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                          かけはし2003.7.28号より

「心神喪失者医療観察法」は精神医療の荒廃をさらに深刻化させる

差別と偏見を激化させる憲法違反の悪法だ

「保安処分」先取りの悪法

 六月三日参院法務委員会でのだまし討ち強行採決からほぼ一月を経た七月十日。与党三党は「精神病」者に対する差別・偏見を助長し、隔離収用を推し進めるだけの「心神喪失者医療観察法案」(以下医療観察法)を衆院で可決成立させた。
 七月四日には、ハンセン病国家賠償訴訟を担った弁護士を中心に三百二人の弁護士が「政府案は『らい予防法』と酷似しており憲法違反」という声明を発表したばかりだった(「らい予防法」は02年5月、熊本地裁で違憲判決が出され確定した)。ほかにも「精神病」者団体、精神病院の労働組合などが、法案撤回を目指し運動を続けていた。これら必死の抗議を一切無視し法案は採決された。
 この法律の最大の問題点は、「再犯の恐れあり」とされた場合、無期限に隔離収容がなされる点にある。精神医学的には「再犯の恐れは」予測できない。それにもかかわらず精神病者にのみ、不確かな「再犯の恐れ」を根拠に無期限の隔離収容を行うことは、精神病者に対する差別であり保安処分の先取りである。
 国が精神医療において取り組むべき問題はほかにある。昨年、自殺者はついに三万人を突破した。老朽化した精神科病棟には十四万もの人が二十四時間隔離されている。
 この法律は隔離収容に偏重した日本の精神医療をより荒廃させるだけである。

日本の精神医療は世界最悪水準


 昨年三月、WHOは日本の精神医療の実態は異常であるとして、「病院収容から地域医療への転換を緊急に進める」ことを主な内容とする勧告をまとめた。WHOから勧告されてしまう日本の精神医療の実態をまず確認しておこう。@入院治療が主流A入院期間が長いB閉鎖処遇が過半数を占める――以上の三点は他の欧米諸国には見られない、日本精神医療の大きな負の特徴である。
 日本には現在、百六十万床の病床がある。実はその中で最も多いのが内科などではなく精神病床である。その数三十五万床。実に入院病床の五床に一床は精神病床なのである。そして十五万床が五年以上の長期入院で占められ、二十四時間鍵のかかる病棟に十四万人が「監禁」されている。人口千人当たりの精神病少数で日本は、二・九床、二位のオランダの一・七床を大きく引き離しての一位である。地域精神医療の先駆的な取り組みで知られるトリエステのあるイタリアの病床数は、〇・五床である。
 次に入院期間を表す指標の一つである平均在院日数を見てみよう。日本三三〇・七日、アメリカ八・五日、イタリア一四・一日、カナダ二九・二日。この平均在院日数は、ある一定期間に退院した患者の平均在院日数である。つまり長期入院者の存在を反映しない算出方法がとられている。にもかかわらず日本の数値は明らかに長すぎる。
 同じく人を隔離収容する施設に刑務所がある。刑務所の施設定員は六万五千人。五年以上の実刑判決を受ける人は毎年約百人、在監の無期囚は千人程度である。日本では刑務所の定員の二倍を超える人たちが、精神病院で無期限の隔離収用生活を強制されている。そして長期入院十五万人のうち、入院治療の必要はないが長期入院のため退院する場所がなくなってしまった社会的入院が十万人以上。これらの数値は日本の精神医療は、隔離収用以外のことをほとんどやってこなかったことを歴然と示している。
 世界の国々が、精神病院における隔離・収容から地域精神医療へ大きく舵を切った六〇年代から七〇年代。イタリアは七〇年代に単科の精神病院への新たな入院を禁止した。日本の精神病床だけが増え続けた。
 増え続けた精神病院で何度も不祥事が発覚した。それでも隔離・収容の流れは変わらなかった。八三年、宇都宮病院事件が発覚した。厚生省は国内外の批判の高まりのなか、精神衛生法を精神保健法に「改正」した。精神保健法は、精神病院での人権侵害状況を改善するための法律のはずだった。ところが当時の厚生省精神保健課長は週刊新潮のインタビューに次のように答えている。「入り口を広く出口を狭くした。」日本の精神医療は「隔離」という病に侵されている。

隔離第一主義が生む差別と偏見


 日本の精神医療を蝕む「隔離」という病の背景にはどのような問題が潜んでいるのだろうか。
 日本の医療における医師・看護師数は、諸外国に比べて著しく低い。にもかかわらず精神科は、さらに低い人員配置が認められている。この差別処遇を精神科特例という。一般科より医師数は三分の一、看護は三分の二でよいとされている。なぜ一般科より少なくてよいのか、この数字にまったく医学・看護学的根拠はない。当時の精神病院の実態をそのまま追認しただけである。この基準でさえ三割の病院が満たしていない。少ない人員では、治療ではなく収容、看護ではなく隔離することしか出来ない。
 二〇〇〇年第四次医療法改正のとき精神科特例の廃止が検討されたが、大学病院、総合病院の精神科を除き従来どおりとされてしまった。この時、特例廃止阻止に「大活躍」したのが安上がりな医療を改善する気がない日精協(日本精神科病院協会、民間精神科病院の協会)である。
 先に日本精神医療の負の特徴を挙げた。この根本には、日本の精神医療の九割が民間病院に依っている、ということがある。本来は公的サービスである精神医療の九割を日精協、民間病院が担っているのは日本のみである。公的サービスであるべきところを、民間資本に任せるとどうなるのか。当然にも精神医療ユーザーの福利・厚生よりも病院経営が優先される。イタリアのように精神病院への新入院禁止、といった大胆な改革は不可能である。退院・社会復帰を進めようにも、十分なスタッフを確保すれば人件費がかさむ、退院・社会復帰が進み入院患者が減少すれば収入源となる。これでは病院経営は立ち行かない。
 精神病院にとって、精神医療ユーザーはもうけの対象でしかないのか? と思われた方がいるかもしれない。残念ながらそのとおりである。一部の民間精神病院では入院患者は「固定資産」といわれてきた。日本の医療費は欧米諸国から比べると安上がりで、精神医療はそれよりさらに安上がり。それでも入院費はだいたい月三十万から三十五万円。国民皆保険制度のもと、ただ隔離収用しておけば、病院には一人当たり三十万から三十五万円が確実に入ってくる。一生入院させておく「精神病」患者は、民間精神病院にとっては毎月三十五万の収入をもたらす「固定資産」でしかない。このような価値観のもとに提供されるものは「医療」とはいえない。
 民間精神病院が安心できないなら、国公立病院では良質の精神医療サービスが受けられるのだろうか。残念ながら、否である。日本では、民間・国公立であれ安心して入院できる精神病院はほとんどない。
 ユーザーの立場から言えば一泊一万円。ホテルや旅館ならそれなりのサービスを受けられる値段である。しかし精神病院のサービスは? 三食とたくさんの薬だけ。リラックスしたいと思っても、例えば入浴は週二回。一人になりたいと思ってもそんな空間は存在しない。医師に相談しようと思っても精神科特例で「患者四十八人に対して医師一人」。一人一人を把握するという点で、例えば学校の四十人学級でも多すぎるのに、「問題」を抱えた人を四十八人。精神科医が週四十時間働いても、一人あたり一時間もとれない。実際には病棟で四十八人近く抱えて、外来診療もして、となるので一人当りの時間はもっと少なくなる。これでは社会復帰が進むわけがない。これが日本の精神医療の現実である。
 安上がりな隔離・収容を中心とする医療とそれを認める誤った政策は、「精神病」者に対する差別・偏見を生み出す温床となった。隔離・収容を中心とする医療は、社会から「精神病」者の存在を隠してしまった。たとえば統合失調症は、百人に一人の割合で発症するありふれた病気である。ところが、その実態はほとんど知られていない。そのため入院が長期に及ぶのは病気のためではなく、病院の貧困な治療環境に原因があることは知らされていない。そのため長期入院という現実が、「精神病=不治の病」という偏見を生み出す温床になってしまった。不必要な隔離医療は、「精神病者は隔離の必要がある=危険人物」という偏見を生み出した。
 以上のように「精神病」者に対する差別・偏見は、国の誤った医療政策に原因がある。ところが国は、「精神病」者が関連する事件が起きるたびに、マスコミを使い「病気をたてに刑罰から逃れている」といった「危険な精神病者野放しキャンペーン」を繰り返してきた。これらはなんら事実にもとづくことのない悪質なデマである。実際には犯罪を起こしてしまった「精神病」者は、「病気が治るまで」という理由で、同等の罪を犯した健常者の刑期の数倍(時には終生)、医療の存在しない精神病院に隔離収容されてきたのである。
 医療観察法の成立は、「精神病」者に対する偏見・差別を深刻化させ、地域精神医療の進展を阻み、十万人とも言われている社会的入院を続ける人の退院・社会復帰を妨げるものでしかない。

「精神病」者は危険な存在か


 医療観察法は正確には「心神喪失などの状態で重大な他害行為を行った者の医療および観察などに関する法律」という。ここでいう「重大な他害行為」とは「放火、強制わいせつ・強姦、殺人、傷害、強盗」である。それならば「精神病」者はこれらの罪を犯しやすく、また再犯が多いのだろうか。実はそのような事実はまったくない。それならば、なぜこれらの犯罪が選ばれたのか。これこそ「精神病」者に対する差別・偏見でしかない。
 実は「精神病」者の犯罪率は非常に低い。「精神病者=危険」というのは偏見でしかない。二〇〇〇年版犯罪白書によると、九九年度「刑法犯検挙人員のうち、精神障害者は六百三十六人、精神障害の疑いのある者は千三百六十一人で、両者の刑法犯検挙人員に占める比率は〇・六%」となっている。「精神病」者の有病率は約二%と言われているので、疑いのあるものまで含めても犯罪率は一般の三分の一である。
 「重大な他害行為」である放火、殺人についてはどうなのか? 白書は「放火が一四・四%、殺人が九・四%と、特に高くなっている」と言う。しかし、殺人は「その実質的内容が拡大自殺などの近親者を巻き込むものが多い」、放火は「病的酩酊によるものや自宅への放火」であることがわかっている。「特に高い」とは、「精神病」者が殺人・放火を起こしやすいということでは全くない。
 医療観察法の主眼は、予防拘禁により再犯を防ぐことにある。「精神病」者の再犯率は高いのだろうか。二〇〇一年版「犯罪白書」によると九八年度満期釈放者の再犯率は、四四・八%。一方「精神病」者の再犯率は。実は犯罪白書を過去十年「再犯率」「精神障害者」の二つのキーワードで検索したが該当するデータは見つからなかった。つまり「精神病」者は再犯率が高い、というデータはどこにもない。これらのことだけで保護観察法が、全く根拠のない差別・偏見をもとに作られた法律であることがわかる。

「保護観察法」が持つ差別の論理


 「精神病」者の再犯は予測可能なのだろうか? 保護観察法は「再犯の恐れ」の有無によって対象者の処遇が決定されることになっている。しかし、「再犯予測が可能である」ことを証明する精神医学的研究はいまだかってない。逆に「再犯予測は不可能」と結論する研究報告はいくつか存在する。
 これは何を意味するかというと、「再犯の恐れがないことも証明できない」ということである。このことは逆に現場において「再犯の恐れがない」と判断することを困難にすることを意味する。医療観察法が運用されれば、「再犯の可能性」について何ら根拠のある判断ができない以上、社会防衛の観点から「再犯の恐れがないことを証明できない」ことを理由に無期限に隔離が行われるということである。
 「可能性」で隔離収容を行うのは究極の人権侵害であり、「精神病」者に対する差別である。例えば私は現在、看護師として病院で勤務している。過密な業務をこなしているので、私も医療事故により入院患者に害を与える、つまり「他害」の可能性がある。だが「他害の可能性があるから看護業務を辞めろ」と言われたことはない。
 当たり前である。そんなことを言ったら、だれも看護業務ができなくなってしまう。もしそのようなことを言う人がいたら、私だけでなく多くの看護師が「医療事故は、さまざまな要因が重なり合っておきる。個人の責任だけを追及しても問題は解決しない」と反論するだろう。
 このように人間はおかれた状況によっては、だれでも「他害」の可能性がある。もうひとつ例を挙げよう。先だって高速道路で大型トラックの事故が相次いだ。しかし、「事故歴のある運転手は再事故(他害)の可能性があるから運転させるな」とはだれも言わない。なぜなら「事故歴のある運転手が再度事故を起こす可能性が高い」というデータはないし、何より事故の背景には過酷な業務という問題が存在することは明らかで、個人を取り締まっても問題は解決しないとだれもが思っているからだ。
 したがって医療事故・交通事故解決策として、何の根拠もなく「看護師は業務をするな」「運転手はトラックの運転をするな」と主張してもだれからも相手にされないだろう。このように社会的問題を解決しようとするとき、すべてを個人の責任に帰してしまう方法は、何ら問題の解決にはならない。それどころか、本質的問題の解決が先送りされるのでより深刻な問題が発生し有害ですらある。
 保護観察法が「精神病」者に行おうとしていることはこれと同じことなのである。「心神喪失」、「精神病」というだけで、貧困な精神医療のあり方が問われることは一切なく、すべてを個人の責任にして済ましてしまう。保護観察法の持つ思考法がいかに「異常」で差別的かわかっていただけただろうか。

戦争国家体制作りと一体だ


 「精神障害者の九割が検察の段階で不起訴」「精神障害者が得をしている」といったキャンペーンがなされている。これも事実無根のデマである。殺人の起訴率を比較すると、「精神病」者五一%、一般六一%。「精神病」者も五割が起訴されている。また受刑者全体の約一%が「精神病」者であるとするデータもあり、「精神障害者は刑罰を逃れている」というのは事実に反している。釈放後さらに措置入院となることもあり、拘禁期間が五十年を超える人もいる。むしろ「精神病」者は加重に拘禁され刑罰を受けているのである。
 いま、早急に必要なのは精神医療の充実である。保護観察法は差別・偏見に立脚し何ら根拠がない、全く必要のない法律である。
 新自由主義が社会にもたらした亀裂は、多くの人々の生活を破滅させてきた。三万人の自殺者。新自由主義がもたらした「経済の恐怖」の前には個人はあまりにも無力である。「戦争のできる国づくり」を急ぐ政府は、数々の悪法を成立させ、個人のプライバシーを奪い、表現の自由、思想・良心の自由を踏みにじってきた。保安処分を先取りした保護観察法案は、「戦争のできる国=監視社会」を完成させる法律である。

悪法を機能させない闘いを


 反対の声を無視して法案は成立してしまった。政府は今後十年をかけて、国立病院を中心に全国に二十から三十の専門病棟を整備していくとしている。
 全国の精神医療に従事する皆さん! とりわけ国公立病院で働く皆さん! 専門病棟での勤務を拒否しよう。私たちは、人権を侵害するために、理由もなく人を拘禁するために医療職についたわけではない。勤務拒否により保護観察法を機能停止に追い込もう!
 精神科特例を今すぐ廃止せよ! 精神医療の充実を!      (矢野薫)


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