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書評『グローバリゼーションと発展途上国』吾郷健二著―コモンズ 3500円                          かけはし2003.7.7号より

資本のグローバリゼーションの否定的影響と転換のための構想



 著者は、一貫して第三世界、特にラテンアメリカをフィールドワークにして分析を重ねてきた研究者である。私は、たえず吾郷氏の理論に対して、共感をもってその研究内容に注目してきた。
 これまでに吾郷健二氏には、『従属的蓄積と低開発』A・G・フランク著訳(岩波現代選書)、「第三世界論への視座」(世界書院)、『歪められた発展と累積債務』D・バーキン著訳(岩波書店)、『ラテンアメリカ従属論の系譜』クリストパル・カイ著監訳(大村書店)など、多くの訳書と著作がある。

著者の意図と本書の構成

 吾郷氏は、この『グローバリゼーションと発展途上国』の意図について、序章の冒頭で次のように述べている。「一九八〇年代以降の経済思想の革命的(正確には反革命)変革とそれに伴う経済政策の革新(ケインズ反革命というべき、いわゆる新古典派のネオリベラリズムと、それに基づくグローバリゼーションの推進)が第三世界=発展途上国経済に与えた影響を、とくにその一典型例としてのラテンアメリカをケーススタディとして、国際貿易システム、構造調整政策、通貨危機の三つの契機から検証したものである」。
 本書の構成は以下のようになっている。
 第T部
WTO体制と発展途上国
第1章 WTO体制と発展途上国―南北問題観の歴史的転換
第2章 ドーハの意味―WTO第四回閣僚会議
 第U部ネオリベラリズム改革とラテンアメリカ
第3章 債務危機・通貨危機と ラテンアメリカ
第4章 経済社会開発モデルとしてのネオリベラリズムの意味―メキシコを事例として
 第V部 
国際金融システムと発展途上国の通貨危機 
第5章 国際金融システム改革の行方
第6章 資本移動の規制論
第7章 開発金融と投機的資本―いわゆるトービン税をめぐって
 あとがきで吾郷氏は言う。「第T部は、イリイッチの、第U部は、ポラニーの、第V部はケインズの引用になっている。いずれも、著者の理論的・思想的立場に大きな影響を与えた巨人たちであり、その思想は本書全体の基底を貫徹していると言える」。

「産業化時代の回避」めぐって

 吾郷氏は言う。「(イリイッチは)〈根源的独占〉というイデアをもって、産業的生産様式への根底的批判を展開し、convivialityという人間の原的存在への視野を開いた。グローバリゼーションがいわゆる先進工業世界のみではなく、第三世界をも覆い尽くそうという時代に、『人類三分の二はいまなお産業化時代を回避できる』とするイリイッチの思想は、筆者を絶えずそこに立ち返らせる引力をもっている』」。
 十九世紀のイギリスを中心とする西欧における勃興期の資本主義社会を背景に、マルクスは、『資本論』を著した。こうした背景のもとだからこそ『資本論』は、西欧中心主義といわれ、第三世界の研究者においては、その限界を指摘する人が多かった。
 『資本論』以降、ローザ・ルクセンブルクの『資本蓄積論』や、ローザに影響を受けたケインズ主義者のジョーン・ロビンソンは、『マルクス、マーシャル、ケインズ』のなかで第三世界の革命の根拠を説明、分析した。つまり「資本主義を超える段階としてではなくその代替物として、すなわち産業革命を共有できなかった諸国民が、その技術的成果を模倣することのできる手段、異なる一組のゲームのルールのもとで急速な蓄積を達成する手段として」第三世界の革命の総括を試みた。
 また、ネグリ、ハートが、言う〈帝国〉をとらえる別の視点として、〈帝国〉の『資本蓄積』を第三世界への包摂過程を射程に入れた従属論、新従属論、世界システム論に理論的に結びつけていった。こうした経緯を吾郷氏は、先に上げた著書、訳書によりその時代ごとに発表していた。
 そうした論争の延長として、今回の著書で吾郷氏は、イリイッチが〈根源的独占〉というイデアをもって産業的生産様式への根底的批判を展開したことを強調した。これはまたエコロジー的自主管理社会主義者コミューン主義者であったエリゼ・ルクリューの思念・想念にも一脈通じるものであった。その意味で、「人類三分の二はいまなお産業化時代を回避できる」という言葉は、「ある一つの成長(資本蓄積)モデルの終焉」を迎えている現在において、特に第三世界のひとつのモデルとして復権し、いまだに光を放つ求心力をもちつづけている。

ポラニーと「経済の制度化」のパターン

 第U部「ネオリベラリズム改革とラテンアメリカ」では、吾郷氏はポラニーをめぐって言う。「ポラニーが、〈経済の制度化のパターン〉というイデアでもって、市場社会の歴史的〈人類史的〉特殊性を根拠づけ、非市場経済・社会への視野を開いた」。そしてその上で、「経済システムを再び社会の中に埋め込み、生産者としての毎日の活動において人間を導くべきあの動機の統一性(=生の充足)を回復しなければならない」と述べている。
 この第U部は、反グローバリゼーションの立場から、ラテンアメリカ、特にメキシコを中心に、グローバリゼーションがこの地域にどのような影響を及ぼしているのかが書かれている。特にこの第U部第4章は、吾郷氏の訳した『歪められた発展と累積債務』D・バーキン著(岩波書店)とともに読まれると、さらに理解を深めることができる。

ネオリベラリズムとラテンアメリカ

 かつて、一九七〇年を前後して、チリ人民連合政権が成立した。経済的搾取は『もうたくさんだ』を合言葉に、チリ人民は勝利した。その後のクーデターによる人民連合政権の挫折は、ラテンアメリカの階級闘争に暗い影を落とした。
 アメリカ帝国主義に後押しされたピノチェットによるこのクーデターは、とりも直さずアメリカを中枢とする〈帝国〉の布石であった。その後の一九八〇年代後半の中米も含む反革命の攻勢こそ、グアテマラ政府のむき出しの人権侵害と虐殺に見られる惨状を引き起こしている。また、ニカラグアへのネオリベラリズムの浸透によるFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)の分裂という政治的後退局面も、その脈絡から説明できる。
 こうした〈帝国〉の全世界の反革命的ネットワークの経済的手法こそ、今回の著書の最大のテーマであるネオリベラリズムなのである。
 吾郷氏は言う。「ネオリベラリズムは、政策選択として望ましくないし、持続可能でもない。それはメキシコから自立的発展の可能性を奪い、永続的に世界システムの従属的周辺部に押しとどめておくものであって、新たなオルターナティヴが必要である」。

ケインズ主義と第三世界の関係

 第V部では、ケインズが取り上げられている。本山美彦氏は、『開発論のフロンティア』第7章開発金融と投機(同文館)の中でケインズ主義と第三世界の関係について次のように言う。「一九八〇年代には、第三世界の政治的独立が安定的な経済発展の条件であるとはいえなくなっていたし、先進国でもケインズ主義への落胆が一般化していた。時代は、再度、社会全体を見渡した政府行動への期待ではなく、セルフ・インタレストを神の座に駆けのぼらせたのである。南北関係は、国連に結集する諸国間の政治的行動ではなく、民間商業銀行の私的な関係によって構築されるだけのものに成り下がったのである」。
 吾郷氏の訳書である『従属的蓄積と低開発』後の一九八〇年代初頭のA・G・フランクの問題意識と、旧来の従属論の戦略の「転換」という時代に書いた二つの論文「ひとつの世界、ひとつの危機」、「イデオロギーの危機と危機のイデオロギー」は、ラテンアメリカのこうしたネオリベラリズムの台頭と階級闘争の後退を強いられた局面という全般的傾向を背景としていた。

ケインズ主義の有効性を強調

 歴史を遡れば、かつてケインズは、第三世界の貿易を安定させるための国際行動を擁護したことで知られている。バーローは、かつての西側諸国が、合成繊維を開発したことや第三世界の独立にともなう継続的頭脳流出が、第三世界に壊滅的打撃をあげたことを報告していた。
 吾郷氏はケインズについて、「Natinal self-sufficienceからLocal self-sufficiency(地産地消)そしてバンコール(脱ドル化)とゲゼル思想(地域通貨とマイナスの利子)の復権へと、一九三〇年代にケインズが直面したと同じような大胆な社会転換のための構想を必要としている歴史的時代にわれわれはいまやってきつつあるのである」と述べ、一九八〇年代とは違う新時代におけるケインズ主義の有効性を強調した。

`南南協力aやトービン税をめぐって

 ここで吾郷氏は、ケインズ主義の積極的局面を述べているが、ここでは、その限界を付記しておきたい。
 先に上げたネオリベラリズムに換わるオルタナティブこそ、共同市場によるいわゆる南南協力の確立、運営である。ケインズあるいは、その後のケインズ主義者ジョーン・ロビンソン、トービンの先に提起すべきものとして、南南協力の構想を上げておきたい。この点S・アミンの『開発危機』(文真堂)の第7章は、アフリカの事例ながら南南協力の展望を示している。
 また、ラテンアメリカの例として、南米南部共同市場が設立されている。こうした経済的安定の展望の中に、現在のブラジル労働党政権の今後が展望される。
 第V部 「第7章開発金融と投機的資本」の中で、いわゆるトービン税をめぐる最終章では、特に吾郷氏の問題関心が、これまでの分析の視角をもとに具体的反グローバリゼーション運動へと結びついていく。
 各地で反グローバリゼーションの運動にかかわる人々にとって、時宜を得た本である。  (浜本清志)


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