべての大陸を「戦争反対」の訴えでつないだ千五百万人の反戦デモは、欧州社会フォーラムと世界社会フォーラムに体現された反グローバリゼーション運動のイニシアティブなしには不可能であった。
 アメリカの反戦運動もまた、ベトナム反戦運動の時には見られなかったような労働組合レベルでの大衆的な動員とネットワークを基礎に、AFL−CIOのスウィーニー指導部が戦争が始まった段階で「戦争支持」にまわるという屈服を批判する闘いを組織していった。
 「9・11」直後の反グローバリゼーション運動と反戦平和運動との結びつきの不十分さは、克服されたのである。この両者が表裏一体の関係で展開されていく構造は、すでに確実なものとなっている。
 イラク反戦運動を構成する第二の要因は、中東・アラブ、南西アジア・東南アジアのムスリム民衆を軸にした広範な反米意識の高揚である。エジプト、パキスタン、インドネシア、マレーシアなどのムスリム大衆の数十万規模のアメリカ帝国主義のイラク侵略に反対する動員は、「ムスリム同胞」の一員イラクに対する不当きわまる攻撃をわがこととしてとらえ、親米的な自国政府に対する批判的圧力をかけた。そうした行動の多くはイスラム主義的勢力に主導されたものだったとはいえ、全世界的な反戦・平和運動の一翼を構成したことは言うまでもない。
 新自由主義的グローバリゼーションが作りだした貧困と差別、社会・文化の破壊に抗するムスリム民衆の闘いは、反グローバリゼーション運動と結びついた反戦・平和運動にその国際的な同盟者を見いだし、「原理主義」の反動的制約を超える第一歩をこの闘いの共同の経験の中から踏み出そうとするだろう。パキスタン、インドネシアなどにおける「平和・人権・民主主義」を求める左翼は、そのための困難な歩みをすでに開始している。
 こうした事実は、一九九一年の湾岸戦争とは決定的に異なった情勢の新しい性格を示すものであった。
 新自由主義的グローバリゼーションの破壊的結果に対する闘いが、ブッシュの侵略戦争に対する闘いと結びついたもう一つの例としてラテンアメリカを見ることができる。ブラジルでは昨年十月の大統領選挙によって左翼のルラPT(労働者党)政権が誕生した。ベネズエラのチャベス、エクアドルのグティエレスといった「反帝国主義的ポビュリスト」の相貌を持った政権も、資本のグローバリゼーションがもたらす「南」の世界の民衆生活の破壊、「国民的主権」の解体に対する批判の一つの表現である。そこで表現された民衆の「主権意識」と結びついた「反米意識」もまたイラク反戦運動を構成する一要因であった。
 第三にイラク反戦運動の高揚を考える上で、われわれが見落とすべきでないのはフランス、ドイツなどが最後まで国連による「査察継続」の立場を堅持したことにより、国連安保理での「武力行使容認決議」の採択を米英がついに断念し、イラク侵略戦争の「国際的正統性」が失われたまま、戦争に突入せざるをえなかったことである。米英は、自ら国際法や国連といった体制的秩序の枠組みの不法な侵犯者である、という世論が広く作りだされ、平和運動の「モラル的優位」が強調されることになった。
 フランスのシラク保守政権、ドイツのシュレーダー社民・緑政権が「査察継続」に最後まで固執したことは、もちろん大規模な反戦・反グローバリゼーション運動の社会的圧力によるものだった。しかし帝国主義諸国支配階級内部の「分裂」が、平和運動の階層横断的広がりに効果を発揮したことも事実なのである。
 われわれは、こうした情勢の中で、国連総会における米英の侵略戦争の「不法化」決議、国際刑事裁判所(ICC)での米英の戦争犯罪の「処罰」と賠償、といった手段をも駆使して「ブッシュの戦争」に対する国際的包囲網を形成していく必要があるだろう。それはブッシュがアフガニスタン、イラクに続く新しい侵略戦争を準備することを阻止するためにも有効である。
 しかし言うまでもないことだが、世界的なイラク反戦運動の高揚の最も中心的な要素は、新自由主義的グローバリゼーションに対する闘いを基礎にした、新たな社会的抵抗運動の多元的発展であり、われわれが進めるべき運動の方向性もそこにある。
 ブッシュ・ブレアの「グローバル戦争」に対決する運動の論理は、「もう一つの世界は可能だ」とする反資本主義的オルタナティブへに向けて多様なイニシアティブと、そのネットワークを国際的につむぎだしていくものになっている。グローバリゼーションに対する第三世界の「国民的」抵抗が、抑圧された労働者・民衆の自由と尊厳と公正の要求に根ざした自治的な「主権」の確立に向かって進んでいくことも、そうしたオルタナティブの重要な構成要素である。

日本における運動の成果と課題

 一九九一年の湾岸戦争を契機にPKOを通じた自衛隊海外派兵に踏み切った日本帝国主義は、イラク侵略戦争への支持と有事法制、そしてイラク派兵法の成立によって決定的な質的変化を遂げたといわなければならない。それは「戦争ができる国家」という一般性にとどまらず、国連や国際法をも無視したアメリカ帝国主義の「グローバル戦争」に直接参戦する道である。
 先述したように、アーミテージ・レポートの「日米同盟の米英同盟化」への提言は、「9・11」とイラク侵略戦争を通じて具体的に現実化しつつある。それは一九九七年の新ガイドラインと九九年の周辺事態法が想定していた、東アジア「有事」における米軍支援の枠組みを乗り越えるものになったのである。
 日本のイラク反戦運動は、こうした政治情勢の歴史的な質的転換にどのように立ち向かおうとしたのか。
 欧米帝国主義諸国に比べれば、動員力において桁違いに少ないとはいえ、日本でも二十年ぶり、三十年ぶりの大衆的性格をもってイラク反戦運動が展開された。首都圏を中心とした「W0RLD PEACE NOW」(WPN)の連続した行動の中にそれが端的に表現された。
 WPN運動は、一九九〇年代以来の市民運動の流れと、そこに関わった内ゲバ主義やテロリズムと明確に一線を画する左派活動家などが構成する「市民緊急行動」、そして二〇〇一年の「9・11」をきっかけに登場した「CHANCE!」など相対的に若い世代の平和運動、さらにこれまで市民運動的平和運動とは一定の距離を置いていた「ピースボート」や国際NGOグループとの結合によって成立した。
 「市民緊急行動」は、有事法制や憲法改悪に反対する運動を通じて、陸・海・空・港湾労組二十団体や、共産党系、社民党系の運動との共同を積み重ねつつ、持続的な闘いを継続してきたが、「護憲・平和」意識の衰退と左派総体の長期低落を突破する運動のダイナミズムを生み出すことができなかった。アフガン侵略に対する二〇〇一年の運動が、それまでの数年間に比べれば多くの結集をかちとりつつも、首都圏の最大規模で二千人の壁を超えられなかったことに、それは示されている。そこでは「CHANCE!」などの運動と分断されていた。
 アメリカの反戦運動と呼応する二〇〇二年の十月二十六日の行動が、転換点となった。この日、「市民緊急行動」は翌二十七日に予定していた独自の集会・デモを取りやめて、「CHANCE!」が主催する渋谷「ピースパレード」に「ピースボート」などとともに参加した。六百人の結集であったが、この日の行動を出発点にアメリカの「ANSWER」などが呼びかけた次のイラク反戦国際行動デーである二〇〇三年一月十八日に向けた、新しい実行委員会が準備されることになった。
 それは独自の運動ダイナミズムの始まりだった。「WORLD PEACE NOW」と名づけられた一・一八日比谷集会で実行委が目ざしたのは、「市民運動単独で一万人を結集する」という「ささやか」な、しかし二十年以上にわたって実現されなかった課題へのチャレンジであった。
 イラク戦争に反対する「非暴力のアクション」を結集軸にしたWPNの最初の行動は、一月十八日に七千人を結集した。「一万人」という目標は実現できなかったとはいえ、それは「市民緊急行動」などの、比較的長い運動経験を持った活動家にとって予想外の成功であった。何よりも十代、二十代の若者、外国人など旧来の平和運動では結集できなかった層の参加が目立った。
 緊急に設定された二月十五日の「世界同時行動デー」はWPN主催ではなかったが、渋谷の宮下公園に入りきらない五千人が集まった。イラク攻撃が切迫したこの頃からマスコミの注目も集まり、2・15全世界デモのインパクトも加わって、運動に拍車がかかった。三月八日の日比谷集会には、公園全体にあふれる四万人が集まった。参加者は手作りのプラカードを作った家族づれ、メールや携帯電話で連絡を取り合いながら集まった高校生、そして三十年ぶりにデモに出た「全共闘世代」の熟年、戦争を体験した老人など、あらゆる社会階層と年齢層にわたっていた。そして開戦翌日の三月二十一日には、芝公園に五万人を結集する。
 こうした運動のダイナミズムは、「CHANCE!」「ピースボート」、そして「グリーンピース」などのNGOのきわめて精力的な活動と、従来の経験にはとらわれない発想をぬきにしては不可能だったろう。WPNは「デモ・デビュー」の人びとに自らの「意思表示」の場を提供し、平和運動の「社会現象化」と「グローバル化」のきわめて端著的な表現を保障する基軸となったのである。それはわれわれに一つの「可能性」を実感させるものとなった。
 もちろんWPNの運動には多くの弱点や限界があり、その運営方法や行動表現に対する批判には正当なものが少なからずあった。たとえば運動の「イベント化」やその「非政治的政治性」などがそれである。旧来の市民運動や左翼へのステロタイプ化された拒否感が、警察権力への無防備な姿勢に帰結し、それが権力サイドにつけこまれ、運動の分断をうながすという事象もあった(警察と「CHANCE!」の「会食」問題という極めて否定的事態)。
 運動に初めて参加した人びとが、「もう戦争はいらない」という共通項で出発した自らの政治的経験をどのように深めていくのかという点でおたがいの問題意識の交流にもとづく「学習機能」「自己変革機能」をどう作りだしていったか、ということも、総括テーマの一つである。またWPNの運動が「平和運動のグローバリゼーション」の端著的表現であるといっても、その運動レベルでの国際的つながりは依然として希薄なものに止まっている。
 こうした政治的弱点を意識的に克服していくためには、決して外在的ではないねばり強い討論と相互批判が必要である。そのプロセスはWPN自身の中にも存在していた。たとえば一月十八日の「ピースパレード」に際しても、「あれでは旧来のデモと同じだ。結果的に道路を占拠して交通の邪魔をするのは、一種の暴力ではないか」という意見も若い参加者の中からあったという。この意見に対しては、パレード参加を呼びかけた人の側からていねいな説得がなされた。またデモの一車線幅規制という国際的にも異常な状況を、どう突破するのかという試みも真剣な議論になった。
 運動の経験の共有化と「断絶」の克服を、次の時期に向けた共同の闘いの中で自覚的な課題にしていくことが求められているのである。


次のサイクルに向けた挑戦課題

 そのためにこそ、「多元性」を前提にした反戦・平和運動の社会的展開のためのイニシアティブが必要である。イラク反戦運動が「一時のブーム」に止まる危険性は確かに存在している。われわれは、そのことを四月統一地方選の結果や、有事法制反対運動とイラク反戦との大きな落差の中に見てきた。WPNのイラク反戦運動が「有事法制反対」には身を引いてしまう人びとの意識をもとらえたということは、決して否定的に評価すべきではない。しかし「北朝鮮の脅威」を理由に有事法制を受け入れてしまう多くの人びとの意識に対してどう切り込んでいくかは、重要な課題であり続けている。
 それは大きな社会的な可能性を秘めたイラク反戦運動の「政治的弱点」がなんであったのかを討論していく上での重要な素材である。そしてこの弱点は、決して一国平和主義的危機アジリによっては決して克服されない。われわれは、端著的に表現された新しい平和の意思を、集団的な社会運動の復権に基礎づけることが、弱点の克服に向かう最大の核心である、と考えている。
 そのための切り口は第一に、日本では社会運動としてはスタートしたばかりの反グローバリゼーション運動を反戦・平和運動の取り組みと結びつけるための意識的な構想である。すでに「脱WTO草の根キャンペーン」が呼びかけた九月十三日の「グローバルマーチ」への取り組みが始まった。この日の行動は、九月九日から開始されるWTO閣僚会議への反対と、ブッシュのグローバル戦争への反対を掲げて、全世界で準備されている。
 反グローバリゼーション運動の社会的広がりの弱さと平和運動の相対的弱体さ、政治的限界、「イベント化」といった現象は相関関係にある。有事法制反対=戦争動員に反対する運動の今後の展開を考えた場合も、労働者の職場での抵抗運動、地域住民の自治体を通じた動員拒否の闘いをどのように構築するのか、という課題が決定的な意味を持つのであり、そのことは新自由主義的社会再編に対する職場・地域での集団的抵抗をどう復権していくのかという問題とセットである。
 そしてこの点においてこそ、反グローバリゼーション運動の国際的展開と呼応する日本での労働運動・社会運動の組織化が求められているのであり、グローバル戦争に反対する闘いは、そうした社会的基盤をもって築き上げなければならない。
 第二に、そのためにも「グローバルな平和・人権・公正・民主主義」という観点からする平和運動の政治的再組織化が必要なのである。それは反グローバリゼーション運動の側が、平和運動をどのような位置づけで取り組んでいくかをめぐる試金石となっている。
 たとえば、「朝鮮半島危機」に対して反戦平和運動はどのように立ち向かっていくべきなのだろうか。多くの新左翼潮流は、「朝鮮半島危機」をもっぱら「米日帝国主義の朝鮮侵略戦争」の危機や、拉致問題、「工作船」問題を契機に吹き荒れる日本の「排外主義」の問題に集約している。
 日本帝国主義の朝鮮半島植民地支配と南北分断の責任を追及し、正当な補償を要求する運動、今日においても続発する植民地支配正当化と差別的暴言(麻生発言、江藤発言)や在日朝鮮人民への排外主義的襲撃を糾弾し、北朝鮮への軍事的圧力の強化を許さない闘いは、日本の労働者・市民にとっての重大な責務であることは言うまでもない。
 しかしそれは同時に、金正日官僚独裁体制の国家犯罪を糾弾し、北朝鮮の官僚独裁による圧政と飢餓と人権蹂躪の下に置かれている民衆との連帯を追求していく課題を、われわれに提起する。
 「東北アジアの平和」を求める闘いと普遍的な「人権と民主主義」を要求する闘いは表裏一体の関係にあり、この関係を左翼の側が自覚することなしに排外主義の克服を貫くことはできない。われわれはそうした立場から日韓労働者・市民の連携を軸に、東北アジアの「平和・人権・民主主義」に向かって前進するだろう。
 イラク反戦運動のダイナミズムはすでに一つのサイクルを終えた。しかし今後の自衛隊イラク派兵に対する運動や、有事危機管理・動員体制に反撃する社会的な運動の組織化は、われわれが一〜四月の運動の中で垣間見た新たな平和運動の予兆と「可能性」を土台に構想する以外にない。九月二十七日、再出発したWPNは、イギリスのストップ戦争連合が呼びかけたイラク占領反対の国際行動に連携したアクションを予定している。新たな、より重大な次のサイクルへの取り組みを開始しよう。
 われわれは集団的・社会的抵抗意識と運動の長期にわたる崩壊的状況と、イラク反戦運動の可能性との巨大なギャップを自覚しながら、労働者・市民に課せられている挑戦課題に一つ一つ立ち向かっていくだろう。二〇〇四年一月にインドのムンバイで開かれる第四回世界社会フォーラムへの共同した取り組みは、そのための重要なステップなのである。 (平井純一)


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