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破綻した電力危機キャンペーン            かけはし2003.8.11号より

原発の不要性は実証された!
--すべての原発を止めよう

未来を食いつぶす有害無益な遺物の一掃を

 
 梅雨が明け、いよいよ電力需要のピークを迎える真夏となった。小泉政権と東京電力はマスコミを総力動員して「関東大停電」キャンペーンをあおりたて、他の原発で多数のヒビ割れ隠しが発覚した重要個所の点検をほとんど行わないまま、柏崎刈羽原発6・7号機と福島第一原発6号機の運転再開を強行した。七月二十二日には、新潟県平山知事が平沼経済産業相に柏崎刈羽原発4号機の再開容認を伝え、これを受けて東京電力は運転を再開した。
 しかし四基の原発の運転が再開されても、関東の電力供給の四〇%を担っていたはずの東京電力の原発十七基のうち十三基、すなわち三分の二以上が停止したままである。にもかかわらず、自ら「停電危機キャンペーン」をあおりたててきたマスコミも、早くも「東電、電力危機回避へ」(朝日新聞7月11日)、「今回の原発停止は、皮肉にも東電が主張する『八〜十基』もの原発が再稼働しなくても、大停電とはならない現実を対外的に証明することになりそうだ」(『エコノミスト』7月8日号)と言わざるを得なくなるという状態になっている。
 東電の原発だけでなく、全国の商業原発五十二基のうち、半数以上の二十七基が停まったままである。しかし東電以外の電力会社は「電力危機キャンペーン」を行うことさえできない。供給能力と需要予測の具体的な数字を出せば、いま停まっている原発が停まったままでも、さらに残りの原発が全部停まっても、電力供給に何の支障もないことが、かえってはっきりしてしまうからである。
 電力自由化による自家発電の購入契約分なども含む電力十社の最大供給能力は二億三千三十万キロワット(01年度)。原発の発電能力四千五百七十四万キロワットをすべて除いても、一億八千四百五十六万キロワットに達している。これに対して同年度の最大電力(実績)は一億七千四百九十九万キロワットである。全国の原発五十二基がすべて停まっても、なお一千万キロワットも余裕があるのだ。
 東電の原発十七基の停止を契機にして、これまで反原発運動が主張し続けてきた「原発なしでも停電にならない―脱原発は今すぐ可能だ」(本紙4月28日号)ということが、動かし難い現実として実証されつつある。

 政府と東電は、「今年の東電管内の最大需要予測は六千四百五十万キロワットであり、原発なしで供給できるのは五千八百万キロワットしかないから、原発六〜八基分の電力が足りない。原発を動かさなければ停電の恐れがある」、とキャンペーンしていた。この需要予測がそもそも極めて過大な、電力会社主導で作られた浪費に浪費を重ねることを前提としたものだったことを、まず最初に確認しておかなければならない。
 電力各社は、設備投資額を料金に自動的に上乗せできる特異な料金システムによる世界一高い電気料金と地域独占にあぐらをかき、「国策」としての原発を中心にした過大な設備投資を続けてきた。そのため、出力調整の困難な原発以外の火力や水力をほとんど停めても電気が余るほどの過剰設備を抱え込んでしまった。たとえば関西電力では、今年度は十三基もの火力発電所が全面休止中である。〇二年度の全国の石油火力発電所の設備利用率は、たったの二〇%であった。
 九〇年代を通じて東京電力管内では、七〜八月に瞬間的なピークを迎える電力消費量が六千万キロワットを超えたことは、ただの一秒もなかった。バブル最盛期の八九年の最大電力消費量は、四千三百七十万キロワット。今年の「最大電力需要予測」の三分の二程度にすぎず、百万キロワット級原発二十一基分に当たる二千百万キロワットも、今年の「需要予測」より少なかったのである。
 当時、原発だけを動かしても電気が余る危機的状態に陥りつつあった電力会社は、原発での危険な出力調整(原子炉内が不安定化する)に踏み切ろうとした。しかしそれは、八八年の四国電力・伊方原発出力調整実験反対闘争の高揚をもたらして挫折した。
 その後、東電は政府・通産省・資源エネルギー庁と一体となって電力浪費政策を促進し、消費量を急増させたが、景気低迷の中で頭打ちになり、九〇年代を通じて五千七百万〜五千九百万キロワット台が続いてきた。この水準であれば、すべての原発が停まっていても「停電になるぞ」というキャンペーンを行うことなどできないはずだった。
 深刻なデフレ・スパイラルのなかで、需要が急増する条件はなかった。ところが、〇一年度と〇二年度の二年連続して、東電の最大電力需要量が六千万キロワットを超えてしまった。なぜ増えたのか。「『過去二年の電力ピークは、〇〇年と〇二年に業務用の料金を大幅に下げて需要を伸ばしたため……略……』と非政府組織(NGO)『原子力資料情報室』の西尾漠さんは指摘する」(朝日新聞6月2日)。
 「電気を大切にね」などというわざとらしいコマーシャルとは裏腹に、各電力会社は何としても需要を拡大しなければならない必要に迫られていた。過大設備に加えて、電力自由化によるガスや鉄鋼など素材産業を中心に、自家発電能力の高い多数の企業の電力供給事業への参入、さらにコジェネレーション(熱電力併給)など熱効率の高い発電機器の開発による自家発電能力の一層の拡大が、電力経営を追いつめていたからである。
 その上、家庭用燃料電池が量産体制に入るなど、小規模分散型電源の本格的普及が始まり、各電力会社の先細りは動かし難い流れとなって、電力九社による地域独占体制の解体局面が進行しつつあった。たとえば東京電力は定款を変え、ガスなどの供給も行う総合エネルギー会社に変身することによって生き延びようとするほどになっているのである。
 このような状況の中でなんとかして生き残るためにも、少しでも電力浪費を拡大し、設備利用率を高めなければならない。そのために業務用電力料金の連続的大幅引き下げなどで浪費をさらに拡大させた結果として、〇一年と〇二年の二年連続して、最大電力消費量が六千万キロワットを超えるようになったのである。すなわち、この二年間にわずか数日間ずつ記録した東電管内で六千万キロワットを超える最大電力は、東電が主導した徹底した電力浪費政策の結果にほかならなかった。
 ところで、〇二年度に六千万キロワットを超えたのは、七月三十一日、八月一日、八月六日、七日、八日、九日の、計六日間だけである。翌八月十日の土曜日には、五千百五十万キロワットに低下し、その後、八月二十五日の日曜日まで、三千万キロワット台から四千万キロワット台へとさらに低下し、六千万キロワットはもちろん、五千万キロワットを超えた日さえ一日もなかった。
 一日の電力消費がピークを迎えるのは、午後一時から四時の間だから、多めに見積もって一日三時間、六日間で十八時間。昨年一年間に六千万キロワットを超える電力消費が生じた可能性があるのは、わずかこの十八時間だけだったということになる。
 しかも当初、東京電力が発表していた今年度の最大電力見通し(送電端最大三日平均)は、五千九百五十万キロワットだった(東京電力発行『数字で見る東京電力』03年度版)。ところが一連の事故・損傷隠しが次々に発覚して原発が次々に停止を余儀なくされ、すべての原発が停止せざるを得ないという状態になると、この当初の見通しは消え、変わって「六千四百五十万キロワット」(発電端一日最大)という数字が押し出されるようになった。
 これは、一昨年にわずか一日、したがって時間数では一年間たった三時間あるかないかの、瞬間的な最大電力(発電端一日最大)の六千四百三十万キロワットを、さらに上回る数字である。そしてこの数字がひとり歩きして当然の前提とされ、政府やマスコミが一体となって「九百五十万キロワット足りない。停まっている十七基の原発のうち、少なくとも八基から十基を動かさなければ停電になる」という「電力危機キャンペーン」が大々的に繰り広げられてきたのである。
 確かに、この人為的に作られた過大な「需要予測」を前提にすれば、すべての原発が停まっていると真夏の最盛期の極めてわずかの時間、停電する可能性があるということはできる。しかしその対策は実に容易である。その数日間の電力消費の数時間のピークを、最大の電力使用者である工場や事業所などが調整して、ほんの数%カットすれば済んでしまうのである。
 それは反原発運動だけの主張ではない。今年一月に、世界のエネルギー政策を調整する国際機関である「国際エネルギー機関」(IEA)が、日本のエネルギー政策を審査した。その報告書は、電力分野について「ピーク負荷を緩和する価格設定や他の需要対策を促進すること」と勧告していた。日本の電力需要の夏のピーク時における極端な突出は国際的にも際立っており、その瞬間的ピークに合わせて、通常は不必要な過大な発電設備を建設し維持することは、あまりにも無駄が多いからである。
 すでに何度も指摘しているように、多くの工場や事業所が停止する盆休みの集中する八月半ばの二週間と土曜日曜は、いくら猛烈な暑さになって各家庭でクーラーを全開しても、すべての原発が停まっていても一千万から二千万キロワットもの発電能力が過剰になっている。そしてその後、いくら厳しい残暑が続いても七月末から八月初めの瞬間的ピーク時に迫るような需要は生じたことはない。たとえば七月二十四日に史上最高の最大電力を記録した〇一年の、九月の最大電力は五千二百十三万キロワットにすぎなかった。
 われわれは、「国際的にも異常な働き過ぎをやめてヨーロッパ並みの夏季休暇を取れば、すべての原発を停めても大丈夫」と主張し、「脱原発は今すぐ可能だ」と繰り返し訴えてきた。過労死労働をやめさせたくない大企業は、操業を夜間や土日にシフトすることで、「原発なしでも電気は足りている」ということを実証しつつある。
 新聞に報じられているだけでも、東芝、日立製作所、大同特殊鋼、サッポロビール、キリンビール、味の素などがこの七月と八月の約一カ月半、平日昼間の操業を減らして夜間や休日に生産を振り替えるなどの対策を行っている。ダイエーやイトーヨーカ堂などの小売り業界も空調温度の引き上げなどの対策を始めた。その上、東電の側も大口需要者との需給調整契約の拡大で、約二百四十万キロワットのピークカットをすでに実現している。
 六月二十三日に東電が発表した七〜八月の「電力需給見通し」によれば、供給力は原発二基(柏崎刈羽6、7号機。計二百七十万キロワット)の運転再開や他電力会社の電力購入(三十万キロワット)で、五月時点に比べ三百万キロワット増の五千九百万キロワット。これにJR東日本などの自家発電所の余剰電力購入などの追加対策を合わせると、六千二百二十万キロワットになっていた。再稼働した柏崎刈羽原発二基がなくても、五千九百五十万キロワット、ほぼ六千万キロワットに近い供給力である。
 この上にさらに二基の原発を強引に再稼働させてしまったのだから、過大に想定された瞬間的ピーク時でも大量の発電能力が余る状態になってしまい、十三基もの原発が停まったままでも「東電、電力危機回避へ」(朝日新聞)と言わざるを得ない状況になったのである。
 国際エネルギー機関(IEA)の勧告では、企業にピーク時の節電をうながす多様な料金メニューや支援策が足りない、と指摘している。たとえば、ピーク時に大口需要の料金をほんの少し引き上げるだけで、企業は経費削減のためにさらに節電に努めるようになるだろう。政府・電力会社がIEAの勧告に従ったピークカット政策を推し進めれば、「原発なしでも電気は足りている」という現実が、ますますはっきりしてこざるを得ないのである。

 全国で、東電の全原発十七基を含む三十基以上の原発が次々に停止したのは、東電が自主点検で発見していたシュラウド(原子炉圧力隔壁)の多数のヒビ割れを隠ぺいし、さらに記録の改ざんまで行っていたことが内部告発で発覚し、他の電力各社でも同様の不正が発覚したことだった。
 原子力安全・保安院は当初、「停める必要はない」と主張していたが、結局、東電の全原発を停めざるを得なくなった。昨年八月にヒビ割れや記録改ざんの隠ぺいを発表せざるを得なくなった時、東電は「隠したのは悪かったが安全性に問題はない」と主張していたが、ヒビ割れたシュラウドの修理を行っている。九月に再循環系配管のヒビ割れを発表した時も同様に、「隠したのは悪かったが、安全性に問題はない」と述べていたが、ヒビ割れた配管の交換を行っている。本当に「安全」ならば、なぜ修理するのだろうか。
 その一方で、たとえば再稼働を強行した柏崎刈羽6号機と7号機は、シュラウド以外は従来通りの検査しかしていない。他の原発でヒビ割れの見つかった炉内構造物や配管、不具合や内部告発があった制御棒駆動装置や、溶接焼きなましデータ捏造疑惑部位などの点検を行っていない。
 現在、再循環系配管で行われている一斉点検では、過去五年間に点検した個所は点検対象からはずされている。地元の反原発運動団体は、これらの個所を点検対象からはずすなと主張している。なぜなら、この五年間にヒビ割れ隠しが行われていたからだ。
 「例えば、ひび割れが激しい柏崎刈羽1号機では、過去五年間の検査では三十四個所中、四個所のひび割れが発見されています。それを『異常なし』と報告していました。それが、不正事件後の一斉点検では、六割!(四十五個所中二十六個所)もの溶接部でひび割れが見つかったのです。過去五年間でゼロだったものが、急に六割になるわけは絶対にありません。過去五年間の検査記録をそのまま信用すべきでないのです」(柏崎刈羽原発に反対する地元三団体とプルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワークのビラから)。
 しかも、ヒビ割れの現在の唯一の検査方法である超音波探傷検査(UT)の精度が全く信頼に値しないことがわかっている。たとえば昨年十一月で女川原発の検査では、UT検査で二・〇ミリだったヒビ割れが、実測したら一二・二ミリだったり、測定不能とされた個所が九・〇ミリの深さのヒビ割れだったりするなどの結果となった。柏崎刈羽原発でも福島原発でも、同様の結果が確認されている。
 不正発覚時に根拠もなく「安全宣言」をしていた政府・原子力安全保安院や電力資本が、極めて不十分な検査で行っている新たな「安全宣言」が信用できるはずがないのだ。
 さらに、新たな情報隠しと事故が次々に発覚している。六ケ所村・日本原燃の再処理工場の使用済み核燃料貯蔵プールで続いていた冷却水漏れの調査で、二百五十カ所にのぼる不正溶接による強度不足が発覚した。福島原発では、制御棒を挿入せずに核燃料集合体を装填するという核暴走事故につながりかねない重大ミスや、安全装置をはずしたまま制御棒検査を行っていたこと、原子炉圧力容器内に重さ六十キロもあるアルミのふたを落下させて、圧力容器の内壁や配管を損傷させたことなどが発覚している。
 このような深刻な現実があるにもかかわらず、政府・電力資本は、動かす必要のない原発を地元の反原発運動などが求める十分な検査もしないまま、次々に再稼働させているのである。
 「原発がなくても電気は足りる」ということをすべての労働者人民が実感し、脱原発への流れが押し止めがたくなってしまうことを避けるという、極めて政治的な目的のためだけに、傷つき原発を動かさせてはならない。
 東北で連続して発生した大地震は、阪神淡路大地震以来、日本列島が大地震活動期に入っていることを改めて示した。マグニチュード8クラスの東海大地震、中南海大地震が日程にのぼり、巨大地震がヒビ割れた原発を直撃し、人類未曾有の原発大震災が発生する可能性がますます高まっていることを、多くの地震学者が切迫感を込めて警告している。
 労働者人民は、原発と心中することを拒否する。原発が有害無益で不必要な過去の技術であることは、すでに議論の余地なくはっきりした。幸運にも、重大事故による原発大震災が起きなかったとしても、原発を動かせば処理不能の核廃棄物を大量に作り出し、天文学的な税金を飲み込んで未来を食いつぶし続ける続けるだけだ。
 昨年には、電力会社自らが使用済み核燃料の処分や廃炉などのバックエンド費用に二〇四五年までに三十兆円の費用がかかるという試算を発表した。そして電力会社は、この巨額のバックエンド費用の国による肩代わり、すなわち税金による後始末を要求している。
 今年五月二十三日には、原研と核燃機構の統合問題を検討する文部科学省の会議で、二法人の高速増殖炉「もんじゅ」や新型転換炉「ふげん」の廃炉など核廃棄物処理費用に二兆円かかるという試算をまとめている。
 エネルギー技術としての原子力は、世界的にすでに前世紀の遺物となっている。原子力産業は、もはや軍需との関連でしか存続することができない時代が始まりつつある。そしてまさにそのためにこそ日本帝国主義は、いかに不合理であることが実証されても原発推進政策を放棄しようとしないのである。
 原発は労働者人民の未来を閉ざしつつあり、未来を食いつぶしつつある。脱原発は今すぐ可能だし、今すぐ必要だ。ヒビ割れ原発を動かすな。すべての原発を停めよう。
(7月28日高島義一)



資料

原発震災:日本列島で懸念される、地震と地震による核事故とが複合する破局的災害

                    石橋克彦(神戸大学理学部教授)

 六月二十七日に宮城県北部で三回連続して発生した震度6の大地震は、日本列島が大地震活動期に突入していることを改めて印象づけた。その最大の焦点は、言うまでもなくマグニチュード8クラスの巨大地震になるとされる東海地震である。すでに昨年十一月二十六日の記者会見で気象庁長官が、東海地震の想定震源域で一昨年七月から続いている「ゆっくり地震」について、「東海地震がいつ起きてもおかしくない状況になりつつある」と述べている。以下はこの七月に札幌で開かれた国際測地学・地球物理学連合総会で報告されたもの。


 日本の地震への脆弱性を最大にしている最も深刻な文明的社会基盤の要素は、世界で最も地震の起こりやすい群島の海岸線全域に分布する原子力発電所群である。現在、人口が密集するちっぽけな列島に、五十二基の大型原子炉を持つ十六の商業用原子力発電所が稼働している。
 最も危険な原子力発電所は、中部日本の太平洋岸の、迫り来るM8級東海地震の巨大な想定断層面の直上に位置する浜岡である。もし、全国的な関心事で特別の法律の対象でもあるこの地震が発生すれば、地震災害は、東京〜名古屋間で確実に壊滅的となり、公式に推定された全壊建物は二十万棟以上にのぼって巨大な津波を生ずる。
 もし、この地震が浜岡原発に重大事故を引き起こして、大量の放射能漏れが生ずれば、震災地における救助復旧活動は不可能になり、同時に、原発事故の処理と住民の放射能からの避難も、地震被害のために極度に困難となる。そのために、核事故は最大規模になるがままに放置され、被曝と通常震災による犠牲者は無数になるだろう。浜岡から二百キロ近く離れた東京周辺の二〜三千万人の住民さえも避難を余儀なくされる。
 私は、この地震―核複合災害を「原発震災」と呼ぶが、それは人類がまだ遭遇したことのない、全く新しいタイプの自然・人為災害である。その最終的な結果は、日本にとって致命的であるとともに地球的規模のものとなり、未来世代にも深く影響を与える。
 関係当局は、日本の原子力発電所の地震対策は完璧であり、すべての発電所と核施設はいかなる種類の地震に対しても安全だと主張する。しかし、日本の原子力発電所の建設は一九六〇年代初期に始められ、それは、現代地震学の二つの基礎理論―地震の断層模型論とプレートテクトニクス―の誕生・普及の前夜であった。したがって、核施設の耐震設計の公式基準は、現代地震科学から見ると古めかしくて不十分である。
 浜岡だけではなくて、日本の他の大部分の原発が、大地震によって事故を生じやすいと思われる。なぜならば、多くが地震空白域に立地し、そこには明白な活断層があったり、スラブ内大地震が起こり得る沈降海洋プレートの真上だったりするからである。これらの科学的知見は、原発の計画と設計の段階で考慮されていない。
 原発震災を回避するためには、われわれはまずこの問題に真っ正面から取り組み、そのリスクをできるだけ客観的に評価しなければならない。私は、現代社会のこの深刻な弱点は、日本に限られるものではなく、全世界的な関心事であるべきだと考える。
(03年7月7日 国際測地学・地球物理学連合総会)


辻元清美前衆院議員らの逮捕について

 七月十八日、警視庁は辻元清美前衆院議員(社民党)、五島昌子土井社民党党首元秘書ら四名を詐欺罪などの疑いで逮捕した。この逮捕は、全く恣意的で政治的な弾圧の企図に基づくものである。
 辻元さんらの逮捕についての恣意性、不当性については、マスコミでさえ「何故、今なのか」などの形で不当性をにおわせる報道を行っている。この逮捕に反対する運動が社民党の外からいくつか提起されている。落合恵子さん、佐高信さん、吉武照子さんたちの「声明文」や福富節夫さん、樋口篤三さん、島田清作さん、宮本なおみさんなどの「アピール」などである。
 それらは、「辻元さんたちの逮捕の不当性」を、「一つには弁護団の声明にもあるように、長きにわたって『事情聴取』に応じてきたこと。二つには、問題の金額はすでに返され、議員辞職をしていること。三つには、逃亡・証拠浬滅の恐れがないこと。(以下略)」(アピール)と列挙している。それらの抗議の理由は、全く正当である。
 われわれは、マスコミさえ示唆するとおり、この逮捕が政治的に行われていることに注意を喚起しなければならない。その政治的目的とは、有事法からイラク派兵法へと今国会を通して飛躍的にすすめられた日本の戦争遂行体制への移行に抵抗する国会内外の勢力を決定的に弱体化させ、あわよくば放逐することである。われわれは、有事法制定の動きに対して「戦争ができる国家体制」だと指摘してきたが、「イラク派兵法」は、その上に、自衛隊を戦地に派遣し、実際に戦闘に参加させるためのものであった。
 こうした政府与党の戦争遂行体制の構築に対して、われわれの予想通り、自由党はもとより民主党も脇からそれを支え、遂行した。そして今日、民主党と自由党はこの道をいっそう固くする合同の道をひた走っている。九〇%が有事法制に賛成する国会にあって、憲法の「平和主義的企図」を曲がりなりにも守ろうとする「護憲派」勢力(社民党や共産党)を弱体化させ、あわよくば放逐することは、「憲法改悪」から恒常的、全面的戦争遂行体制の形成に向かうことをいっそう容易にする。
 今回の辻元逮捕は、こうした政治的意図を持って実行されているのは明白である。「党幹部によるセクシャルハラスメントが行われた共産党(もちろん許されることではないが)と元幹部が『詐欺』罪の社民党」という宣伝は護憲派勢力への格好の攻撃材料となっている。その意味で、共産党が辻元・社民党への弾圧を軽視しているのは間違っている。十一月にも、解散総選挙が取りざたされる中での辻元逮捕は、政治権力の企図をいっそう際だたせている。こうした政府・与党、権力者の恣意的・反動的試みを許してはならない。
 佐高さんなどの「声明文」で強調されている、社民党の党としての対応のあり方への批判は、今後いかなる運動や組織として再生するのかにも関係して重要である。
 辻元さんが強調していた秘書とスタッフの「ワークシェアリング」の立場に立ったとしても、それだからこそ「財政」問題は極力公明でなければならない。社民党でもその一翼を担う「市民派」的政治家は、議員の諸歳費の問題について厳しく追及し、不当なものは税金の無駄遣いとして辞退・返納している。
 これらの市民派議員の努力と辻元さんや五島さんが実行した「政策秘書給与の略取」は全く対立する。辻元さんを擁護する人たちの中に、公明党や共産党などがやっている「秘書からの党へのカンパ」と同一視する意見がある。しかし、運動や組織にとって資金の経路は明確でなければならない(共産党や公明党の財政全体が公明正大だといっているわけではない)。大衆に説明がつかない財政活動は、結局は今回のように、党や組織、運動の力を弱めてしまう。
 われわれは、この問題を考えるとき、社民党が長年抱えてきた「党の体質」との深い関係を見なければならない。社民党はこれほど少数化しても、五五年体制下の自社なれ合い的体質を残したままである。さらにその上、村山「自・社・さ」政権での経験を総括・克服していない。このことと、今回の辻元問題は大きく関係している。
 辻元さんや五島さんがとった行動そのもの、攻撃を呼ぶ脇の甘さは、自民党や権力との関係の甘さ・曖昧さの表現である。そしてそれはまた、今日の民主党・自由党との関係を曖昧にし同調することにもつながっている(いまだに地方自治体首長選では総与党化の一翼を担っている)。
 この点では、村山政権時代に、自民党との連立「安保・自衛隊の容認」への批判を「狭小な政治」として批判していた辻元さんにも、通底する政治性格があった。辻元さんらのひいては社民党の行動は、一人社民党への攻撃を呼び込んだだけでなく、政府を批判し戦争に反対する運動への弾圧を呼び込んだものとして強く批判されなければならない。
 社民党(議員や候補者)の中にも、社民党の「解党的出直し」を決意している人たちもいる。そのためには、社民党が抱えている問題を、根本的に克服することが求められている。社民党にとっては解党と同等な。
 現在、辻元さんの地元・高槻市で弾圧反対の署名をしたところ百人もの署名実行者が参加したという。また「声明文」や「アピール」の賛同者も増えている。これらの動きを、政府与党、権力者の戦争遂行体制の構築に抵抗する民衆運動の構築の観点から作り上げることが求められている。(笹沼敏幸)


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